第一話 第三の世界
初回から説明全開でごめんなさい。
―――はじめに歓声が上がった。
それまでの人工現実は大きく分けて二つ。対象の五感や脳波を刺激して、広大かつ無限にその可能性を伸ばす仮想現実。環境を拡張しそこに電子体を投影させることで幻想的な景色を上乗せさせる拡張現実。これらが2020年以降の人類史を影から支えていた。
しかし、西暦2030年代に突如としてその世界は出現した。
《ヴァール・リアリティ ∀aal Reality》。英字に全称記号を含ませ、日本語にして《拡大現実》と定義された第三の現実は、瞬く間に全世界へと発信され、人々はそのシステムを祝福した。
発表の初期こそは思想家や宗教などを筆頭に様々な問題が発生していたが、それでも徐々に安全性や利便性が立証されていき、特に∀R搭載次世代端末《レッドエリーク》は日本での発売から三時間で完売するほどの売れ行きを見せ、西暦2040年代には着用者が好奇の視線に晒されることはなくなっていた。
しかし、時が経つにつれ、神秘というモノは解れていく。そこから浮かび上がるのは大小様々な錆であり、日本の東京都中野区に居を構えた、とある一般家庭の一室では現在進行形でその錆が発露していた。
「ダウンロードが全然終わんねぇんだけどぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」
貴斗は叫んだ。目一杯の声で叫んだ。お陰で隣の自室で夏休みの勉強に励む妹に低い声で注意されたが、それでも叫ばずにはいられなかった。
一五一時間。それが彼のレッドエリークにダウンロード予定である《ヴァール・リアリティ・オンライン》の所要時間であった。
これを日数に還元した場合、単純計算で六日と七時間。いくら何でもかかりすぎである。おかげで、高校一年の夏休みという華々しい時間を初日から実に一週間弱、拘束に強いられることになってしまった。
海咲貴斗。中肉中背の身体に黒の短髪。瞳も黒に染まった典型的な顔立ちの少年である。
彼の特徴を強いて挙げるとするならば、その黒く澄んだ双眸だが、それも長々と叫び疲れた所為か悪化、お陰で自室の畳に頭から倒れ伏した。それでも尚、貴斗の沸点は下降を知らずに、そのままぐねぐねと芋虫の如く悶え叫ぶ。
「どんだけダウンロードすることがあるってんだよ!?そりゃ確かに∀R唯一のMMORPG何だから時間がかかるのは察しがついてたけどさぁ、いくら何でも一週間はねぇだろ!蝉ならとっくにご臨終だわ!」
最早、何度目か分からない雄叫びを上げながら貴斗は再度、見飽きるほどに読んだゲーム雑誌から慣れた手つきでヴァール・リアリティ・オンラインの二周年特集の記事を開いた。
そこに写し出されていたのは、神秘的な自然や鳥がせせらぎ、プレイヤーたちが背中を向け佇んでいる一枚絵。
単純に拝めばただのゲームの風景にしか見えないそれも、現実を書き換えて創造した世界だというのだからヴァール・リアリティというのは恐ろしい。
ヴァール・リアリティ、日本語にして拡大現実とは、その名の通り現実そのものを拡大して本来ならば存在しえない新天地を生み出す技術及び体系を指す。より具体的には《疑似転移》と呼ばれる移動手段によって現実に支配されない世界を具現化する。
貴斗が利き手に装着している白色の腕輪のような機械。中央には黒いコードがあり時折、虹の線が浮き出ている。そして耳には利き手の位置と対になる形で銀色の機械がはめ込まれていた。
今や外を歩けば殆ど例外なく誰しもが身に着けているそれこそ拡大現実へと潜るために量産された初のガジェットそのものである。
専用機械である腕輪型の《レッドエリーク1》によって身体の五感を支配しイヤホンとも補聴器とも取れる《レッドエリーク2》で脳にジャミングをかける。これによって使用者はサーバーが生み出し、管理する異世界へと飛ぶことが可能とされている。
だが、これのみではAR技術の応用に過ぎない。拡大現実が現在の地位に至った真価はその先にある。
《拡張神経》。レッドエリークに予め搭載されたそれは、生体信号に仮想の五感情報を送信し、体感を著しく改変する。改変された感覚器は電子回路によって拡張され、サーバーの生み出した世界に文字通り没入させる『第二の身体』と化す。
これだけでは非常に分かりにくいが、外部に用意されたサーバーの五感データを使用者の身体に共有させているという解釈で概ね正しい。
それに加え、∀R起動時に現実の身体に張られる専用の皮膜である《イマジネーション・フィルター》が人体の運動性に飛躍的な向上を促す。
貴斗にはまるで異次元の理論だったが、要約すれば皮膜自体を人工筋肉に見立て、それを人体で操作することにより疲労を緩和させ、可動域の向上を実現すると公式では発表されていた。つまり、生身の肉体でVRさながらの挙動ができるということである。
さらにこの技術は屈折率も上塗りする。それ故に∀R起動中の人間を目視できず、空間知覚さえ任意に操るために透明人間のお約束である接触さえ容認しない。ここまで来れば魔法の域である。これを技術者は《疑似転移》と名付け実装させた。
このシステムの開発により人類は一切の不利を排斥した拡大現実――つまり、∀Rに自身の肉体をそのまま電子界へと移動させ、幻想を受容させることを実現したのだ。
そして、現在の∀Rにおいてほぼ唯一のゲームこそがヴァール・リアリティ・オンラインなのである。
《VIDAR》によって国内限定配信された∀R専用MMORPG《ヴァール・リアリティ・オンライン》。二年前に発売されると同時に一ヶ月で一〇〇万ユーザーを突破したこのゲームは、今なおその人気を拡散させている。
何よりも、ありとあらゆる地域に専用のサーバーとドローンを配置したことによる幻想世界の広大なフィールドや街並みは、従来のゲーマーに留まらず一般人の心を無差別に射抜いてみせた。
内容は至極単純なファンタジー物であり、武器と魔法を主軸とし無数に存在するスキルを用いて魍魎跋扈する魔物を討伐する。そんな単純且つ万人に浸透しやすい内容とゲーム性は瞬く間に魅了の渦を各地で巻き起こしていった。
また、I・フィルターの採用により肉体的な衝撃による酔いは発生せず、現実の身体を介することで魔法などの効力を己の肉体で体感できる。
しかも外界に出なければそもそも始まらないゲームなため、引きこもり問題が日本国内で減少傾向へと向かっているとの報告も確認されており、影響力も計り知れない。現在の総プレイヤーが人口の三分の一を超えていることからもそれは窺い知れる。
「う゛ぁーーー何時になったらダウンロードは終わるんだぁ・・・」
だが、その叡知も獲得できなければ意味がない。
雑誌を頭に被せながら一人愚痴る。いくら貴斗にはどうにもできない問題とはいえ、夏休みの一週間を取られた上、これ以上、友人たちの自慢話を聞き続けるのは貴斗のメンタルにもよろしくなかった。
それでも、雑誌の中に写る世界はあまりにも壮大で、ふてくされながらも携帯から公式サイトや攻略サイトを覗く。一週間も経てば、この行為自体も恒例となりつつあった。
虚しさが加速する。メールボックスには友人たちからの確認と催促が夏休みに突入してから毎日届いている。憎たらしいことこの上ない。自分よりも遙かに高いレベルに佇んでいるアイツらをハリセンで叩き潰してやりたい。
貴斗がここまでヴァール・リアリティ・オンライン、縮めて∀ROに触れてこられなかったのには一つの大きな理由があった。高校受験である。
よりにもよって学内で流行り始めたタイミングが中二の夏頃であり、早い連中はすでに進路を決めていた。それだけならば問題はない。しかし、貴斗の学力に問題があった。
父母の悲観した顔をよく覚えている。某五つ子と同程度の実力で胡座をかいていた過去の己を殴り飛ばしてやりたいと思ったのはあの時が初めてだった。
それから一年間の勉強を終えて、何とか進学校への合格を獲得した時は目玉が飛び出るかと思ったし、実際、事前課題が送付された際には本当に目玉が吹き飛びかけた。
おかげで、友人たちと入学式自体は迎えられたが、度重なる勉強三昧だった故に貴斗の体力と精神は夏休み突入まで死にかけていた。
だが、その虚ろな毎日も軽快な通知音と振動が終焉を告げさせる。それは新たなる門出であり、貴斗にとっては未知が鳴らす鐘の音に等しい合図だった。
「ようやくだ・・・ようやくだぞぉ・・・」
立ち上がり、即座に着替えて、友人たちにダウンロード終了の報告をする。予め終了時刻は伝えているから既読無視はないと信じたい。というか、実行したら縁を切る。
「奏―!兄ちゃんちょっと新世界に旅立ってくるからー!」
自室を出て、妹に声をかける。返事は期待していない。絶賛思春期の女子に構えば死あるのみだというのは、貴斗でさえ把握している世の理なのだから。
荷物は財布と携帯のみ。ゲーム起動中は相互リンクさえすれば、携帯としての機能をレッドエリークが代行してくれる。現代人にしては珍しい極めて簡素な装備だが、こうでもしなければ∀Rの原理上、肉体に付随するバッグやその中身が四散してしまう羽目になる。そのため、∀RO目当ての外出は背中と腹部をガラ空きにする必要性があるのだ。
家を飛び出し、深く呼吸をする。本来なら合流後でも問題はないのだが、生憎と一週間も待ったゲームを前にして更に耐え忍べるほどの精神を貴斗は有していない。それに、異世界への扉は既に目の前にあるのだ。それを無視するなどあってはならない。
「―――ヴァール・リアリティ・オンライン、起動!」
興奮した面持ちで貴斗は声高に、声帯認証による初回起動を宣言する。
―――瞬間、世界が暗転した。
自我境界が反転する。急転直下する肉体の疑似感覚が容赦なく三半規管を刺激し、されど、I・フィルターの干渉によって吐瀉の封じられた感覚はスカイダイビングさながらであり、外界が数字の羅列に満ちていくというのは貴斗にとって奇天烈以外の何物でもなかった。
やがて、電子世界の地に足がつく頃には、貴斗は現代衣服のまま完全に場違いな空間の前へと立たされていた。
「ヤベェ・・・完全に死んだかと思った・・・出だしから自由落下させられるって頭おかしすぎるだろ・・・」
極度に発達した科学は魔法と見分けがつかないとはよく言ったものである。拡大現実の範囲を完全に軽視していた。おかげで起動直後に死んで異世界転生というのが∀Rの真相なのではないかと誤認するほどに両膝が笑っている。
『よくぞ参られた。天言を授かりし、数多の冒険者が一柱よ。我々、九人の賢者は其方を歓迎する』
突然と脳内に鈴の音が響く。同時に、天使を彷彿とさせる声色は貴斗の来訪を感知し、重厚な音を奏でながら正門を開放した。それは、貴斗に言い知れぬ高揚をもたらし、∀ROの世界へと至った事実をついに認識させる。
「コイツが・・・夢にまで見た《はじまりの白夜殿》ってヤツか・・・!」
はじまりの白夜殿。プレイヤーの初期設定地点であり、外観は中世の骨組みを正確に模倣している。煌びやか且つ純白に塗装された外壁は否応なしに幻想を夢想させ、頂点に装飾された賢者像はこの世界の創造主にして、同時にナビゲート役でもあるとされている。ちなみにすべて公式サイトからの引用である。
中は巨大な九体の賢者像が待ち構えた神聖以外の何者でもない空間であった。少なくとも貴斗には似合わなすぎる領域と賢者の御姿。それらを唖然と一瞥している隙に、各々が固められた唇を震わすことなく、貴斗に語りかけてきた。
『かつて、この世界には光が溢れ、様々な生物が自然と調和し、世界を謳歌していた』
『しかし、悪しき神の出現により平和は閉ざされ、あらゆる生命は冒涜と虐殺の限りを尽くされた』
『やがて、我ら九人の賢者は悪しき神を打倒すべく発起し、集結した』
『神の力は強大であり、我らでも討滅は厳しく、奴の全身を土壌とすることで新世界を築き、そこに封印することにより終結を向かえた』
『されど、悪しき神は封印を破り、己が血肉を駆使して怪物を創造し、復権を試みている』
『故に、我らは天に寵愛された異界の者に協力を仰いだ。今度こそ邪神を討滅するために』
物語構成はシンプルにまとめられた王道路線だ。悪しき神が大地となって封印された世界でその復活を企む怪物群を討伐すべく、異世界より召喚された異邦人はこの神殿内で九人の賢者より力を授けられる。
内観に構えられた九体の石像は微動せず、ただ威圧だけを貴斗に送りつける。それはまるで、洗礼の儀式さながらであり、興奮と緊張感が尋常ではなかった。
貴斗の眼前にプレートが出現する。異界との道筋を繋ぐ誓約書を意味するそれはプレイヤーの設定画面に他ならなかった。
「つっても・・・キャラメイクは基本的に髪色ぐらいしか変更できねぇからな・・・地毛のままでいっか。変に色付けしても目立つだけだし」
目の前に表示されたプレートに自身の名前とアバターの髪色を入力する。∀ROにおけるアバターは基本的に現実準拠であり、獣人などのホロを被せない限りは、髪色程度しか変更できない。
I・フィルターには肉体自体の改変が搭載されていないため、この仕様は致し方ないだろう。それを抜きにしても奇抜な格好にしてアイツらに馬鹿にされるのだけは御免こうむる。
名前の方は適当に《カイト》と名付けた。本名を略しただけだが、二つ名だの絵文字だのを付けるよりはマシな筈だ。それに画面越しならいざ知らず、対面でキザな名前を名乗る度胸を貴斗は備えていない。
『カイト・・・其方はカイトと申すか。ならば、カイトに問う。其方はこれより異界へと転移する。それにあたり、九つの賢者の内、一つの真髄――特能属性を其方に明け渡そう。其方は何を望む?』
周囲の賢者が掲げる杖の宝珠が輝きを増す。それは異邦の民としてあまりに無力な貴斗――カイトに授けられる最初の力であり、同時にこの世界を司る概念の継承でもあった。
特能属性はプレイヤー各自に一つ付与される魔力の波長にして、自身にとっての得意分野を指す。九人の賢者はそれぞれの属性を司っており、彼らからその魔力を一部受け継ぐことで異邦人はその魔力を己が物として行使可能とされている。無論、作中設定ではあるが。
属性は以下による九つの系統に分岐している。
範囲攻撃に秀で、火力も申し分なく身体強化にも優れる《火系統》。
拘束やトリッキーな戦法、大規模攻撃にも回復にも生かせる《水系統》。
一瞬で相手を制圧まで追い込み、自身の攻撃にも防御にも転用可能な《氷系統》。
圧倒的な速度と莫大な衝撃波による殲滅力の双方を兼ね備えた《雷系統》。
如何なる系統よりも対人戦に優れ、切れ味補正や複数戦にも有効打となり得る《風系統》。
フィールドの変質や分身などのテクニカルな戦法が行える《地系統》。
閃光などの目眩ましや遠距離からの砲撃等、射手にはうってつけとなる《光系統》。
幻惑や混乱、暗視から屈指の威力を誇るものまで、頭一つ抜けた力を有する《闇系統》。
純粋な魔力にモノを言わせ魔撃や魔弾、受け渡しなどその有り余る能力を活用する《無系統》。
正直な話、∀ROには不平等の概念が少ない。当然、属性による強弱は存在するが、スキルや装備で如何ようにも対処できる。
そのため、攻略サイトなどを覗いても優先順位は目まぐるしく切り替わっており、最終的には好みで選べという身も蓋もない助言のみがポツリと記されているのみだった。なので、ここは大人しく自らの趣向に従うことにする。
「あー・・・じゃあ、格好良さそうだし、すぐに強くなれそうなので、風系統でお願いします。キリカからもそれがオススメだって言われたので」
何がオススメなのかは「やれば分かる」の一点張りで不明だったが、∀ROに関してはこちらの知識が少ない以上、耳を傾けるしかない。それを抜きにしても、風は発展すれば竜巻にまで昇華する自然現象の代表格である。それがどうして弱いと言い切れるだろうか。
『承知した。第五の賢者の名の元に其方には風系統の魔力を継承する』
ぞわりと鳥肌が立つような感覚が全身を走る。異質な荒波が神経を駆け巡り、脳幹まで瞬時に達すると右手の甲に濃緑色の紋章が刻まれていた。
その充填時の独特の浮遊感は軽く酔いかけるほどだったが、I・フィルターの防御によって即座に緩和される。
強制的に吐瀉物が押し戻されたようで余計に気持ち悪かったが、如何に景色が変わっても外界には変わりない。盛大に吐いて道路を地獄絵図にするよりは遙かにマシだろう。
『継承は完了した。次に最低限の装備と路銀を提供する』
刹那、カイトの周囲に様々な服装のホログラムが展開された。和装から中世の洋装、芸者のような衣装から作品を間違えているとしか述べようのない少数部族の装いまで、人類史の服歴が集約しているかのような光景であり、選別だけでも小一時間は消費しそうになるほどだった。
「って・・・迷ってる暇はねぇんだよな・・・」
本来なら入念にチェックしたいが、今日に限ってはカイトの参戦を待ち受けている男連中が優先される。故に前世紀の西部劇に登場しそうな装備で妥協することにした。
『了解した。これより初期装備の転移を行う』
言われて、カイトの私服が焦茶色を基調とした軽装へと変換される。しっかりと身体に馴染み、動きを阻害させない形状は∀Rの全身操作に不慣れなカイトにとっては補助具同然であり、拡張神経の効果も相まって実際に着こなしているかのような感覚を抱かせた。
「うぉぉぉ・・・!スゲェ・・・!道理で皆がのめり込むわけだ・・・!」
自身の服装が変化してその五感データが直接伝達されるというのは∀Rの基本則である。それでこの衝撃とあっては科学の進歩を感じずにはいられない。というか、ここまで来れば宇宙人の技術とさえ誤認してしまいそうになる。それだけの興奮がカイトの脳内で渦巻いていた。
そんな感動とは裏腹に賢者は己の使命に従って新たな項目を提示する。
『路銀は儀式の完了と共に其方に転送する。次いで其方の武器を選定せよ』
先と同様に大剣や刀、弓から大盾に至る多種多様な武器種のホロが緩く回転しながらカイトの周囲を漂い始める。∀ROの武器種は特能属性とは異なり、変更は可能だが、スキルの調整によって熟練度にバラつきが生じる仕様で間違いなかったはずだ。
故に、身体操作がゲームに直接反映される仕様上、ある程度、乱雑に振るっても攻撃可能な武器の方が合理的だろう。ならば、
「短剣でお願いします。その方が手数も増えて便利なんで」
『了解した。では、木製の短剣を其方に授ける』
随分と貧相な名前の短剣がカイトの腰に転送される。仮にも異邦人を招いておいて小さな木剣一本でやっていけるとでも思っているのだろうか。一二〇円だけ渡されて放り出されるよりは遙かにマシだが。
『最後に異邦人としての其方のステータスを証明する。紋章を介して虚空を凪げ。それによって其方の情報が閲覧可能となる』
もう少しまともな言い回しはなかったのかと心で愚痴りながらも右腕で宙に線を描く。すると自己のステータス表とスキル欄が丁寧に掲載されていた。
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称号:魔物のエサ
名前:カイト
特能属性:風
HP:68
MP:14
攻撃力:9
耐久力:11
知力:7
速力:9
幸運力:6
スキル一覧:なし
装備:木彫りの短剣
頭:なし
胴:始まりの装具(西部式)
腰:始まりの腰当て(西部式)
足:始まりの革靴(西部式)
アクセサリー:なし
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「・・・・・・何か、おかしくね?」
少し待って欲しい。冒険に出向く前なのは分かる。しかし、称号があまりにも正直すぎる。何かしらの不手際ならまだしも伝説の賢者にそのような分析をされれば完全に立つ瀬がない。
∀ROには職業が実装されていない。全てのプレイヤーが冒険者の枠組みとなって称号によるランク付けから個々人の実力を把握する構造となっている。そのため、指標としては成立するのだが、これでは面目もへったくれもない。
「あのー・・・賢者様・・・このー・・・称号なんですが・・・あんまりというか・・・ある意味当たり前というか・・・それを言われたらお終いっていうか・・・コレ、修正できませんかね・・・?」
『これにて継承は完遂した。これより先は天言の命に従い、成すがままを成せ。そして、世界の解放と新たなる調和の礎として其方の健闘を祈る』
「あ、聞く気ありませんね。分かりました。サポートセンターの方に問い合わせておきます」
崩壊する。神殿は内部構造から瓦解していき、次第に白色以外の色彩を網膜へと投写してゆく。それは冒険の開幕を意味し、それを告げるように澄み切った青空を泳ぐかの如く飛翔する赤い大鳥がその喉を振るわせた。
「おわっ!?」
再度の変貌に驚愕を感じつつも、全体を見渡す。そこは深緑が支配する平原と化しており、家々の一切も巨木や魔物の死骸、果ては巨大な遺物へと変換されていた。
海咲家に至っては名前どころか形態さえ見覚えのない花々が根を張っており、最早、眺めだけで写真映えしそうな勢いとなっていた。
「ヤベェな・・・初手から情報量が多すぎて対処のしようがねぇ・・・」
∀ROは基本的に実際の街並みを基準としてフィールドを形成している。そのため、駅前や商店街はそのまま街や雑貨屋となり、住宅地や郊外、レジャー施設などは怪物が跋扈する敵地となる。つまり、カイトは完全にスタート地点を間違えていた。
「やらかしたかもな・・・これは」
幸い、モンスターの気配はないが、いつスポーンしてきてもおかしくない。そうなれば荒削りされた木製の短剣で勝負を挑むことになる。それだけは何としても避けねばならない。
だが同時に、∀ROは自動セーブなので、デスペナルティはあってもデータ消去の心配はない。なので、折角だし中野駅まで突っ走ってみたい気もあった。要は、さっさとこの世界を味わいたい。
「キリカたちからの連絡もまだだし、少し動作確認とレベリングをしてから行きますかね」
突如、地響きが轟いた。木々がおののき、大気が揺れる。その威圧感は不可視の重圧となって、カイトの心身を否応にも響かせた。
前述したとおり、この世界は実際の街、つまり日本という島国自体が舞台となっている。故に、地域ごとに特色や個体のレベル差などはあっても、厳密にここが始まりであると定まった場所は存在しないのである。
灰を基調とした皮膚に屈強な筋骨、四足歩行を基軸としながらも頑強に磨かれた爪は人間など容易く細切りできるだろう。何よりその巨体は優に10メートルを超えており、のどかな景観とは似ても似つかない威風を全身から放っていた。
「嘘でしょ・・・・・・こちとらゲーム開始から一分も経ってないんすけど・・・」
辛うじて視覚できた表示からは《堅竜アグロバルム》という大層な名前のみが表記されており、それだけで、カイトの思考は逃走の二文字のみに染め上げられた。
一目散に地を駆ける。観光する余裕など更々なく、背後の咆哮さえ無視して、数多のプレイヤーが交流を深めているだろう中野駅のみを目指す。
「なんで、こんな理不尽が最初から潜んでやがるんだぁーーーー!!」
後に木霊するのは二年の歳月を経て未踏の地へと降り立った少年の絶叫のみであり、竜の一撃で地面ごと盛大に吹っ飛ばされたその姿はさながら、未知に挑む者への洗礼を少年に感じさせた。
ヴァール・リアリティのシステムを簡単におさらい!
【基本システム】
レッドエリーク・・・∀R起動時に必要となるガジェット。1はI・フィルターの展開に、2は拡張神経や頭部の保護等の役割を果たす。これがなければ始まらない。名称は明確な意味のある単語だったはずなのだが、見事に脳内メモリから消し飛んだ。
拡張神経・・・仮想の五感情報を生身の肉体に送るための信号波。これで現実の空間認識を改変する。あくまでも用意された五感を提供するだけであり、これ単体では身体強化は行えない。
イマジネーション・フィルター・・・通称I・フィルター。I・フィ-〇ドじゃないよ。専用の皮膜を展開し、身体能力を著しく向上させ、VR並みの動きを可能とさせる。
さらには疲労緩和や酔いの軽減。挙句の果てには非使用者や物体に対する物理的な透過まで行えるトンデモシステム。理屈は自分もよく分からない。接地面についてはフィルターの皮膜が地面に張り付いているイメージ。そのため、どっかのオカッパ頭が乗っているおデブな無敵バリアを張る機体を想像してもらえると分かりやすいかもしれない。
これと拡張神経を併用することで生身の肉体でも超人的な運動神経と幻想世界の五感を知覚できる。
・・・・・・こんなのSFじゃねぇよって?ご尤もです。もう既にファンタジーが花開いています。それでも読み進めてやるよという寛大な読者様は、どうか二話目以降も脇目を振らずに走り続けるカイトの活躍をお楽しみください。




