練習と来客
──たしかに、制御できるまでは大変だった。
生まれつきだったらしく、目が見えるようになったと思ったら、泣くわわめくわで、両親はたいそう困惑したそうだ。
およそ赤ん坊に対処すべきことをしても、いっかな効果がなかったというから、とても申しわけないと思う。
しかも意思の疎通もできないから、原因がわからないし、きっと母は大変だったろう。
ある時、たまたま目を覆ったら静かになったので、どうやら視覚になにかあるようだ、と判断した。
それ以来、物心つくまでは目隠しをされていた。
他方から聞けばひどい話かもしれないが、両親はそれほど疲弊していたのだろうから、責める気にはなれない。
それから少しずつ知性ができて、言葉を覚えて……やっと、私の特異性があらわになった。
音が見える、ということはなんとかわかったものの、まだまだ子供の私に制御などできるはずはなく。
余計なものの置いていない、なるべく音の出ない部屋から出られるようになるまで、ずいぶんかかった。
少しずつ行動範囲を広げて、コントロールを覚えて、のべつまくなしに見ないようになって……それでもはじめは、少し外を歩いただけで色の洪水で気持ちが悪くなった。
本当なら、魔法研究所を頼るべきだったろうけど、実験体にされるのは嫌だと、両親はそれを選ばなかった。
かれらの選択には感謝してる、おかげで自由に動けるのだから。
そうしてどうにか制御方法を身につけ、街中を歩いていた時に、偶然、街角コンサートに出会ったのだ。
その時の鮮やかな色は、今でも忘れられない。
混ざり合った生活音による混色とは違う、ハーモニーによって生まれる美しい色と音。
生まれてはじめて、この体質でよかったと思った瞬間だった。
もっと色々な音が聞きたい、色が見たいと願った私は、いっそう制御の方法を確立させた。
「……ただ、自分の色は見えないから、演奏しようってことにはならなくて」
手当たり次第に色々見てみて、やっぱり音楽が一番気分が高揚するとわかったから、それを追いかけるために冒険者を選んだ。
「だから、わざわざここまできたってわけか」
納得した、と呟かれて、また語りすぎて恥ずかしくなる。
制御できるようになったとはいっても、体調やらなにやらでブレはあるし、クラーケンを見つけた時みたいに、敢えて見ることもある。
波の音は不規則でバラけた色だったけど、自然なものだからか美しくはあった。
だけど、見たいのはやはり完成された綺麗なもので──
音楽のない生活というのは、考えられないというか、私が正気を保つために、冗談抜きで音楽が必要なのだ。
「それなら、昨夜すぐに俺だって言えばよかったな……こっちこそすまなかった」
謝られて、慌ててそんなことない! と手をふる。
あれだけ熱弁をふるわれたら、そりゃあ言いだしづらいだろう。
むしろ私だったらその場から逃げたかもしれない……レンが優しくてよかった。
「俺の見た目を気にしてなさそうだったが、告げたらどうなるか……少し、な」
自嘲気味に落ちたそれに、かける言葉は見つけられない。
そんなことない、と簡単に言える問題でもない。
結果的にこうなったけれど、ちょっとの間喋っただけで、そこまで信用できるはずもない。
きっとレンは今までに、そういう目に何度もあったのだろう。
だとしたら、私が軽々しく慰めても、なんの意味もない。
「……それで、だ、キィカのその能力を見込んで頼みがある」
意図的に話題が変わる。
これ以上話しても、現状ではどうしようもないからだろう。
けれど相変わらず真剣な調子に、覚えず居住まいを正した。
「全体練習の見学許可をなんとしてでもとるから、聞いて、見てほしい」
「それは……探査しろってこと?」
敢えて言葉を重ねるということは、と念を押すと、うなずかれる。
つまり、調べてほしいなにかがあるわけだ。
「内容について今言っちまうと、先入観が困るんで言えねェんだが……」
すまんな、と謝られるが、それは当然のことだろう。
公平な目で見るためにも、前情報は入れたくない。
だからそこは構わないんだけど……
「ええと……でも、そうなると、大勢に私の能力が知られちゃうってこと?」
それはできれば遠慮したい。
でもレンは勿論考えていたらしく、
「そうはさせない。団長にだけはいくらか説明するが、キィカが話していい範囲しかしない」
表面上はあくまで「わざわざ島まできてくれたから練習を聞かせてやりたい」で通すという。
……それも事実だから不自然さはないし、ほとんど旅行客がこないから、説得力もあるだろうとのこと。
私は団長がどういうひとか知らないので、とりあえず、音を精査する力があることだけ話してくれと頼んだ。
本当のことをすべて話すかどうかは、直接本人に会って、さらにその場の状況次第かな。
レンもそれで十分だと言うので、大丈夫だろう。
あらかた話がまとまったところで、さて、とレンが立ちあがる。
「キィカさえよければ、笛を聞いていくか?」
「いいのっ!?」
我ながらアレだと思う勢いで食いつくと、喉の奥で笑われた。
恥ずかしいけど……今さらという気もしてしまう。
「練習だから、通しで吹かなかったりするけどな」
「とっても綺麗だったから、聞けるならすごく嬉しい!……けど」
押せ押せだから申し出てくれたのだとしたら、気が咎めるわけで。
語尾が小さくなった私に、レンはそうじゃない、と首をふってくれた。
正直、音に飢えている身としては魅力的すぎる誘いなわけで、レンに促されるまま、店舗のほうに移動する。
カウンターの奥がやたら開けているのは、練習に使うスペースだかららしい。
店のほうをあとから建て増しして、その際防音にしたから、こっちのほうが音が漏れないのだという。
そんなに音を秘密にしなきゃいけないわけじゃないけれど、配慮はすべきだし、練習をそんなに聞かせるのも……という思いからだそうだ。
背丈の小さい種族も買い物にくるからと、置いてあったレン的には小さめの椅子に腰かける。
大きなレンが手にしても、笛は小さく見えない。ものが大きいわけじゃないけど、存在感というんだろうか。
譜面台に楽譜を置いて、ゆっくりと音が流れだす。
瞬間、空間に広がる透明な色に、私はうっとりと見惚れて聞き惚れた。
練習とはいえ美しい音に変わりはない。一音だけでも複雑な旋律によって、色は様々に変化していく。
視覚と聴覚が音楽に支配されるこの快感は、他のひとには得られない。
この能力が疎ましいことも……なくはないけど、でも、この瞬間を知った今では、なくしたいとは言えなくて。
久しぶりの極上の音に、私はひたすら酔いしれる。
練習、とレンが言ったとおり、時折音は止まり、再開され、同じ部分を繰り返す。
だけどそれも不快なものではなくて、たまのミスも気にならない。
完璧であればいいわけじゃない、そこに奏者の温度がなければ、緻密なだけでは美しくない。
そういう意味でも、レンの演奏は今までで最高のものだった。
ゆらゆらとその空間にたゆたっていると、不意に音が途切れた。
意識をもどすと、レンは店側の出入り口を見つめていた。
そう気づいてみれば、探査するまでもなく、表から気配と音が近づいてくる。
足音を消す気もないのだろう、もっとも、一般人ならそんなことするわけないんだけど。
「おいこらレン、居留守使ってんじゃねーよ!」
ばんっとドアを開けて入ってきたのは、種族的には猫系の種族だろうか。
白と黒の毛並みなので、虎かもしれない。……違ったっけ?
かなりの大型で、レンと同じくらいの背丈がある。
ガラの悪い喋りかたと猫科らしい鋭い目だけれど、もふもふした毛並みを見るとかわいらしい。
「居留守じゃねェよ、客がいるんだから」
慣れた相手なのだろう、レンは驚くこともなく応対する。
あぁ? と呟いた彼は、そこで私に気づいたらしく、瞳孔を開いた。
「見ない顔だな」
その表情と声音には、いくらかの警戒。……私が人間だからだろうか。
「はじめまして、数日前にきたばかりの者です」
椅子から立ちあがって挨拶すると、
「バーダ島に? 旅行? 物好きだな」
やっぱり同じ反応だった。……もう驚かない。
「ええと、私は失礼するので、ご用件をどうぞ」
どう考えても私が邪魔だろうからそう言ったのだけれど、二人ともいや、と首をふった。
「買い物にきただけだからすぐすむ。嬢ちゃんはそこにいていいぜ」
「すぐ終わらせるからすわってろ」
ほとんど同じことを両側から告げられて、ちょっと笑ってしまう。
言葉からして常連なんだろうけど、それ以上に仲がいいんだろう。
お言葉に甘えてちょこんとすわり直すと、白虎(と思うことにする)の彼はメモをとりだした。
「んじゃ欲しいもんを言ってくぞ、まずは──」
次々と薬草の名前とグラム数が上げられていく。
レンは慣れた手つきで瓶を持ち、中を開けて計量していく。
グラムいくらだから、なかなか手間がかかりそうだ。
「──これで全部だ、幾らだ?」
「こっちは計ってんだ、計算できるわけねェだろ」
白虎が手渡した麻袋に入れつつ、レンが吠える。
まあたしかに、計量しつつ袋にしまいつつでは、計算は難しいだろう。
「合計3240」
ぽつりと呟くと、二人の視線がこちらをむいた。
「検算したほうがいいとは思うけど……多分、合ってると思う」
とはいえ、白虎にとってはどこのどいつかわからない私の発言だ。
しかもお金の関わることだから、素直に信じるのは難しいだろう。
なので自信はあるのだけど、一応控えめに申告しておく。
レンはメモ用紙をカウンターの端から持ってきて、計算をしていく。
慣れているからだろう、計算の速度はなかなかだけど、暗算ではないから少しかかってしまう。
「……合ってるな」
やがて出た合計金額は、私が言ったものと同じ。
「すげェな、冒険者ってのは計算が得意なのか?」
レンが感心しつつ、白虎からお金を受けとっていく。
「うん、まあ……計算できないと色々大変だからっていうのもあるんだけど」
一時的なパーティーを組むことが多いから、お互い信用しきれない面はある。
命に関わることだから、仕事で妥協はしないし、そういう面では信じていても、分け前の分配などでは、チェックしておいて損はない。
手に入ったアイテムを懐に放りこんで誤魔化す、なんてのもあるわけだし。
だけど私の計算が速いのは、そういうのをこなしたからではなく、
「そろばん、っていうのを習ったから」
種も仕掛けもある話なのだ。