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頭の中の世界

 どれくらい登ったのだろうか。気が付けば日も傾きだして、辺りが暗くなっている。疲労で食欲も出ない。アルカも気が付けば先へ行ってしまい姿も見えない。

 これが当てのない旅。酷い運命だ。

「お~い。レ~ン」

 頭上から聞きなれた声。見上げればアルカがこちらに手を振っている。

「あとちょっと……あとちょっとだよ~」

 痺れる足を何とか動かす。脹脛(ふくらはぎ)太腿(ふともも)はとっくの昔に感覚は無い。登るごとに痙攣を起こし、震えるくらいだ。それでもアルカに後れを取らないようにと。

 命辛々にようやく、アルカの待つ場所へと倒れこむ。

「お疲れ~。良い運動になったね~」

「どこがだ。こっちは命の危機すら感じたぞ」

 起き上がり、今まで踏みしめた坂道を見渡す。

 境界線付近にあった木々を見下ろすほどには登ってきたようだ。少し小さく見える。

 けれどこの山近辺にある木々はそれよりも小さく、それで山が見えなかった理由も納得した。

 山自体に生えてる木々が垂直に、規則的に立っていて中心に行くにつれて小さくなる木々によって目の錯覚を起こしたのだ。

 それでも背後にはまだまだ続く坂道。今いるこの場所は中間地のようだ。

「まだ、これ登るのか?」

「ううん。レンが来る間にこの辺探したら見つけたよ。水源」

「本当か?」

「なんで嘘を吐く必要があるのさ。大丈夫信用してよ」

 約一週間ぶりの風呂。これはテンションも上がる。

「ほらこっち!」

「おい待てって」

 走って行ってしまうアルカを追いかける。

 草木に囲まれた水辺。流れ落ちる滝が地面に溝を作りそこを湖と変えている。

 山の地下から湧き出ているのか、透明度は高くそして何よりも周りに咲き誇る朱色の花々がその場の楽園を彩る。

「ね、驚いた?」

「あ、ああ。こんなところがあるなんて……」

 花の香りの甘さに誘われて服も脱がずにその湖へと入る。程よく冷たい水は疲れ切った節々の火照った血流を冷やしていく。ごつごつした足場が足つぼに入って気持ちがいい。

 思わず表情が緩んだ。

「気持ち良さそうじゃん」

「アルカは入らないのか?」

「何? それセクハラ?」

「ちげぇーよ。例え今、お前が裸になったとしても俺は動じない」

「私の身体は子供だって言いたいわけ?」

「良く分かってるじゃないか」

 むきー。そんな苛立ちの声が聞こえる。

 アルカと出会って数年。

 今までだってこういうことは何度もあった。風呂問題、トイレ問題、着替え問題。

 男女の間にはいつも問題が起きるものだ。長い付き合い。そろそろ慣れてきてもいいと思うのだが。

「ふふん。レンは私じゃ、発情しないって言いたいんだね?」

 そう言うとアルカはボロ衣マントを脱ぎ捨て、体のライン丸出しの状態ですり寄ってきた。肌の色味はうかがえないが色々と当たる感じで。

「な、何を考えているんだ」

「別に~? だってレンは発情しないんだもんね」

「そんな言い方止めろ、馬鹿」

「あ、あれ~どうしたのかな。顔、真っ赤だよ~」

 彼女はというと、頬は朱色に染まり頻りに目を合わせようとしない。視線は明後日の方角へと逃げ、湿った唇は少し震えていてその震えは声にまでも影響している様子。

「大体な。俺をからかうのなら自分が優位に立たないとダメだろ。お前の方が動揺してるじゃないか。あと俺は赤くなっていない」

「う、うそだ~。ほんとは緊張してるくせに。レンの方が体温、温かいじゃんか」

「そんなこと言うならお前もな…………って何してる」

 突然アルカが自分の小振りな胸を手繰り寄せて強調しだす。

 その光景に思わず視線を逸らすとニヤリと彼女が優位に立つ音が聞こえた。

「へへん。こうすればいくら朴念仁のレンだって」

「や、やめろ。馬鹿、ほんと馬鹿だなお前は」

「だってレンが子供だって言うから……大体私だってここ数年で成長してんだからね。見た目には分からないかもだけど」

「わ、分かったから。アルカも大人だって認めてやるから」

「何それ~。もうレンはいつもいつも——」

 途端にアルカの動きが止まる。

「どうしたんだアルカ」

「や、やられた。レン、早くここから上がって!」

「上がれって……」

「いいから!」

 湖から上がった瞬間、アルカは倒れ落ちる。力が全て抜け落ちたように。

「アルカ!」

「大丈夫。ちょっと麻痺してるだけ」

「麻痺?」

「迂闊だった。こんなのどう見ても罠でしょ」

 見渡す限り、脅威など無い。あるのは楽園のような場所……。

「ここの支配者は新種だよレン」

「新種?」

「私たちが今までに目にしたことのない奴ら。植物の形をした奴らだよ」

 冷や汗を流しながらアルカは自分の痺れた足を揉み解す。

「ここの水場は言わば餌場。花の香りで誘ってこの水場に入らせる。そして薄く、気づかない程度に痺れ液を入れて次第に動かなくなった餌を溶かしながら食べる」

「どうしてそんなことが分かる」

「レン。底を見て見なよ」

 言われた通り、そこを覗く。

「——っく!」

 そこに漂うのはまだ溶け切らない骨の数々。入った時に踏みつけた正体。単なる足つぼマッサージなどではなく、餌と化した人間の……。

「気づくのが遅かった。でも、不思議。こんな非効率なやり方」

「……だからこその傾斜なんだろうなこの山は」

「そっか。この山自体、奴なんだ」

「多分な。それにしても助かった。ありがとうアルカ。足は平気か?」

「うん。出たら抜けていった。薄すぎて自分の抗体で解毒できるみたいね」

「俺は何ともなかったな」

「多分大きさだよ。効くまで時間がかかるんだ」

 ふと過る最悪な状況。

「……しかし良かったな。入った瞬間に溶けなくて」

「あ……」

 汗がにじんでいる。

 アルカの変化に気を留めながら、不思議な山を下りることにした。

 不思議な体験。必死の状況になり得た。だからこそアルカはそんな状況を良くは思っていない。

 悲しそうに俺の頬の傷を見つめる彼女が言葉もなく語っていた。



 山を下り、迂回するように入ったところから逆方向へと進む。

 木々は何も語らずに見下ろしているだけ。一つ良かったことはこれらが全て動く奴らではないこと。これらが動いたら絶死の状況だったろう。

 急ぎ早に進んでいると次第に木々の間が密ではなくなっていく。そろそろ出口のようだ。

「あのさ」

 広さはそれ程でもなくて安堵していると前を歩くアルカがようやく声を出した。

 今まで一言も話さずに歩いていたのは多分、先程起きた自分への戒めなのだろう。迂闊とも思える行動に表情は笑っていても、内心では思うところがあったに違いない。

 彼女はこう見えても責任感が強い人種だということはこの数年で理解している。

 過去にアルカと喧嘩をしたことがある。

 その理由は些細なことだった。些細な言い合い、いつもの事。けれどその時は妙に引きずっていた。

 出会った虫型との戦闘中、それは顕著に表れる。

 作戦の無視。独断専行の戦闘をしたのだ。避けられるはずの奴からの遠距離攻撃。普段は立ち位置が重ならないよう、考えているのだが、アルカが急に旋回したために衝突。そして見計らったかのように奴から放たれる溶解液が真っ直ぐにこちらに飛んできたのだ。

 このままでは直撃すると思い、アルカを投げ、そして自らも回避したのだが。

 結果、ただ頬に掠っただけ。

 少し溶けて痛かったが命の問題はない。それなのに彼女は何度も泣きながら謝っていた。何度も何度も、制止を振り切って。

 それから彼女のそういう面は消えた。

 責任感の強さ。それが彼女の強さであり、そして弱点になりえる唯一の点だ。

 相変わらず彼女は消えない頬の傷を申し訳なさそうに見つめてくる。

「ほんとにごめん」

「もう良いって。過ぎたことだし、それに今までお前には何度も助けられたから」

「それでも私の我儘で死地に立った」

「その時はその時。今、生きてればそれでいい」

「……」

 夜の帳が下りて、辺りが静まり返る。蠢くものの音は何も聞こえない。風にざわつく葉の音だけが耳朶を打つ。

 枯れ落ちて地面に広がる土まみれの葉たちは必要以上に足を重くさせて。

「あと少しだな」

「うん」

「まあ気にすんなよ。俺とお前。違うんだからさ。同じものを共有した人物じゃないんだから」

「だって……またやっちゃったから」

「違うだろ。お前は俺の為に水浴び場を見つけてくれたんだろ」

「でも、いくら何でも安全確認はするでしょ。そういう世界なんだから」

「まあな。でも俺もしなかった。だから今回のは良い教訓。次に生かせばいい」

 尚も気落ちするアルカに声をかけてもアルカは自分を責めている。いつも元気であり、いつも騒がしくしている彼女。それとは全く逆な弱気な彼女。

 だから彼女には、この荒廃した世界で彼女だけは、笑っていてほしい。

「だからこの話は終わり。この森出ても、うだうだ言ってるようなら、もうアルカは置いていく。知らない。一人で行けば良い」

 突き放す。数年連れ添った相棒を。

 多分アルカは一人のほうが危険が無くて、うまくやっていけるはずだ。重りをつけて走っているようなもの。

 実際、俺が立てる作戦なんて誰でも立てられるし、アルカはそれ以上の働きをいつもしてくれる。

 天性の才能というやつなのだろう。素性も知らない、記憶もない。そんな謎な少女に持たされた唯一無二の才能。

 だからこそ自分という重りは外したほうがいい。別れたら別れたでうまくやっていける自信はある。伊達に数年、奴らとの闘争を生き残ってきたわけじゃない。

 だけど相棒は頷こうとはしない。またポロポロと雨のように泣きだしてしまう。

「どうしてそういうことを言うの? 私、レンと一緒で楽しい。レンとじゃなきゃこんなに長く居られない。毎日が楽しくて、いつも笑ってられた。それはレンだからなんだよ」

「……そうか」

「だから、置いていくなんて、言わないでよ」

 いよいよ本格的に泣き出してしまう。

 最低な男だ。女を泣かせるなんて。でもこれもアルカという人物を成長させるため……いや、そんなんじゃない。ただ俺はアルカに一緒にいたいと言われたかったのかもしれない。この必死な世界で、いつも一人だった自分が唯一、素を見せられる場所が。

「……じゃあ、もう気にするな。俺はお前じゃなかったらとっくに見限ってたし、そこら辺で野垂れ死んでた人間だ。だから——」

 ずっと前を歩いてくれたアルカより前に。そして手を差し伸べた。

「また最初から始めよう」

 何が起きたか分からない。目の前のことが理解できない。そんな顔を晒すアルカを見ると吹き出してしまいそうになる。

 相変わらずのアホ面だとか、ガキみたいだなとか。戯言はたくさん出てくるし、これからも出続けると思う。

 恐る恐る手を握って、その感触を確かめるアルカ。端から見たら親子のような体躯差。けれど見慣れてしまった体躯差。

「……ふん。馬鹿じゃない。レンが離れたくないだけでしょ!」

 樹海の薄暗さが隙間から入る仄かな光によって照らされ始める。空を覆う重たい塵によって本物の姿は見えない朝陽が昇っていく。ここにいるぞと語りかける。抜け出た先、何もない平野が広がっていて夜と朝の境界のように一本の線で区切られて。

 そこへ二人で飛び込むとようやく彼女の、いたずらに笑う顔が帰ってきた。



 平原の途中にある洞窟。一昼夜、歩き通しだった俺たちは適当な場所を見繕い仮眠をとる。今回はしっかりと危険が無いことを確認して。

 これもまたボロ衣を繋ぎ合わせて作成した寝床。バスの寝床と比べれば直接地面に寝ているようなものだから最悪だが、まあ無いよりかは良い。今日はなるべく凹凸のない場所を選んだのだが岩場で固い。それに。

「……近い」

 凹凸のない場所が少なすぎる。よってアルカと至近距離で寝ることになったのだ。いつもだったらここで、近づいてくるな変態だとか言われるのだが余程疲れたのか何も言わずに眠っている。

 けれど俺はというと、そんな状況は経験もなく何故か動悸が高鳴って眠れずにいた。

「何でこいつはこんなに良い匂いなのだろうか」

 呟かずにいられない魅了とも思えるアルカの香り。柑橘の香りのようで仄かに甘い。

「変態」

「お、起きてたのか」

 寝ていたと思われたアルカの振り向き様の声に一瞬、心臓が止まるかと思った。

「レン、たまに変態発言するよね」

「俺は変態なんかじゃない」

「どうだか……」

 溜息を吐かれてしまう。どんなに言い繕っても、さっきの発言は良くないなと猛省。

「レンってさ。女の子と会ったのは初めて?」

「何度かはあるけれど……いずれも盗賊とかそんな感じだったよ。どうして?」

「いや、妙に慣れてるなぁって」

「どこがよ」

「ん~……慰め方とか?」

 なんだよそれ……と思わず言ってしまいそうになるがグッと押し留める。下手な発言をするとまた変態扱いされかねない。いや、それは平気か。

「レン」

「どうした?」

「おやすみ」

 すぐに寝息を立て始めるアルカ。その整いすぎた顔に見惚れてしまいそうになる。けれどアルカだぞ、と自制。

「おやすみ」

 貴重な睡眠。いつも寝れるわけではない状況下。

 人類が栄えていた頃は夜には満天の光が輝いていたという。昼間には青色、夕方には橙に、夜は白銀に。

色取り取りに変わる空を想像しながら俺はアルカと共に眠りについた。



 意識が遠のいていく。どんどん、どんどん深く、深い深い暗闇へと落ちていく感覚。

 レンと会ってから、いや、起きてからよくそんな夢を見るようになった。

 起きる前は夢を見た記憶すらない。見えたのはただ一人きりで暗闇にいる。そんな曖昧な記憶。

 霞がかった記憶。レンと会ってからの私。

 でもたまに知らない私が顔を出す。

 奴と闘っている時。奴の血を浴ると、何だかもっと壊したくなって。そんな惨たらしい残酷な顔を出す。

 それが本当のアルカという人物で、それが無くした記憶の一部なのではないか。

 そんな戯言が頭の中で暴れまわる。眠ると途端にそんな自分について考えらせられる。

 それが嫌でいつも私は寝たふりをしている。仮眠程度。それを数年。もう慣れた。

 レンと一緒にいるために。


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