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01 雨が連れて来た出会い

「お願いがあります。今晩あなたのお部屋に泊めてください」

「……はい?」


 日向(ひなた)(かなめ)杠葉(ゆずりは)ひよりと初めて会話したのは、雨が横殴りに降る、とある夜のことだった。



 今年の春から高校生になった日向要は、実家から離れた土地で一人暮らしを開始している。当然近所には知り合いなどおらず、放課後に遊ぶこともなく、基本家と学校を往復する毎日。


 そんな要の日常は、さぞつまらないように見えているはずだ。華の男子高校生がそれでいいのかと、唯一の友達も嘆くほどに。


 しかし、誰も知らない。このアパートの一階には、学校の男子達が夢中になる高嶺の花が住んでいるということをーー。



 杠葉ひより。


 猫のような大きく円な瞳が印象的な彼女は、我が校のアイドル的存在として地位を確立させている。通称、黒猫姫(くろねこひめ)。光を跳ね返すような艶やかな黒髪に、白く透き通った美しい肌のコントラストは、見る者を惹きつけてやまない。眉目秀麗とは彼女のためにあるような言葉である。


 また彼女は大層頭も良く、この間の中間考査では学年一位に輝いたとか。故に先生からの信頼も厚く、クラスの学級委員長に選任されるほどだ。


 極めつきはスポーツも万能という話で、部活には所属していないようだが、入学して二ヶ月経つ今でも勧誘を受けているらしい。どの部も、彼女が欲しくて仕方ないということだろう。


 総括すると、欠点という欠点がない、天は二物も三物も与えたというのが、杠葉ひよりという女の子である。


 誰もが彼女に憧れを抱き、恋心を抱く。そんな美少女が同じアパートに住んでいるのだから、大抵の男子からすれば最高の環境であると言えるだろう。


 勿論、要にも杠葉ひよりは魅力的に映っている。ただ、だからと言ってどうこうなりたいわけではなく、またなれるわけもなく。要にとって彼女は別の世界で生きている存在であり、関わることなど万に一つもあり得ない人種なのだ。


 なのに。

 杠葉ひよりは急に日向要の前に現れたーー。



 その日、歴史的な大雨が関東地方を襲っていた。数日前から本州南岸に停滞した梅雨前線は熱帯低気圧から発生した台風の接近に伴い、全国各地に大雨をもたらしており、関東地方は今晩から明日の朝にかけてピークという見通しだ。


 ただ、要の予想していた以上に雨は強く降り注いでおり、窓を叩く雨風の音が先ほどからうるさく響き渡っている。さすがに台風で吹っ飛んでいくようなボロアパートではないのでその点は心配していないのだが、一階の住人は河川の氾濫による浸水を気にしなければならないだろう。


(あの人は大丈夫だろうか)


 同じアパートの入居者として、彼女の安全は気になるところだ。けれど連絡先も知らなければ直接部屋に行って安否を確認する仲でもない。

 だから、こうして窓の外を眺めながら思うことしかできない。


 そんな時だった。

 部屋のチャイムが鳴ったのは。


「……こんな日に誰だ?」


 家のチャイムがなる時は、ネットで頼んだ商品が届いたか、もしくは要らぬ勧誘があった時だけだ。だがあいにく、今は何も頼んでいないし、こんな日に勧誘が来るとも考えにくい。


 要は、この土砂降りの中、チャイムが鳴ったことに深い違和感を覚えていた。

 恐る恐る玄関まで行き、ドアスコープから外の様子を窺う。


「ーーえっ」


 反射的にドアを開けてしまった要。

 そこにいたのは、つい先ほどまで脳裏に浮かんでいた美少女ーー杠葉ひよりだったのだ。


 艶やかな長い黒髪からは水滴が滴り落ち、白いブラウスは雨で肌と下着を透かしている。傍から見ていれば興奮材料の一つにでもなるのだろうが、この突然の出来事と異質な状況に、そこまでの思考に至らなかった。


 要は、ちょっと待ってて、と言葉を残し、慌てて脱衣所にタオルを取りに行く。

 用意していたわけではないが、たまたま使っていない新品のタオルがあったので、それをひよりへ渡すことにした。


「はい。ちゃんと新品だから安心して」

「……どうもありがとう」


 あの黒猫姫が、自分に対して感謝の言葉を述べている。夢であるならばそろそろ覚めてくれとも思うが、太ももをつねってもちゃんと痛いので、おそらくこれは現実なのだろう。


 だとすれば、やはり問わなければならない。

 彼女が何故、この部屋を訪れたのかを。


「ところで、何の用?」


 緊張のせいで少し冷たい言い方になってしまった。しかし、頭や体をある程度拭き終えたひよりは、特に気にする素振りも見せずに改まって大きな黒目を要に向けた。


 申し訳なさそうに、縋るように。


「お願いがあります。今晩あなたのお部屋に泊めてください」

「……はい?」


 最も予期できない回答だった。

 年頃の女性が異性の家に足を踏み入れること自体、それはもう普通のことではないはずだが、目の前の女性はあまつさえ泊まるとまで言い出したのだ。


 冗談か、それともなにか特別な事情があるのか。訝しむような視線を向けていると、彼女は辟易したような溜め息をつく。


「私だって本当はこんなお願いしたくないですよ。けど、事情が事情なので、藁にもすがる思いであなたを頼っているのです」


 喜んでいいのかどうか微妙な言い回しだが、とりあえず特別な理由があるのは分かった。

 要は、頭を掻きながら続きを促す。


「何があったんだ? この大雨で浸水でもしたか?」

「いえ、さすがにそこまで大事ではないです。その、なんて言いますか……部屋の窓ガラスが割れてしまいまして……それはもう豪快に」

「……結構大事だと思うのだが」


 冷静なツッコミは置いておくとして。


 とりあえず彼女がびしょ濡れだった理由は分かった。大方、割れた窓ガラスの掃除や補修をしていた時に、雨風に打たれてしまったのだろう。本当に運が悪いとしか言いようがない。


 とは本人にはそんなことは口が裂けても言えないので、代わりに労いの言葉をかけてあげることにする。


「その、怪我とかは大丈夫か?」

「はい。その辺は気をつけて対処したので問題ないです。ただ、補修したとは言え、結局穴が空いていることには変わりないので……」

「まぁ、年頃の女子からしたらそんな場所で一晩過ごすのは怖いわな」


 どうやら彼女は一晩過ごすにあたって、窓ガラスが割れている部屋と面識のない同級生の部屋を天秤にかけた結果、後者を選択したようだった。


 かなり苦肉の策として選んだようだったが、同じアパートに住む者として無碍にすることは出来ない。それこそ風邪でも引いて学校を休もうもんなら、罪悪感で押し潰されてしまうだろう。


 だから要は、あくまで平常心を装ってスリッパを並べる。


「言っておくけど、汚いのは我慢しろよ」

「いいのですか?」

「同じアパートのよしみだ」

「……ありがとうございます」


 かくして、どういう巡り合わせか、杠葉ひよりは要の部屋に足を踏み入れる。


 それは高校一年の、梅雨真っ盛りの頃だった。

 

 

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