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告げられた破談願い

 私、伯爵令嬢フェリシア・ウェルストンは素直じゃない。


 だからかな、生まれた時からかれこれ十七年と少し婚約者でいるマックス・エバンズからも嫌われた。

 侯爵令息の彼は私よりも二つ上。


 嫌われ始めたのはいつからだったか正確には忘れたけど、ここ数年の間に急激に関係が悪化したの。


 会うといつも不機嫌に私を睨むし、ほとんど無視するし、他の娘とは普通に話すのに、笑顔だって見せるのに、私にはいつも眉間にシワを寄せた仏頂面だけ。素っ気なさの極みよ。

 そんなだからどうしたらギスギスする前に戻れるだろうって様子を窺って腫れ物に触るように彼に接していた私だっていい加減頭に来て、もう目には目をと心にもない酷い事を言ったりつんけんした態度でいたり挙句避けたりした。

 まだ夫婦でもないのに冷めた熟年夫婦みたいよね。


 だけど正直悲しい。


 私は彼が大好きだから。


 彼と同じマックスって名前の男が出てくる恋愛小説をわざわざ探して何冊も読んだり、その感想を友人とのお喋りで披露しちゃったりと、本人とは関係のない一致にまで触れて一人で満悦に浸るくらいに想いは深い。


 そこまで行くとちょっとヤバいわよって友人令嬢からは時々釘を刺されるレベルでね。


 完全なる片想い。こんな状態で結婚するなんて苦痛の延長も同然。愚かよね。

 だけど四の五の言わず好きな人の近くに居られるだけでよしとすべきなのかもしれない。

 どうせ結婚するしかないのなら少しでもまた仲良くなりたい。距離を縮めたい。それなのに、私って素直じゃないの。


「マックス様、今夜も別にダンスをする必要はありませんよね。私飲み物を取ってきますから、後はそちらはそちらでご自由にどうぞ」


 最愛の婚約者と出席した舞踏会で大体いつも私はダンスを拒んでいた。今夜もそう。彼もそれをわかっていて各自自由にしているのがいつもの私達だ。

 でも、この日に限っては違った。


「待ってくれフェリシア、話がある」


 マックス様は真剣というよりは深刻な顔付きで、進路を阻んで立ち塞がった。婚約者なんだし乱暴なのは論外だけどやんわり腕なり肩なり掴んで引き留めればいいのに、わざわざ大きく正面に回り込んできた。


 紳士的じゃない行動はしないってより……そんなにも私には触れたくないのかもしれない。


 ベタだけど烏の濡れ羽を思わせるしっとりした黒髪と、最高級の墨を溶かし込んだみたいな深みのある黒い瞳が端正な造形の彼にはとても印象的だ。王宮勤務の兵士だから逞しく、背も高く見栄えもするから令嬢達の視線をいつも素通りさせないの。

 例外なく、私もその一人。……一方通行だけど。


 ねえ、私を嫌うのはどうして?


 ストレートに問いたいけど、問うのも惨めだ。考えていると泣きたくなりそうだから私は表情から感情らしい感情を消した。見ようによっては不機嫌そうに見えるかもしれないそんな顔になる。


「話? 何ですか?」


 もう彼の前では板に付いた抑揚ない声を出す私を、案の定向こうは無感動な目で見据えている。


「ここではしづらいから場所を移そう」


 ああ、人に聞かれたくない話。

 わかりましたと応じる私に彼は大きな決意の表れのように表情を引き締めた。

 個人的な話をしたり恋人達が二人きりになるには定番の夜のバルコニーに幸い先客はなかった、


「――フェリシア、別れよう」


 彼は単刀直入に本題を告げてきた。


 別れる? 恋人でもない書類上の婚約者なのに別れるなんて言葉が適切なの? なんて幼稚に意地悪を言ったりはしない。

 わかってるわ婚約解消つまりは破談願いよね。

 はは、予想外過ぎ。ううんある意味予想の範疇か。

 彼は人生を無駄にしたくないと勇敢とも言える決断をしたのよね。家同士の関係が拗れかねないってそんなリスクをも覚悟して。

 こうなったら、もう私に望めるものは何もない。


「俺達はこのまま結婚しても不幸になるだけだ。それは我慢ならない。だから婚約を白紙に戻そう。双方の家には俺から伝えておく」


 彼は言いたい事だけを言うと長居は無用とでも言うようにさっさとバルコニーから去っていった。

 青天の霹靂を受けた経験はないけど、私にはきっとそれ以上に衝撃だった。よろけて近くの柱に手をつく。


「どうして……」


 彼の妻になれるなら、空しいと嘆いたけど本当は仮面夫婦でも良かったのに、決定的に振られてから気付くなんて皮肉だわ。

 あの後どうやって帰ったのかほとんど記憶はなかった。行きと違い彼とは馬車が別だったのだけは覚えている。





 後日、破談の話は幸か不幸か両家から特に反対はされず、破談書には三日後と記された。


 書類作成などの事務的な細かい関係を考慮して日付に余裕を持たせたそう。まあ三日程度じゃ特に何が変わるわけでもない。

 現在は人間関係的には既に破談完了も同然だったけど、法的にはまだ婚約中なだけ。

 周りも私達のぎこちない不仲は見て知っていたのもあって、最悪関係が改善しないのなら、本人達の決断に任せると言うスタンスだったみたい。

 不仲だからと周囲が気にして結婚時期を先伸ばしにさえしていたし、ずっと婚約していたのは惰性と言ってもよかった。今更ながら自分が滑稽だわ。


「三日後、ですね。わかりました」


 先程我が家の応接室に案内されたマックス様は、代理人には任せずにわざわざ彼自らでやってきて破談の書類を渡してきた。このために有給を取ったそう。


 私は一応ざっと目を通してからサインした二組の書類をテーブルに置いた。書類に不備はない。両家で保存できるように二組あるのよね。

 目を上げてテーブル向こうの彼を見やれば、彼はいつもの如く揺るがない壁を作ったような落ち着きで無口に口を引き結んでいる。真一文字って言葉が浮かんだ。


「あの、サインしたので、どうぞお持ち下さい」

「……ああ、手間を取らせたな」


 手間。

 彼の方こそそう思っているんだろう。胸が痛む。それには言及せずに私は自分のピンク髪を掻き上げて片方の耳に掛けながら腰を上げた。自分の分の書類を手に取る。


「それでは私は失礼しますね。まもなくお茶が来ますから少しゆっくりしていって下さい。お帰りの際もうちの者にお申し付け下さいね」


 私のサインに書き間違いがないかどうかを確認していたのか、じっと書面に目を落としていたマックス様は微かに身じろぎしてから礼儀と思ってかゆるりと身を起こして立ち上がった。


 座っていても立っていても、彼の姿はやっぱり素敵だと思う。魔物と戦う日の多い彼の鍛えられた理想的な凛々しい体躯は服の上からでも十分堪能できる。あの逞しい懐に抱かれたらどんなにか……って本人目の前にして変な妄想はやめやめ!


 何も鬱屈なんてなかった小さな頃は今と同じく基本真面目だけどよく気の付く面倒見の良い憧れのお兄さんであり、よく笑いもした可愛らしい男の子でもあった。少なくとも私の目にはそう映っていた。

 彼が婚約者だって意味を理解するようになってからは、子供ながらに何て人生薔薇色なのって毎日舞い上がっていたっけ。


 本当は別れたくない。だけどそれは独り善がりの望み。現に彼は日を置かず破談書類を持ってきた。私なんかとは早く縁を切りたいんだろう。


 ……どうしてこうなってしまったのか、正直本当にわからない。


 きっとある日彼は何らかの拍子に私を好きではないのだと自らの感情を悟ったのかもしれない。周りから当然と刷り込まれていたものをはたと冷静に顧みたのかもしれない。それで親しくするのに慎重になった。

 私は感情のない笑みを浮かべた。


「お互いこれで清々しましたね。それではご機嫌ようマックス様、どうかご健勝で」


 それだけを口にぶいと顔を背けて応接室を後にする。

 彼も別れの言葉を何か言うつもりだったのかもしれないけど、自身では持て成しもしない私の素っ気なくて失礼な態度に口をつぐんだのかもしれない。何も聞こえてはこなかった。

 きっともう会話する事もないだろう。少なくとも私は彼に近付きたくない。

 この恋が消えるまでは。


 廊下を足早に進みながら、気分転換に最寄りの街に行こうと決めて手早く支度をした。マックス様の帰りの馬車とかち合わないように直接厩舎に行って私の愛馬を駆り出して街まで走らせた。馬に乗るのは爽快で、荒れ狂う気持ちが少し慰められる。


「私はマックス様を忘れるわー! 世界の半分は男なのよーっ、他に素敵な人がいるはずなんだからーっ!」


 私のエメラルド色の瞳に映る農道には誰もいない。この道はウェルストン家にしか通じていないから基本人通りは少ないのよね。

 領地の畑と草原、遠くに林や森が集まって見えている。もっと向こうは他の貴族の土地になる。


 叫んだら無性に可笑しみが込み上げて、目尻に涙を散らして笑った。一般的には臆病と言われる馬もこの子は長年私と共に成長したからか、この時ばかりは煩いと呆れたようにブフンブフンと鼻息を荒くしていた。

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