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すれ違いの真実

 つんとした、鼻の奥が。

 視界がぼやけて瞬いたら幾らかクリアになる。そんなのを何回か繰り返してようやく気持ちを立て直せそうになって身動ぎした。もう押さえ付けられてはいないから自由に身を起こしてその場に座り込む。ポロポロ落ちた涙も拭った。


 マックス様は、彼もさっきまでの様子が嘘みたいに放心しているようで、すぐ傍から私を見開いた両目で見つめて完全に固まっている。


 どうしてこんな所にいるんだって目が言っていた。

 私が起き上がった事で彼も正気を取り戻したのか瞳を揺らすと私の乱れて顔に掛かった髪の毛を直してくれようとしてか腕を持ち上げた。


 その瞬間、私は意図せずも反射的にビクッと肩を跳ね上げてしまった。

 こっちの正体を知った彼にもう乱暴をする意思はなかったのはわかるけど、反射的にそうなってしまったんだから仕方がない。

 彼は無言で指を握り込んで手を膝に下ろした。


「暗殺者かと思ったんだ。手加減できなくて、済まなかった」


 暗殺者……?

 ええと夜中に部屋に未知の他人がいるのは怖いけど、出てくるのが泥棒じゃなく暗殺者って、可能性としてそんなにさらっと出てくる存在だっけ?


 もしかして彼はそれに疑問を抱かない程度には暗殺者とご対面した経験があるの?


 こんな予想外の思考のせいか、私は直前までの怖さが嘘みたいに薄れていた。だって悔いるように深く俯いてしまった彼を見ていたら本当に申し訳ないと思った。

 もしも彼の環境が人より暗殺者遭遇に近しいものなら、私への対処は決して過剰でも間違ってもない。


「マックス様はすぐに気付いて力を緩めて下さいました。透明魔法まで使って忍び込んだ私が全面的に悪いんです。マックス様は何も悪くないんです。ですから謝らないで顔を上げて下さい。私こそ本当にごめんなさいっ」

「しかし俺は怖い思いをさせただろう」

「たたっ確かにすごく、殺されるかもって思うくらいに怖かったのは認めますっ。ですけど今はもう怖くありませんからっ」

「嘘はいい。まだ震えているくせに」

「だっ……それはっ、人間そんなすぐには落ち着けないんですからしょうがないでしょう!」


 特殊な訓練でもしているならともかくね。私は極々普通人だもの。小さくまだ手が震えているのはどうしたって隠せない。

 でも心はもう前向きなの。

 そんな証拠を示したくて、私は飛び付くようにして彼の両手を自分の両手で握り締めた。びっくりしてか向こうは咄嗟に手を引こうとしたけど私がより強く掴んでさせなかった。

 私のよく知る、それでいて実はまだまだ知らない武骨な手を。


「どうして避けようとするんですか! 私は全然知らなかったから愚かにもあなたを傷付けてしまいましたけどねっ。マックス様みたいに魔物と戦う兵士の皆さんって眠る間も奇襲とかを想定していて本当に気を抜けないんでしょう? 命懸けなんですもの、不審な相手を打ち負かそうとするのは必然的な行動です」

「いいんだフェリシア。害か無害かを的確に判断できなかった未熟な俺のせいだから」

「だっからあなたのせいじゃありませんってば! 何でわからないんですかっ! いいえホントはわかってますよね? ねええっ!?」


 鼻息を荒くして前のめりに訴えれば、目を丸くした彼はようやく「圧すご……」とかそこはかとなく失礼な戸惑いを浮かべた。


「だが俺のこんな一面を君には見せたくなかった。危ない奴だって怖がらせたくなかった」

「え、手負いの獣みたいに危険なマックス様も魅力的ですよ?」

「……」


 彼から不可解そうな目をされた。特殊性癖なのかって薄ら疑われたんだと思う。激しく誤解です。この話題はやめようと咳払いする。


「本当の本当に怖いけど怖くないですからね! しつこく言いますけど誤解しないで下さいね?」

「わかったよ。信じるから」

「良かった。あの、ところでマックス様はそこそこ命を狙われる事がおありなんですね?」

「まあな」

「それはおじ様やおば様も知って?」

「いや。王宮仕えをしているとまあ、色々と摩擦が生じてくる事もあるんだよ。この事は両親には伏せておいてくれ」

「……わ、かりました」


 心配を掛けたくないのね。当然か。

 誰に狙われるのか、とはどうせ名前や正体を聞いても私にはわからないだろうから問わなかった。こうやってみると私って彼にしてみたら役立たずよね。結婚するメリットなんてホントない女よ。魔物と戦えるわけでもないし、暗殺者から護ってあげられる力もないし、政治的にも大した盾にならない。彼と婚約できていたのは単に家同士が親密だからで私の功績でも何でもない。とても幸運だっただけ。

 ずっと維持してくれていたマックス様や周囲の大人達が優しかっただけ。

 ここで一つの考えが浮かんできた。


「もしかしてうちを巻き込まないように破談にしようと?」

「……理由の一つではある」

「一つですか。主な理由は私を嫌いだからでしょうけど、うちの家族の安全まで気にかけて下さってありがとうございます」


 ホント心から感謝~って、忘れそうになっていたけど破談書よ破談書。さっさと破り捨てるに限るわね。まだベッドの上にあるそれへと手を伸ばそうとすると、マックス様から意外なくらいに強い声で呼ばれた。


「フェリシア、今何と言った? 俺が君を嫌い? だから破談にしたいと?」

「え、はいそうですけど」


 彼はどうしてか非常に険しい顔をしている。私の愛読している小説じゃこんな時は相手の両肩を掴んで揺さぶっているような場面よね。なのに彼は私がまだ怖がると思うのか彼からは触れてこない。まあ彼の両手を私が両手で握ったままだからかもしれない。何か離すタイミングがね……。


「俺は君が嫌いだとは一度たりとも言った覚えはないんだが? どこから聞いた話だ?」


 あなたのこれまでの態度で一目瞭然でしょうに。ホント何を言い出すんだか。密かに腹を立てていると彼は落ち込んだように声を落とす。


「君が俺を嫌いなんだろ。隠さなくていい。俺はそれを知っているから、だからこそ君とは居られないと思ったんだ。君を不幸にする」

「ええと何をいきなり……? 私だってあなたが嫌いだとか言った記憶はありませんけど」


 彼は憮然とした。嘘つきめと言いたげな目だ。


「それまでは嫌われていると微塵も感じた事はなかったのに、君の演技力は凄いよな」

「はあ? ですから何ですかそれ、皮肉にしても意味不明です。私はあなたを好きなんです。嫌いなんかじゃありませんよ。そっちこそどこから聞いてきたんですか?」

「どこって、君が言っていたのを直接この耳で聞いたんだよ」

「私が?」


 いくら関係が拗れていたとは言え「嫌い」だけは言えなかったのよ。


「まさか、あなたを好きな誰かが私の声を真似て言って仲を引き裂こうとしたとか?」


 だとすればその卑劣な目論見はほとんど成功している。


「違う。君本人だよ。数年前の舞踏会で、君が友人と休憩室で話しているのを偶然聞いた」

「ええ? 休憩室?」


 益々成り済まし疑念が強くなる。


「私、休憩室では基本的に恋バナしていますけど、マックス様の話題になるのは極々稀ですよ」

「もう律儀に様を付けて呼ばなくてもいい。君が友人の前では俺をマックスと呼び捨てにしているのは知っているからな」

「え……呼び捨て、ですか?」

「そうだ。躊躇いのない声だった」


 あー、何か原因がわかったかも。


「確かに私は友人とのお喋りの際にはマックスと呼び捨てにしていますね。ですけどマックス様、それはあなたじゃなくて主人公マックスの事です。仮にあなたの話題を出したとしても様を忘れたりなんてしませんよ」

「どういう意味だ? 俺と同じ名前の男と親しいのか?」


 より不機嫌な面持ちになる彼の追い付いていない理解に私はこれでどうだと言葉を投じる。


「そのマックスは、私の読んだ恋愛小説の中の登場人物です」


 彼は怪訝にする。


「私は友人にはよく小説の感想を話すんです。たぶんその時もその手の話をしていたんじゃないですか? 読破した中には嫌いなマックスもいましたから」

「……それは、本当に?」

「本当にっです! お疑いなら友人に確かめて下さい」


 すっかり毒気の抜けた彼の胸中には一体何が渦巻いていたんだろう。


「一度ちゃんと言っておきますけど、私はマックス・エバンズ様、あなたが真実心底好きなんですからね!」

「フェリシア……?」


 ここでマックスは失念していた何かを思い出したかのように瞬いた。


「そうだ、惚れ薬は抜けたはずなのにどうしてまだ俺を好きと……?」

「ああもうわからない人ですねえっ、ですから惚れ薬とは関係なく私がマックス様をお慕いしているからですよ。私が薬を呷ったのは、私は完全に嫌われていると思っていましたし、嫌いな女に付きまとわれたらどんなにか嫌でしょうねーってあなたへの意趣返しのつもりだったんです」

「……時々、君は割といや結構いやかなり無謀だよな。こんな風に泥棒宜しく人の家に侵入するのも普通はしない」


 彼は非難ではなく、どこか照れたようにじっと私を凝視する。怒っていいところだと思うのに。


「こんな夜更けに俺の所に来たのはやはり、夜這い……」

「ごっ誤解です! 夜這い発言は確かにした覚えがありますけど、ほんの破廉恥な冗談ですよっ。私が今夜来たのは破談書を破棄するためです」

「ああ、これか」

「あっ!」


 緩んでいた私の手からあっさり手を引き抜いた彼は、私の目的物をひょいっと横取りするように持ち上げるとしげしげと眺める。


「あの、マックス様、それをこちらに渡して頂けないでしょうか?」

「俺もこれをどれ程破り捨てて焼き捨ててしまいたいと思った事か」

「え? あなたが?」

「フェリシアのためだと何度も何度も自分に言い聞かせて耐えていたんだ」

「あのーマックス様、私のためと言うのはどういう意味でしょう?」


 きょとんとしてしまうと、今度は逆に彼がもどかしさを滲ませた怨じるような目を向けてくる。どうしてそんな目をされるのかわからない。

 嫌われてはいないのはわかったけど、常識のない迷惑な娘だと腹を立てられているのかもしれない。


「フェリシアは、婚約解消を取り消しにして本当に後悔しないのか?」

「しません。私はマックス様が好きですから」

「本当に薬のせいではなくて、君の本心なのか?」

「そうですよ」

「副反応が出たわけでもなく?」

「あの店主さんは少し変人ですけど、品物への誠実さは誰よりある方のようですから、彼女が言及していないのならそう言ったものもないと思います」

「……まあ、そうだな。なら本当に君は俺を嫌いではなくて、全くその逆なんだな?」

「まだ言うんですか? そうですと言っているじゃないですか」


 彼は何をそんなにもしつこく確認したかったのか、やけに表情が弛んでしまっている。


「ははっそうか。そうなんだな」


 この人ってば頭のネジが何本か外れでもしたの?

 何が可笑しいのか笑い出して、くすくすくすと笑い続けている。不気味だわ。


「あの、今更ですけどご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

「迷惑?」

「夜更けにお騒がせしました」


 すごすごと頭を下げると彼は「あー」と合点したように唸った。

 叱責も覚悟していると、ビリビリビリと紙を破る音が聞こえてきて耳を疑った。

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