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 使い古された白い衣装を手直しして自ら繕った、形ばかりの白無垢を着て、神社の娘・日和(ひより)は輿入れの日を迎えた。


「雨乞いの巫女様、お迎えに上がりました」


 約束の日時丁度、迎えの者達が輿を担ぎ、行列をなして現れる。

 まるで狐面のような顔をしたその者達は人ではない。

 異形の者――妖狐だった。


 異様な存在感を放つ一行を見て、日和はごくりと唾を飲み込む。

 側に控えていた侍女の装いをした娘・弥生(やよい)が、日和の耳元で囁く。


「いいわね。余計なことは言わず、上手くやりなさいよ」


 日和はこくりと頷き、促されるまま輿へと足を進める。


 花嫁行列が進行を開始れば、日和は首から下げていた鏡を手に取り、天へと掲げてこの地の豊穣を願い雨を乞う。

 晴天だった空からぱらぱらと雨が降りだし、その光景はまさに『狐の嫁入り』だった。


「巫女様が降らせておられるのか」

「ほお、恵みの雨とは素晴らしいお力だ」

「さすが主様が花嫁にと望まれるだけある」


 花嫁を褒め称える声が聞こえ、日和はいたたまれない気持ちになった。


(雨を降らせているのは本物の巫女で、私じゃない……)


 日和は手に持つ鏡へ視線を向ける。


(私に雨乞いの力はない。雨乞いの巫女の証であるこの鏡も偽物……)


 本物の巫女が持つ八花鏡とは違う、安物の鏡が手の中にあった。


(望まれた花嫁じゃない、私のすべてが偽物……それでも、私は雨乞いの巫女のふりをしないといけない。巫女の代わりに、生贄にならなければいけないから……)


 日和は雨乞いの巫女の身代わりになる為、大妖怪・九尾の妖狐の元へと嫁いでいく。

 花嫁行列の後には、気持ちを代弁するような、憂鬱な雨がしとしとと降り続いていた――。


 ◆


「巫女様、到着しました。こちらが主様の城でございます」


 輿から降りて顔を上げた日和は、壮大な城郭の景色に圧倒される。

 それは、花嫁の付き添いできた弥生と神主も同様だった。


 ふと日和が気付くと、案内役の妖狐がしきりに辺りを見回している。


「――おや? 主様の姿が見当たりませんが、いずこに……?」


 女中の装いをした妖狐が駆けてきて、案内役に何やら耳打ちする。


「なんと!? ……こほん、こんこん。巫女様、主様に到着を知らせて参りますので、今しばらくこちらでお待ちください」


 妖狐達は互いに目配せし、日和達をその場に残し、何処かに行ってしまう。


「………………」


 取り残された日和が不安な面持ちで周りを見ると、花嫁行列を見物しに多くの妖が集まっていた。


(皆が皆、仕立ての良い着物を着てる。私が繕った白無垢とは大違い……こんなみすぼらしい花嫁では、さぞがっかりされるだろうな……)


 くすくすと嗤う声が聞こえて、日和は物珍しい見世物にでもなった気がした。

 じろじろと不躾に値踏みされる視線に萎縮し、日和は俯いてきつく目を閉じる。



 バシャンッ!



「!!?」


 突如として冷水を浴びせかけられ、日和は目を見開いた。

 ずぶ濡れになった白無垢から、ぽたぽたと水が滴る。

 呆然とする日和の目の前に、三つの人影が立つ。


「ああ、臭い。臭い臭い。卑しい人の臭いがすると思ったら、なんとまあ、みすぼらしい花嫁ではないか」


 現れたのは一国の姫を思わせる、豪華な装いの美しい妖の女達だった。


「雨乞いの巫女だなんて仰々しく崇めるものじゃから、どんなものかと思って拝みにきてみれば、とんだ期待外れじゃのう」

「たかだか雨を降らせる程度でおおげさなことです。水生の妖からすれば、水を操るなど造作もないことだというのに」

「卑しい人の分際で、九能(くのう)様に嫁ごうだなんて、おこがましいにもほどがある。こんな汚らしい醜女、我らを統べるお方に相応しくないわ!」


 恐ろしい形相の女達に詰られ、日和は青褪める。

 震えて何も言い返せない日和の姿を見て、弥生は内心胸を撫で下ろし、ほくそ笑んだ。


「しかし、こんなところに捨て置かれるとは……このようにみすぼらしい女、やはり要らぬとお考え直しになられたのじゃろうな」

「それもそうです。卑しい人など、食べられるくらいしか役に立たない愚物なのですから……ねぇ?」


 そう言った女の口が裂けていき、鋭い牙を覗かせる大口が不気味に笑う。


「ひっ!」


 日和の後ろに控えていた弥生が悲鳴を漏らした。

 付き添いの自分達まで食い殺されるのではと、女達を恐れた弥生と神主が必死に訴える。


「わ、悪いのはこの女です! わたくしは止めたのですが、聞き入れられず! 食うならこの女だけを!!」

「そ、そうです! わしらは嫌々連れてこられただけで、困っていたのです! わしらだけはお助けください!!」


 弥生に突き飛ばされ、日和は地べたに這いつくばる。


「ふっ、あはははは。随分と笑わせてくれるわ」

「侍女や神主に見放されるとは、人徳のない巫女様じゃのう」

「うふふふふ……」


 女達が日和を嗤いながらにじり寄ってくる。


(食い殺されてしまうんだ……生贄になると覚悟していたけど、やっぱり怖い……まだ死にたくない……)


 日和が涙を浮かべて震えていると――



「何をしている!」



 ――凛と通る低い声が響き渡った。


「「「九能様!?」」」


 すべての妖が一斉に膝を突いて首を垂れる。

 圧倒的な重圧が辺りを覆い、恐れ慄いた弥生達も平伏す。


「……っ……」


 平伏している日和の前へと真っ直ぐ歩み寄り、九能は言う。


「面を上げよ」


 恐る恐る日和が顔を上げると、そこには目の覚めるような美しい妖狐が立っていた。

 光り輝く真っ白な毛髪に華やかな九尾、この世の者とは思えぬ端麗な相貌、額にある小さな九枚花弁の蓮印や目元を彩る紅が更に神秘的に映る。


(この方が国主――九能様? なんてお美しい方だろう。こんなに綺麗な方は見たことない……)


 一瞬、天女が舞い降りたのかと錯覚してしまうほどだった。

 日和よりも頭一つ以上大きな立派な体躯は、間違いなく男の体なのだけど。


「雨乞いの巫女、名はなんという?」


 九能に問われ、見惚れていた日和はハッとし、言葉をつっかえさせて答える。


「……っ……ひ、より、です」

「ひより――日和か、良い名だな」


 花が綻ぶような笑みを向け、九能は日和に手を差し伸べた。


「あ、あの、汚れてしまいます……わっ!」


 泥にまみれた日和が躊躇うと、九能は汚れることも厭わず手を引き立たせる。


「待ちわびていたぞ。我が花嫁」


 日和の手を優しく握り語りかける九能の姿に、女達が憤慨して声を張り上げる。


「九能様! 我らが長たるお方に、そのようなみすぼらしい女は相応しくありませぬ! お考え直しくだされ!」

「そうじゃ! 誰よりもお強くお美しい九能様に嫁ぐべきは、妾達のような由緒正しき妖の姫じゃ!」

「雨乞いの巫女の力など欲さずとも、水ならいくらでも操ってご覧に入れます! 卑しい人を娶る必要はございません!」


 九能はいたわりの目で日和を見つめ嘆く。


「それにしても、酷い有様だ。我が花嫁を脅かす愚か者がいるとは……許せぬな」


 九尾が戦慄いたかと思えば、瞬時に九能の黒い影が伸びて女達を捕らえる。


「うっ、ぐあぁ!?」

「ぎゃあぁっ!?」

「ひぎいぃ!!」


 九能はおぞましい獣の眼光で女達を見下ろす。


「我に指図するとは、貴様らは何様のつもりだ? あまつさえ、我が花嫁に危害を加えるなど、万死に値する。さあ、どうしてくれようか……」

「ひぃっ! く、九能様っ、お許しを!」

「苦しいぃ、死ぬぅ!」

「助けて! 助けてぇ!」


 悲鳴を上げる女達を締め上げながら、九能は問う。


「日和、どうして欲しい? こやつらを我が花嫁の望む通りにしてやろう。死を乞うても許さず、絶え間ない責め苦を味わわせてやっても良いぞ」


 九能の顔は美しく笑んでいるが、それが反って恐怖心を煽る。


「み、巫女様っ! お、お慈悲をっ! ぎぃやぁぁぁぁ!!」


 命乞いする女達の体がひしゃげていき、日和は慌てて叫ぶ。


「待って! 止めてください……国主様は人との和平を望んでいるとお聞きしました。お優しい方だと信じております。私は人が傷付くのも、妖が傷付くのも嫌です。誰かが傷付くことは望みません……だから、許してあげてください」

「そうか……分かった。日和は優しいな」


 日和の要望に応え、九能は女達を解放してやる。


「我が花嫁の慈悲深さに感謝するんだな。……次はないぞ」


 冷酷な流し目を送り、九能は妖達に忠告した。

 地べたを這う女達は平伏して、日和に服従する。


「は、はい、無論です!」

「巫女様のお慈悲に感謝を!」

「臣従し、お仕えいたします!」


 あまりのことに日和が唖然としていると、九能が優しく微笑みかけて抱き上げる。


「さあ、行こう」

「え……きゃあ!?」

「ああ、こんなに凍えて可哀想に、早く温めなければな」


 大事そうに日和を横抱きに抱え、九能は頬を擦り寄せて歩きだす。

 九能の美貌に頬を染めていた弥生は、立ち去ろうとする九能に慌てて声をかける。


「あっ、あの! わたくし達は……?」


 九能は近くにいる妖狐達へ目配せして命じる。


「さっさと帰してやれ。花嫁を守らぬ側仕えなど要らぬ」

「はい、主様。仰るとおり」


 九能は弥生に目もくれず立ち去り、妖狐達は神主親子を神社へ帰した。


 ◆


 御殿の奥までくると、九能が日和を降ろして言う。


「中庭に露天風呂を設えてある。ゆっくり浸かってくると良い。――お前達、後は任せる」

「はい、主様。お任せください」


 女中の装いの妖狐達が出てきて、日和を風呂場へと案内しながら話しかける。


「先程は護衛の者も付けず、側を離れてしまって申し訳ございませんでした」

「まさか、主様の花嫁に無礼を働く輩がいるとは夢にも思わず、大変なご無礼を……」

「もう二度とあのような無礼者は近付けさせませんので、どうぞご安心ください」


 日和が頷くと、女中達は嬉しそうに喋り続け、手際よく汚れた着物を脱がせていく。


「主様は巫女様を花嫁として迎えられるこの日を、それは心待ちにしておられたのですよ」

「巫女様のお世話を任せていただけるなんて、とても栄誉なことです。なんなりとお申し付けください」

「ささ、お背中をお流しいたしましょう」


 女中達の勢いに呑まれていた日和だったが、裸にされてさすがに声をだす。


「じ、自分で洗えます! ……から、少し一人にしてもらえませんか? 人に洗われるのは落ち着きません……」

「あら、そうですか。それは残念――」


 女中達は気落ちして狐耳を倒す――が、すぐにぴんと立てて訴える。


「――ですが! 側に控えておりますので、何か入り用がございましたら、お呼びくださいませ」

「すぐに飛んで参りますので!」

「馳せ参じますので!」

「では、どうぞごゆっくり」


 女中達が下がり、日和はようやく一人になれ、小さな溜息をこぼす。


「……はぁ……」


 湯船に浸かり、体を抱えて丸くなり、日和は気持ちを落ち着けようと考える。


(一時はどうなることかと思ったけど、なんとか生きてる……美しく恐ろしい国主様……私はその花嫁として、これからやっていかなければいけないんだ……)


 日和はこうなった事の経緯を振り返る――――。


 ◆


「ふう。これで境内の清掃は終わり」


 額に浮かぶ汗を拭い、日和は顔を上げて一息ついた。

 綺麗に整えられた境内を見渡せば、景色と同じく心持ちも晴れやかになる。


(うん。綺麗になるとやっぱり気持ちいい)


 神社の本殿や境内の清掃を正午前に済ませるのが、日和の日課だ。

 他にも、神主親子の衣装の洗濯や部屋の掃除に食事の仕度など、雑用に追われる慌しい毎日を送っていた。

 本来なら、すべての雑用をたった一人でこなすなど、一日では到底足りない仕事量だが、日和はその勤勉さと長年の経験からそつなくこなす。

 とはいえ、どうにか寝食の時間は確保できているといった状況ではあるのだが。


(次は昼餉の支度をしないと。配膳したら、着物を陰干しして、灯明の油も切れる頃だから――あれ?)


 炊事場へと向かう途中、屋敷の入口に農民達が集まっている姿を見かけ、日和は立ち止まる。


(なんだろう? 寄合の予定はなかった筈だけど……)


 様子を窺うと、対面する神主の娘・弥生に向かって農民達が何か訴えている。


「ひどい日照り続きで田畑が干上がってしまって、このままではわしらは飢え死にしてしまいます。どうか雨乞いの巫女様、わしらの里にも雨を降らせてください。この通り、お願いです」


 やつれた顔や土で汚れた着物を見て、日和は農民達の困窮した暮らしを察した。


(この神社の周辺は水不足になることはないから、おそらく遠方の里の人達だろうな……)


 農民達は深々と頭を下げ、必死に雨乞いを頼んでいる。

 しかし、弥生はそんな農民達を値踏みするような目で見下ろし、冷淡に言う。


「わたくしの雨乞いは霊験あらたかな貴重な力です。そう容易く使って良い力ではないのです。供物も用意できぬようでは、お話になりません」


 農民達の代表と思われる年嵩の男が慌てて懐から包みを取り出し、持ち寄っていた俵などと共に差し出す。


「集められるだけ集めた供物と金子です。どうぞお納めください!」


 弥生は差し出された包みを摘まみ上げ、中身を確かめると不満そうな声で呟く。


「はぁ……これだけですか?」

「収穫できたらもっと大金を持ってきます! 必ず約束は守りますから、どうかお願いします!!」


 農民達を不憫に思った日和は、手を合わせて心の中で祈る。


(あの人達が飢えないよう、苦しい暮らしをしなくて済むよう、恵みの雨が与えられますように)


 日和の祈りが通じたのか、男の大金という言葉に気を良くしたのか、弥生は声色を変えて言う。


「まあ、そういうことなら良いでしょう。わたくしは慈悲深い雨乞いの巫女です。その心がけに免じて、今回だけは特別に雨乞いしてさしあげましょう」


 一粒の雫がぽたりと男の顔に当たり、不思議に思った男が天を仰ぐ。

 晴天だった空に薄っすらと白い雲がかかり、しだいに雲が濃くなっていく。


 弥生は首から下げている八花鏡を天に掲げ、祈り口上を述べる。


「雨を司る天の神よ、巫女の願いを聞き届け、この者達に恵みの雨を与えたまえ」



 ぽたり……ぽつり、ぽつり……ぱらぱら、ぱらぱらぱらぱら。



「雨だ……雨が降ってきたぞ!」


 祈りから間もなく、天から恵みの雨が降りだす。

 農民達は降り注ぐ雨を浴び、喜声を上げる。


「やはり、雨乞いの巫女様のお力は本当だったんだ!」

「これで、これでわしらは飢え死にせずに済むのか……?」


 男は戸惑いと不安の混じる言葉をこぼす。


「わたくしの雨乞いは絶対ですから、もう日照りに苦しむ必要はありません。あなた方の里にも恵みの雨がもたらされます。収穫後の約束は必ず守ってくださいね」


 弥生から宣言されたことで、農民達は涙を流して感謝する。


「ありがとうございます! 本当にありがとうございます!!」


 干ばつの憂いから解放され、喜ぶ農民達の姿を見て、日和はほっと胸を撫で下ろした。

 それから、雨乞いの巫女様と称えられる弥生の姿を見て、首にかかる鏡が目に留まり、悲しくも寂しい気持ちになる。


(雨乞いの巫女の証である八花鏡。あれは私のお母様の形見……でも、雨乞いのできない私があの鏡を持つべきではない。雨乞いのできる弥生様が持つべきなんだ……)


 日和の母は高名な雨乞いの巫女だった。

 そんな母から受け継いだ唯一の物であったが、日和に雨乞いの力はないとされ、取り上げられてしまったのだ。


(お母様のような巫女にはなれなかった。だけど、私は自分にできることで少しでも雨乞いの巫女の手伝いができれば、誰かの役に立てればそれでいいんだ……)


 自分にそう言い聞かせ、日和は忙しなく雑用に明け暮れる日々を送っていた。


 農民達は嬉々として弥生に礼を言い、里に帰っていく。

 そんな後姿を見送っていた日和に、弥生が気付いて怒鳴り散らす。


「日和!! 何をさぼっているの! 能無しの役立たずなんだから、誰にでもできる雑用くらい真面目にやりなさいよ! もう昼餉ができていていい時間でしょうが!」

「はっ、はい! すぐ用意します!!」


 日和は慌てて炊事場へと駆けていき、手早く仕度をこなす。


 ◆


 昼餉の仕度を終えて、日和が配膳をしに神主親子の待つ部屋へ行くと、何やら口論している。


「嫌です! 絶対に嫌です!! 国主へ嫁入りだなんて、冗談じゃありません! 生贄にされるようなものではありませんか!!」

「わしとて断われるものなら断わっている。だがしかし、国主に逆らえる筈もない。それこそ、不興を買ったらどんな目にあわされるか」


 親子の言う国主とは、この国だけではなく、周辺の大国までも統治する国持大名のことである。

 本来なら、国主に嫁入りできるほど名誉なことはないが、危惧されるのは国主の素性だ。

 それは口にするのもおぞましくはばかられる、異形の力を使って国盗りを成したと伝え聞く。

 国主は人にあらず、人外にして異類異形の頭領――大妖怪・九尾の妖狐なのである。


 個であっても人を圧倒する強大な力を持つ妖。

 そんな妖を統率する頭領でもある国主は、酔狂にも人との和平を望んでいる。

 その先駆け、和平の証として、人である雨乞いの巫女を花嫁として所望しているのだという。


 日和が配膳をしながら耳にしたのは、そんな話だった。

 国主への嫁入りを嫌がり、弥生は喚き続けている。


「なんとかして断わってください! わたくしが妖の餌食になっても良いのですか?!」

「そう言うな……国主は雨乞いの巫女を大事に扱えと仰せだ。嫁入りの支度金も大量に贈られている。機嫌を損ねなければ、悪いようにはされない筈だ」

「そんな建前を真に受けられる訳がありません! 相手は狡猾な狐の妖なのですよ! 何を企んでいるのか、知れたものではありません!!」


 弥生は怒りまかせに、日和が配膳したお膳を蹴り飛ばす。


「きゃぁ!」


 飛んできたお膳に日和が悲鳴を上げる。

 せっかく用意した昼餉が、手付かずのままぶちまけられてしまった。


(いつも食べ残しを貰って食べているけど、今日は残飯にもありつけなさそう……)


 仕方なく割れた食器を片付けていると、日和は不意に腕を掴まれて破片で手を切る。


「痛っ!? ……何をなさるんです?」


 日和が顔を上げれば、目を血走らせた弥生が見据えて呟く。


「そうだわ……あんたが代わりに嫁げばいいのよ」

「え?」


 弥生は不気味な笑みを浮かべ、神主に言う。


「年も背も同じ……日和は痩せで貧相だけど、着込めば体型なんてごまかせます。妖からしたら、若い女ってだけで区別なんてつかないでしょう?」

「うむ……確かに妙案かもしれん。弥生が残ればこの神社も安泰だし、国主は人の嫁さえ貰えば満足だろうし、能無しの役立たずも厄介払いできて一石二鳥――いや、三鳥だな」


 愕然とする日和に親子が言い募る。


「喜べ、日和! 役立たずのお前が役に立てる時がきたぞ!!」

「嫁ぎ先が見つかって良かったじゃない。せいぜい機嫌を取って可愛がってもらいなさい」

「わ、私が弥生様のふりをして嫁ぐんですか!? そんなの無茶です! 雨乞いの力もないのに、すぐに知られてしまいますよ?!」


 日和が無理だと訴えても、親子は聞く耳を持たない。


「そこはお前が上手くやるんだ。雨乞いに使う鏡が割れて力が使えなくなったとか、適当にごまかせばいい」

「最初だけ私が侍女のふりをして付いていって、あんたが雨を降らせたように見せれば、誰もあんたが偽物だなんて疑わないでしょう」

「で、ですが、国主様を騙すようなこと……」


 親子は口答えを許さず、目尻を吊り上げていく。


「能無しで役立たずなお前をこの神社に置いてやった。孤児のお前をここまで育ててやったんだ。その恩義を今ここで返さずして、いつ返すというのだ?」

「……は……はい……分かりました」


 日和はそう返す他なかった。


 ◆


 ――――体を洗い終え、日和は湯から出る。


「上がりました」


 日和が声をかけると、準備万端に待機していた女中達の目が光る。

 あれよあれよと着物を着付けられ、化粧に髪結いにと飾り付けられる。

 目を回す日和がはたと気付くと、上等な花嫁衣裳を着せられ、九能の元へと連れていかれていた。


「主様、お連れしました」


 身形を整えた美しい装いの九能が振り向く。

 日和の花嫁姿に九能は目を見開き、感嘆の溜息をこぼす。


「ほお……日和はやはり美しいな。三国一の花嫁だ」


 甘く微笑み囁く九能の美貌に眩暈がして、これまで褒められたことのなかった日和は、どぎまぎしながら言葉を返す。


「っ! あ、ありがとうございます。国主様の方が、お美しい、です」


 首を傾げる九能は、日和に顔を近付けて言う。


「夫婦になるのだから、国主ではなく名で呼べ。九能と呼び捨てても、なんなら愛称で呼んでも良いぞ」

「分かりました……九能、様」

「ふふ」


 日和が名を呼ぶと、九能は満面の笑みで九尾を揺らした。


「これから皆の前で祝言を挙げる。盃を交わして顔見せする程度のものだ。身構えなくて良い」

「はい、分かりました」


 九能に連れられて、多くの妖が集まる宴の間へと入っていく。

 現れた新郎新婦の姿を見て、妖達がどよめき、感嘆の声を上げる。


「おお、なんとお美しい……」


 そこには、楚々とした儚げで麗しい花嫁の姿があったのだ。

 妖達の注目を浴びる中、日和と九能は夫婦固めの盃を交わした。


「皆の者、よく聞け。我は人である雨乞いの巫女を娶り、夫婦となった。我が花嫁を我と同等かそれ以上に敬い仕えよ。敬い尽くすなら、それ相応の恩恵を与える」


 そこかしこで、夫婦の門出を祝福する声が上がる。

 側仕えの妖狐も夫婦の並ぶ姿を見て、鼻を啜り目元を拭う。


「ああ、なんとめでたい。主様の積年の願いが叶って、わたくしは感慨無量でございます……ぐすっ、ぐすん」

「主様、巫女様、おめでとうございます。さあさ、御馳走をご用意しております。たんと召し上がってくださいませ」


 女中達が沢山の御馳走を持ってきて、夫婦に勧める。

 九能がおもむろに一つを摘み、日和の口の前に突き出す。


「そら、稲荷寿司だ。食べてみろ」


 そのまま手づから食べるのは躊躇われ、日和は手で受け取ろうとする。


「あの、九能様、自分で食べ――」

「我の手から食べるのは嫌か?」

「――いただきます」


 しょんぼりと狐耳を倒す姿に心が痛み、日和はそのまま手づから頬張り咀嚼する。


「どうだ、美味いか?」

「はい、美味しいです」


 嚥下して頷くと、九能は嬉しそうに九尾を揺らす。


「そうか、それは良かった。丹精込めて作った甲斐があったな。作るのに没頭しすぎて、花嫁を迎えに行くのが遅れてしまったが……」

「えっ! 九能様がお作りになったんですか?!」

「ああ、そうだ。日和には最高に美味い稲荷寿司を食べさせたかったからな」


 日和が驚いていると、九能も口を開けてねだる。


「我にも食べさせてくれ。あー」

「あ……はい、どうぞ!」


 ぱくりと頬張り、九能も咀嚼して飲み込む。


「うん。共に味わう稲荷寿司は格別に美味いな」


 九能は本当に嬉しそうに笑って言う。

 誰かと一緒に食べる、想いの込められた食事。

 その美味しさに日和は胸がいっぱいになり、頷いた。


「はい、とても美味しいです」


 ◆


 祝言の宴を終えて、寝所へと通された日和は、これから初夜を迎える。

 緊張の面持ちで待機していると、着替えを終えた九能がやってきて、同じ寝台に座る。


「この日をどれだけ待ちわびたことか、ようやく一緒になれて嬉しいぞ」

「はい、どうぞ末永くよろしくお願いいたします」


 寝台の上で日和は三つ指を突いて頭を下げる。


「……震えているのか?」

「っ! 申し訳ございません」


 日和の体は無意識に震えていた。


「我が怖いか?」

「そんな、ことは……ひっ!」


 震える手を取られ、指先に唇を当てられる。

 九能は日和の荒れて傷だらけな指先を舐めた。


「我は大事な花嫁を傷付けたりせぬ。日和を一生大事にする。だから怖がらなくて良い」

「これは、その……申し訳ございません」


 震えが止まらず、機嫌を損ねて食い殺されるのではと恐怖し、日和は血の気が引いていく。


「ひどく冷えているな、寒いか? もっと近う寄れ」

「っ!?」


 九能は日和の手を引いて抱きすくめ、九尾で二人の体を覆う。


「温めてやる。我の尻尾は極上の布団にもなるのだぞ? ふふ」

「も、申し訳、ございません」

「謝らなくて良い」

「九能様、私っ……」


 緊張と混乱に感極まり、日和の目から涙がこぼれる。


「日和、泣くな……」


 九能はいたわしげに日和の涙で濡れる目元を舐め、優しく頭を撫でた。


「慌ただしくて疲れただろう? 今宵はゆっくり眠って疲れを癒せ」

「あの――」


 指先で言葉を制止し、九能は日和の背をとんとんと叩いて寝かしつける。


「おやすみ」

「――はい……」


 柔らかい温もりに包まれて心が落ち着き、日和は不思議な懐かしさを感じ、幼い頃の夢を見る――――。


 ◆


 幼い頃、高名な雨乞いの巫女であった母と共に、日和は人里を巡る旅をしていた。

 水不足に困る者が少しでも減るようにと願ってのことだったが、身を削り雨乞いし続けた母は無理が祟り病に倒れ、日和を残して亡くなってしまったのだ。

 孤児となった日和は、母の形見の八花鏡を持ち、親戚の神社を頼りに一人旅をしていた。

 旅の途中、日和は朽ちた祠の前で倒れているボロボロの仔犬を見つける。


「……く……くぅ……くー……」


 威嚇して日和に噛み付くが、弱りきっていてまるで歯が立っていない。

 弱々しく「くー」としか鳴けない仔犬を可哀想に思い、日和は拾って世話をした。

 わずかな食べ物を分け与え、身を寄せ合って暖をとり、いつも大事に抱えて旅をしていた。


「くーちゃん、ずっと一緒だよ。親戚の神社に着いても一緒だからね」


 山中に捨てられて心細かったであろう仔犬に、日和はいつもそう言い聞かせていた。


「お母様が作ってくれた稲荷寿司、すごく美味しかったの。親戚の所に着いたら私も作ってあげるね。とっておきの稲荷寿司、くーちゃんと一緒に食べるんだ」


 人里を通る度に雨乞いをして食べ物を分けてもらっていた日和は、仔犬の為にと無理をして母と同じ病に倒れた。


「こほ、こほ……くーちゃん、ごめんね……少し休んだら、すぐ良くなるから……くーちゃんを一人になんてしないからね……ずっとずっと一緒だよ……こほこほ、こほ……」


 どこからか、人のような獣のような不気味な鳴き声が聞こえてくる。仔犬がしきりに辺りを警戒する。

 熱に魘され朦朧とする日和の視界に、仔犬が歪んで巨大な化け物になっていく姿が映り、無数の化け物達の影が現れ、日和の意識はそこで途切れた。


 暫くして熱が下がり、日和が再び目を開けると、仔犬はいなくなっていた。


「くーちゃん……どこ? どこにいるの? くーちゃん、どこにいっちゃったの?」


 いつら探しても仔犬は見つからず、日和は悲しみに暮れた。


「――恵みの雨を与えたまえ」


 程なくして親戚の神社に辿り着いたものの、日和は雨乞いできなくなっていた。


「なんだ、雨乞いの巫女の証の八花鏡を持っているとはいえ、雨乞いができないようでは本当にあいつの娘かどうかも疑わしいものだ」

「ふうん。その鏡、貸してみなさいよ。わたくしが雨乞いしてあげるわ」


 弥生が雨乞いすると言いだし、日和は母の形見を取り上げられた。


(私は雨乞いの巫女失格なんだ。くーちゃんのことで頭がいっぱいで、心から雨を乞うことができない……)


 水不足で雨乞いの巫女を頼りに集まっていた人々の姿が日和の目に映る。


(水に困っている人がこんなにいるのに、私は自分のことばかりで……雨乞いできない役立たずで、ごめんなさい……)


 不甲斐なさに心の中で謝り、その人々の為に雨が降るよう日和は祈った。


(どうか、困っている人達に少しでも恵みの雨が与えられますように)


 弥生が祈り口上を述べると同時に雨が降り始めた。


「――降った! 雨が降ってきた! わたくしが雨乞いの巫女よ!!」

「おお、さすがはわしの娘! 新たな雨乞いの巫女はわしの娘だ!!」


 雨が降ったことで、その場にいた皆が大喜びしていた――日和を除いて。

 心にぽっかりと穴が開いた心地で、日和は天を仰ぎ、呟きをこぼす。


「くーちゃん……会いたいよ」


 降りしきる雨と同じく、日和の目から絶え間ない涙が流れていた――。





 ――遠くから、覚えのある鳴き声が聞こえ、日和は仔犬の姿を探す。


(……くーちゃん! くーちゃんだ!!)


 駆けてくる仔犬を見つけ、日和は両腕を広げ、ひしと抱きとめる。


「良かった。くーちゃん、会いたかったよ」


 ◆

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