見えない光を灯す火花……いずみストーリー
見えない光を灯す火花……いずみストーリー
ある日の昼間。リビングのソファーでボーッとしていたら、プルルルルルと電話から呼出音が鳴り響いた。私は、静かに受話器を取った。
「もしもし。はい、私ですが?え?採用……ですか?」
夢を見ているのかもしれないと、左手で自分の頬をギューッと引っ張ってみた。……ジリジリと痛みを感じる。
試験に落ちて、もう、教師は諦めて他の場所をと思っていた時に。
なんと、不採用だった学校から採用連絡が来たのだ。驚きすぎて、一瞬聞き間違えたのではないかと思った。
「え?本当に私、内定を……」
「はい。これから宜しくお願い致します」
嬉しすぎて涙が出そうだ。奇跡、かもしれない。いや、奇跡だと思う。努力が本当に報われたんだ……!
だけど同時に、急な採用連絡で疑問が沸いた。私以外にも不採用の人は沢山いた筈。仮に一人の内定が取り消しになっても、代わりに私がというならば、どうして私になったのかが気になるところ。
私は、その事実を聞いてみることにした。すると、担当者から衝撃的な言葉が出てきたのだ。
「実は……同じ時期に受けた南さんが内定を取り消ししたんです」
「えっ!」
みなみって、あのみなみ?みなみも、ここの学校の試験を受けていたってこと?
私が驚いたから、担当者の方はやっぱりと知っていたかのように言った。
「お友達みたいですね。その方に言われたんですよ。私の代わりに泉さんを採用してください、と」
「そ、そうだったのですか」
「はい。ですが、流石に南さんの要望だけでは決められないことでしたので不採用の方のトータルで見たんです。そうしたら、丁度泉さんだったので、南さんの枠に入ったということで」
「……」
みなみは、わたしがここを希望していたことを知っていたの?それとも、たまたまだったの?
疑問が増すばかりで頭が混乱している中、担当者の方は話を続けた。
「南さん、試験も殆ど満点で面接時も明るくて、ハキハキしていた方だったので取り消しと聞いてこちらも驚きました」
不採用になって、尚且つみなみともあんな風な終わり方になってもういいやってなっていた所だったのに。
みなみ、どうして?採用されたんでしょ?どうして取り消して私なの?不採用な私が可哀想だから、代わりに私が取り消すからその枠でやりなよっていう優しさ?意味がわからない。
怒りは、全くない。ただ、動揺しているし、何処か不気味で怖い。
担当者は、知っているかもしれない。……南が、内定を取り消ししたことを。
彼氏とかバイトとか流石にそんな理由じゃないことなんて、分かってる。きっと、何かがあったんだ。訳を知っている筈。
……よし。
「あの……」
ゴクリと唾を飲み込み、私は話し始めた。
「南さんは内定を取り消した理由を、言える範囲でいいので知りたいのですが……」
私がそう言うと、担当者さんは、あぁと低めのトーンで呟いた後に、話してくださった。
だけど、意味のわからない内容で、上手く頭の中に入りきらなかった。本当に、みなみなんですか?って、担当者さんに言いそうになった。けど、それは全てあの、みなみのことだった。嘘だ嘘だと頭の中で自分自身が叫んでいた。
電話を終え、受話器をゆっくりと置く。
私が今、やらなくちゃいけないことを考えた。……答えは、一つだけだった。そして、我武者羅になって、私は、外を出た。走って、走って、走りまくった。瞳には大粒の涙が止まらない。ただ、みなみに早く会いたくてたまらない。不穏な音を立てる心臓。不安定な天気。
私は、ある場所へ向かったのだった。
担当者さんに言われた言葉は、重たくて信じられない内容だった。
『元々持病持ちだったようで……身体が不安定な中で試験を受けたようです。ですが、無理をしたせいで更に悪化したようで……入院することになった為、今回の内定を取り消して欲しいと、南さんから連絡が……』
『そ、それって今も入院している、ということですか?』
『はい』
『あの。入院している場所ってわかりますか?』
『そこまでは……すみません』
『そうですよね。ありがとうございます』
電話越しでは、平静を装っていたけど、本当は動揺で頭の中がパニックになっていた。
走りながら、私は、思った。
ねぇ、みなみ。
聞いてないよ?
病気が悪化したなんて。知らなかったよ?
どうして、言ってくれなかったの?
みなみの明るさに、みなみの魅力に、みなみの姿に、私は、魅了されていた。
病気だってことを、忘れさせられるぐらいに。
初めて自殺しようとした、そして、初めてみなみに出会って救われたあの日の出来事を、私は思い出した。
『悔しくても私にも弱いところはある』
『私が言いたかったのは、生きて。それだけ。生きてくれればいいの』
あの時は、本当に、分からなかった。
どうして私を止めたのか。
困っている人を放っておけなかったのかもしれない。
でも、そうなる理由が、やっと分かった。
みなみは……死ぬまでに、何かをやり切りたかったんだ。
だから、あれだけ、みんなに尽くしてたんだね。……私にも。
我武者羅に走っても、彼女の居場所なんて分からない。
だから私は、高校時代の唯一の友人に救いを求めた。
インターホンを鳴らしたら、直ぐにドアが開いて、彼女は現れた。私を見て目をパァっと見開き、手を振ってきた。
「いずちゃんおひっさしぶりじゃん」
明るい口調で話す歯の所は、高校時代とは変わらず元気の良い様子だった。
「まなぴー、聞きたいことがあるの」
私の真剣な顔付きで察したのか、聞いちゃったんだねとボソリと呟いた。
「まなぴーも、知ってたんだ」
「うん。いずみには言うなってヒーローから……そっか。そうだったんだね」
「でも、私、まだみなみに会えていないの。病院の場所分かる?会わせてくれない?」
「……分かった。私も、様子見に行こうかな。……でも」
まなぴーは、何かを言いたそうにしていたけど、その後すぐにううん!なんでもない!と明るく返事をした。
「じゃあ。一緒に行こうか」
私達は、二人でみなみのいる場所へ向かった。
今の私はとにかくみなみに会いたいという気持ちだけだった。気持ちの整理は付いていないけど、そんなのみなみに会ってからでいい。
眩しい晴れやかな太陽の光。昼間の騒がしい道のり。心地よい風。清々しい景色の筈なのに、私の心は不安でいっぱいだ。
私が何も話さないでいるから、まなぴーがあ、あのさ!と少し気まづそうな様子で話しかけてくれた。
まなぴーは相変わらず、周りの顔色を伺う子だった。
「実は、みなみが病気のこと、私もついこの間知ったんだよね。ほんちゃんから急に電話がかかってきたの」
ほんちゃん……
「……それって本田さんのこと?」
「そう」
「なんで本田さんが知ってるの?」
「その辺のことはよく分からないけど。で、ビックリして、そこからお見舞いに行き始めたの。ちょうど今、引越しの準備で忙しくって中々行ける日が少ないんだけど」
「ひ、引越し?」
「あ、うん。……細かくは言えないんだけど……彼氏と同居することになったの」
「そ、そうなんだ」
色々な情報が頭の中に入っていて、どこから突っ込めばいいのかがわからなくなった。
暫く黙っていたら、いずちゃんさぁーと隣でまなぴーが口を開けた。
「凄く魅力的な女性になったよね」
「そ、そうかな?」頬が少しだけ赤くなった。
「うん。目に見えてわかるよ」
「そういうもの、なのかな」
確かに、みなみと出会ってからの私は、生き生きとまではいかないかもしれないけど、少し生きるのが楽しくなっていた。それは、私が思ってただけじゃなくて、周りからもそれが分かるんだ。……人の目に見えるくらい変われたってことは、凄い事なのかな。
「ありがとう」
純粋に嬉しかった。
電車を乗り継いで、見知らぬ駅で降りた先には、とても大きな病院があった。
「こっちだよ」
まなぴーの後ろに付いて、病院の中へ入った。エレベーターで七階まで上がり、みなみの病室を探す。
早く、会いたい。
自然と足が早くなる。みなみに、久しぶりに会える。
「あった!」
病室のプレートに、南という名前を見つけ、すぐさま部屋の中に入ろうとした時だ。
「どうして!」
急に病室の方から、悲鳴が上がった。私は、立ち止まる。
「どうして……私の望みなのよ?死ぬ直前にくらい叶えたっていいでしょ?」
息苦しそうな声は、病室の外からも響いていた。誰の声なのかは、すぐに分かった。でも……
「結局私は……死ぬんだから」
みなみだなんて、信じられない。
「死んだら、お金になるんでしょ」
苦しいし、信じたくない。
だって、みなみの悲鳴なんて、今まで聞いたことが無かったんだもん。久しぶりに話したかった。久しぶりに会えると思っていた。けど、もう……
みなみは、誰かに自分の気持ちを叫んでいるようだった。彼女は私の思っていた以上に深刻な状況になっていたのだ。
それを何も知らなかった私が、情けなくなる。……みなみは、私の異変に気がついてくれたのに。私は、気がつくことが出来なかったよ。
……ごめんね。そんな私が、みなみに会う資格なんて……
「やめなさい」
次に聞こえてきたのは、落ち着いていて、とても芯のある声だった。みなみのお母さんだということが直ぐにわかった。お母さんに、気持ちを吐き出していたのか……だけど、お母さんの言葉をみなみは遮った。
「みんな、私が死んでいくのが辛いって言うけどさ、私が骨になるだけだよ。姿が見えなくなるだけなんだよ?たったそれだけのことじゃんかっ」
……それだけ?そんなこと、ないよ。そんな、そんな風に……言わないで。
口に出せない思いが、頭の中では溢れていた。私の隣に並んでいるまなぴーは、私の方を見て心配そうな顔をしていた。
みなみのこの状況を見るのは、しんどいけど、目を逸らしたくない気持ちの方が強い。
「みんな大袈裟すぎるのよ。辛いのは……私なのに」
だんだん、みなみの声が小さくなっていく。だけど、みなみの心の叫びは変わらなかった。
「そうやって、悲しまないでよっ!お母さんの馬鹿!死ねないじゃんか」
「……ごめん。ごめんね……」
みなみのお母さんの声がだんだん聞こえなくなった。聞こえるのは鼻息だけ。きっと、涙を流しているのだろう。
どうして私はこんな所で立ち止まっているのだろう。何も出来ない自分に嫌気がさした。
「厳しそうだね」
いつものトーンでまなぴーはそう呟いた。その声は、空元気にも聞こえた。
……この状況だと、みなみが話しずらいかもしれない。私には言えていないのなら尚更だ。
「そうだね」
私達がみなみの病室から離れようとしたその時だ。
「泉さん、ですよね?」
聞き覚えのない男性の声に振り返る。
「あ!龍介くん」
まなぴーはそう言って、男性に手を振った。……誰?男性は私たちの方に近づいてくる。私が首を傾げているとまなぴーが、
「この人、ヒーローの彼氏」
と言いながら男性のことを紹介してくれた。彼氏と聞いてハッとする。この方が、みなみの彼氏……男性はその場でぺこりとお辞儀をした。
青のシャツに黒のジーンズ。高身長で、体型は標準くらい。優しそうな目をしていた。
「初めまして。俺、彼氏の龍介です」
「は、初めまして。えっと……いずみです」
私は、ペコりとその場で頭を下げた。
「彼女に会われました?」
「……いえ」
そして、まなぴーがさっきの状況を龍介さんに話した。龍介さんは……あぁーなるほどと不安げな表情で言った。
「……最近は、体調よりも精神的に落ち込むことが増えましたからね」
「そ、そうだったんですか」
「……いずみさんに話したいことがあるのですが、少し時間言いですか?」
「私は、大丈夫……ですけど」
私は、まなぴーの顔を見た。まなぴーはコクッと頷いて、じゃあ私は、ヒーローのお母さんと話すことあるからと言って、私の肩をポンと叩いた後に病室へ入っていった。
私は、龍介さんの後ろに着いて行った。病院内にあるフードコートのような場所に入り、テーブルを見つけてそこに座る。なにか飲みますか?と聞かれたけど、そんな気分ではなかったから断った。
龍介さんは、両手に紙コップを持って、私の前に置いてくれた。中には温かいお茶が入っていた。小さな湯気がフワリと立っている。
「……あの。今のみなみがどういう感じなのか、詳しく教えて貰えないでしょうか?」
座って早々、私は龍介さんに聞いた。もう、訳の分からない状況下で、のんびりとお茶を飲む余裕なんてない。
今日見た姿は、いつものみなみじゃなかった。
彼氏である龍介さんと長く一緒に居たと考えると、みなみのことを一番知っているはずだ。
龍介さんは少し眉を潜めながらも、モゴモゴと口を動かした。
「何処から話すのが良いのか……病気からですか。それとも赤ちゃんのことですか」
「あ、赤ちゃん?」
思わず、二度聞いた。混乱しすぎて聞き間違えたのか?
「す、すみません。聞き間違えたようで……」
「いえ」
真剣な目付きをする龍介さんを見て、私は、更に頭が混乱する。
「え?み、みなみは、に、妊娠、しているのですか」
「……はい」
躊躇いながらも、その返答はハッキリしていた。
「嘘」
暫く、ずっと口が開いたままだった。
「あの階、産婦人科で。来月に出産予定なんですよ」
平然と話す龍介さん。だけど、私の心は全然平然じゃない。
「ちょちょちょちょっと待ってください。追いつきません」
思わず、手が動く。龍介さんは俯き加減でこう呟いた。
「……彼女の、夢の一つなんです」
「……夢?」
「生まれてから、病気が発覚して、余命宣告をされていたのですよ」
……生まれて、から?
じゃあ、みなみは、生まれた直後から、死と隣合わせだったってこと?
龍介さんは話を続けた。
自分は、長く生きられないんだ。なら、生きている間に、目いっぱい楽しんで、人の役に立てることをしたい。自分の生きる道が閉じてしまう前に、後悔しないようにとにかく動き回ろう。小学生の頃の夢は、カッコイイヒーローになること。女らしさを捨てて、誰かを助けられるような人になりたい。最初は、家族やクラスメートから、お遊びだと言われていた夢だったみたいだ。でも、気がつけば、周りからは注目を浴びるようになっていたらしい。
毎日が楽しくて、ワクワクして、みんなに囲まれて、みなみの小、中学時代は凄く楽しい思い出になった。
だけど、生きることの楽しさを知ると同時に迫り来る自分の死。
死んだら、大好きな家族も、クラスメートにも会えなくなる。という恐怖に陥っていたという。
「だから、友達は作っても、親しい友達は作らないと心に決めていたらしいです」
特別な存在を作ってしまうと、死ぬ時に辛いから。
「だけど、高校生になって、そんな存在ができてしまったと話していました。……それが」
「私、ですよね」
龍介さんは静かに頷いて、話を続けた。
私と出会ってからのみなみは、私のことが無性に気になっていたらしい。当時のみなみも、自分自身のことで悩んでいたようだ。一人になりたくて、ふと、屋上へ上がった時に、たまたま私の姿を見つけて、自殺を止めたんだとか。
自分は病気で苦しんでいるのに対して、カウントダウンのない人が、自ら死を決断する姿に思わず見ていられなくなって、私の腕を必死に掴んだのだそう。
それからも、私のことをずっと気になっていたようだ。自分にとっては他人だし、他の友達も沢山いたのに。
「きっと、彼女の中に感じるものがあったのかもしれませんね。気がつけば屋上へ足を運ぶようになっていたと話していました」
「あの時、どうして屋上に来たのかを聞いたら凄く迷っていました。どうしてなんだろうって。でも、その後に躊躇いながら『死にたくなったから』と言ってたんです」
「多分その気持ちも、あったと思います」
あの時、死と隣合わせだった私を、救ってくれたのはみなみだった。でも、みなみも、私と同じで死と隣り合わせだった。
苦しんで苦しんで、これから先も苦しむかもしれないなら、もう死んだ方が楽だと思っていた私。
今の人生を楽しめば楽しむほど、その後には失ってしまうならと早く死にたかったみなみ。私よりも死と向き合っているからこそ、何倍も怖いのだと思う。
苦しみは違っても、苦しいこと自体はお互いに変わらなかったんだろうな。
「病院へ通院する日が増えてからは、もう死んじゃうんだなって感じてたと寂しそうに話していました」
「それはいつ頃ですか?」
「大学受験の辺りかららしいです。それまでは元気だったのに、体調を崩すことが増えたらしく……急に学校を休んだり早退して、ここの病院に」
あの時、彼女は、学校を休んでまで塾へ行っていたと思っていたけど……あれは嘘だったんだ。病院へ行っていたんだね。本当に何も知らなかったよ。
「だから今、やれることは全部やりたいんだと、会う度にいつも言っています。今は、自分の病気のことよりも、精神的に苦しんでいる感じです……」
持病を持っているだけでも相当しんどいだろう。でも、それ以前に自分の病気も抱えながら生きている。
余命宣告をされていたなら尚更だろうな。今だってそれが消えたわけじゃない。一時の回復ってだけかもしれないし。
「……」
心の中で様々な感情が溢れている。色々なことを発したくなる。でも、思っていても上手く口で言うことが出来ない。
……そりゃあそうだ。私は、みなみのことを何にもわかってなかったんだから。
私は一度、みなみのことを悪く思ったことだってある。羨ましいと思ったことも、見捨てられたって勝手に裏切られたと感じていたことも。そんな私が、みなみの気持ちを分かっていたといても、本人には響かないだろう。だって、本人にしか分からない辛さなのだから。
辛そうだなとか、しんどいんだねって言葉では簡単に発せられても、みなみからしたら他人事だもんね。
龍介さんは、みなみのことをとても深く教えてくれた。ずっと一緒にいたのに、知らない事ばかりだったな。
「……私は、みなみに合わせる顔がありません。みなみに会いたい気持ちはあるけど……」
「いや、でも、喜ぶと思いますよ」
「本当ですか」
「はい。彼女は、いずみのことが大切だから秘密にしていてほしいと言っていましたが、正直、後悔すると思っていたんです。だから、今日いずみさんに会えて良かった」
龍介さんは落ち着いた表情でそう言ったけど、私の中にはまだ、不安な気持ちが残っていた。
……でも。
龍介さんに貰ったお茶を飲んでいる最中に、ふと、龍介さんを見ると、少しだけ頬が真っ赤になっていた。
「じ、実は……」
モジモジと言葉を詰まらせる龍介さんに、私は、首を傾げた。
「今度、本格的にプロポーズするんです」
「そうなんですね」
自然と表情が柔らかくなった。
「俺の両親は結婚に賛成してくれたんですけど、彼女の両親は、許してはくれなかったんですよ。むしろ妊娠も大反対だったんです」
龍介さんの言葉に、一つ一つ相槌を打つ。
「反対した理由は、俺と生まれてくる子が取り残されることになるからって。彼女の両親の気持ちは物凄く分かりますよ。自分の娘は長くは生きられないかもしれないって知っていたら、結婚相手である俺が大変だってことを」
……確かに、と心で思った。
長くは生きられないと初めから知っているのに、家族を作ったら、残された側の辛さは思っている以上に大きいものだ。
それに、生まれてきた子供も、お母さんという存在が居ないことに辛さを抱えてしまうかもしれない。
「でも俺、余命宣告されていようがなんだろうが、彼女の夢を叶えてやりたいって思いました」
「……夢」
みなみにとって、結婚が、子供を産むことが、一つの夢、だったんだね。
「人が死ぬのは病気とか余命宣告だとかそれだけじゃないじゃないですか。もしかしたら明日俺が事故で死ぬかもしれないし、誰かに殺されるかもしれない」
龍介さんは私の瞳をじっと見つめて、大切そうに一つ一つの言葉をハッキリと伝えてくれた。
「人間は生きてることが当たり前なんかじゃないんですよ。誰だって奇跡なんです」
「……奇跡」
龍介さんの言葉が、胸の奥でギュッと響く。
「彼女の場合、そうやって余命宣告をされているので、確かに長く生きる可能性は少ないと決まってます。でも、だからと言って結婚することや子供を産むことはいけないことでしょうか?」
「……そんなこと、ないですよね」
「だから、彼女の両親に言ったんです。俺は彼女も生まれてくる子供も必ず幸せにするって。彼女は今日までずっと希望を持って生きてきました。病気と戦いながらも、生きることを存分に楽しんでいました。子供を産むことの罪悪感は彼女が一番分かっています。だからこそ、彼女を信じたい」
ハッキリとした思いが、私の心の奥に刺さった。
同時に、私の思いも固まった。
私もずっと、みなみに会いたかった。このまま止まってなんていられない。
「あの」
辛夷をギュッと握りしめる。私の、今の、気持ちは……
「私も、みなみの力になりたいです」
ブレブレだった自分の気持ち。だけど、今、ここで、真っ直ぐに、自分の気持ちを言うことが出来た。龍介さんは静かに頷いてくれた。
「一つ、気になったのですが」
一通り話が終わり、席を立とうとした時、私は思っていたことを口に出した。
「龍介さんはどうして私がいずみだと分かったのですか?名前はともかく、顔を見たのは今回が初めてですよね?」
みなみは友達が多い。龍介さんの話を聞いたところ、これまでにみなみの友達が沢山お見舞いに来ていたみたいだ。それなのに、私のことは凄く大事に思ってくれていたらしく、名前ならまだしも顔まで分かったのが単純にすごいと思った。
そう言うと、龍介さんは何も言わずに、ポケットからあるものを取りだした。
それは……見覚えのあるものだった。
「写真……!」
高校の卒業式の写真だった。……どうして龍介さんが持っているのだろう。
「これを彼女が凄く大切にしていた写真なんです。付き合い始めた直ぐに、見せてくれたんですよ。この子が私の親友のいずみだって、楽しそうに教えてくれました。この写真をノートやらクリアファイルやらに挟んで持ち歩いていたみたいです。お守りのように」
……そっか。
みなみ、私との思い出をちゃんと大切にしてくれていたんだね。
私の心が少しだけ暖かくなった。だけど、龍介さんの表情は徐々に曇り始めていく。
「……でも、病気が悪化してから、彼女はこの写真を俺に渡したんです。楽しかった思い出を見るのが辛いって……」
「……」
「それで、泉さんの顔をよく覚えていたんです。いつ来るのかとずっと待っていました」
色々な感情でいっぱいな今、上手く言葉が出てこない。でも、ありがとうございますというシンプルな言葉が口から出た。
「いえいえ、お礼を言うのは俺の方です。実はこの写真、結構気に入っているんですよね。それからは俺がほぼ毎日持ち歩いています。いつか、この時のような明るい彼女を取り戻したいと思いながら」
龍介さんは、本当にみなみのことを大切に思っている。私は龍介さんの言葉に心を沢山動かされた。
改めて卒業式の写真に視線を向けた。みなみは、向日葵みたいに眩しい笑みで私達を包み込んでいるようだった。
次の日。私は、まなぴーと一緒に再び病院へ訪れた。
エスカレーターに乗り、南と書かれてある病室に辿り着いた。まだ朝だからなのか、昨日の暗い空気とは違い、明るい空気が漂っているように見える。
ゴクリと固唾を飲んで、足を動かす。みなみに会うのは、本当に久しぶりだ。
歩いた先には、風でユラユラと揺れるカーテン。
最初に見えたのは、みなみのお腹だった。……本当に来月生まれるんだ……
どう動けばいいのか分からずに戸惑っていると、隣にいるまなぴーと目が合った。まなぴーが小さく頷いて、私の背を押した。
……よし。明るく。元気に。そして、笑わなきゃ。
そっと、みなみの方へ近づく。足音に気がついたのか、みなみは私の方を振り返った。
私は、みなみの布団を軽く揺らす。そして、笑いかける。
「みなみ!私だよ。いずみだよ」
みなみの顔は無表情だった。でも、私の瞳をジッと見つめていた。いつもの明るい笑顔じゃない。まるで、昔自殺する寸前だった頃の私みたいに、感情が飛んでいったかのような目をしていた。
だけど、暫くして瞳から静かに涙が出てきた。そして、ゆっくりと私に言葉を零した。
「……いずみ。ごめ、ごめんなさ……い」
みなみの涙を見たのは、これが初めてだった。今までのみなみじゃない。凄く悲しそうな目をしている。それに釣られて、私の瞳からも大粒の涙が溢れ始めた。
「ヒーロー良かったね。いずちゃんと再会出来て」
ベット周りに付いていたカーテンから除くようにやっほーとまなぴーもみなみの方に行った。
「……」
「わぁ!お腹大きくなってる~。男の子か女の子、どっちだろうね」
まなぴーは、いつもの明るいトーンで笑いかけた後に、
「はい。持ってきたよ」
と、大きな紙袋をみなみに見せた。
「あ。また作ってたんだ」
みなみは、涙を吹いて、優しく微笑んだ。どうやら中身を知っているようだ。私が不思議そうな顔で見ていると、まなぴーがその袋からあるものをゆっくりと渡した。中には、大量に折り紙でできたハートやら千羽鶴やらが入っていた。
高校生の時、まなぴーがよく折り紙で色々なものを作っていたのを思い出した。私も昔、まなぴーから貰ったことがある。まなぴー自身は、手先が不器用だと言っていたけど、そんなことは全くないと思う。むしろ、私の方が不器用だ。
今回作ってあるものはよく見ると、ハートや折り鶴だけじゃない。小さな手裏剣やブローチのような形のものまで色々なものがあった。それらをみなみの机の上に置いた。
みなみは、可愛いと涙をふいて、一つの折り鶴を手に取った。
「これ、凄く綺麗ね」
「本当に?やったー!流石折り紙の師匠!見る目あるー」
まなぴーは嬉しそうにそう言いながら喜んでいた。
「ふふ。でも、ここが少しズレてるわね」
「えー。言いじゃんかそれぐらーい」
「まだまだ修行が足りないわね」
「えー」
まなぴーは頬を膨らませると、それを見たみなみがふふっと鼻で笑った。まなぴーと私もそれに釣られて笑いあった。
「私、幸せだな。みんなから愛をもらって」
「ヒーローはみんなに愛を与えていたんだよ。だから私も、沢山愛を贈りたくなったの。でも……いつも折り紙じゃ流石に飽きるよね」
まなぴーは苦笑いでそう言ったけど、みなみは首を横に振って、飽きないよと言いながら、目線を左の方に向けた。目線の先は茶色の棚に大量に置いてある折り鶴達。それを見ながらみなみは話す。
「私が折り鶴の折り方を教えてから急に夢中になっていたわよね。まさかまだ折ってたとは思わなかった。今日くれた物も全部飾っておこうかな」
「嬉しいな。ありがとう」
まなぴーの目は、凄くウルっとしていた。きっと、泣くのを我慢しているのだろう。
「早く新作の小説も見せてね」
みなみの言葉に、私は驚く。
「まなぴー、まだ小説書いてるの?」
「うん。いずみなの話、実はまだ完成してないんだー」
いずみなって……あ、修学旅行の時に言ってたアレだ。私たちがモデルになっているあの……
凄い、まだ書き続けていたんだ。
「流石まなぴー、凝ってるわね。にしては時間かかりすぎじゃなーい?」
みなみが茶化すように言うと、もーうとまなぴーが口をプクッと膨らした。
「絶対完成させるから。待っててね」
「はいはい」
みなみは、優しく笑った。私も釣られて笑う。
なんだろうこの感じ。高校生の時みたいだなぁ。
三人で他愛のない話をしていたら、時間が過ぎていくのがあっという間だった。
すごく、温かかった。
「じゃあ、私たち帰るから」
「また会いに行くね」
私とまなぴーは帰ろうと椅子から立とうとしたら、待ってとみなみが私の手に触れた。
「……いずみ、ちょっといいかな」
みなみは寂しそうな表情で私を見た。きっと、真剣な話があるのだろう。
二人でまなぴーを見送り、みなみが夕食を取った後、一緒に病院内にある屋上へ向かった。出入り禁止と書かれてあるのに、みなみはよく行くそうだ。高校の時と変わらず、みなみは屋上が好きみたいだ。
エレベーターで最上階まで上がり、屋上に続くドアを開けた。
大学には、屋上が無かったから、場所は違えど、懐かしく感じる。
「綺麗」
昼間の屋上も好きだったけど、夜に来る屋上も中々いい感じだ。真っ暗な街をいくつかの光がパッと灯していて、絵になりそうな景色。
私たちは、ベンチに座って、星を眺めた。みなみはパジャマで、私は私服だから、多少の違和感はあるけど、二人きりの時間は青春時代のあの頃に戻った気分。
「私、馬鹿だなって思ったよ」
みなみがお腹を擦りながら呟いた。私は、静かに耳を傾ける。
「ヒーローなのに、たっくさん迷惑かけてきたよー。お母さんとお父さんに反抗したり、りゅうちゃんを困らせたり。大切な友達なのに、ギリギリまで病気のこと秘密にしたり」
そう言ったあとに、私の方に身体ごと視線を向けた。そして、儚げな表情でごめんねと呟いた。
「本当に、いずみのことを沢山傷つけちゃってたよね。私、時々怖くなってた。いずみと離れ離れになることが。きっとこれから先、長く居れば居るほど、その思いは募っていくんだろうなって。だから、会うのを辞めたの」
「うん」
「でも、会いに来てくれてありがとう。私、会いたくなかったのに、顔見た瞬間泣いちゃったよ」
髪型も顔色も、体型も全部変わっちゃったけど、笑顔だけは向日葵のように眩しくて、昔と変わらず可愛かった。やっぱり、どんな姿になっても、貴方はヒーローだね。
「……ねぇ。みなみ」
私は、自分のポケットの中を探ってペンダントを取り出した。みなみはワッと目を光らせてペンダントの僅かな光を見つめた。
「これ、まだ持っていたの?」
「当たり前でしょ。暫く付けてなかったけど」
「私も。病室の中の引き出しに眠ってる。……見るのが辛くて付けられなかった。けど、病院には持っていきたかったの」
「同じだね」
そう言って、自分の首にペンダントを掛けた。修学旅行の時に交換っ子したあの日から錆びている様子はなく、綺麗なままだ。
そして、静かにみなみの手をギュッと握った。急に握ったから、みなみは驚いていた。
「みなみ」
私は自分の気持ちをゆっくりと話すと決めた。……大丈夫。きっと、今なら届く。
「次は私の番だよ。私が辛かった時にこうやって手を握ってくれたでしょ。今度は私が、みなみの手を離さないからね」
そう言うと、みなみは儚げな笑みを浮かべ、こう呟いた。
「強くなったね。いずみ」
「……えへへ」
それから私達は、暫く何も言わずに静かに空を見上げていた。空には、星がちりばめられていて、私達に光を与えてくれているようだった。
私は、時間を見つけてはみなみに会いに行くことに決めた。みなみとの時間を、大切にしたかったのだ。
仕事が始まるまでに、普段からやっていた勉強や人間心理学にも力を入れ、合間にみなみの病院へ行く生活を始めた。やることが多くて、しんどい時もあったけど、みなみに会うことを楽しみに頑張ろうと思った。
みなみと一緒に居る時間は本当にかけがえのないもので、一回一回があっという間に過ぎていった。
そして早くも、出産予定日の一週間前になった。
私はその日、二週間ぶりに病院を訪れた。勉強の疲れや、学校もあって、少しだけ空いてしまったのだ。だから、久しぶりに会えることをとても楽しみにしていた。お腹、大きくなったかなぁとか、男の子か女の子、どちらが生まれるのかわかったのかなとか。色々な話がしたくて、ワクワクしていた。
だけど、いつもの病室へ行くと、プレートにみなみの名前が消えていたのだ。
「おーい」
焦っているところに、良いタイミングでまなぴーがこっちにゆっくりと近づいてきた。
「やっぱり。いずちゃん今日来るかなって思ってた」
まなぴーは、そう言って、歩き出した。ヒーローの病室が変わったのと言いながら、エレベータの方へ向かう。彼女の顔色は、曇っているように見える。いつものまなぴーじゃないと直ぐに感じた。
「みなみは何処にいるの?」
そう言うと、まなぴーは少し間を開けて、個室だよと呟くように言った。
「え?」
……個室?個室って……なんで?妊娠前だから?
その後直ぐに、まなぴーは私にこう告げたのだった。
「……容態が、悪くなったみたい」
私は、みなみの部屋に駆けつけた。だけど、驚きと同様で暫く口が開いたままになった。
お腹はどんどん大きくなっていたけど、みなみ自身に大きく変化があった。
ダランと降りた髪は、一ヶ月前から更に量が減っていて、抜けているのだと分かった。顔色は青ざめていて、全体的に体が細くなっていた。
そして、今まで見たことがなかった点滴のポンプ。棚には大量の薬。
酸素マスク。
言葉を失った。
この前会った時は、まだ、明るかったはずなのに、まるきり違うじゃないか。
私に気がついているはずなのに、みなみは顔だけ窓の外に向けて、静かに景色を眺めていた。私が肩に触れると、彼女はゆっくりと私の方を見て、頬笑みを浮かべた。
「いずみ」
私の名前を呼んだ瞬間、隣にいるまなぴーが泣き始めた。私も、その涙に釣られそうになる。
酸素マスクで覆われる口は、息苦しそうで、話すこともしんどい筈だろう。なのに、微かに唇を動かしてくれた。
真っ直ぐで濁りのない瞳は、身体が弱っていたとしても、みなみそのものだった。でも、みなみも涙を必死で堪えているのは確かだろう。
見ていられなかった。
その日は、みなみの瞳をジッと見つめることしか出来なかった。みなみも、何も言わず、窓から外の景色を眺めたり、私に笑みを浮かべていただけだった。
帰り際、龍介さんが病院のロビーまで私達を送ってくれた。とても、心苦しそうな顔をしていた。それは私達も同様だった。でも、私達以上に苦しいのだろう。みなみに一番寄り添っているから、龍介さんの目が疲れているようにも見えた。それなのに、言うのが辛かったであろう重たい言葉を、口にしてくれたのだ。
「赤ちゃんを産まなければ、助かると言われたんです」
その言葉に、全身が凍りついた。
「じゃあ、もし、赤ちゃんを産めば……ヒーローはどうなっちゃうの」
まなぴーは、私の思っていた言葉を話してくれた。龍介さんは、更に苦しい表情でゆっくりと発した。
「……彼女の体は……どうなるか分からないと言われました。でも、本人は、産むと言っています」
「……そんな!」
駄目。みなみが死んじゃうのは、絶対にやだよ。今からなら、まだ……なんて、私には言えなかった。
私も、まなぴーも、龍介さんだって……みんな、みなみが死ぬことを望んでいるわけない。
でも、決めるのは、私達じゃない。みなみだ。
これは、みなみが決めたことだから。私が、私達が……みんなが止めることじゃないんだ。みなみが一番分かっている筈だ。
本当に望んでいるのは、病気を治すことだけど、私に、みなみの身体が治せる力なんてない。
傍に居ることなら、私にもできるだろう。
……大丈夫。
私はもう、強いんだもん。
その日の夜。私はとある決心をした。
次会う時は、ちゃんと、思いを伝えなきゃ。
私は手のひらにあるものを置いて、頭の中でみなみのことを考えた。目を瞑ったと同時に手のひらをゆっくりと閉じて、心で願う。
みなみ、待っててね。
私が、救ってみせるから。
その思いで、私は、力いっぱいに魔法をかけた。
出産日の三日前。私は、みなみに会いに行った。今日は私が、みなみに恩返しをする日でもある。
……よし。
心の準備が整った時、私はみなみに声をかけた。
「みなみ。茶色の棚に付いている引き出しの中、開けるね」
私が言うと、みなみは小さく頷いた。やっぱり話すことが難しくなってきているようだ。彼女は、不思議そうに私を見つめていた。
引き出しから取りだしたのは、ペンダントだ。やっぱり彼女も大事にしてくれていたからか何処も錆びていなかった。
そして、今度は自分のポケット中に手を突っ込んで、もうひとつのペンダントを出し、みなみの方に向ける。
「みなみ。ペンダント、貸してくれてありがとうね。もう私、みなみの魔法がなくても平気だから返すよ」
私は、そっとみなみの手のひらにペンダントを置いた。瑠璃色のペンダントは、元々はみなみの物だったから。いつかは返さなきゃいけない日があった。
「なら、私も」
みなみが、私にペンダントを差し出したから、すかさずううんと止めた。
「あのね。実は私も……魔法、使えるようになったの。だから、みなみに借りていた瑠璃色のペンダントに魔法をかけてみたの。みなみが、幸せになりますようにって。ずっと私がみなみの魔法を貰っていたから、今度は私が返す番だよ」
そして私は、二つのペンダントをみなみの首に掛けた。
「二つもなんて、贅沢だよ」
みなみは、二つのペンダントを見つめながら苦笑い。
「うーん。そうかぁ。なら、いつか産まれてくる娘さんにあげればいいよ」
「……息子かもよ?」
「確かに……」
そう言うと、みなみがフフッと鼻で笑った。
「でも、いいわ。ありがとういずみ」
「うん」
……あ。
ふと、気がついた。
このペンダント、元はといえば私が最初にみなみから貰ったものなのに。
「結局みなみに返すことになってるけど……なんか、ごめん」
「ううん。その代わりに魔法を掛けてくれたんでしょ?」
その言葉に私は、頷いた。
「なら、それでいいじゃん」
「本当に?良かった」
私がふぅと安心して息を付くと、みなみは掛けているペンダントを見つめながら、微かな声で話し始めた。
「幸せ。いずみといると、辛い事、沢山吹き飛んじゃう」
ゆっくりと、一生懸命に、私に思いを零してくれた。
……私もだよ。みなみ。
でも、明後日に子供を産んだら、貴方はもう……
ダ、ダメ……こんな、こと、考えちゃ、いけないよね。心の中で自分に呟いていたら、視界がぼやけてきた。
「……なんで泣いているの」
みなみの言葉にハッとした。私……泣いてる。今日こそは涙を抑えないとって思っていたのに。私は、必死になってハンカチで涙を拭いた。隣でみなみも静かに泣いていた。
……そうだよね。
……なんで私が泣いているんだろうね。
……みなみの方が、何倍も、何十倍も辛くて、痛いのにね。
涙で溢れかえっているみなみの手を、ギューッと握ることしか出来なかった。みなみはハアハアと泣きながら必死になって自分の気持ちを伝えてくれた。
「わたしっ、しにたくないよ」
「うん」
みなみの背中を優しく摩った。
「もっと。もっとっ。もっともっと。生きたいよ」
「うん」
「しぬ、の、が……こわ、い、よぉっ……」
彼女の口から、本当の気持ちが溢れ出てきた。私はそれを受け止めてあげることしか出来ない。
けど、それで、少しでも、みなみの心を癒せたら……
「みなみ。みなみはまだ、生きてるよ。生きてるんだよ。みなみにはペンダントが二個もあるんだよ?魔法を信じて。大丈夫大丈夫」
私は落ち着いた声でゆっくりと話した。みなみを見ているとまた泣いちゃいそうだったけど……もう私は泣かないって決めた。
みなみは、私が泣いている時に、助けてくれたんだから。
今度は私が、みなみの心を助けたい。私が、ヒーローになる。
「みなみ、希望は捨てちゃいけないよ。みなみみたいな頑張り屋さんにはね、必ず奇跡が起きるんだもん」
「……ほ、ん、とに?」
「うん。それを信じるかどうかはみなみ次第だけど……みなみが信じなくても、私は信じてるから」
首に掛かってある二つのペンダントを持って、みなみの方に見せる。
「私の魔法は、みなみとは違って頼りないかもしれない。でも、私の魔法を、信じて」
「……ありが、とう」
みなみは、少しだけ笑ったような気がした。
震えている手を覆うように握る。みなみの手は、とても冷たい手だった。だから私は、みなみの手を暖かく包み込んだ。こんなことしか出来なくて、みなみにちゃんと寄り添えられているのかと不安になったけど……
みなみはその後に、友達で良かった、大好きなんて、ストレートに言ってきたのだ。急に言われたものだから、嬉しくなった。告白みたい。
彼女は初めて、私を下の名前で呼んだ。だから私も、私も、友達で良かった、これからもずっと大好きと返した。
その日、生まれて初めて、自分の下の名前を好きになった気がする。
私達の二人だけの時間は、とても濃い時間になった。
みなみ。
彼女は、私を変えてくれたヒーローだ。
ずっとずっと心の中にいる、私の大切な親友。それは何年経っても変わらないだろう。
【第二章 [完]】