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わたしを見つける物語  作者: なづなゆめか
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私が見つける物語

私が見つける物語 はなびストーリー


時が経つのは早いと、年が過ぎていくにつれ、感じることが増えた。学生時代の頃は、一日がとても長く感じたのに。今となっては、あの頃に経験した些細な出来事も、今となってはかすり傷に思う。

一生心にまとわりつくものなのではないかと、絶望の底にいた私は思っていたのかもしれない。

でも、今、子供だった私に伝えたい。

大丈夫だよって。

生きていたら、いつかどこかで必ず幸せが舞い降りてくるから。

楽しいことは長くは続かない。でもそれは、辛いことも同じだよ。辛くて、見えないトンネルも、光は必ず見えてくるから。

どちらも経験するからこそ、人間は変わっていける。新しい風が、吹く気がする。

そう思わせてくれたのはきっと、その風を吹かしてくれた様々なきっかけがあったからだと思う。

ここまで一人では、生きていけなかったから。


七月の蒸し暑いある日。私は初めてイオリちゃんのお母さんと面談することになった。イオリちゃん、と言うのは、私の大切な生徒の一人だ。家族とはあまり良好では無さそうだったけど、最近はお母さんの作ってくれたお弁当を、いつも美味しそうに頬張る姿を見ていた。お母さんと面談をする予定なんて無かったけど、イオリちゃんのお母さんの方から、いつもお世話になっている養護の先生と話したいと直接電話を掛けてくださったのだ。こんな機会は滅多にないからか、夜は中々寝付けなかったし、朝から心臓がドクンと緊張の音を立てていた。

養護の先生、なんて言われたら、ふと、あ、私って養護教諭かと我に返る時がある。保健室に居ることも多いけど、今の私には旧校舎の教室担当の方が絶対に合っている気がする。

ただ、適応指導教室なんていう堅苦しい名前はどうしても気に食わない。まぁ、旧校舎を壊してほしくないという私の我儘から始まったことだから仕方の無いことではあるけど。

予約時刻の丁度五分前に、ガチャッとドアが開いた。

「こんにちは。予約の一ノ瀬です」

イオリちゃんのお母さんが、保健室に入ってきた。私はいつもの笑みを浮かべ、パソコンの操作を止めて、その場で立ち上がった。

「どうぞ、お掛けください」

ふぅと軽く深呼吸をして、頑張ろうという気持ちを辛夷に託した。

「初めまして。養護教諭の泉はなびです。よろしくお願い致します」

何年か前に、あいなちゃんが作ってくれたはなびせんせいとドデカく書かれた名札を手に持って、その場でぺこりとお辞儀した。

自己紹介を終え、イオリちゃんのお母さんの前に座る。

さぁ。イオリちゃんの今の状況をお母さんにおはなししよう。気合いバッチリな状態で、口を開こうとしたら、向こうから衝撃的なことを言われたのだ。

「その柔らかい声、変わってないね」

イオリちゃんのお母さんが、急にそんなことを言い出すから、へ?と首を傾げて、様子を伺う。イオリちゃんのお母さんは、ふふっと笑って、私の事、覚えてない?と人差し指を自分の顔の辺りに向けた。

……?

イオリちゃんのお母さん、とは初めまして、な筈。なのに、なんだか懐かしい雰囲気がある……イオリちゃんに似ているから?

「あの……すみません。以前にもどこかで面談しましたっけ?」

「……やっぱり。覚えてないわよね」

私が目を丸くしていたら、イオリちゃんのお母さんは、カバンから一冊の本を取りだした。タイトルは、大きく折り鶴の軌跡と書かれてある。

「これ。愛子が書いたんだって」

「愛子さん、ですか?」

愛子、と言う人に心当たりがあった。……間中愛子?まなぴーのことだろうか。仲良くなってからはずっと、まなぴーと呼んでいたから、少し違和感がある。もし、その愛子があの愛子なら、まなぴーが書いた小説ってこと?

差し出された本の表紙に書いてある名前をジッと見つめた。作、と書かれてある部分には、確かにあいこと書かれてあった。

え、でも。

仮にもし、これがあの子だとしたら、なんでイオリちゃんのお母さんがまなぴーのことを知っているの?まなぴーってそんなに有名な作家さんに……?

まなぴーもみなみみたいに交友関係は広かったと思う。けど、私はあの二人ぐらいしか話せる相手がいなかった。まなぴーと私を繋いでくれた人って、みなみだけじゃない?

でも、みなみはもうこの世にはいない。

イオリちゃんのお母さんは、まなぴーも私のことも知っているの?

……頭を必死に回転させる。ゆっくりとゆっくりと探っていって……最終的に一人の人物が頭に浮かんだ。

「ほ、本田さん?」

そう言った瞬間に、イオリちゃんのお母さんの目が見開いて、正解と軽く笑みを浮かべた。

「えぇ!」

思わず声が上がった。

動揺が止まらない。

「ほ、本田さんって……本田沙織さんっ?」

確認の為にもう一度聞いたら、うんと落ち着いた声で頷いた。

……確かに、目元と髪型が変わっていない。昔からダランと後ろに縛っていたし、ちょっと細い目もそのまんまだった。

「ビックリしたよ。まさか、私の娘が泉さんにお世話になってもらっていたなんて」

「凄い偶然、ですね」

驚きすぎて、声が固まる。

そして暫く本田さんと笑いあっていた。あの頃は、かなり苦手意識があったのに……。何故だろう、凄く普通に話せてる。


「……それより、イオリ、上手くやれてるかしら?」

イオリちゃんのお母さんが本田さんだったことに動揺しすぎて、本題に入るのが遅くなってしまった。

私はすぐさま先生モードに入る。

「少しずつですけど、最近勉強を始めてて頑張ってる様子です。あと、友達と楽しそうに話してますよ」

「そう。なら、良かった」

本田さんは安心したように胸を撫で下ろした。一つ一つの素振りがやっぱりあの時の本田さんで、修学旅行の夜のことを思い出した。


「私、あの子に最低なことをしちゃった」

最低なこと。

どういうものなのかは分からない。けど、たったその一言だけなのに、ズシンと重く感じるし、刺さる言葉だった。

「何か、イオリから聞いてない?」

「……前はよく生きづらい、とは言ってましたけど」

「……やっぱり」

「でも、それは家の事だけじゃなかったと思います。彼女自身、かなり追い込まれていたので」

人に何かを伝える時、相手の顔色を伺ったり、様子を見ながら話すように意識はしてきた。それは生徒も上司も同僚も。もちろん保護者にも。

だけど、言葉選びに迷うことは未だにある。しっかり話さなきゃ伝わらない時だってあれば、逆に話しすぎて相手を困らせたり傷つけてしまうことも。

先生になってから、尚更そう思うようになった。

イオリちゃんの気持ちも、本田さんの気持ちも、できれば両方の気持ちに寄り添えるように、一つ一つ言葉を選んだ。

本田さんは俯き加減になりながらも、ゆっくりと話してくれた。

「どうしても、こうでありたいとかこうしなきゃとか親が突っ込んじゃいけないことばかりやってしまったのをずっと後悔してるんだよね」

だんだん本田さんの声が小さくなって、消えてしまいそうな声になった時、本田さんの目から涙が溢れていた。それを必死でハンカチで拭いながらも、話を続けた。

「娘の道を応援してあげるべきなのに、本当にこれでいいのかわからなくなって。でも、最終的に娘を追い詰めていたのは私だなって……」

聞くのも辛いこと。だけど、話すのは何倍も辛いこと。

「そ、そんなこと、ないと思いますよ」

「いや。私、母親失格だなって」

「……」

私にできることは、人の話を聞くこと。本当にそれだけだと思っている。

本田さんやイオリちゃんの辛い過去を変えることはできない。

本田さんは何も言わず、静かに涙を流していた。暫くしてから、ぼそっと呟いた。

「いずみさん、ごめんなさい」

「謝らないでください。私に謝る必要なんて……」

「……違うんです」

本田さんは私の言葉をさえぎった。

「……違う?」

「私、初めから人生失敗してて……」

ゴクッと唾を飲んで、本田さんの瞳を見つめる。今は、私が口を開くところではない。本田さんの気持ちとしっかり向き合おう。

「高校の時、私、泉さんの事がどうしても好きになれなかったの。泉さんは、常に南さんに助けてもらいながら生きてるんだなって……当時は憎んでいたのかもしれないけど。今となっては、羨ましかっただけなんだなって思った」

本田さんは重い話をゆっくりと話してくれた。

「気づけたのは、南さんお陰なの」

「みなみ?」

「そう」

そっか。そうだったのか……。本田さんもか……。自分だけじゃ、なかったんだ。

「夢だから、あんまり覚えてないけど。でも、ハッキリとこう言われた気がする。イオリちゃんと向き合って。その前に、一人で抱え込まないでって……だから、先生に相談しようって思ったの」

「そうだったんだ」

「今のイオリが、過去の私にそっくりなの。人に利用されやすいところも、リストカットも我武者羅に一人で戦ってるところも。見たくなくて、見るだけで苦しくて。……気がつけば娘は過去の自分だって思い込んで……そうならないようにしようって。余計に追い詰めていたことに気が付かずにね」

話すのに、とても勇気がいたことだと思う。本田さんは、沢山吐き出してくれた。

「言い難いことだったはずなのに、話してくれてありがとう」

本田さんはまた、大粒の涙を流していた。イオリちゃんの前では涙を堪えていたのだと思う。

きっと、大事な大事な娘だからこそ沢山の葛藤があったんだと思う。それでお互いが追い込まれちゃってたんだよね。

「本田さんは、イオリちゃんのことを思う優しいお母さんだよ」

「ほ、本当かな……」

「お弁当、いつも美味しそうに食べてる」

「……そっか」

「最近なんて、美味しいだけじゃなくて、今日、何入ってるかなとか、自分も作ってみようかなって話してくれるようになったし」

「……私の思い、届いてたのかな」

「絶対そうだよ」

大丈夫、大丈夫。私は、立ち上がって本田さんの背中を摩った。

「……泉さん……じゃなくて、はなび先生……本当に本当にありがとう。貴方が、先生でよかった」

「いえいえ。そう言って貰えて光栄です」

胸に手を当てて、心で誓った。イオリちゃんのこと、全力でサポートするからねって。

「また何かあったらいつでも連絡ください」

「……ありがとうございます」

本田さんの涙はまだ、止まっていないけど。思い切り泣くと、スッキリするから、今はそっと見守りたい。

本田さんと話している間に、もう放課後になっていた。生徒達の賑やかな声が学校中に響き渡る。

養護教諭の仕事も一段落付いたし、職員室でやらなきゃならない作業まで十分余裕がある。

……よし。今日も、あの三人に会いに行こう。

丁度良いタイミングだったから、旧校舎へ行く前に本田さんを校門まで送った。

本田さんの顔色は、来た時よりもかなり明るく、前向きになったように思う。それが少し、嬉しかった。

私たちは、お互いに距離感があった筈なのに、今日久しぶりに会ったってだけで前以上に距離が縮まったように思う。

校門に着くまで、私たちは、話をした。

「実は私、南さんと同じ病院に通院していたの」

「え?それどういうこと?」

「あの時、私も妊娠が決まっていて、そこで久しぶりに南さんに会ったの。どうして南さんが入院しているんだろうって思ってたら、病気だってことを教えてくれて」

「……なるほど」

本田さんがどうしてみなみのことを知っていたのか、不思議に思っていたけど、そういうことだったんだ……

……瑠璃ちゃんと、本田さんの娘……イオリちゃん。

本当の本当に偶然じゃなくて、必然、だったのかな。

「あ、そうそう。今度高校の同窓会があるんですって」

「そうなの?」

「泉さん行く?私は、まなぴーが行くって言ってたから行こうと思うんだけど」

「へぇ。久しぶりに会いたいな。小説の詳細も気になるし。まなぴー、今、どうしてるんだろう」

「実は私も会ってないんだよねー」

「え、そうなの?」

てっきり会ってるのかなって思ったんだけど。

「作家になれなかったけど文章は書いてるから読んでーって小説と一緒に手紙がよく送られてくるの」

先程見せてくれた小説を再びカバンから出してくれた。

「凄いしつこいから、毎度適当に返してるんだけど、それが嬉しいみたいでさぁ。娘さんいるのにそっちに夢中になってるのかもねー」

「む、むすめ!」

思わず大きな声が出た。まなぴーも、結婚してたんだ。

確か、みなみの病院へ行く時に引っ越すって言っていたような……あの時の彼氏さんと、なのかな。

そして、次の瞬間、本田さんは、衝撃的なことを口にしたのだった。

「確か、名前は……あいな?あいか?みたいな名前だった気がする」

「え?あいな?」

「えぇ」

私の頭の中に、ある人物が入ってきた。

……もしかして。

これは、必然?

何となくだけど、私の中でハッキリした気がする。

全ては、みなみによって計算されていた、と。

それを今から確かめる。

「娘さんっていくつ?」

「そこまで深くは知らないかな」

「そっか……なら、苗字は?」

「埴生」

ドクンと、心臓が大きくなった。

……埴生。

その苗字に見覚えがあった。

「どうかしたの?」

「ううん。なんでもないよ」

そうか。そういうことなのか!

……なんだか、凄く、嬉しくなった。

こんなにも繋がっていたんだね。


本田さんを送った後、私はあの子達に会いに旧校舎へ向かった。

イオリちゃんとあいなちゃんは、数日前まで色々あったけど……でも、昨日の朝、無事にお互いに話し合えたようだ。昨日のランチタイムの時と放課後にちょこっと様子を見に行ったら、少しだけぎこちなさそうだったけど、机をピタッと引っ付けて、お弁当を食べていた。だから、とりあえずは一安心だ。

旧校舎のドアを開けて、中に入る。旧と付いてるだけあってやっぱり古いけど。私が高校生の時は、ここで授業を受けていたと思うとやっぱり懐かしく感じた。

……ここを残してくれた校長先生には、本当に感謝だな。

一階の一番端っこの教室に、今日も彼女達は居るはずだ。今日は朝からバタバタしていてランチタイムは様子を見に行けなかった。……静かな廊下を歩く。時々、あいなちゃんの元気な声が聞こえてくるけど、今日はやけに静かだなぁ。まだ、イオリちゃんと上手く話せていないのかな?歩きながら少しだけ、心配になる。

適応指導教室と書かれた教室の前で止まった。いつもと違うと直ぐにわかった。ドアどころかカーテンも全体的に閉められており、中が完全に見えない。明らかにおかしい状態になっていた。

ここに二人共、ちゃんといるよね?

私は、おそるおそる教室の引き戸を開けた次の瞬間、バンッとクラクションのようなの音がなり、匂いが鼻についた。思わずキャッと悲鳴が上がる。

ど、どういうこと?私は、ゆっくりと目を開けた。目の前に、イオリちゃん、あいなちゃん、そして瑠璃ちゃん。三人がクラッカーを持って笑っていた。そして……

「はなびせんせーい!誕生日おめでとーうっ!」

と言いながら、クラッカーからバンッと音が鳴った。

「え!ありがとう!」

入った瞬間の音も、このクラッカーの音だったのだろうと分かった。

いや、今驚くのは、そこじゃない。……そうか。今日、私の誕生日だった……。忙しくて完全に忘れていた。祝ってくれたことが嬉しかった。

これまでも祝ってくれたからこそ、尚更だろうか。三回目のサプライズだった。黒板やカーテンにバルーンや折り紙で作ったであろう立体なお花など、今まで以上に飾り付けが凝っていてパワーアップしていた。

昨日の夜、遅くまでここで準備をしてくれていたみたい。

……温かいな。


三人からの誕生日プレゼントは、私への手紙だった。

誰かから手紙をもらったことなんて、滅多になかったから、嬉しい。しかも、大好きな生徒からの手紙なんて……。また今度読んでと言われたから、一息ついたらすぐに読もう。

「みんな、本当にありがとう」

一人ずつに感謝の気持ちを伝えたくなった。

まずは、あいなちゃんから。

私はあいなちゃんの方に視線を向けた。ふと、あいなちゃんの胸元の辺りに目がいった。見覚えのあるペンダントを付けていた。

……そっか。

ここでまた、分かってしまった。

みなみから瑠璃ちゃんに、瑠璃ちゃんから、あいなちゃんにいったんだね。

視線をあいなちゃんに戻した。

あいなちゃん。 

謝らなきゃいけないことがあります……

……貴方の笑顔に気づいてあげられなかった。本当にごめんね。あいなちゃんは、いつも私達を灯してくれていた。静かなこの場所が一瞬でパッと明るくなって、賑やかになるんだ。

でも、無理をしていたんだよね。……もっと早くに気がついていたらって、ずっとずっと後悔してた。

でも、瑠璃ちゃんがサポートしてくれたって知って、すごく安心したよ。だから、これからもあいなちゃんにとって、頼れる相手を見つけて、困ったことがあれば助けてもらうことを忘れないでね。もちろん、私にも頼ってほしいな。

まだまだ沢山見えないものがある。躓くことも壁と向き合わなきゃいけないこともある。けど、生き方は無限。沢山の可能性があるんだよ。だから、あいなちゃんはあいなちゃんらしく生きればいい。

夢や希望を、捨てたらダメだよ。

そう心で伝えた。

「あいなちゃん。これからも、楽しいことに沢山触れていこうね!」

「うんっ」

あいなちゃんが笑った瞬間に、ペンダントが私の方に向かって光ったように感じた。

次は、イオリちゃん。

私は、イオリちゃんの方に視線を向けた。イオリちゃんは、私があげたアレを大切そうに付けてくれていた。

あいなちゃんとの出来事があってから、イオリちゃんはまた、自分自身に傷を付けることが増えていた。カッターを片手に持って、苦しそうにしている姿が、見ていてとても辛かった。

ある日、イオリちゃんの心は爆発した。教室中が散乱して、カッターがイオリちゃんの心と体をどんどん苦しめていた。

それを無理に止めようとは思わなかった。本人が苦しんでいるのに、カッターを取り上げることは絶対にしていけないと思った。

でも、このままじゃ、もっとイオリちゃんが追い込まれてしまう……

そこで私は、イオリちゃんの凍りついた体を解してあげたいという決断に至った。

みなみにギュッてされた時のこと、手を握ってくれた時、苦しみが一瞬で無くなって、落ち着いたのだ。もしかしたら、という気持ちで私は、ギュッとイオリちゃんを抱きしめた。

すると、イオリちゃんの手が力が入らなくなったのか、その衝動でカッターが床に落ちて、涙を流した。

『先生、私、どうしたら、人と上手く話せる?どうしたら周りに迷惑をかけずに済むの?どうしたら、幸せになれるの?どうしたら……強くなれるの?』

イオリちゃんは私にたくさんのどうしたらを聞いてきた。震えた声は、今にも消えてしまいそうで、体もギュッと小さくなっていた。腕も、傷だらけだった。

『……私、あいなに酷いこと沢山言っちゃった。あいなのこと、何も知らないのに』

イオリちゃんは私から離れて、地面に落ちていたカッターをゆっくりと拾い上げた。

『自分をもっと痛めつけないと。罪を償うために』

カッターの刃先は、彼女の方を向いていた。

……相当、辛い思いをしたのだということがわかった。

かつて私にも見えなかったトンネルがあったということを思い出した。

どうすればいいのか、わからなかった。

だからこそ、気持ちが分かった。辛さは全然違うかもしれないけど。

……イオリちゃんを、サポートしたい、と思ったから。

『ゆっくりでいいんだよ』

私は、素直な気持ちを伝えた。

『生きてるだけで、偉いよ。だから無理に頑張らなくていいの。戦わなくていい。辛くなったら爆発しちゃう前においで』

……大丈夫、大丈夫。

そう心に言い聞かせながら、私はイオリちゃんに近づいた。

『イオリちゃんは、沢山の人に傷をつけられたよね。だから、今度は自分があいなちゃんを傷つけたと思って、苦しんでいるの?』

そう言うと、イオリちゃんはコクっと小さく頷いた。

『……だったら罪を償う必要は無いよ』

『え?』

イオリちゃんは、カッターの握っている腕をそっと下に下ろした。

『人を傷つけてしまったって……自分でそれと向き合えているじゃない。世の中にはね、人を傷つけたことさえも気づいていない人がたっくさんいるんだよ』

『……そう、なの?』

『うん。みんな、自分のことに精一杯なの。だから、気づけているだけでも偉いんだよ』

『……』

イオリちゃんは黙って私を見ていた。指でカチカチと刃を中へと戻しているのが見えた。

『イオリちゃんは、沢山傷つけられてきたからこそ、余計に自分もやっちゃったって思ったのかな』

イオリちゃんは、俯き加減にうんと呟いた。

『こうやって、カッターで自分を傷つけるのは、私の中では、イオリちゃんの心をもっと痛くしているだけに見えてしまうけど……イオリちゃんが楽になるなら、気が済むまで切っていいよ。私はイオリちゃんの身体を離さないから』

そう言って、イオリちゃんの背中を優しく擦りながらゆっくりと向き合った。イオリちゃんのカッターが地面へと静かに落ちた。私の言葉が届いたようだ。そして、涙声で口を開いた。

『……私、あいなに謝りたい。けど、大丈夫かな』

私は、静かに頷いた。

『自分の気持ちをあいなちゃんに伝えればいいのよ』

『……できるかな』

『大丈夫。きっと、本人もイオリちゃんに対して思うことがある筈だから』

先生が隣で付いているからね。そう言って、イオリちゃんに手を差し伸べた。イオリちゃんは戸惑った様子で手を近くまで持ってきたけど、直前でまた引いた。

『……私、今まで先生に頼りすぎてた。できれば一人で前に進んで行きたいの。だから、あいなと話す時も、私一人で頑張りたい』

それを聞いた瞬間に、イオリちゃんの成長が感じられて、驚きと同時にとても嬉しかった。

だけど、イオリちゃんの表情は強ばったままだった。

だから私は、イオリちゃんに魔法をかけた。

幸せになれる魔法、そして、イオリちゃんのことを守ってくれる魔法。

それをイオリちゃんにプレゼントしたのだ。

『これはね、先生がずーっと大切にしていたものなのよ。私の魔法の期限が切れちゃったからプレゼントするね』

『……綺麗』

『でしょ。これを持っていたらね、イオリちゃんは無敵だよ』

『……無敵?』

『いいことがたっくさん舞い降りてくるから』

イオリちゃんは不思議そうに数秒眺めていた。そして、それを優しく握ってありがとうと呟いた。

『魔法に期限なんてあるんだね』

『そうだよ~』

『ふーん。はなび先生って幼いところあるよね』

『どういうところが?』

『そういうところが』

……そういう、ところ?

よく分からなくて、首を傾げていたら、イオリちゃんが鼻で笑った。

『先生ってずっとそんな感じなの?』

『どうだろうねー』

『先生、もっとしっかりしてよ』

『はいはーい』

さっきまで涙を流していたイオリちゃんが、少しずつ柔らかくなっていた。やっぱりアレは凄いパワーを秘めていたのかもしれない。


そのアレを、今日も付けてくれていた。さっき、瑠璃ちゃんに話を聞いたら、イオリちゃんは、あいなちゃんに素直な気持ちを伝えられていたみたいだ。

……本当に成長したね。イオリちゃんは、一人で頑張るって話してくれたけど、これからも困ったら私を頼ってもいいからね。

それに、イオリちゃんのお母さん……沙織さんも、イオリちゃんの味方だよ。

辛いことや苦しいことは、一緒に乗り越えていこうね。そう、心の中で伝えた。そして私は、イオリちゃんを真っ直ぐに見つめた。

「イオリちゃん。ありがとう」

「う、うん」

イオリちゃんは恥ずかしいのか頬がほんのり赤くなった。でも、イオリちゃんの笑顔が見られて良かった。

最後は……瑠璃ちゃん。私は、瑠璃ちゃんに視線を向けた。

瑠璃ちゃんは、みなみそのものだった。

瑠璃ちゃんとの大きなきっかけは、保健室。体育の授業で倒れて担架に乗せられて保健室に入ってきて驚いたけど。あの日を私は、ずっと待っていた。あの時の瑠璃ちゃんは顔色が悪くて、とても疲れ果てている様子だった。あの時の私は、いずみのことを思い出していた。

……

目が覚めた時、瑠璃ちゃんは必死で教室を出ようとしていた。

困ったし、焦った。だから咄嗟に止めた。

『なんでよ!』

瑠璃ちゃんは、そう強く発した。言い方がキツかったと気がついたのか、直ぐにごめんなさいと小さな声で言った。そして、その場で頭を抱えた。先生。私、これからどうなっちゃうの。瑠璃ちゃんの気持ちを私は優しく受け止めた。

『先生は、私の何を知っているの?私の……何も知らないでしょ』

『知ってるよ』

分かるよ。それが、分かっちゃうんだよ。

瑠璃ちゃんは、みんなの事を支える、ヒーローで、貴方のお母さんみたいに、とっても魅力的な人なんだよ。

何事にも一生懸命だからこそ、疲れちゃったよね。

いずみはこの世にはもういないけど。でも、お母さんは、瑠璃ちゃんのことを見てくれているよ。

その時は、サッと教室へ戻ってしまったけど、数日後から保健室登校を始めた。

私はあの日から、瑠璃ちゃんのことを助けようと思った。瑠璃ちゃんとは、血が繋がっていないけど、第二のお母さんになりたいって思った。


そんな瑠璃ちゃんのことは、ずっと不安だし、心配も多い。いつかまた、心が壊れちゃうんじゃないかと不安に駆られてしまう。

だけど、私は、瑠璃ちゃんのことを信じて見守っている。

瑠璃ちゃんはみなみと同じで、誰かを支えることを誇りに思っている。辛いことを上手く乗り越えながら、あいなちゃんやイオリちゃんを助けている。

瑠璃ちゃんは本当に強い子だ。自分自身のことを上手くコントロールして、向き合っている。

私は、瑠璃ちゃんをそっと少し遠くから見つめてみようって思った。

ポニーテールの後ろ姿を見ると、毎度みなみのことを思い出す。

瑠璃ちゃん。

瑠璃ちゃんは、お母さんと話したことがないかもしれないけど。瑠璃ちゃんにお母さんが見えなくても、心の中にはいるからね。

絶対に、瑠璃ちゃんのことを見守ってくれているからね。

……みなみも、喜んでいるよ。

「瑠璃ちゃん」

私は、瑠璃ちゃんをじっと見つめた。

「出会ってくれてありがとう」

そう言うと、瑠璃ちゃんは目を見開いて笑みを浮かべた。

「えーせんせーい。私とは出会いたくなかったの?」

「そうだよ。瑠璃だけにそう言って……」

あいなちゃんとイオリちゃんがムッとした顔で私のことを見ていた。ごめんごめんと謝って、私は静かに三人をギュッと抱きしめた。

……みんな、ありがとう。

思わず涙が出そうになった。

今日は凄くいい日だった。


みなみのかけてくれた魔法は、本当にまだ終わっていなかったんだね。

誕生日パーティが終わり、三人を見送った後、旧校舎の屋上へ上がった。そこに移る世界は、特別綺麗でも汚い訳でもない。けど。

何も変わっていないことに、安心感がある。

立ち止まって、屋上の周りを眺める。胸に手を当て、ゆっくり目をつぶった。

ひとりぼっちから始まった。その後、ここで自殺を図ろうとした。ここで、彼女と出会った。彼女とここで会話を交わして、沢山笑いあって、約束をした。気がつけばこの場所は、私にとって大切な場所になっていた。

……あの時にくれたペンダントは、もう私の傍にはないけれど。また、人に力を与えられたよ。


ねぇ。みなみ。

みなみのことは見えなくても、私の心の中には生きていて、ずっとずっとヒーローだよ。

……みなみのお陰で、私は、私自身を見つけられた。

私を、見つけてくれてありがとう。

今度は私が、困っている誰かを見つけられたらいいな。

目線を前に向けたら、目の前に、儚い表情で微笑むみなみが見えた気がした。直ぐに強い風が吹き荒んで、目を閉じたから、次に目を開けた時には見えなくなっていた。

でもその風は私の背中を押してくれたような気がした。

”泉はなび、頑張って”って、心の中でそう聞こえたような気がしたから、”ありがとう、南真月”って、心の中で、呟いた。


……私は、みなみに出会ってから、変われたと思う

……みなみが居なかったら、私は……

……みなみは、私にとって本当に大切な存在だ

……これからもずっと、その思いが変わることはない


[完]

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