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02 ひとつ屋根の下

「……本当に汚いですね」


 リビングまで足を運んだひよりが、開口一番言った言葉はそれだった。


 部屋中に散らばった漫画や衣類の数々。端には何袋も溜まったゴミ袋も積まれている。その光景はまさに汚部屋。


 ひよりは控えめに言ってあり得ないという表情をしており、片づけもろくにできない男というレッテルをこの瞬間に貼られた気がした。


 しかし、汚いのは我慢しろと最初に念押ししたはずなので、要としては後めたい気持ちなどさらさら持ち合わせていない。


「男の一人暮らしなんてこんなもんだろ」

「一般的な男性の部屋がどういったものかは知りませんが、少なくともここは私の想像していた三倍は汚いです……」

 

 嫌なら出て行ってもいいんだぞと本音が出かかったが、そんなことでムキになるほど子供ではない。

 はいこの話はここで終わりと言わんばかりに、要が手をパンと叩いた。


「とりあえず、その辺座ってな。すぐに風呂沸かすから」

「え、いいですよ。シャワーさえ貸してくれたら」

「いやいや。そんだけ身体冷やしてるんだ。風呂に入らなきゃ風邪引くだろ」

「でも……」

「心配するな。杠葉さんが浸かったお湯を飲んだりするような趣味は俺にはないから」

「ーーっ!? そんな心配はしてません!!」

「なら、別に問題ないよな?」

「……では、お言葉に甘えさせて頂きます」


 ようやく素直になったひより。

 要はさっそく、風呂場へ直行し、お湯を溜める。普段使用しない入浴剤付きで。



 ひよりが入浴している間、要は煩悩と格闘していた。脱衣所から聞こえる衣擦れの音や、風呂場に響くシャワーの音など、否応なしに妄想が膨らむ環境は生き地獄以外の何物でもない。


 とりあえず生々しい音を雑音でかき消すため、要はテレビを付けた。特に興味のある番組はやっていなかったのだが、少しでもいやらしい感情を排除するため、お笑い番組を見て無理やり笑ったりしてみる。それが中々効果覿面で、何も考えずに三十分くらい簡単に時間を潰すことに成功した。


(さてそろそろかな)


 テレビを消して間もなく、お風呂上がりのひよりがリビングに帰って来た。頬は赤く紅潮しており、乳液を塗ったからか、全体的に肌がツヤツヤしている。


 服装はと言うと、期待していたわけではないがまさかの学校指定のジャージ姿。年頃の女の子なので可愛いパジャマやネグリジェの一つでも持っているのだろうが、TPOを弁えて敢えてそれをチョイスしたと推測される。


 要としても変に意識しなくて済む分、何の不満もなく、特に突っ込むことはしなかった。


「どうだ、温まれたか?」

「はい、いいお湯でした」

「そうか。じゃあ、ここ座ってて。いま温かい飲み物でも入れるから」

「いえ、お構いなく」

「遠慮するな。俺も飲むからそのついでだ」


 ソファから立ち上がり、台所へ向かう要。

 ひよりはその背中を申し訳なさそうに眺めた後、先ほどまで要の座っていたソファにゆっくり腰を落とした。


「コーヒーとココアどっちがいい?」

「日向さんと同じものでいいです」


 名前を呼ばれたのはこれが初めてだった。もっと言えば名前自体覚えられているとは思っていなかった要なので、不意をつかれた気分だった。


 急に会話が止まったことに違和感を覚え、ひよりが小首を傾げる。


「どうしたのですか?」

「いや、名前覚えられていたんだなと思ってさ」

「失礼な。これでも同級生全員の顔と名前は入学式に一致させています」

「……それはそれで怖いのだが」


 要とひよりが通う学校は、一学年四クラスから成る進学校だ。大体百二十人くらいの同級生がいるわけだが、入学してから2ヶ月では、当然面識のない生徒も多くいるはずだ。


 要自身、クラスが違って何の特徴もない人間のことなど全く覚えていない。


 にも関わらず、ひよりはその辺も全て網羅しているというのだ。生真面目というか、なんというか。学年一位の成績は伊達ではないということだろう。


「そもそも同じアパートの住人なんですし、知ってて当然ですよね? 表札だって貼ってあるじゃないですか」

「まぁ、それはそうだな」


 ちょっとは仲間意識的なことを思ってくれているらしい。正直こんな美少女と秘密を共有できるという優越感は堪らないのだが、同時にバレた時に彼女の熱狂的なファンから叩かれるリスクを考えると憂鬱で仕方がなかった。


 そんなことを考えながらココアを淹れ終わった要は、二つのマグカップを持ってリビングへ戻った。


「はいよ」

「ありがとうございます。いただきます」


 一口飲むと、ひよりが綻んだような病状を見せた。やはり例に違わず甘いものは好きなようだ。


 要としてはどちらかと言うとコーヒーの気分だったのだが、こんなに喜んでくれるならココアにして良かったと思う次第である。


 ココアから上がる湯気のように、ほっこりとした時間が流れる中、ふとひよりが口を開く。


「でもここだけの話、同じアパートの住人が日向さんで良かったです」

「いきなりどうした」

「日向さんは私のことを特別な目で見ていないでしょう? だから、安心できるなと」


 見ようと思えばいつでも見れるのだが、そんなことを言おうものなら警戒されてしまうだろう。要の葛藤は、所詮ひよりには伝わらないのだ。


 やれやれという感じで、要は浅くため息を吐く。


「まぁ、見ないな」

「そうでしょうね。あなたは打算的な人だとお見受けします。玉砕して、その後の学校生活ひいてはアパート生活に影響を及ぼすことはしないかと」

「玉砕するのが前提なのは気に食わないが、まあその通りだな」


 学校の連中にあれやこれやと話の種にされるのは苦痛だし、居づらくなってアパートを転居するのも本意ではない。

 あくまでも波風立てず、平穏に三年間を過ごすのが要の目標なのである。


 だから、こんな特別な時間は早く終わらせようと、要はココアをぐぐっと飲み干す。


「そろそろ寝るか」

「そうですね」

「布団だけど、このリビングに敷くのでも問題ないか?」


 この部屋のサイズは1LDK。


 リビング以外の一部屋は要の寝室となっており、しっかり部屋を分けるとなると自ずとリビングに布団を敷くしか選択肢がない。


 同じ間取りに住むひよりならそれも理解してくれるだろうと思っての提案だったのだが、彼女は予想に反して首を横に振った。


「いえ、布団は結構です。私はこのソファで寝かせてもらいますので、毛布だけ貸して頂けたら」


 ひよりとしても何から何まで用意してもらうのは気が引けるのだろう。もしくは大して仲良くもない異性の所有する寝具など使いたくないのか。


 後者でなければいいなと思いつつ、無理やり布団を敷いても仕方ないので、要は彼女の言う通りにしてあげることにした。


「朝になったら晴れているといいな」

「そうですね。そう願うばかりです」


 毛布を受け取ったひよりはその場で立ち止まり、要が自室へ入っていくまでじっと待っている。


 就寝の準備を見られるということは、乙女心的に恥ずかしいことなのだろう。要はそう結論付け、早々にリビングを離れることにした。


「じゃあ、お休み」

「お休みなさい。いい夢見てくださいね」


 手を振るひよりの優しい顔が脳裏から離れず、しばらく寝付くことが出来なかったのは内緒である。

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