錬成した薬が効かないからと王子に婚約破棄されました。え、わたしがいなくなってから急に体調が悪化した? 婚約破棄を撤回するみたいですが、今さら遅いです。
「ミーシェ。お前との婚約を破棄する!」
玉座の間。
ロッド王子がわたしに向かってそう叫んだ。
わたしはわけがわからずぽかんとしていた。
わたしは今までずっとロッド王子のために尽くしてきたのに……。
ドラクセル王家の第一王子、ロッドさまは幼いころから持病があった。
その病を癒す聖女だと、預言者の託宣によってわたしはロッド王子の婚約者に選ばれた。
わたしは使命をまっとうするため、ロッド王子の期待に応えるためにいっしょうけんめいがんばった。
幸いにも身体には魔力を宿していたため、錬金術の勉強に励んだ。
錬金術さえあれば薬学の知識が無くても薬が作れるから。
わたしは錬金術を学んで薬を作り、ロッド王子にさしあげてきた。
残念ながら、まだ病を治せる薬は作れていないけど……。
もしかすると、そのせいでロッド王子に見放されたのかもしれない。
わたしの予想は半分当たっていた。
「預言者によると、どうやらお前は聖女ではないらしい」
「えっ!?」
「前々から怪しいと思っていたのだ。お前はいつも妙な薬ばかり作ってくる」
「わ、わたしはロッド王子のために――」
「黙りなさい」
わたしの声を遮ったのはロッド王子ではなかった。
わたしの前に現れた、妖しい魅力を感じる女性がロッド王子の前に立つ。
「俺の病は彼女が、ベラドンナが治してくれた」
「ベラドンナと申します。お初にお目にかかりますわ、『偽聖女』さま」
偽聖女……。
その言葉にわたしはがく然とする。
これまでの努力を一瞬で否定する言葉だった。
「預言によると、ベラドンナこそ真の聖女だという。その証拠に、彼女の薬を飲みはじめてから俺の体調はすっかりよくなった」
「そ、そんな……」
「今までよくもだましてくれたな。王子たるこの俺を」
「だましてなんかいません!」
わたしは今までがんばってきた。
聖女に選ばれて、王城で暮らしだしてからずっと。
ロッド王子の病をいつまでたっても治せなくて、王子やお城の人たちから失望されていたのも薄々感じていた。
でも、いきなり『偽聖女』だなんてあんまりだよ……。
目の前にいる『真の聖女』らしいベラドンナは笑みを浮かべている。
わたしをあざ笑っているんだ。
ベラドンナがロッド王子にしなだれかかる。
ロッド王子も笑みを浮かべて彼女の肩を抱き寄せる。
……ああ、二人はそういう関係だったんだ。
となると、わたしはただのじゃまものか……。
「この偽聖女、今までどんな効能の薬を飲ませてきたのやら。ロッド王子、偽聖女をどうしましょう?」
「むろん、処刑だ。王族を騙した罪は重い」
「お待ちください」
そう言ったのはわたしではなかった。
玉座の間にもう一人、誰かが現れた。
黒髪の美しい青年――キール王子だった。
「兄上。いきなり処刑などあんまりではありませんか」
キール王子はわたしを守るようにわたしのとなりに立つ。
わたしは思いもよらぬ味方を得て驚いていた。
「弟が兄に口答えするか。俺は将来のドラクセル王だぞ」
「……父上のいないときばかり大口を叩く」
「なんだと!」
憤慨するロッド王子。
対してキール王子はまったく意に介していない。
「僕はミーシェが兄上のために尽くしてきたのをこの目で見てきました。彼女の心は純真で、偽りや悪意などありません」
「そんなもの信じられるか」
「そうですわ。その証拠として、その偽聖女、ぜんぜんロッド王子の病を治せなかったじゃないですか」
その言葉がわたしの胸を刺す。
けれどキール王子は平然としていた。
キール王子は肩をすくめる。
「突然現れた妙な女はお前のほうではないか。兄上もそんな女に入れ込んで……」
「なんですって!?」
「とにかく、ミーシェの処刑は反対します。その努力が実らなかったとはいえ、彼女は今日まで兄上のためにがんばってきたのは事実です。父上が僕と兄上、どちらの意見を尊重するかわかるかと思いますが」
「ぐ……」
口元を引きつらせるロッド王子。
相当頭にきている。
そしてキール王子はすました顔をしている。
これが王家の、真の力関係なのだ。
自分と弟、どちらに人望があるかロッド王子は一応、自覚していたらしい。
だからこそ、ロッド王子は怒りをあらわにして、こう叫んだのだろう。
「ならば偽聖女は追放だ! この城から追い出せ!」
そういうわけでわたしは王城から追放されることになった。
思い返せば、王城に連れてこられたのもいきなりだった。
いきなり「お前は聖女らしい。俺の病を直せ」と言われたときは戸惑ったっけな。
わたしはどこにでもいる普通の田舎娘なのに……。
田舎娘なりにがんばったけど、結局はうまくいかなかった。
処刑されるのは免れたけど、追放か……。
荷物をカバン一つにまとめたわたしは王城から追い出された。
今は城下町から遠い城を見上げている。
「落ち込むことはない、ミーシェ」
なんとキール王子はわたしを城下町まで送り届けてくれたのだった。
「あの、キール王子。わたしをかばってくれてありがとうございます」
ぺこり。
おじぎする。
「キール王子が来なかったらわたし、今頃処刑されてました」
「『たまたま』兄上のどなり声が聞こえてよかった」
わたしをはげますための、キール王子なりの冗談らしい。
いつも無表情なキール王子が微笑んでいる。
笑うとすごい魅力的だ……。
その微笑みを見ていると、頬が熱くなるのを感じる。
「申し訳ありません……。わたし、自分の使命を果たせなくて」
わたしがしょぼくれていると、キール王子は――
「気に病む必要はない。僕はキミがどれほどがんばったか知っている」
わたしの頭をなでてくれた。
心地いい……。
他人のやさしさがこんなにあったかいの、やっと思い出した。
ドラクセル王国の王さまになるのはロッド王子じゃなくてキール王子がいいな。
なんて口に出したら今度こそ処刑だね。
「いきなり城から追い出されたが、行くあてはあるのか?」
「な、ないです……」
「なら、僕についてくるか?」
「えっ?」
わたしはその言葉の意味がわからず首をかしげてしまった。
「ミーシェの新しい居場所を僕があてがおう」
「いいんですか!?」
「言っておくが、無償ではないからな」
「で、でしたら……」
お財布の中には二枚の銀貨があるだけ。
わたしはそれを手で握り、目を閉じて精神を集中させる。
身体に流れる魔力を操り、手に集中させる。
――手ごたえを感じた。
「これ、キール王子にさしあげますっ」
そう言うのと同時に手をぱっと開くと同時に蒼い閃光が発生した。
蒼い光が収まると、わたしの手には銀貨の代わりに一輪の花があった。
錬金術成功だ。
「この花は……」
キール王子が花を手に取り、まじまじと見る。
「ミーシェはこの花の花言葉を知っているのか?」
「いえ、知らないです」
「……フッ。そうか。面白いな、キミは」
キール王子が微笑んだ。
めったに笑わない王子が笑った……。
「なんにせよ、僕の一番好きな花を出してくれるとは。さすがは聖女だ」
そのうえ、ほめられちゃった。
キール王子の好きな花だったのは偶然なんだけど。
……もしかしたら、偶然じゃなくて『運命』なのかも。
「わ、わたし、こんな感じで錬金術が使えますので、役に立てることがあるかと」
「ああ。錬金術――ミーシェの『聖女』としての力を貸してもらう」
わたしはキール王子に連れられて馬車に乗り、王都ドラクセルを離れた。
東から登っていた太陽が西に落ちていくころ、馬車は小さな町に到着した。
そこでわたしは新たな暮らしを始めた。
……なんと、キール王子と。
わたしがお城から追放されたとき、キール王子もいっしょにお城を出てくれたのだ。
わたしは王子さまとの二人暮らしをはじめたのだった。
小さな町での、小さな家でのつつましい生活。
それでも、慕ってくれる人との暮らしはとても楽しくてしあわせだった。
町での暮らしは忙しかった。
この田舎の小さな町には医者がいなかったから、わたしが錬金術で薬を調合して病を治していったのだ。
住人たちはわたしを『聖女さま』と呼んでくれた。
よかった、薬がちゃんと効いて。
ロッド王子には全然効かなかったから心配だったのだ。
そんな心配をよそに、体調の悪い町の人たちは次々と元気になっていった。
家ではキール王子と二人きりの生活。
「ミーシェ。僕が淹れたコーヒーを飲んでみてくれ」
「ありがとうございますっ」
「味はどうだ?」
「おいしいですよ、王子」
「よかった」
とてもしあわせで、心地いい。
慕ってくれる人が常にそばにいるのがこんなにしあわせだなんて。
何気ない、かけがえのない日常を二人で送っていった。
けれど、そんな暮らしはあっけなく終わろうとした。
ある日、キール王子は一枚の手紙をわたしに見せた。
「王城からだ」
それを聞いた途端、不安がどっと押し寄せてくる。
わたしを追放した王家からの手紙だなんて、不吉な予感しかしない。
「兄上の容態がよくないらしい」
「ロッド王子の……」
わたしをさんざんののしったあげく、他の女性に乗り換えて、あまつさえ処刑を言い渡したロッド王子。
もう、あの人には少しも同情はしていない。
あの人のために必死になってがんばってたのが、今思うとばからしい。
「僕に城に戻るよう説得するための手紙だ」
わたしはどう返事していいのかわからずに黙りこくる。
「僕自身、あの兄のことなどちっとも気がかりではない。死んだところで今までの傍若無人の報いだとしか思わない」
「……」
「だが、ろくでもない王子とはいえ王子には変わりない。臣下たちは王の跡継ぎ亡きあとのことを心配している」
ロッド王子が亡くなられたら、王位を継ぐのは――。
第二王子のキール王子になる。
さすがにそんな立場で無関係は貫けないだろう。
「僕は一度、城に帰ろうと思う。臣下たちのために」
「……はい」
しょんぼりとしてしまう。
これからもこの人とのつつましやかでしあわせな生活が続くとばかり思っていた。
でも、そんな夢は一瞬で終わった。
よく考えればありえないのだ。
王子さまとの同居生活なんて、物語みたいな展開。
「ミーシェ。キミもついてきてくれないか」
「わたしも、ですか」
わたしはまた黙ってしまった。
「憎んでいる兄上のために働くのが嫌なのはわかる。だが、今回限りだ。僕に免じて力を貸してほしい」
「……わかりました」
ロッド王子のためじゃない。キール王子や、お城の人たちのためだ。
そう言い聞かせた。
そうしてわたしとキール王子は城に帰ってきた。
……ロッド王子に知られないよう、こっそりと。
「お待ちしておりました、キール王子」
臣下の一人が出迎えてくれる。
キール王子がもっとも信頼している騎士のドーガさんだ。
「あなたは聖女さま! あなたも来てくださったのですね」
「ロッド王子の容態が悪いと聞きまして」
「……本当に忍びないです。捨てられたも同然のあなたが助けてくださるとは」
ドーガさんはお城でわたしにやさしくしてくれていた数少ない人だ。
決して『偽聖女』だなんて言わない。
「ドーガ、聞かせてくれ。兄上はどのようなようすなんだ」
「それが、あのベラドンナという女がやってきた直後は、本当に病から回復されたのです」
「ああ、それは僕も知っている」
「ところが、キール王子たちがいなくなってからしばらくして、ロッド王子は怖ろしいほど苦しみだしたのです」
どういうことだろう。
理由はわからないけど、ロッド王子は快復したのでは。
「かと思いきや、またすぐに元気になりまして」
ドーガさんも困惑している。
「そういうふうに苦痛と回復を繰り返して、日を追うごとにその往復の速度が増しているのです」
「……ふむ。尋常ではないな」
「ベラドンナが煎じる薬を飲む頻度も日に日に増してきて……。このままではロッド王子は――」
「最悪の結末の兆しなのは間違いない」
わたしはぞくっと寒気がした。
急に体調がよくなったと思ったら苦しみだす。
薬に極端に依存する。
ロッド王子の異変の原因はひとつしかない。
キール王子がわたしの表情で察する。
「ミーシェ。原因がわかったのか」
「本当ですか!? 聖女さま!」
「はい。ですが」
わたしはそこで言いよどむ。
ありのままを言ってしまってよいものか。
「遠慮するな。続けてくれ」
「……おそらく、ロッド王子はもう手遅れかと」
「……そうか」
「なんということだ……」
ドーガさんが嘆いた。
「ドーガ。父上はいらっしゃるのか」
「いえ、未だ遠征から帰ってきておりません」
「兄上がベラドンナに入れ込んでいることは知らないのだな?」
「そうです」
「なら、ちょうどいい。あの女を調べよう。ドーガ、適当な理由を作ってベラドンナをいったん城から遠ざけろ」
「承知しました」
しばらくした後、ベラドンナは王城の外に出かけていった。
……ロッド王子と共に。
二人で花を見にいくのだという。
二人がいなくなった隙に、わたしとキール王子、そしてドーガさんの三人でベラドンナの部屋に忍び込んだ。
彼女の部屋は不気味なほど整理整頓されている。
生活感がまるでない。
「ベラドンナはロッド王子にさしあげる薬をいつもこの自室で調合していました。決して他の者には見せず」
「秘密で薬の調合など、今までよくそんな行為が許されたものだ」
「なにせ、ロッド王子のお気に入りでしたから……」
誰も逆らえなかったわけだ。
わたしたちは手分けして部屋を調べた。
クローゼットに手をやる。
開かない。カギがかかっている。
「カギを探さなくてはな。机の引き出しか」
「いえ、さがす必要はありません」
わたしはポケットから銅貨を出して手のひらに乗せる。
集中し、魔力を手のひらの一か所に集める。
そして錬金術を発動した。
一瞬の閃光のあと、手のひらの銅貨はカギに変わっていた。
「おお、これが錬金術!」
ドーガさんが驚いていた。
カギをクローゼットのカギ穴に差し込む。
カチリ。
カギはするりと回り、手ごたえと共に音を立てた。
クローゼットを開けると、そこで目当てのものを発見した。
「花ですか。どうしてこんなところに」
ドーガさんが首をかしげる。
やっぱり。
最悪かつ間違いないであろう予想は当たっていた。
クローゼットに鉢に植えられた花がいくつもあった。
「……ポルピアム」
キール王子がつぶやく。
「王子、今なんと?」
「ポルピアム。それがこの花の名前だ」
「キール王子が花に詳しいとは存じませんでした」
「花言葉がわかる程度だ。だが、その程度の知識でもこのポルピアムの花が特別なのはよく知っている」
「と、申しますと」
「ミーシェ。この花はポルピアムで合っているな?」
「そのとおりです」
ポルピアム。
キール王子の言うとおり、この花は特別なのだ。
……麻薬の原材料として。
「これは麻薬の原料です」
「麻薬! 麻薬とはあの、人の心を快楽で壊すという!」
「そうだ。この国、ドラクセルでは麻薬の取引は死刑もありうる重罪だ」
「なんということだ……」
がく然とするドーガさん。
そうなるのも無理はない。
一国の王子が麻薬依存症に陥っていると知ったのだから。
ポルピアムの実から抽出される成分で精製する麻薬は、摂取した者に快楽をもたらす。
その代償として、麻薬を摂取し続けないとひどい苦痛や幻覚に襲われる。
最終的には人の心を完全に破壊してしまう。
ロッド王子はこれから延々、苦痛と幻覚に苛まれながら暮らすことになるだろう。
「ある意味、報いだ」
キール王子がつぶやく。
「兄上もうかつだったのだ。王の跡継ぎでありながら妙な女に騙されるなど」
「申し訳ありません。私がいながら」
「ドーガのせいではない」
「これはわたしのせいでもあるかもしれません。わたしがロッド王子の病を完治させる薬を作れていれば」
「ミーシェのせいでもない」
それからキール王子は思いもよらないことを言った。
「これは僕の推測だが、ミーシェの薬は効かなかったのでなく、病の進行を食い止めていたのだろう」
効かなかったのではなく、食い止めていた……。
そんなこと思いもしなかった。
「ミーシェの錬成した薬の効き目はあの田舎町で証明された。兄上に与える薬にだけ効果がないとは考えにくい」
「私もそう思います。聖女さまのがんばりは無駄ではなかったのです」
……。
「ミーシェ!」
「え……」
「泣くな」
頬に手を添える。
涙だ。
わたしは自然と涙を流していた。
「ひゃっ」
キール王子が急にわたしを抱きしめる。
驚いたけど、抵抗はしなかった。
心地よい抱擁だった。
「さっきのは訂正する。今は泣け。僕の胸で」
「……はい」
それからわたしは号泣した。
子供みたいに泣きじゃくった。
せきを切ったように涙があふれてきて、嗚咽が止まらなかった。
短かったのか長かったのか。
どれくらいかわからなかったけど、わたしが泣き止むまでキール王子は胸を貸してくれていた。
それからしばらくしてロッド王子とベラドンナが帰ってきた。
「……どういうことだ」
忌々しげな表情をするロッド王子。
当たり前だ。彼の憎む存在が目の前にいるのだから。
「お久しぶりです、ロッド王子」
「次にドラクセル城に踏み入るのは死刑のときだとわからなかったようだな!」
ロッド王子がさやから剣を抜く。
となりにいるベラドンナは面白そうに妖艶な笑みをたたえている。
「俺をさんざん苦しめた偽聖女め。ここで俺自ら処刑してくれる!」
「お待ちください、兄上」
「弟よ。お前もよく平然と帰ってこれたものだな」
「兄上。僕たちはあなたを助けに戻ってきたのです」
「……なんだと?」
眉間にしわを寄せるロッド王子。
「兄上。あなたは騙されているのです。そこにいる女に」
ちらりと横を見るロッド王子。
ベラドンナは依然として妖しげな笑みを浮かべている。
人間を騙す小悪魔か、あるいは魔女なのだろう。彼女は。
「ベラドンナは俺を救ってくれた女性だ。彼女こそ真の聖女なのだ。俺が父上の跡を継いで即位したあかつきには妃となるのだ」
ロッド王子は少しもベラドンナを疑っていない。
ドーガさんが憐れみを含んだ表情をしている。
キール王子は――怒っているように見える。
兄をたぶらかした小悪魔、あるいは魔女に怒っている。
「ロッド王子。たわごとになど耳を貸さず、あの偽聖女を処刑しましょう」
「ああ。俺をさんざん苦しめた偽聖女め」
抜き身の剣を手にロッド王子が近づいてくる。
キール王子が立ちはだかる。
「どけ。お前も斬られたいのか」
「兄上に見せたいものがあります」
キール王子が手を兄の前に出す。
キール王子の手のひらには小さな粒がいくつかあった。
「なんだ? これは」
小さな粒の正体がわからないようすのロッド王子。
それに対してベラドンナはほんの一瞬、一瞬だけどわたしは見逃さなかった――動揺を表情に出した。
「これはポルピアムの実です。ベラドンナの部屋から見つけました」
「ポルピアム……」
「麻薬の原料です」
「なにっ!」
驚くロッド王子。
続けてわたしは言う。
「ロッド王子。あなたはベラドンナにポルピアムから精製した麻薬を盛られていたのです。一時的に体調がよくなって、すぐにまた具合が悪くなるのはそのせいなのです」
「ば、ばかな……」
ロッド王子がよろめく。
その肩をベラドンナが艶めかしく抱く。
「ロッド王子。単なるでたらめです」
「し、しかし、たしかに俺はベラドンナの薬で気分がよくなったあと、また気分が悪くなる」
「薬の効き目が切れたからですわ」
「兄上。これを見てください」
衛兵たちが花の植えられた鉢を持ってくる。
ベラドンナの部屋から持ってきたポルピアムの花だ。
「薬包に包まれたものもございます。それならば見覚えがあるのでは」
「……ベラドンナ、本当か?」
「……」
最後の希望にすがるようにベラドンナに尋ねる。
ベラドンナは笑みを浮かべたまま、平然とこう答えた。
「あーあ、バレちゃった」
「ッ!」
ロッド王子はよろめく。
絶望の表情だ。
ベラドンナはその表情を見て愉悦の笑みを見せている。
「お、俺は騙されていたのか……」
「衛兵! ベラドンナを取り押さえろ」
「おっと、動かないでくださいまし」
ベラドンナが袖の下から短剣を取り出し、ロッド王子の首に切っ先を向けた。
彼女をつかまえようとした衛兵たちの動きが止まる。
「偽聖女さん。あなた、なかなかやりますわね」
ベラドンナが言う。
「ロッド王子とは違ってかしこいキール王子が偽聖女さんもろともいなくなったときは、思いがけない幸運によろこんだのだけれど。まさか戻ってくるなんてね」
「ミーシェこそ真の聖女だ。偽物は貴様だ」
「ロッド王子のお気に入りになって甘い汁を吸いたかったのだけれど、まあ、いいですわ。王位継承者を廃人にする計画は成功したから」
「お前は誰の差し金だ。答えろ」
「言うと思いまして? ドラクセル王家を滅ぼしたい者はごまんといるから、誰の刺客かわからないのは当然でしょうけど」
それからベラドンナはこう命じた。
「キール王子。あなたが今ここで自害すれば、兄は解放しますわ」
「なんだと……」
「どうやら弟のほうが王になったら厄介そうだし」
「そんなことできるわけないだろう! キール王子、ベラドンナに惑わされてはなりませんぞ」
「なら、ロッド王子はここで死んでもらうわ。私もすぐに殺されるでしょうけど、別に私の命なんて安いですもの」
ベラドンナはやけになっている。
このままだと本当にロッド王子は殺されてしまう。
あるいはキール王子が……。
わたしはポーチに手を入れる。
切り札を切るときがきた。
「ベラドンナ」
「なーに? 偽聖女さん」
「偽物はあなたよ!」
ベラドンナの注意がわたしに向いた瞬間、わたしはポーチに隠していた小袋を投げた。
小袋がベラドンナの顔面に直撃する。
その瞬間、ぶわっと茶色の粉が舞った。
「けほっ、けほっ」
トウガラシとコショウを混ぜた粉末だ。目も開けていられないだろう。
ベラドンナが短剣を捨てて目をこすっているところに衛兵たちが殺到した。
こうしてロッド王子とわたしを陥れた小悪魔、あるいは魔女は捕まったのだった。
それから……。
「ミーシェ、今までの無礼を許せ」
ベッドに横たわるロッド王子がわたしに言う。
「思い返せば、俺はお前にひどいことをしてきた。あの魔女に騙されて危うくお前を処刑するところだった。王家を救ってくれたお前こそ真の聖女だ」
そう言われても、わたしの心にはちっとも響かなかった。
今さら遅い。
本当に今さらの話だ。
「婚約破棄の件は撤回しよう。俺の妻になるがいい」
この人、この期に及んでまだそんなことを言うなんて……。
人間の本質というものはかんたんには変わらないのかもしれない。
本当、呆れちゃう。怒る気にもならない。
「ロッド王子」
わたしはロッド王子の言葉にこう返事をした。
「もう遅いです。あなたと結婚する気はありません」
「なっ……!」
目をまんまるにするロッド王子。
求婚が断られるなど思いもよらなかったと言いたげな顔だ。
「次期国王の命に背くというのか!」
「はい。背きます」
わたしは努めて平然と答えた。
ロッド王子は口をぱくぱくさせている。
動揺しているなんて、どうやら本当に自覚してないらしい。
「わたしはもう、このお城で暮らすことはございません」
「ま、待て! 考え直せ!」
「いくら考えても同じです」
落ち込むロッド王子を見て良心が痛まないわけではない。
けれどわたしは結婚など到底考えられない仕打ちを受けてきた。
「キール! お前もこいつを説得しろ!」
「兄上」
キール王子は首を横に振る。
「彼女の努力を裏切ってきたのはほかならぬあなたです」
「そ、それは……」
「行こう、ミーシェ」
「さようなら。ロッド王子」
「頼む! 待ってくれ! 俺にはお前が必要なんだ!」
懇願するロッド王子をしり目に、わたしとキール王子は彼のもとを去ったのだった。
わたしの居場所はもう、別のところにある。
キール王子が言う。
「ミーシェ。城から追放された日に僕にくれた花の花言葉、知っているか?」
「いえ、教えてください」
ふっと笑みを浮かべるキール王子。
「……『ひたむきな愛』だ」