第5話 逃げよクァクレス
「こういうことがあったんだよ。だから俺は魔王様の葬儀に最後までいなければならないが、お前は違う。参列者全員が弔辞を読む時に部外者ってバレたら魔王妃様たちから何をされるか分からない・・・っておい!何を号泣してるんだお前は!」
「だ、だって・・・!あんたがそんなに魔王と友達だと知らなかったから・・・!それに魔王、全然悪いことしてないのに家族から嫌われてて可哀想じゃんかよ・・・!」
話し終えたシェルヨトの視線の先には、床に水たまりを作らんばかりの号泣をするクァクレス。
貧困層であり元々はこの葬儀の参列者の金品を盗むために大聖堂へと侵入した彼女だが、決して悪人ということは無く、むしろシェルヨトの話を聞いて泣いてしまうほど単純で情に厚い女性ではあった。
「シェルヨト、冷たい魔王の嫁さんや妹とは違って確かにあんたの方が財産を受け取る資格があるよ・・・!弔辞を作るのに手伝うから3分の1は貰うけど、それ以外は持ってけ・・・!」
「いきなり鼻水垂らして何をほざいてるんだお前は。魔王様にお伝えする弔辞はもう出来上がってるわ。この頭の中に入ってるわ」
シェルヨトはクァクレスの放った言葉を聞いて呆れかえり、自身の頭のこめかみをトントンっと人差し指で叩く。
そして彼は体育座りをしながらまだ鼻水をすすっているクァクレスに近づくと、真剣な表情で大聖堂の中にある、外へと繋がる扉や窓の位置を説明した。
「良いか、正面の出入口は間違いなく危険だ。ただこの2階の奥にある、掃除道具が詰め込まれている倉庫についている天窓。恐らくあそこまでは魔王妃様も気にかけていない。どうにかそこまで向かって逃げるんだ」
「え、ええ・・・?遺産の一部は・・・?」
「そんなこともう諦めろ!それよりも命の方が大事だろう!魔王妃様・魔王様のご妹様たちは、見慣れないお前のことを怪訝に思っている!1年前に式が始まってからすぐ怪しんでたんぞ!」
さらにシェルヨトは続ける。
何度も言うが弔辞は参列者全員が読まなければならないもの。そこでろくに言葉を述べられないクァクレスの存在がバレると、確実に人間嫌いの魔王の家族が動く。
逮捕や投獄はまだマシな方で、下手をすれば『偉大な魔王の葬儀に侵入した、悪い人間の侵入者』ということで殺され、逆に魔王妃による人間への攻撃の大義名分に使われてしまう可能性が高い。
「そんなことになったら魔王様のこれまでの努力が全て水の泡だ!だからさっさと逃げるんだ!」
「・・・なあんだ。私のことを心配してたわけじゃ泣くて、魔王のことを思っての『逃げろ』って命令だったのか・・・」
「変なところで拗ねるな!大丈夫だ、初対面だがお前のことは心配してる!だからこそ逃亡の手助けをしようとしてるんだろうが!」
急にしおらしくなって、頬を膨らませながら艶の無い長い髪の毛先をくるくると指で巻くクァクレス。それでも彼女の逃亡を助けることが第一だと考えたシェルヨトは黒いスーツのポケットに手を突っ込み、くしゃくしゃの紙幣を3枚、クァクレスに手渡す。
「悪いが俺も手持ちはこれぐらいしかない。別にお前に同情をするわけじゃないが、この1年間の葬儀に参列してこの金を得たと思ってくれ。お願いだからもう無茶をするな、目の前で同族が殺されるところなんて見たくない」
「・・・分かったよ。その倉庫にある天窓からどうにか逃げる。じゃあな」
クァクレスは出された紙幣を乱暴に受け取ると、涙を拭いて立ち上がる。そして部屋の扉へと移動し、「・・・達者でな。あんたも色々と気をつけろよ」と告げてその場から立ち去った。
◇
クァクレスが部屋を出てすぐ、またも侍従長のエルフがシェルヨトに「そろそろ葬儀再開の時間ですよ」と伝えに来た。
「侍従長さんはあの女の不在に気づくか!?」と心配していたシェルヨトだが、意外にも侍従長はクァクレスがいないことは気にも留めず、他愛もない会話を彼と行う。
そして1階にある葬儀会場に戻ると「まだ仕事が残っておりますので」と言って、すぐにどこかへ行ってしまった。
これに胸を撫で下ろして会場の最も後ろにある長椅子に腰かけるシェルヨトだが・・・。「あら?先ほどの小娘はいないのかしら?そろそろ葬儀の一番盛り上がるところよ?」という声が彼の耳に届く。
恐る恐る声のする方に顔を向けると、後ろにいたのは魔王妃。さらにその傍らには魔王の3人の妹まで引き連れていた。
「お義姉様。ここには1年前の葬儀開始ぶりに見たこのクソ人間料理人1人しかいませんけど?」
より醜い顔の長女。
「貧乏くさい小娘がいるって聞いたから、せっかく脅そうと思ったのに。最悪ね」
より醜い声の次女。
「そうそう。両手両足縛って、暴力振るってイジメてやろうと思ったのに!」
より醜い性格の三女。
この魔王の妹たちも、クァクレスに説明したように人間のことを嫌っている思想を抱いている。
「(だけどこいつらは嘘が上手い。恐らく弔辞には大げさで嘘満載のエピソードを塗り固めて、財産獲得を狙ってるだろうな・・・)」
渋い顔をしながらも、それがバレないように立ち上がって静かに会釈をする。
「顔が強張ってるのがバレバレよシェルヨト。それにしても『葬儀が終わる直前、最も胸に響く魔王への弔辞を読めた者に、魔王が遺した財産を渡す』なんて変な行事だと思わない?どうやら魔王が逝去した際の決まりらしいけれど面倒なものだわ」
そして魔王妃。彼女はパタパタとわざとらしく自身の顔を手で扇ぎながら、シェルヨトに冷たい視線を送る。
「もしわたくしが魔王だったらこんなルールすぐにでも無くすけど・・・。で、もしかして貴方は財産目当てでこの葬儀に参列してんじゃないでしょうね?」
それはお前たちの方だろ。俺は心の底から魔王様を偲んで弔おうと思ってるんだ!
シェルヨトは心の中でこう叫ぶ。しかし実際にこれを口に出すわけにもいかないので、口を閉ざしながら首を横に振るだけだ。
「ま、そんな邪な気持ちで主人の葬儀にいたら、本当に殺してしまうところだったけれど。ところでシェルヨト。さっきまで一緒にいた人間の小娘は、どこ?」
「彼女は腹痛が酷いので手洗いに行っています。しかも『大』なので結構時間がかかるかと」
これを聞いた魔王の妹のうち、長女と次女は顔をしかめ、三女は下品に大笑いをする。
「全くこれだから人間は・・・。まあ良いわ、どうせ弔辞を読むときには戻って来るでしょ。全ての扉や窓にも魔術をかけて監視も置いてるから。もちろん、2階奥の倉庫の天窓にもね」
魔王妃の言葉を耳にしてシェルヨトは一瞬だけ唇を噛むが、バレないように小さく呼吸を整えた。
「それとシェルヨト、これをあげるわ。喉が渇いてるでしょう?弔辞の時に咳き込んだら大変。喉に効く特別な水よ?」
魔王妃が取り出したのは禍々しい黒い液体が入った銀のカップ。
やめろ自分。こんなもの罠だ。飲んだらダメに決まっている。
脳内で自身に向け警告を出すシェルヨトだが、魔王妃・魔王の妹たちに囲まれて睨まれている以上、無視するわけにはいかない。
「・・・ありがとうございます。いただきます」
そして震える手でカップを受け取ったシェルヨトは、目を閉じて一気にそれを喉へと運ぶ。
味はしない。だが・・・絶対に何かトラップがある。
しかし、シェルヨトの身には何も起きない。微かに首を傾げながら空になったカップをシェルヨトは魔王妃に返却して頭を下げると、満足そうに魔王妃たちは頷いてその場から立ち去る。
「な、何だったんだ・・・。あれは・・・」
その背中を呆然として見送るシェルヨトだが、じきに司会進行役であるフェアリーの声が大聖堂内に響く。
「それでは只今より、魔王様の葬儀を再開いたします。これより参列者の方々には弔辞をお読みいただくので、席順に発表を・・・」
それにしてもクァクレスは無事だろうか?まさか倉庫の天窓で捕まって・・・。いやいや、ここは自分の弔辞に集中しよう。魔王様の期待に応え、最も胸に響く弔辞を読まなければ。
ところでこの『心に響く弔辞』っていうのは誰が判定するんだ?いやだって魔王様ご本人はもう亡くなってるわけだし・・・。
こう考えながらシェルヨトは小さく発声練習をしようとしたところ。
「・・・っ。・・・っ。・・・?・・・。・・・っ!」
その声が突然、出なくなってしまった。