第2話 山に潜む幻想
チュンチュンと小鳥の囀りが聞こえる。私は布団の中で蹲る。少し寒くなってきたから布団の中の温もりが心地よい。寒い季節の朝の布団ほど罪深い物はない。
「そう言えば今日は私が料理当番だっけ…」
その事をふと思い出し、不機嫌になりつつも布団から出る。
洗面所に行き、顔を洗い寝癖を直す。
「良かった、昨日の返り血は取れてるわね」
私は少し安堵しキッチンへ向かう。皿を2枚用意し、トースターにパンを4枚入れてからコンロに火を灯す。フライパンに油を敷き、卵を割る。白身が固まったらフライパンの上の卵を皿に乗せる。その後ベーコンを焼きつつもやしを炒める。
炒め終わったもやしと焼き上がったベーコンを卵の乗った皿に乗せる。それと同時にトースターが鳴る。トースターの方に向かい焼きあがったパンを皿に載せ、皿を食卓に運ぶ。
テレビをつけにリモコンを取りに行く。それと同時に扉が開く。
「おはよう。今日はやけに早いな」
「おはようございます師匠。今日はいつもより早く目覚めただけですよ。朝食の準備は整っていますので、どうぞおかけくださいな」
そう言ってテレビを付ける。ニュースが流れる。ニュースは昨夜の聖女様による連続殺人事件が報道されている。今回の事件の被害者は『綾川 深夜子』という18歳の女子高生で、今の水無水市の市長である『綾川 旭』の一人娘である。ニュースには市長の声明が流れ、聖女様への憎悪と科警への逮捕の催促と全面協力が述べられている。
「最近物騒になってきましたね」
「そうだな。だが、市が全面的に協力してくれるのならこの事件の捜査も捗るんじゃないか?」
正直な話、人の目が増えようが私には関係ない。私の民族衣装は魔力適性が強い者以外の人物や道具は私を認識することは出来ないように作られているからだ。
「今回も監視カメラにも映らずに被害者に接近して細長い物で心臓を一刺しで殺しているがどのような手段で接近し、殺しているんだったけな」
「そうですね。それに被害者の共通点はほとんどないですし…そこらの拘り強い通り魔と同じなんじゃないですか?」
しかし予想した回答とは異なり、師匠は首を振る。
「俺はあいつはただの拘り強い通り魔とは思えない。俺には自分がやっていることは正しい行いだという信念がこもっているように思える」
「なんでそんな事が言えるのです?」
「証拠はないが、俺の勘がそう言っている」
私は少し不安な気持ちを抱きつつ朝食を済ませる。
「さっきの話に戻るが、あの事件は毎回細長い物で殺されているが、君は凶器はなんだと考える?」
私は少し考えてから答える。
「いきなりですね…そうですね。私は杖が凶器だと思います」
「何故、杖だと思った?」
「あれって先端が鋭いでしょう?傘を持って階段を降りていく時に転けて傘の先端が首に刺さって死亡した例がありますし、杖で思い切り刺せば殺せるんじゃないかと思います」
「なるほど。防犯カメラや目撃情報に杖を持つ者がいなかった場合はどう考える?」
師匠は反論という名の槍で中々痛いところを突いてくる。
「それは…魔術無しだと説明出来ませんね。杖を体に隠したところでその人物はは違和感しかありませんからね」
「確かにその通りだな。では魔術有りで考えてようか」
「魔術を使用したと考えるなら…収納魔術を使用したのではないでしょうか」
「収納魔術…物を虚空にしまう事ができる魔術だったか?まぁそれを使用したと考え方はいい線だな。しかし、魔術を使った証拠と言える魔素が周辺に無かったらしい。これで魔術を使ったという考えは出来ないというわけだ」
それを聞き私はなるほどと言いながら朝食で使用した皿をキッチンへ持っていく。
「今日は今までとは違う修行をしてみようか」
「今までみたいに師匠の道場で修行じゃないのならどこで修行をするんですか?」
私は目を輝かせながら師匠に問う。
「知り合いに山を買った変わり者がおってだな。今日はその山で修行するぞ。山という足場が不安定な自然環境での修行も良い経験になるからな」
「突然押しかけても大丈夫なのですか?」
「そこは気にしなくても問題ない。既に連絡はしているし、許可も貰っている」
「いつ出発します?」
「準備出来次第、走って出発するぞ」
「分かりました!急いで準備してきます!」
皿洗いを終えてすぐに自室に駆け込む。いつもの民族衣装ではなく普段着に着替えて自室にある鏡に映る自分自身を見据える。そこにはデニムパンツとグレーのパーカーを着た私が映っている。乱れなどがないかを確認してから、茶色のコートを手に取り自室を出る。
自室を出ると、迷彩柄のツナギを着た師匠が待っていた。
「今どきの女の子がそんなファッションセンスでいいのか?」
「師匠にだけは言われたくはありません。そもそも今どきの年頃のファッションなんてものは私にはよく分からないもの。私が俗世に疎いことは師匠も知っているでしょう?」
「まぁそれもそうか。さてと、行くか」
そう言って私たちは家を出てランニングで目的地の山へと向かう。自宅からは街一つ分離れており、車を使っても約30分程かかる。普通の人が走っても1時間以上かかる距離だ。
しかし、世界には魔術が存在する。魔術の中には攻撃に向いた魔術やサポートや妨害に向いた魔術などが存在する。その中の加速魔術という魔術を自身に使って走れば車よりも早く目的地に辿り着く事が可能だ。私達はそれを用いて向かう。20分程走って目的地に辿り着く。
「ここが今日の授業場だ」
そこには標高2500メートル程の山が聳え立っている。
「そう言えばこの山を買った人ってどんな人なんですか?」
「うーん…簡単に言えば頭蓋骨を集めるとかいう異常な収集癖を持つ大男だ」
「変わった人ですね。そんな人が何故山を買ったんでしょうか?」
「それは俺にも分からん。今日はそれを聞く良い機会だろうな」
私はこの山を買った人物を考察しながらその人物を待つ。
しばらくすると山から黒い外套を被った大男が下ってくる。
「いつかの病院ぶりだな、胡桃 来夢」
「フルネームは止めてくれないか。どこか忘れたがあの武道館からずっと仲が良かっただろ」
師匠の身長が181センチ程だがそれをはるかに上回る程の身長を持つ大男が私達の前に来る。その大男は顔に鹿の頭蓋骨をはめて顔を隠しており、手には大きなハルバードを持っている。
「それにしてもかなり大きくなったな。身長いくつだ?」
「200は超えているはずだ。それよりもお主の隣にいるものは誰だ」
そう言って大男はこちらを見る。
「紹介しよう。この子は霧宮 薊だ。まぁ…訳あってこの子を弟子という形で預かっている」
「霧宮…どこかで聞いたことのある名だが…まぁよい。我が名は雅月 翁峨。この山の所有者であり、来夢の古き友の1人だ」
「よろしくね、雅月さん。ひとつ聞きたいことがあるのとだけれどいいかしら?」
「なにかね」
「あなたは何故この山を買ったのかしら?」
「あぁその事か。答えは簡単だ、山で自給自足の毎日を送りたいという願望があったからだ」
「師匠に聞いた通り変わった人なのね」
「如何にも」
少し会話が途切れる。その間私は雅月さんを見据える。彼は外套で隠れているがボディービルダーに近い体型をしており、特に足腰の筋肉が凄まじい。
「では山の中へ案内する。ついて来い」
そう言って私たちを連れて山に入っていく。
しばらく歩き続けると少し開けた場所に出る。
「ここがお前たちが使う拠点だ。自由に扱うと良い」
見渡すと広々とした空間があり、その中心に不格好なログハウスがあり、その周りには切り株が沢山ある。
「まさかお手製ログハウスか?」
「お手製で悪かったな」
「悪いとは言ってないが…まぁ好きに使わせてもらうよ」
「困ったことがあったら更に上に登ってくるが良い」
そう言って雅月は上の方へと去っていく。
「ふむ、やはり足場は悪いな。これなら良い成果が見られそうだな」
「少し動きにくいけど問題なく動けるかな。何をすればいいのですか?」
「最初はそうだな…切り株の上を渡りながらウサギ跳び300周から始めよう。50回周期でひとつ飛ばしとか追加していくからな」
「最初から中々キツいのを入れてきますね…ですが頑張って乗り越えてみせますよ」
あれから約2時間半かけてウサギ跳びを終える。その後は自分の体重の3倍である144キロの重りを背負いながら登下山を繰り返したり、樹木を素手でなぎ倒すなど超スパルタな修行をこなしていく。途中から雅月も修行を見に来てロッククライミングや木から木へと飛び移り続けたりして昼下がりになる。
「よし、ひとまずはこれでいいだろう。そろそろ休憩に入ろうか」
「はぁ…はぁ…自然の力も…侮れませんね…」
「この程度はまだスタートラインに過ぎないぞ霧宮よ。夜から朝にかけては夜行性の獣が姿を晒すようになり危険度は上がる」
少し休憩に入っていると、奥の草むらが不自然に揺れる。
「霧宮よ、お主にもうひとつ試練を与えよう。今、奥の草むらが揺れたのが分かったか?」
「気づいてるわ、あそこに何がいるかご存知なの?」
「無論知っているとも。あそこにいるのは普通の生物ではない。オウルベアという幻想生物だ」
「へぇ…あれが幻想生物の1種か。初めて見るな」
「そのオウルベアを倒すことが試練なのかしら?」
「話が早いな。オウルベアを魔術を使わずに倒してくる事が私からの試練だ。無事倒せたのならそいつを使った食事を用意しよう」
草むらの揺れが少しずつ近づいてくる。
「オウルベアは知性はあまりないが非常に凶暴で貪欲な捕食者だ。更に昼夜問わず活動が可能なのも恐ろしい特徴であり、文字通り何でも食べる。やつは我々をエサとして捉えて襲ってくるだろう。そんな者をお主はどう対処するのか見定めさせてもらおう」
草むらからオウルベアが姿を見せる。梟の頭を持ち、腕部には翼のような羽が生えており、体色は焦げ茶色で熊と同じような体格をしている。
「キュェアアア!!」
オウルベアは雄叫びを放ち、私に大きな右腕を振りかざす。私はそれを後方へ転がって避けるもオウルベアが距離を詰めながら左腕を振り上げて追撃を放つ。それを後方に大きくジャンプで回避して距離をとる。
「やったわね…」
改めて今の私の状況を確認する。試練の縛りで魔術が使えない。その影響で民族衣装にも着替えられず、愛用武器も取り出すことができない。その状況下の中、素手でオウルベアを倒さなくてはならない。熊と正面から素手で争うなんてことは無謀すぎる。ならば対抗出来そうな武器を探すのが妥当だと判断し、自分の周囲を見渡す。すると少し離れたところに試練で使用した144キロの重りを見つける。
「キャルエエエ!」
私が重りを見つけると同時にオウルベアが雄叫びをあげ、獲物を引き裂こうとして近づく。私は重りのある方向に避け、重りを自分の真上に向かって全力で投げ飛ばす。
「ギャルルアア!」
オウルベアが両腕を広げて再び接近するのを見て、私は後方に下がって獲物から遠ざかる。
「あなた、知能が低いのね」
オウルベアの頭に私が真上に投げた重りがぶつかり、鈍い音とオウルベアの悲鳴が周囲に響く。オウルベアは私を引き裂くことが出来ずにその場に倒れこむ。
私はオウルベアに近づかずにその場からオウルベアの様子を窺う。しばらくしてオウルベアは重りを手に取って起き上がる。
「グゥワアアアァ!!」
今までよりも大きな声を上げてからこちらに重りを投げつけるが、私はそれを横に転がって避ける。重りが私の後ろに生えていた大きな木にぶつかり、木はミシミシを音を立てて揺らめく。
「もう少し知能を上げてから出直してきなさいな」
重りが当たった木はバキッと大きな音を鳴らしてオウルベアの方へと倒れていきオウルベアに直撃する。
「雅月さん、判定はどうかしら?」
雅月は下敷きになったオウルベアの近くによりオウルベアを確認する。
「うむ、しっかりと仕留められているな。合格だ」
私は少し嬉しくなりガッツポーズをした。
「約束通り、このオウルベアを料理してくださるのね?」
「もちろんだ、ゆっくり休むと良い」
そう言ってオウルベアを木の下から引きずり出し、持っているハルバードを用いて頭部を切断し頭部を懐にしまいオウルベアを捌いていき、捌いたオウルベアの肉を火の中に入れて焼き上がるのを待つ。
しばらくしてがオウルベアの肉が焼き上がるが肉が焼ける独特の匂いは今までしなかった。
「あとは岩塩を細かく砕けば完成だ」
そう言ってハンマーを取り出して岩塩を細かく砕いていき、焼き上がったオウルベアの肉の上に振り撒く。
「完成だ。この命に感謝し、ありがたくいただくのだ」
料理が完成するが今もまだ無臭のままだ。
「そういや肉が焼けた時のあの食欲を唆るような匂いがしないのはなんでだ?」
「それは私が使った消臭魔術の効果だ。こうでもしないと野生動物が寄ってきてしまうからな」
「なんで他の生物を寄せようとしないのかしら?」
「生物のみならず形を有するものの命は全て有限なり。そして我らはその命を奪って食事を取るのだ。オウルベア1匹なら3人分の腹は充分に満たされる。ならばそれ以上の命を奪う必要はなかろう?」
「確かにそうだな。それはそうと、もう食ってもいいか?」
「構わん」
私たちは焼いたオウルベアの肉を食べていく。
「先程から思っていたが、弟子を迎えない事で有名な元『世界最高の武闘家』の異名を持つ来夢が何故この娘を弟子としてに迎え入れたのだ?」
師匠がなんと答えればいいか分からず唸りを上げる。
「それは私から軽く説明するわ。私が物心がついた頃に一緒に住んでいた母親と祖父母を何者かに殺されてしまったの。私もその場に居合わせていたのだけど運良く生き残ったみたいなの」
「そうか…嫌なことを話させてしまったな」
「別に大丈夫よ。話を続けるわね」
私は咳払いをして再び語り始めた。
「その事件の時、私の父親はたまたま海外に出張して生き残っていたの。けれど当時はすごく忙しいらしくて、更に出張の数が増えたり出張先が別の海外になったりと社畜化していって私の面倒がみれなくなってしまったの。そこで昔に仲良くなった来夢の下に行けと言われたのがきっかけかしらね」
「なるほどな…さて、今度はお前の口から話を聞こうか」
「はぁ…面倒くさいが話してやるよ」
ため息をつきながら座り直す。
「俺はこの子が産まれる前に現役を引退したんだ。あの日に爆発事故に巻き込まれて両腕が使えなくなって現役引退した話は知っているよな?」
「無論知っているとも。あのような無惨な事故に古き友が巻き込まれたのだ。忘れるはずがなかろう?」
「こいつの父親もその事故の被害者で偶然病室が同じだったんだよ。それがこいつの父親との出会いだ」
「見舞いに行った時は病室にはお前しか居なかったが?」
「それは…なんというか…お前が来るタイミングが悪かっただけだ」
「なるほど。続けろ」
来夢は咳払いをして再び話し始める。
「 まぁ彼は病室生活している時に仲良くなったんだ。退院後もたまに話し合ったりする程の仲になり、互いを信用するようになった。退院してからしばらくして彼から連絡が来たんだ。うちの子を預かってくれってな。当時は現役を既に引退していて何をしようか困っていたところだったし、何しろ彼の頼みだから断る理由もなかった」
「つまり、この娘を迎えたのは当時の気分だったと」
来夢は肉を食べながら頷く。
「話は変わるが先程の戦闘で気になったことがある」
「俺は気にならなかったが翁峨が気になるってことはオウルベアの方か?」
雅月は頷き、更に話を続けていく。
「オウルベアは本来ペアで行動するはずなのだが、周囲にはあの個体以外の気配は無かった。さらにオウルベアはこの山の頂上付近に生息しているのだが、こんな下の方まで降りてくることは今までなかった」
「つまり、上の方で何か異変があったということですか?」
私は肉を齧りながら疑問を述べる。
「その可能性は多いにある。今後調査しに行くとしよう」
オウルベアの肉を食べ終えて修行に戻る。
修行に熱中していたせいか、時間はあっという間に過ぎていき日が沈みかけていることに気がついた。
「さて、そろそろ修行を終わりにするか」
「いくらなんでもスパルタ過ぎだぞ。もう少し難易度を下げるべきだ」
私はあがりきった呼吸を整えて答える。
「大丈夫です。バッドコンディションで修行するからこそ意味があるので…あとこれのような修行を普段からしているので慣れてます」
「もう手遅れか…」
それを聞くと雅月は驚いた顔をした。
「それじゃあそろそろ帰るわ。久々にお前の元気そうな顔が見れて良かったよ」
そう言って来夢は手を振りながら山を下っていった。
「今日はありがとうございました。今後もまたここで修行しに来てもいいですか?」
「何時でも来るが良い」
私は雅月に礼を言って山を降りた。
「晩飯は何を食べたい?」
帰っている途中に不意に聞いてきた。
「久しぶりにマステアちゃんのハンバーグが食べたいです」
「確かに最近はハイリンヒの店に行けていないからな。今日はそこで飯にしようか」
行き先が師匠の家からネオン街の外れにあるハンバーグ店に変更され、私たちはその店へと向かった。
店の前に到着して扉を開ける。そこにはコックコートを着た華奢な女性が立っていた。
「いらっしゃいませ。ようこそ私のハンブルク専門店『ダス・アーベントゥマール』へ」
数多の作品の中から私の作品を見てくださり誠にありがとうございます。
筆が乗ると書きすぎてしまい、前回と同じように割と長くなってしまいました。次回は可能な限り文量を減らして書いていこうと思います。
今後も応援してくれると嬉しいです。