第4話 魔王との思い出
固く閉じられた扉の向こう、薄暗く汚らしい部屋の中。
そこで体操座りをしているクァクレスは、壁に寄りかかって腕組みをしたシェルヨトの話に耳を傾ける。
「『専属料理人』って言っても最初は厨房だけの仕事だと思ってた。だけど現実は全然違っていて、想像以上に魔王様の一族や魔族の中枢にいる面々と関わる機会があったんだ」
そこで彼は色々なことを見て、聞いた。当初はあまり理解できないことも多く気に留めないこともあったが、時間が経って職場に慣れるのに連れてその真意が分かるようになってきたのだ。
「段々と理解したんだが、まず衝撃的だったのは魔王様とご家族の仲の悪さだ。一応対外的には仲睦まじい家族だと広報されているがその真実は違う。魔王妃様や魔王様の3人のご妹様は和平に不満を抱いていた」
苦々しい表情で首を横に振るシェルヨトはさらに続ける。
「先ほども言ったが魔族の一部、もっと言うと上層部は反人間的な思想を抱いていた。それで魔王様の立場はどんどん苦しくなっていったんだ」
「あの魔王、そんなに同族から嫌われてたのか?」
「何度も言うがあくまでも『反人間的な派閥』からな。一般の魔族からの支持は高かったし、まあ普通の人間でそんなに嫌ってる人もいない。どちらかというと『争いを率先して止めた偉大な王』っていう扱いだろ」
それにシェルヨトが魔王城で働き出した頃は、さすがに身内による魔王の暗殺は色々とリスクが高いと判断したのかその動きは下火になっていたのだが、それでも彼に向けられる厳しい視線というのは次第にシェルヨトも感じ取れるようになっていったという。
こうして魔王城に勤務していた彼だが、魔王の家族は人間が料理を作るということに拒否反応を示す。
特にそれが激しかったのは魔王妃。彼女はシェルヨトが作った料理に毎回のようにケチをつけ、「料理が口に合わない!」と呼び出しては、激しい叱責や凄まじい罵声を浴びせるということを行っていたのだ。
だが料理人という仕事に誇りを持っており、その技術を評価されてスカウトをして貰った手前、シェルヨトはそんな過酷な環境でも辞めることもしなかった。
そんな彼はある日。侍従長である、あの老いたエルフから呼ばれてある指令を受けることとなる。
「『魔王様の安全を考えた時、君を魔王様だけの専属料理人にしたい』ってな。これは魔王城に勤め始めてから1年半ぐらい経ってのことだが、さすがに驚いたよ」
シェルヨトは少し悩んだ後この提案を受け入れた。それからは直々に魔王・ガルンファと言葉を交わすようになり、料理についての好みや感想などを聞くようになる。
最初は義務的かつ恐る恐る会話をしていたシェルヨトだが、魔王は人間である彼に対しても分け隔て無く接する。すると次第に彼らは料理以外のプライベートなことについての言葉も交わしていった。
「きっと魔王様は俺のことが物珍しかったんだと思う。だが何のしがらみも無い普通の人間の方が話しやすいっていうのも事実だろう。同族には疑心暗鬼なところがあっただろうし」
魔王は妹たちからイジメられていた幼少期の思い出話や、先代の死後その座に即位してからの苦悩・葛藤、そして平和になったお陰で人間の文化に触れて感じた魔族のそれとの差異を語っていく。
さらにシェルヨトは知らないような魔族間で語り継がれているおとぎ話なども教えてくれたのだが、それらを通じて彼が感じたのは、魔王の孤独さ。
人間に対し好戦的だった周囲と幼い時から馴染めず孤立し、政略結婚した魔王妃とは根柢の思想から相性が悪く、魔王になってからは「早く戦争をやめて欲しい」という一般の魔族からの訴えを一身に浴びて苦悩した。
まさに板挟みという状況が途方に暮れるほど長く続いたのだが、ようやく人間との和平を成し遂げても、民衆からの評価とは異なり身内からのそれはガタ落ち。
和平後も外部と関わる仕事の際、魔王は魔王妃と共に出かけて仲の良さを見せる。ところがそれは演技であり、魔王城に帰ると途端に彼女からは距離を取られ、魔王は最低限の衛兵だけを連れて自室での公務に戻る。
食事の時もそうだ。魔王は寂しくひとりで食事を摂るばかり。
朝も、昼も、夜も。もちろん傍らには侍従長のエルフや衛兵のオークなどは待機しているが、家族や友人などが同席することは皆無。
「それ、魔王の性格が悪かったとかじゃないのかよ?」
「そんなことは無い。魔王様はとても優しかった、いやむしろ優しすぎるほどだ。俺の体調をいつも気にかけてくれたし、お出しした料理は毎回高く評価してくれた」
「そうなのか・・・」
そしてシェルヨトは汚れた天井を見上げ、魔王との思い出を漏らす。
確かに人間と比べても、いや他の魔族と比較しても大きな躯体を誇る魔王・ガルンファは迫力があった。しかし相手を威嚇するような威圧感を出すことは無く、魔王城に勤務している魔族はもちろんのこと人間にも常に声をかけてコミュニケーションを図っていた。
実はシェルヨトは二度ほど、食事を伴った魔王城での重大な会議に携わったことがある。そこには魔王妃をはじめとして高い位や役職についている魔族が数名出席していたのだが、彼らは魔王が口にした案や言葉を絶えず口汚く非難し、その様子を見てさすがに胸を痛めた経験がある。
そしてそのような心労がたたったのか、魔王はじきに体調を崩していく。
食事を担当しているシェルヨトは魔王の体の具合について事細かに情報を得ていた。その時々の状態に応じて消化しやすい料理・効率良く栄養補給ができる料理を用意していたのだが、その努力も虚しく魔王の容態は少しずつ悪化していってしまう。
そんなある日、魔王はシェルヨトに伝えた。
『君が吾輩の葬儀に出て欲しい。魔族一族の伝統に沿うものになるので1年を少し超えるほど長い時間になるが・・・。君のような人間が吾輩の葬儀に参列することは、それ自体が魔族と人間との共存を示すことになるのだ』
これを聞いてシェルヨトは「まだまだ亡くならないでくださいよ」と言いつつも二つ返事で快諾。そんな彼の返答を耳にし、魔王が嬉しそうに浮かべた笑顔を、シェルヨトは忘れることができない。
それからまた、シェルヨトと魔王は顔を合わせては互いの近況報告などを行っていく。
魔王はシェルヨトによる料理の話を興味深そうに聞き、終盤には彼の生い立ちなどに関心を示していった。それに応えるようにシェルヨトは自身の家族などの話をして、楽しそうにそして興味深く魔王はそれに耳を傾ける。
シェルヨトの家は代々料理に携わる仕事をしており、家族間の仲も良い。そして彼が家族とのエピソードを時に楽しそうに語るたび、魔王は羨ましそうにそして寂しそうな表情を浮かべていた。
ただ崩した体調は芳しくなく、抵抗力が落ちていたのかいくつか病気にも罹患して容態は悪くなっていく。
どんどんと衰弱していく魔王のことを心配していたシェルヨトだが、当然魔王の家族などはそのことを憂慮することなど無く、自室から出られなくなっていく魔王への見舞いもしない。
このことに不信感どころか憤りさえ抱いていたシェルヨトは、月が綺麗なある晩、魔王のために調理した栄養価の高い粥を持って会いに行った。
ベッドの上に横になっている魔王・ガルンファ。頬はこけ、目は虚ろで、血色は悪い。それでもシェルヨトのことに気づいた魔王は優し気な笑みを浮かべ、か細い声で挨拶をする。
シェルヨトはそんな魔王の口元に少しずつ粥を運んでいたが、ある程度食べたところで魔王はシェルヨトに尋ねた。
『シェルヨト。吾輩は君が抱く将来の夢を知りたい。教えてはくれないか?』
こう問われてシェルヨトは素直に答えた。
彼の夢は、自分の店を持つこと。今の平和を享受しているこの世界を表すかのように、人間も魔族も自由に肩を並べて食べに来てくれるような食堂を作りたい。
シェルヨトの返答を聞き、魔王は満足そうに頷く。そして息も絶え絶えに、さらにこう伝えた。
『吾輩には子供がおらぬ。そしてこのまま吾輩が死ねば、今のままの規定だと妻が新たなる魔王となる。そして妻が新魔王になれば再び人間との戦争を再開される可能性が高い』
このことを防ぐために魔王が整えた手筈。次期魔王について魔王は『自身の気持ち』というものを遺書にしたためており、葬儀の場で発表するように命令を出している。
次第に瞼が閉じられようとする最中、魔王は続けた。
『公私混同をすることは控えたい。しかし吾輩の・・・唯一として最も大切な友人である君に財産を渡したく思っている。どうか吾輩の財産を使って、魔族と人間のための食堂を開いて欲しい・・・』
それからしばらくして。
『財産が妻や妹たちに渡ってしまうと・・・。恐らくそれらを戦争への資金に利用するだろう・・・』
魔王は『唯一の友人』であるシェルヨトに看取られながら息を引き取った。