(1)――「殺せるものなら、殺してみろ。ただし、美しくな」
暗闇の森。
この辺りの人間がそう呼び畏れ近寄らない森で、少年が一人、ぽつねんと輝いていた。
輝いていた、という言葉に間違いはない。
老人のように白い髪、陶器のように白い肌、血の色をした瞳。
そんな姿で、陽の光が差さない森の中に居れば、輝いていると表現したくもなるものだ。
魔女は、そんなことを考えながら嘆息し、同時に心を弾ませる。
軽い散歩のつもりで歩いてきたが、思いがけず美しい光景に出会ったものだ――と。
「お前、捨て子か」
有象無象の人間ならば、そのまま、人食い動物やら植物やらに喰われてしまえと、敢えて放置しただろう。
しかし、彼があまりに美しくて、魔女はついつい自身が人間嫌いであることを放念し、声をかけたのだ。
魔女の声に、少年はびくりと肩を震わせ、それから声のしたほうを見上げる。
――誰。怖い。助けて、お父さんお母さん。
恐怖で揺れる双眸からは、術を使わずとも、そんな声が聞こえてくるようだった。
しかし、それも致しかたのないことだ。
暗闇の森。
人を喰う動物や植物の巣食う森。
不死身の魔女が封印されている森。
大の大人も恐れて近寄らないような場所だ、子どもにとっては地獄も同義だろう。
「ち、ちがう」
少年は、先の魔女の言葉を否定した。
そうしてゆっくりと魔女から距離を取りつつ、言う。
「道に迷っただけだ」
「なるほど迷い子か。一人か?」
「違う。お父さんとお母さんも一緒だ」
「こんな、暗闇の森に?」
「そ、そうだ」
少年は嘘を吐いている。
魔女は、どうしたものか、と一瞬だけ考え、次の瞬間には術を使い、少年の心を覗いてみることにした。無意味なやり取りを重ねるよりも、こっちのほうが確実で正確だ。
「なるほど、忌み子か」
「なっ?!」
少年は驚嘆の声を上げたが、魔女はさらりと無視して、少年の記憶を辿る。
異端。
悪魔の子。
不吉の象徴。
日照りの原因。
――そいつが居るから、駄目なんだ。そいつさえ居なければ、日照りにはならなかった。
――殺せ。
――殺せ。
――殺せ。
――自らの手で殺せないのであれば、暗闇の森に捨てろ。あの森は人間を拒む。きっと殺してくれるだろうよ。
――そうだ、きっと暗闇の森の魔女が、こいつを殺してくれる。
――嘘だよね、お父さん、お母さん?
――やめろよ、離せ。ねえ、お父さん、お母さん。こんなの辞めさせてよ。どうして無視するの?
――僕は、二人の大切な子どもなんじゃないの?
――そうだ、お前にひとつ条件を出してやろう。良いか、あの薄気味悪い魔女を殺してこい。そうしたら、村に戻ってきても構わない。
――殺す。絶対に殺してやる。
――……暗い。一人は怖い。怖い。怖いよ。
――誰か、助けて。
「……はん、人間らしい卒爾な考えだな」
必要な記憶を見終え、魔女は吐き捨てるようにそう言った。
そうして、少年に取られた距離をぐんと詰めて、続ける。
「お前、私に殺される為に、この森に捨てられたのだろう?」
「違う」
「嘘を吐いても無駄だ。知らないようなら教えてやるが、私には、人の心を読む魔術の心得があるんだよ。お前がいくら虚勢を張って嘘を吐こうと、その奥にある本音が、私にはわかるんだ」
「……嘘なんて、吐いてない」
「無駄だ無駄だ」
魔女はひとしきりからからと笑って、それから、少年と目線を合わせる為に軽く腰を曲げて、言う。
「お前、私のところに来るか?」
「はあ?」
少年は、真紅の瞳を猜疑に歪ませ、訝しむような声を上げた。
「村の連中から、私を殺してくるよう言われているのだろう? 構わんよ。お前のように美しいものに殺されるのなら、悔いはない」
「……あんた、死にたいのか?」
少年は、信じられないといった様子で魔女を見つめていた。
魔女はその熱烈な視線を受け、にいっと笑みを深める。
「私はな、死ねないんだよ。もう何百年もこの世をさ迷っている」
だから、と。
魔女は少年を見据えて、言う。
「殺せるものなら、殺してみろ。ただし、美しくな」
その言葉に、少年がぞくりを震え上がったのを、魔女は見逃さなかった。
ああ、この少年は穢れを知らないのだ、と魔女は思う。大人が何人も束になってかかってきても殺せない魔女を、その細い腕で殺せると思えてしまえる少年の無垢さが、魔女の目には新鮮に映った。
殺せないのなら、閉じ込めてしまえ。
そうして強引にこの森に封じられた魔女は、長い間、人間を恨めしく思っていた。
しかし、こんなにも美しい人間がいるのであれば。
いつか討伐されるとしても、それは愚かな人間ではなく、この少年が良い。
そう思った。
「決まりだな」
魔女はするりと少年の手を掴むと、家へ向かって歩き出した。
「な、なにするんだよ?!」
「お前、そんな痩せこけた身体で私を殺せると思っているのか?」
碌な食事も与えられていなかったのだろう、少年の骨ばった手を指先で感じながら、魔女はため息を吐く。
「首を締められるだけの握力をつけろ。刃物を振るえるだけの筋力をつけろ。私の意表を突けるだけの知識をつけろ。まずは飯を喰え。話はそれからだ」
ぽかんと呆気に取られている少年の手をぐいぐいと引っ張って歩きながら、魔女は、そういえば、とあることに気づく。
「お前、名はなんという?」
「……自分を殺す相手の名前なんて、知る必要ないだろ」
「だからこそ知りたいんだ」
ほら教えろ、と促す魔女に、少年はぷいっと顔を逸らす。
「名前なんて、ねえよ」
「嘘を吐くな」
そう言いながら、魔女には既に、少年が親からもらった名前を把握していた。同時に、少年が、自分を捨てた親から与えられた名の価値を見失いかけているということも。
「名がないというのは不便だからな。ないというのなら、私が名づけてやろう。そうさなあ……嘘吐きだから、『ライ』でどうだ?」
「……別に。どうでもいい」
顔を背けたままの少年から、しかし魔女はひとつの感情を読み取り、小さく笑う。
「私の名はネリネだ。期待しているぞ、ライ」
「うるせえ」
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