ヒーローの仮面 瑠璃ストーリー
ヒーローの仮面 瑠璃ストーリー
今日もポニーテールの私は、学校の廊下を歩いている。
「瑠璃ちゃん。おはよう」
教室へ向かう途中ではなび先生とすれ違った。踝辺りまであるデニムのスカート。真っ白のポロシャツ。その上からピンク色のエプロンを付けている。これから保健室へ向かうところだろう。私も先生に挨拶をした。
「最近、元気そうね」
「いつも通り……って言いたいところだけど~。実はそうなんだよね~」
私はいつもヒーローとして前向きに生きることを心がけている。だけど、ここ最近は特に調子がいい。特別嬉しいことがあったわけじゃないけど。
六月になって雨が振る日が多くて、周りは憂鬱そうな顔をしているけれど、何故か私は全く苦痛だと感じない。まぁ髪の毛のケアは正直面倒。艶出しのスプレーはかかせない。それがあることで、ポニーテールがいつも以上に調子良く見えるんだ。
「ふふ。やっぱり元気なのが一番よね」
先生は私を見て微笑んだ。先生は、私のことをよく知っているし、気にかけてくれる。しんどいなって時、上手く顔に出せないのに、先生は直ぐに気がつくんだ。
……はなび先生って凄い。気がつけば先生のことが憧れになっていたんだ……
私だって、助けてばかりじゃない。助けられてこそ、今の私がいるのだ。その中で、心の支えになった一人がはなび先生だった。私が再び前を向けれるようになれたのは先生がサポートしてくれたから。あいなやイオリに居場所があるのも、はなび先生の力がないと出来なかったこと。
こんな私だって、今は前向きに生きれているつもりだけど、あの時は、本当にこれからどうなっちゃうのか、分からなかったな。
あれは三年前。まだ中学生だった。
クリスマスの時期で、冷たい風が朝から晩まで吹いていたあの頃。私は、とても疲れていた。みんなのヒーローは、弱音を吐けない。みんなの私は、常日頃完璧に、をモットーに行動して、みんなの期待に応えていた。テストで赤点を取った子達の勉強に付き合ったり、色々な部活動のお手伝いへ行ったり、生徒会長も務めていたからそれの活動に参加したり。それらは全部私の中で当たり前だった。
『ヒーロー。ありがとう』
そうやって言ってくれる子達がいたから、頑張れたんだと思う。だけど、私のことを悪く思っていた子もいた。昔からそういう子はいたんだろうけど、僅かだったし、別になんとも思わなかった。それよりも、あいなを守れなかった後悔の方が強かったんだ。
ある日のこと。色々な友達が私にこんなことを言ってきたのだ。
『あのね、隣のクラスのあの子がヒーローのことが嫌いなんだって』
『悪く言ってたよ』
『尽くしすぎ女だってさ』
『気にしちゃダメだよ。私達は何も言ってないからね。ここだけの話ってだけだから』
仲の良いと思っている子達が口々に騒いでいた。
その時も完全にスルーするべきだったんだとは思う。だけど、気になってしまった。みんな、私のためにそうやって話してくれたんだろうけど、毎日忙しい中で、聞きたくないことを聞かされるのは私にとって苦痛だった。今まではそんなことなかったのに……何故かその時だけ凄く追い込まれてしまった。
ホッと一息ついた僅かな空き時間に、言われたことを思い出して、謎の緊張感が走る。何とかしなくちゃ。どうすれば、いいんだろう。……何か、気が紛れるものは……ない。
気にする余裕があるなら、何倍も忙しい方がマシだな。休憩なんて、しちゃダメだ。
そう思った私は、我武者羅に動き始めた。勉強も人のお世話もいつも以上に頑張って、とにかく動きまくった。
私の自己満足?ううん。誰かの、期待に。みんなの、為に。
頭がいっぱいいっぱいで、寝る時間が削られ、スマホを弄る余裕が無くなり、好きな読書を一ミリもできず。
それよりも、今、やるべき事は、人のために行動すること。いつしかそれが心の中に纏わりついていたのだ。
服装とか、髪型とか、顔面とか、そんなことどうでもいい。私のことを悪くいう人にも、私のことを少しでも納得いくように……良く思ってもらいたいんだ。ヒーローは、常に誰かの心に寄り添う人で居なくちゃ。
気づかないうちに、私自身が少しずつ崩壊していった。セーラー服の上から羽織るカーディガンの牡丹のズレ。伸び続けて醜い前髪の嵐。ケープで無理矢理に纏めたボッサボサな髪の毛。それをだらんと下の方に纏め、束ねる。水洗いだけの、テキトーな顔面処理。
私のことを見て、異変に気づいた子もいただろう。だけどみんな、深く考えるような子達じゃなかった。私が頑張る姿を見たいだけだ。誰も、私の外見なんて興味無い。そう、思った。自分の中で、疲れた素振りをしても、誰も見てくれはしなかった。死にかけな状態で動いている私を、誰も大丈夫?と言わなかった。
『ヒーロー!』
みんなが私を呼ぶ度に、私は笑顔を作る。引き攣った笑みだと自分ではわかっていたけど、周りからはそう見えなかったのだろう。
その時に、思った。
……きっとその程度。私の周りは、その程度の人間で、私を見てチヤホヤするだけで、中身のない赤の他人。
それなのに、どうしてここまで頑張っていたのだろう。……あいな、か。そう思った時、いつもあいなのことが頭に入ってきたんだ。
それに、ヒーローという名を崩したくなかった。お母さんを、裏切ってしまいそうだったから。私がこんなに有名なのはお母さんの影響でもある。私がヒーローじゃなくなればお母さんを汚してしまうと思ったから。
だけど、私はとうとう限界になった。ある日、体育の授業で意識が朦朧として……私は……
重い瞼を開けたら、白くて高い天井が見えた。
『瑠璃ちゃん……!よかった』
首を左に向けると、はなび先生が安心したような顔をしていた。先生を見た瞬間、ここが保健室だということが分かった。
ここへ来たことはこの時が初めてだったのに、先生が急に私を下の名前で呼んだからどこか親近感を感じた。前から知っていたよ、みたいな。
最初はどうしてこんな所で眠っていたのかと気持ちの整理が付かなかったけど、視界に入ってきた体操服姿の自分を見て、気がついた。私は、倒れたんだ、と。
とにかく動きたくて、体を起こしたけれど、力が上手く入らなかった。
『ゆっくり休んで』
『それはできません』
先生の優しい言葉を遮った。早くここから出なきゃ。
また、力を入れる。けど、やっぱり無理だった。私に眠っている余裕なんてない。早く、動かなきゃ。みんなの、期待に……。
次の瞬間、急に頭がボーッとして、よく分からない感情が溢れ出した。
期待に、か。
期待に答えたところで何になるの?疲れる、だけじゃない?ねぇ。どうなのよ。教えてよ、私。
とにかく、立とう。足を上手く動かして、上靴を履き、頭から起き上がろうとする。
『瑠璃、ちゃん?』
先生は、困った表情をした。それを無視するように立ち上がる。だけど、やっぱり体に力は入らなくて、足が前に進まなかった。そして、何故か分からないのに手足が震え始める。
何?何が起こってるの?ねぇ。どうなってるの。私は、心で訴える。体は震えたままだった。
『まだ、ゆっくりしてなさい』
『なんでよ!』
先生の言葉に思わずきつい言い方になった。ハッとして、ごめんなさいと直ぐに謝った。
人に対して感情的になったのは、久しぶりだった。
ハハ……ダメだなぁ。
私が誰かを困らせるなんて。
そんなこと、絶対しちゃいけないのに……
ヒーロー、なのにね。
こんなの、お母さんが見たらどう思うんだろう?
……私は、完璧じゃなきゃ……
完璧、じゃ、なきゃ!
心の中で私が叫んでいる。もうゴチャゴチャで、頭がズキズキしてきた。
痛い、苦しい、悲しい、辛い……私は頭を抱えた。
『先生。私、これからどうなっちゃうの』
ポロリと出たのは、ずっと抑えていた黒い感情だった。
『自分が……自分じゃないみたい』
息が苦しくて、でも、早くここから出たくて。
『大丈夫だよ。取り敢えず、落ち着こうか』
先生は、私の背中を摩った。その手は暖かかった……のに。
『でも……私、教室に戻らなきゃ』
『ダメよ。また倒れたらどうするの』
『だって……!』
私は、全身に力を入れた。こうやって休んでる余裕なんてない。また、誰かに何か言われたら……もう耐えられない。
『瑠璃ちゃん』
『なんですか』
口調が自然と強くなる。イライラして、ムカムカして、感情がよく分からなくない。
『先生は、私の何を知ってるの?先生は、私の……何も知らないでしょ』
『知ってるよ』
『ヒーローだってことだけだよね?』
『ヒーローだろうが何だろうが人は何処かで休まなきゃいけない時があるの』
……休まなきゃ、いけない時?
『私は休めません』
そう言って、私は、手に思い切り力を入れた。……行ける。今なら、何とかなる。
『瑠璃ちゃん!』
先生の声なんて、無視して私は足を動かす。
行かなくちゃ、教室に。戻らなきゃ、みんなが、待ってる。
隙を見つけた私は、カーテンを大きく開けて、走って保健室を出ていった。
教室に戻ると、みんなが心配そうな顔をしていた。その顔を見ると、とてもイライラした。私が倒れたのは、誰のせいだ。
どうせ……
『ヒーロー大丈夫だった?』
どうせどうせどうせっ。
『ま、まぁね。』
どうせどうせどうせどうせどうせどうせどうせ。
『もーう。ヒーローが居ないとクラスが盛り上がらないよ~』
ヘラヘラしていっつも私に、引っ付いてくるこの子も、
『昨日寝てないの~?ちゃんと寝なきゃダメだよー』
可愛こぶってるこの子も、
『ヒーロー、もっと頑張らないと、また悪口言われちゃうんじゃない?』
態々チクって私を苦しめるこの子だって……みんな、友達だと思ってた。けど、やっと分かった。この子達は、私のことを利用していたのだと。気づかない私が、馬鹿だった。
私のことを本当は、陰で言っていたくせに。そんな人達に、私は、心配されても嬉しくなんてない。
とうとう誰の言葉も信用出来なくなってしまった。
……それなのに、ヒーローでいたいのは、どうして?
当時の私は、そう自分の心に問いかけていた。
次の日から私の調子は一気に悪くなった。目が覚めたら吐き気と頭痛が止まらなくて、顔を上げることも精一杯。お父さんに心配をかけたくなくて、朝はいつも通りのテンションでなんとか頑張ったけど、一人になった時、空気が抜けたかのように力がなくなって、体がグンと重くなった。ふと視界に入った仏壇には、お母さんの写真が飾られてあった。それを見る度に、私は、動かなければと焦る気持ちばかり。
毎日重たい身体を頑張って動かして、元気な振りをした。だけど、そう長くは続かなかった。
……日に日に学校へ行くことが苦痛になって、教室へ入ることが出来なくなった。
私が向かった場所は、教室ではなく、保健室だった。なぜだかわからない。けど、足が保健室へと向かっていたのだ。
『あら。いらっしゃい』
引き戸を開けると、エプロン姿のはなび先生がらデスクに座り、パソコンを触っていた。この前、勝手に走って出て行った以来の保健室で緊張したけど……はなび先生はそんなことをなかったかのように普通に接してきた。
私が立ち止まっていると、先生が私の方へ近づいてきた。
『体調悪いの?』
先生にそう言われ、答えられずにいると、ベットで休む?と言われたのでコクっと頷き、個室ベットの方へ案内された。ゴロンと横になった後、先生は優しい声でこう言ったのだ。
『暫くはここにいてもいいからね。教室に戻りたくなったら戻りなさい』
なんとなくだけど、先生は私の心の中を分かっているように見えた。この前初めて話した人なのに、何故か凄く安心できた。
それから私は、毎日保健室へ通うようになった。みんなが授業を受けている中で、保健室に居ることは少し罪悪感があった。だから、それを忘れさせるために、個室のベットに横たわり、何時間も寝た。私が無気力な状態でも、先生は私の心の中を無理にでも探ろうとしたり、教室へ強制的に戻らすことは一切無かった。そんな先生だったからこそ、早く気持ちが安定したのかもしれない。
数週間が経つと、少しずつ元の自分に戻り始めてきた。先生とも何気ない会話ができて、日中は横たわる時間よりも窓の外を眺めながら勉強をする時間が増えていった。
そして、保健室に居ると言う事を知った同級生達は、休み時間に私の様子を見に来始めた。
『瑠璃大丈夫?』
『ヒーロー。無理しちゃったよね』
最初は、会うことさえも怖かったけど……
『これ。授業の板書。いつも私がヒーローに写させてもらってたからお返しだよ』
『ねぇ。聞いて聞いて。数学のテスト良い点取れたんだー。ヒーローが忙しいのに教えてくれたからだよ。本当にありがとう』
『今はゆっくり休みなよ』
私の心にグッと温まる言葉をかけてくれた子達がいた。人間不信気味だったのに、心の中がフワッと軽くなって、嬉しくなった。
私のことを悪く言う子も居る。けど、こうやって、本当に私のことを大切に思ってくれている子もいたのだと気がついたのだ。
その瞬間、私のやっていたことは、全て無駄じゃなかったんだと思った。
だから、私は、これからもヒーローでいようと再び決意がみなぎったのだ。
だけど、動くのは心の充電が百になってからにした。無事に回復するまでは保健室に居させてもらうことになった。
そんなある日。私はイオリと出会った。
寒い日が続いていた頃、旧校舎の中にある大事な資料を取りに行って欲しいとはなび先生に頼まれて、入ったことの無かった旧校舎に足を運んだのだ。
初めて出入りする場所に興味があったから、少しだけ冒険心が芽生えていた。旧校舎は元々出入り禁止だったから、尚更だったのかもしれない。埃臭くて、薄暗くて、夜にお化けが出ちゃいそうな雰囲気ではあったけど、なんとなく面白そうな場所だと思っていた。
まさか、人があの中にいるなんて。その時は想像もつかなかったけど。
冷暖房のない一階の一番奥の教室の隅っこで、セーラー服を着た死にかけの女の子が居た。それが、イオリだ。見つけた瞬間衝撃が走った。彼女が着ていたであろうパーカーがボンと床に置かれてあり、ベタッと壁に身体を引っつけてぐったりとしていた。私が話しかけても、目を合わせてくれない。
誰かを助けたい。そういう意識があったから、私は、ずっと彼女に手を差し出し続けた。それをいやだと振り払うイオリ。それでも、諦めなかった。このままだと、凍え死んでしまう。何とかしなきゃ。
そう思った矢先、イオリは、意識を失ってしまったのだ。
『だ、大丈夫!ねぇ!聞こえる?』
何度呼びかけても、反応がない。動揺しつつも、冷静を保ちながら、私はイオリの体を支えて保健室へと連れて行った。
『心配なのはわかるけれど大丈夫よ。瑠璃ちゃんは勉強してなさい』
イオリの意識が戻らない中、先生にそう言われ、不安が残ったまま、テーブルに教科書を並べ、勉強を再開した。気にしていない素振りを見せるも、やっぱり気になって、イオリが眠っているベットの辺りに何度も目がいった。
目が覚めてからは、先生に対抗している声が聞こえ始めた。勉強中だったけど、気になって手が止まってしまった。
『所属してないってどういうこと?』
『言ってる通りよ。私は大人に捨てられた。あ、違う。自分から捨てた』
イオリの声はとても冷たくて、グサッと刺さるような言葉だった。だけど、声が少し震えていたような気がしたから、頑張って声に出して訴えていたのだと思う。イオリは、私よりも深刻な状態なのだとハッキリと分かった。その後に保健室を飛び出した時は驚いて、先生の後を追って、私も様子を見に行った。屋上に続く階段で、イオリは立ち止まった。その背中は凄く冷えきっていて、フラフラと階段の手すりの方に身体を寄せていた。包帯の付いている腕の方の手をギュッと胸の辺りで握って、俯いていた。イオリはあの日、自殺を考えていたのだ。冷たい旧校舎なら、誰にも気付かれずに死ねると思っていたらしい。
隠れて見るのは良くないと分かっていた。だけど、イオリのことが気になったし、助けられるものなら助けたいという思いが残っていた。
『貴方にっ、先生に私の何がわかるの。今日、会ったばかりですよね。尚更止める意味ないでしょ。私が死んだって何も感じないっ。赤の他人なんだもん』
……赤の、他人。
そう、だよね。
みんな、赤の他人だもんね。
私は、イオリのことを何も知らない。どうして死にたいのかも、わからない。だけど、イオリの言葉は私の中に大きく刺さった。私も、周りのことをその程度だと感じ取っていたから。誰にもわかってもらえないって思っていたから。共感できる部分があったからこそ、胸が痛くなって、もう見てられなくなってしまった。複雑な気持ちが残ったまま保健室に戻ろうとした時、はなび先生はイオリに優しい言葉をかけたのだ。
『今までよく頑張ったんだね。偉いね』
先生の言葉に私は振り返った。イオリは、涙を流し、先生に抱き締められていた。……先生、凄いな。先生のこの行動に、私の心は動かされた。
先生の言葉でイオリも救われたのか、それからイオリも私と同じで保健室登校をしてくるようになったのだ。イオリは、保健室の中で朝から晩までカーテンを閉めて、ベットに篭もり、その頃からゲームばかりしていたように思う。それに対して、先生は何も言わなかった。
初めはイオリに声をかけてはいたものの、あまり心を許していないように見えて、挨拶程度になっていた。あの時は、気持ちの回復はしていたものの、まだ自分も人に対する警戒心が少し残っていたのだろう。それに、お母さんやあいなのことで過去に囚われていたところがあったから、イオリのことを考える余裕が無かった。
今は、適応教室でイオリと話す機会が増えて嬉しい。
未だにゲームをしてる事が多いけど、お母さんが作ってくれたお弁当を嬉しそうに食べていたり、あいなの話に付き合っている光景を見た。
……そう考えると、かなり成長したなぁとしみじみ思う。
はなび先生はほんっとうに凄い先生だ。
中三だった当時は唯一残されていた旧校舎を壊すという話になっていて、はなび先生が物凄く反対していた時期でもあった。先生は本当に何事にも私達のために頑張っていたように思う。のんびり屋だけど、芯は本当にしっかりしている気がする。
そんな先生に感謝の気持ちを込めて、今年も誕生日会を開く。お世話になった先生だもん。私も、はなび先生の誕生日をお祝いしたい。今年で最後だから、盛大なものにしたいな。
放課後。終礼と同時に、さようならの挨拶をした時、担任の先生が私を呼んだ。
「長谷さん。悪いんだけど、これ、埴生さんに渡しておいてくれない?」
担任は、授業で使ったプリントや、課題のプリントなどが纏まってあるクリアファイルを私に渡した。
「あいなにですね~。わかりました」
教室に来る頻度が減ったあいなの引き出しの中には、大量のプリントが散乱していた。あいな自身、整理整頓が苦手だから、かなり前のプリントまで入っていて、もうゴチャゴチャだ。時々気がついた時に掃除するようにはしているけど。
「最近は、一緒に登校してないの?」
「……先週は何度か行きましたけど~」
「前までは、朝だけとか昼だけでも授業受けられてたけどねぇ」
先生は、あいなの机を寂しげに見つめながら言った。
「学校自体は、来ているみたいだけど」
「多分今日もずっと保健室、ですよねー」
適応指導教室の存在を知っているのは、はなび先生と校長だけだ。あいなが教室にいない時は、いつも保健室にいると先生には伝えている。
「あのね。この前廊下で見たんだけど、最近ちょっと元気すぎる、というか。変、なのよ」
「あ。先生も思います?」
やっぱり、あいなの様子がおかしいのは、先生も分かっていたのだろう。はなび先生やイオリは特に何も言っていなかったけど。
「まぁ。あいなのことですし……楽しい、んじゃないんですかねー」
前の私なら、心配していたのかもしれないけど、何となく、あいなも好調な気がした。実際にイオリも明るくなったし、私も凄い元気だし……なら、あいなも、なんて。……よく、わからないけど。でも、はなび先生の誕生日サプライズ、めちゃくちゃ気合い入れてたし。だからなんとなく、大丈夫、な気がする。
「これからあいなのワクワクな心、探ってみます!」
そう言って、私は元気よく教室を出ていった。
体育祭も終わって、なんだか今は、気分が良い。あいなと沢山話がしたくなったし、会いたくなった。先生はあいなのことを心配していたけど……大丈夫大丈夫!ハイテンションなのはいつものこと、だしね。
きっと、今は適応教室にいるだろう。いつも通り、迎えに行こう。あ。イオリもいるかなー。今日はイオリとの出会いのことを思い出したから、イオリにも会いたいなぁ。今日もゲームしてるかな?今日のお母さんのお弁当は何が入っていたのかな?話の種が色々あるな……あ!もしかしたら今、はなび先生の誕生日の準備してるのかも。
時期的に本当は受験のことで色々考えなきゃいけないんだろうけど……今は、あんまり考えなくていいや。
私は今、心がどこか、ワクワクしている。
どうしてだろう。なんでだろう。
わからないけど、これからも大丈夫な気がしている。
目覚めが良くて、風が気持ちよく感じて、色々な人に囲まれて……ほんと、中学のあの頃とは全然違う。……私も変われたのかな。
でも、心地良いのはその一瞬だけだった。
旧校舎に向かって歩いていたら、前からあいなの姿が見えた。あいなは、走って私の所へ近づいているようだった。小さな体。馴染みのある髪型。遠くからでも誰だか直ぐにわかった。私は、ニッコリ笑顔であいなの方に手を振る。だけどあいなは私の傍を通ったものの、返事をスルーして、そのまま真っ直ぐ校門の方へ走って行った。リュックサックを背負って、少し下を向いていた。笑って、いたかまでは分からなかった。……いつもと様子が違う。いや、もしかしたら違う人だったのかもしれない。この学校は人数が多いし、あいなっぽい雰囲気の人は、いるにはいるだろうし。そう思っていたら……
「……あいなちゃん!」
後ろからはなび先生の必死そうな声がして、思わず振り返る。先生の焦る仕草で嫌な予感がした。
今のって……やっぱり。
「先生。今、あいなが凄い勢いで走って行ったけど」
「帰っちゃったか……」
先生は俯き加減でそう行った。明らかに、様子がおかしい。
「な、何かあったの?私、様子見てくるよ。今ならまだ間に……」
足があいなの方向に向かっていたところを、先生は止めた。
「やめといた方がいい。今は」
先生は、深刻な目をしていた。真っ直ぐに映る瞳は、私に離れようとしない。
「……先生、何かあったの」
「……」
先生は間を開けた後に、こう言った。
「簡単な問題じゃないの」
「え?」
先生の真っ直ぐな目付きを見たのは、イオリが自殺しようとしたあの日以来だった。なら、かなり深刻な話ってこと?一体、何が。
簡単な、問題じゃ、ない?……尚更気になるんだけど。
「……あっ。イオリちゃんの所へ行かないと……ごめんね瑠璃ちゃん。詳しくはまた……」
先生は、目を旧校舎の方へ向けて、焦りながらそっちに向かった。
「ちょっと、先生!」
私は、先生の後を追った。