第3話 怖い魔王妃
「いないかと思えばこんなところに女の子を連れ込んで何をしてるのかしら、シェルヨト?」
美しく、だがクァクレスでもすぐに分かるほどの禍々しいオーラを発する、魔王にも引けを取らないほどの大きな躯体を誇る魔族の女性。
彼女は体を屈めながら狭く薄暗い部屋に体の上半身を入れると、ガタガタと震えているシェルヨトの首筋に顔を近づける。
「シェルヨト。そこにいる人間の小娘は誰?葬儀中にずっと思っていたけれど、主人とどういう関係にある人間かしら?」
「か、彼女はいつも厨房に新品の料理道具などを運んでくれていた業者のひとりです・・・。魔王様のために働いてくれた人間のひとりでもあるため、お、俺が無理を言って呼んだんです・・・」
咄嗟に嘘をつくシェルヨト。
「ふぅん。でも魔王城周辺でも見たことない顔だけど、それ本当?」
だがこの魔族の女性はそのまま、クァクレスのことを睨む。
「そ、それは・・・」
貧しいクァクレスもこれまではそれなりに色々な魔族と会ってきた。時には体が大きい者、時には強面な物、また時には人間とは体の作りが明らかに違う者など。それでも、ここまでの恐怖を感じることは無かったはずだ。
しかし今、シェルヨトを通してこちらを見てくるこの魔族の女性は明らかに他の魔族と違う。おまけに先ほどまでとはまるで異なりガタガタと震えているシェルヨトの様子が、それをさらにかき立てる。
「言ってごらんなさい、そこの人間の娘。部外者でしょう?悪いけれどわたくしは主人ほど人間に優しくないから、ここで殺してしまっても良いのよ?」
「ひ、ひぃ!」
その言葉を聞いて、ずっと立ったままだったクァクレスは思わず腰を抜かしてその場に尻もちをついてしまう。
ま、マズい。このままだと本当に殺されてしまう。ど、どうしよう。本当にどうしよう・・・!
「おや魔王妃様。こちらで何をされているのですか?」
絶体絶命の状況下。聞こえてきたのはしゃがれた老人のような声。
シェルヨトと、魔王妃と呼ばれたその女性の魔族越しに扉の方向へとクァクレスが顔を向けると、そこに立っていたのは燕尾服を着用している老いたエルフ。
「あ、あのエルフは・・・!」
そう、彼は1年前に衛兵であるオークから大聖堂の入口で詰められた際、何故だかクァクレスに助け舟を出してくれたエルフなのだ。
そのエルフは行儀良く背筋を伸ばし、さらに革靴を履いた足を一歩踏み出して魔王妃に話しかけた。
「魔王妃様。別室にお好みの菓子類をご用意しておりますが。高貴なるお立場ですのでこんなところになんておらず、そちらに向かってはどうでしょうか?」
「・・・そうね。爺やの言う通り、わたくしほどの魔族がこんな薄暗く汚い場所に留まってはいけない。ありがとう、そちらの部屋に今すぐ行くわ」
魔王妃はこう答えると部屋にねじ込んでいた上半身を抜き、高価そうな礼服に僅かに付着した埃を払う。
そしてその動きの中で「シェルヨト。言っておくけど主人のこの大事な葬儀から抜け出す人間なんかがいたら即拘束、そして即処刑だからね。それぐらいは覚えておきなさい?」と伝え、優雅な足取りでその場から去って行った。
「・・・は、はあ・・・。まさか魔王妃様がこんなところに来るとは・・・怖かった・・・」
魔王妃の足音が完全に聞こえなくなったところで、シェルヨトは大きなため息をついてその場にへたり込む。そしてなおも扉の近くで佇んでいるエルフに対してすぐ頭を下げた。
「ほ、本当にありがとうございました侍従長さん!」
「いえいえ。礼には及びませんよ。シェルヨト様がお無事で何よりです」
土下座のような体勢で頭を下げ続けるシェルヨトに対し、笑顔を見せながら手を振るエルフ。そしてその様子を目にしたクァクレスも立ち上がって彼に近づき、小さく頭を下げた。
「ど、どうもです。あ、あのエルフのお爺さん。ちょっと聞きたいんですけど・・・どうしてここに入る時、私のことを助けてくれたんですか・・・?」
年老いたエルフに向かってこう尋ねるクァクレス。
「・・・」
「え。い、いや。ニコニコ笑ってるのは良いんですけど、何でですか?」
しかしエルフはクァクレスからの問いには一切答えない。柔和な笑みをその顔に浮かべたまま口を閉ざしているのだ。
「・・・」
「・・・。もしかして高齢だからボケてきてる?」
「おい!さすがに失礼が過ぎるだろ!す、すみません侍従長さん!こいつはちょっと、いやだいぶアホな女だと思いますので!」
「こら!誰がアホが!誰が!」
「はっはっは。2人共元気で、そして無事で何よりです。それではこちらは仕事がありますので、これで」
「あ、ちょ、ちょっと!侍従長さん!」
シェルヨトとクァクレスが口角泡を飛ばすかの勢いで言い合う光景を目にしたこの老いたエルフは、そのままぺこりと小さく会釈をした後、どこかへと去ってしまった。
「あの爺さんエルフは何者だ?それとさっきの怖い魔族も。あ、でも『魔王妃』ってことは魔王の嫁さんか。それぐらいは私でも分かる」
そしてエルフが姿を消してからクァクレスはシェルヨトに尋ねるが、彼はまた大きなため息をついた。
「はあ・・・。魔王妃様がああ仰るのであれば、もう下手な動きはできないな。恐らく外へと繋がる全ての扉や窓には何かしらの魔術がかけられていてもう逃走はできない。お前はこの葬儀までいないといけなくなった」
こう話したシェルヨトはゆっくりと立ち上がり、クァクレスの方を向く。
「俺は同じ人間だからお前のことを助けたかった。だけどそれはもう無理だ。・・・これも何かの縁だから無知なお前に教えてやるよ、魔王様の寂しい晩年をな」
◇
今回亡くなった魔王・ガルンファ様は3代目。祖父の代から続く魔族を統べる王だ。
魔族は人間よりも長寿だが、魔王様一族の寿命はさらに果てしなく長い。だから3代で実に1000年以上にもわたって魔族の頂点に君臨してる。
ただ好戦的で人間と世界の覇権を争うことに没頭していた先代・先々代と違い、ガルンファ様は幼い頃より争いを好まなかったらしい。
ガルンファ様が魔王の座に即位したのは実はつい最近、と言っても50年ほど前だがな。
お前もどこかで聞いたことはあるだろ?ガルンファ様は魔王に即位してからすぐ、和平を成し遂げるために奔走したことを。
魔族側、特に近い身内からの反対意見も多かった・・・が。それでもガルンファ様は何度も何度も粘り強く人間を交渉し、今から30年前にようやく平和が訪れた。
ただ問題はこれからだ。
一般の魔族は和平を歓迎してすぐに人間との共存に移った。ところが位の高い魔族の中には和平成立後も反人間派閥が存在していて、その怒りの対象はじきに魔王様に向けられた。
昔の話はあくまでも魔王城料理人の先輩魔族から聞いた人づてものになるが、和平直後からガルンファ様は何度も何度も魔王城内で暗殺の危機に瀕し、影武者が命を落とすという事態もあったらしい。
こういう風に危険が大きいというので、長年魔王様一族に仕えていた侍従長さん・・・さっき姿を現したあのエルフの方が、「今はもうむしろ人間を雇用した方が安全ではないか」と策を講じた。
それから少しずつ魔王城内の仕事を人間がこなすようになったんだが、それでも最後まで人間を入れなかったのは魔王様専属の料理人。
人間と魔族とでは少し味覚に違いがある場合があるし、何よりも毒殺の危険が最もある領域というので、侍従長さんは厨房の人事にはかなり神経を使っていた。
だが長く担当していた魔族の料理人の中に引退する者も増えてきた中で・・・。5年ぐらい前、人間向けの高級レストランで働いていた俺がスカウトされた。
それからだよ。こんな俺が魔王・ガルンファ様と交流を持つようになったのは。