5.世界の色 sideリリアーナ
※鬱回です。最後に救いはあります。
私の人生は、正しく『灰色』だった。
何の楽しみも嬉しさもなく、ただ言われるがままに生きているだけの、無機質な人生。
父上さまも母上さまも仕事が忙しくて、私自身も勉強や習いごとがたくさんあるから会いに行く時間はありません。
たまに会ってはお説教だけをする両親はまるで他人のようで、まだしも家庭教師のほうが馴染みがある、というほど。
幼いころはそれに寂しさを感じたこともあったのかもしれないけれど、そんなものでしょう、と思っていました。
だから、言われるがままに頑張りましたの。
『正しく、賢く、完璧であれ』と。
そんな私の前に現れたのが、エルンスト王太子殿下でした。
「君が、ぼくの婚約者? はじめまして、ぼくはエルンスト! よろしくね!」
初めて会う同年代の男の子でしたし、彼はいずれ王になり、私は王妃になるらしいです。
だから、とってもたくさん勉強しないといけないんですって。
それは私にとっても分かりやすいことで、努力する目的が見えた分、前より熱心に勉強するようになりました。
だけど、彼のために勉強すればするほど、彼は私から離れて行きました。
初めのころは、なぜ私を見てくれないんだろう?と苛立ったこともあります。
けれど、気づいてしまったの。
彼も『特別』では無かった、ってことに。
両親と同じで、たまたま会ったら声をかけてくるけど、それ以外では関わらない他人なんだ、って。
冷静に観察したら、エルンスト殿下は飽きっぽい性格だということも分かりました。
出会ったばかりのころは私に興味があったけれど、時間が経つにつれて興味を失っていったようす。
私がエルンスト殿下のことを好きでも嫌いでも、私たちが婚約関係にあることは変わらない。
エルンスト殿下が将来王になることも、私が王妃になることも、変えられない。
だから必死に勉強しました。
誰にも負けないように、いつか国を背負えるように。
『正しく、賢く、完璧であれ』
この呪文を自分に刻み込むように、毎日を送っていました。
そんなある日、エルンスト殿下が『彼女』を連れて来たのです。
「リリアーナさまぁ、よろしくお願いしますねぇ!」
妙に甘ったれた口調で、初対面からファーストネームだけで呼びかけてきた彼女。
自分の名前を先に名乗れ、と思ったことを良く覚えています。
もちろん私は名乗られなくても彼女のことを知っていました。
自国の貴族なのだから、全員知っていて当たり前ですけど。
ティアリス・ワイデルズ
大きな商家が貴族位を買った、いわゆる新興子爵家の次女。
私のもとにはそれくらいしか情報がないただの女の子だと思うけど、殿下はティアリス嬢のことを気に入ったようです。
それならそれで、私にも対応することがあります。
私は正妃になり、彼女は側妃か妾になるのだから、仲良くなってきちんと礼儀と上下関係を教えなければならなりません。
しかし、現実はそうなりませんでした。
ティアリス嬢は自分が殿下に気に入られているのを良いことに、何かにつけて私を見下したし、注意をすれば殿下に泣きつきます。
毎回毎回殿下とそれに同調するペトラさまにお叱りを受けて、毎日が本当に苦痛でした。
その上、殿下とティアリス嬢はやるべき事を放っておいて遊びまわり、全部私がこなすのが定番になってしまいました。
国王陛下がご健在のうちはまだ良かったけれど、身罷られてからは毎日が地獄のよう。
何をしても叱られ、何もしなくても怒られます。
そして、ついには殿下から
「お前のような頭でっかちで口先だけの女など、いらぬ! 俺の前からとっとと消えろ!」
そう言われ、一方的に婚約破棄をされた。
そのころのことは、正直あまり覚えていない。
『寝盗られ女』
『頭でっかち』
『尻軽』
あることないこと好き勝手に噂されて、心は限界を迎えていたのだと思う。
まともに寝ることもご飯を食べることも出来なくなって、なのに私に遠くへ行けという。
自分がどこへ行くのか、疲れ果てて知ろうともせずに馬車に乗った。
よく分からず朦朧としたまま、いつの間にか知らない部屋の窓を開けたんだ。
この辺りのことは、ほとんど記憶にない。
自分の家ではない暗い部屋にひとりぼっちで、知らない景色が見えて。
ふらふらと窓辺に近づいたときに、誰かに……抱きしめられた。
生まれて初めて感じたほかの人の体温はひどく暖かくって。
私のものじゃない心臓が、私の耳元でどくんどくんと動いている。
そのことが、なんだかとっても心に染みた。
優しいひとだけがもつ温もりが、私の壊れた心をみるみる癒してくれたんだと思う。
「ありがとう、ございます」
お礼を言うために顔をあげた時、世界でいちばん美しい『色』が私の瞳に飛び込んできた。
私を真っ直ぐに見つめ続けてくれる、深い深い青。
窓の外に広がる夜空のような、彼の色。
そのなかに、癒えたばかりの私の心は囚われてしまったのだと思うの。
今までの人生で初めて『色』を感じたこの日から、私の世界は変わりました。いえ、変えられてしまいました。
彼の『青』が無ければ、もう私は生きていけないの。