誘いと熱弁
帰り支度をしてくる、と少しいなくなって、すぐにもどってくる。
もどってきた時には鞄を持っていたけど、楽器ケースはなかった。
……なんの楽器担当なんだろう?
ちなみにその間もまだ女性たちはいて、私たちが外へ出た途端、彼を見てぱっと散っていった。
「──酒は飲むほうか?」
ちらりと彼女ら眺めた表情は、やっぱりあまり変化がわからない。
声の調子も、短時間では読めるほどでもないけど……気分のいいものじゃないだろう。
「あれば飲みますけど、この島のおいしいもののほうが興味あります」
だからそこはふれずにおくことにした。
名産品が酒というなら、試してみたくはあるけど、食事に誘ってくれているなら、おいしい料理の店に連れて行ってほしい。
素直に答えると、わかった、とうなずいて歩きはじめたので、横を歩いていく。
公園を抜けてむかった先は、大通りではないけれど、それなりに大きな幅の道で、灯りのついている店が多い。
日が暮れても営業する店ばかりなんだろう、たとえば酒場とか。
店は決めてあったらしく、その中のひとつに迷わず入っていく。
いらっしゃいませニャーという声に手をふって応えると、奥のほうの席へ歩いていくのでついていく。
ここだ、と示された席につこうとするけど、……い、椅子が、高いし大きい。
どうやらここは大きめの種族がよくくる店らしい。
あたりを見ればお客には獣族や、ちょっと珍しい鳥族もいる。
そのため、家具はすべて大きくて背丈があり、我々もすわれないことはないけれど、座高はとても足りそうにない。
格好は悪いが、よじのぼるしかないかと思っていると、
「はい、椅子! 使ってニャー!」
店員らしき猫族だと思われる女性が椅子を持ってきてくれた。
段のようになっている部分から上がってすわると、大体机の部分に肘がきた。
そのせいで足が床にとどかないが、ひっかける部分はあるのでさっきよりは落ちつく。
よいしょ、と登っている間に、彼は店員と二言三言喋っていたらしいが、聞きそびれてしまった。
「すまねぇな、普通の店だと窮屈で」
きちんとすわってから前を見ると、少し高い目線にある彼はしっくりなじんでいて、なるほどと納得する。
「いえ、大丈夫です」
小さい……いや私たちにとっては普通だけど、な店では、彼にとってはサイズが違いすぎて大変なんだろう。
大きいものに合わせるのは、こういう椅子があればどうにかなるけど、逆は難しい。
この店は天井も高いし、机同士の距離も離れている。
他の客もくつろいでいるようだし、私は椅子があれば問題ない。
「大事なのはおいしい料理、です」
力をこめて言うと、くつりと笑い声が落ちた。
「それは自信あるニャー!」
同時にさっきの猫族の女性が机の上にグラスを二つ置いていく。
テーブルも広いので、料理がたくさん載っても大丈夫そうだ。
「食事の前に、ここは自家製の果実酒がうまいんだ」
へぇ、とグラスを手にとる。私のは人間用だからだろう、大きさがかなり違っている。
……値段は違うんだろうか、ちょっと気になった。
ひょいと杯を掲げて──自己紹介がまだだったことに気がついた。
「改めて、キィカと呼んでください」
「俺は、レンでいい。あと、言葉遣いも適当でいいぜ、俺も伝法だからな」
「ええ……うーん……じゃあ、お言葉に甘えて」
楽団員に敬語なしっていうのはなかなかハードルが高いけど、頼まれては断りづらい。
私がうなずくと、レンはほっと息をついたから、これで正解なんだろう。
そろりと一口飲んだ果実酒は、さっぱりしておいしかった。
甘ったるいかと思ったけど、そうでもないのは中の果実のせいだろうか。
「おいしい!」
すなおに感想を告げれば、そりゃよかった、と返すグラスに中味はもうない。
……いつのまに、と驚く私をよそに、
「肉と魚、どっちがいい?」
ずいっとさしだされたメニュー表も手に余るけれど、机に広げれば困りはしない。
メニューはかなり豊富で、色々な名前が並んでいる。
よくわからないものもあるけれど、大体はざっくりしたネーミングだ。
「好き嫌いはないけど……イカはしばらく遠慮したいかなぁ」
海に近いから海産物のメニューも多く、イカやタコも目につくので、それらを追いながら呟いた。
「苦手なのか?」
「ううん、好き。でもここへくるまでの船で、クラーケンを食べたから」
正確にはクラーケンはイカではないけど、まあ一緒くたでいいだろう。味も似てたし。
「……クラーケンが出たのか?」
少し下がったトーンで、心配されているらしいと気づく。
たしかに船旅の途中であんなでかぶつに遭遇したとあったら、普通は気になるものだろう。
「幸い近づく前に気づいたから、被害もなく倒せて、そのあとクラーケン食べ放題だったんだ」
なにせ長い旅だから、防衛はしっかりしている。
海賊は出ないらしいけど(自虐のように実入りがないからと言っていた)海の魔物は損得お構いなしに出現する。
私が見つけて知らせたおかげで、範囲ぎりぎりから特大の雷魔法をおみまいして、あっさり倒すことができたわけで。
専属契約しているという魔法使いは、私の探査能力を褒めてくれて、よければ一緒に働かないかと言ってきたけど、丁重にお断りした。
「……船の上は悪くないけど、音楽がないなんて死んじゃうから」
じゃあ、と運ばれてきたのはがっつりした肉料理と、ちょっとのサラダ。
それをつつきながら船旅の話をすると、また喉の奥で笑われた。
種族的な構造上、発声箇所が違うのか、低い声はよく響いて、とても綺麗だ。
「さっきも言ってたが、よくまあ此処まできたもんだな」
みるみるうちに目の前の肉が消えていくのは、なかなか壮観だ。
冒険者には色々いるし、体力勝負だから、よく食べるのは多い。
だからはじめて見るわけじゃないけど、でもやっぱり凄いと思う。
「なんていうか……うん、一音惚れ、みたいな感じで」
今までもたくさん素晴らしい音楽を聞いてきた。
技術的にはあと一歩でも、惹かれるものを持つ演奏だってあった。
いいな、と思っていたひとが、最近になって有名楽団に入ったなんてことも、たまにあったりして。
流石私、なんて自画自賛したこともあるけど……
でも、そのどれも、素晴らしいとは思っても、そこまで止まりだった。
「どうしてももう一度聞きたい、そうしなければ後悔するって……思ったのははじめてで、だからその感覚を大事にしたんだ」
気楽な冒険者だから、好きにしたって誰にも迷惑はかけない。
……まあでも、貯金するまでにもちょいちょい演奏聞いたりしたから、一途とは言えないけど。
「そこまで言われると、光栄だな」
嬉しそうな声音に、言い過ぎたかと照れていた気分も少し紛れる。
レンは楽団員なのだから、褒められれば嬉しいのは当たり前かもだけど。
でも、私の気持ちが通じたみたいで、くすぐったい感じがする。
「楽団全体の曲の色……雰囲気がすごくよかったのは本当なんだけど、その中でも龍の笛! あれがとても素敵で!」
バーダ島の伝承によると、この島にはじめから住んでいた龍は音楽をこよなく愛していたのだという。
長らく鳥たちのさえずりだけを楽しみにしていたところへ、外から人々がやってきた。
龍は、かれらが島に滞在することを許す代わりに演奏を求め、かれらは楽器を用いて披露した。
その音楽を、龍は大いに気にいったらしく、島の守護まで請け負ったという。。
後に友好と守護の証として、自身の角を渡し、かれらはそれを笛とした。
……勿論、今使っているそれは普通の素材でつくられたものだろうけど。
「はじめて聞いたけど、柔らかくよく響いて、ずっと聞いていたいくらいだった……!」
ほう、と思い出して息をつく。
木管楽器に似ていたけれど、でもどこか違うそれは、はじめてふれるもので。
ところが悲しいことに、我々の記憶の中で一番あやふやなのは音に関するものらしい。
だからどんなに忘れないようにしようとしても、徐々に薄れていってしまう。
それは、音楽を追いかけ続けているからこそ、嫌ってほど知っている。
合間合間に他の楽団の演奏を聞いていれば、それは尚更記憶から遠ざかる。
「段々音がうろ覚えになってきちゃって。それはしかたないことだけど、でもやっぱり嫌で」
あんなに好きだったのに、薄れていくことが悲しいし、そんな自分の記憶も、自然なこととわかっていても情けなくなる。
「次の音楽祭にくるかもわからないし、パンフレットに定期的に演奏してるってあったから……」
だから、音が薄れるに従って、バーダ島へ行きたいという気持ちは強くなった。
音を上書きしたくないけど、聞かないと我慢できないし……と間に滞在した場所でも演奏を聞いていたけど、それも途中から急いだために少し削りさえした。
そこまでしたのは、はじめてのことだ。それくらい、私をひきつけてやまなかった。
「島の伝統に基づく楽器で、他では聞けないなら、やっぱり行くしかない! って」
他で使っているという話を聞いたことはないから、製造方法は秘密だろうし、あんな不思議な音はそう簡単に出せないだろう。
特殊な音なので、一般的な交響曲との相性は今ひとつなためか、有名な曲では笛は使われなかった。
編曲された交響曲も一曲だけ演奏してくれて、それは流石に上手なものだったけれど、やはりオリジナルの楽曲のほうがよく合っていた。
「最後に演奏された龍へ捧ぐ曲、あれは本当に素敵だった!」
民族風のその音楽は、名前のとおり龍のためにつくったものらしく、古典的なメロディーの中に軽快さがあり、これを聞いた龍はきっと喜んだだろうな、と思った。
「それにあの曲には、笛の独奏があったから。その時は目を閉じて全神経を音に集中させてた」
一音も逃したくなくて、戦闘中より殺気立ってた気がする。
決して大きいわけじゃないのに、隅々まで響く音は、後ろのほうの席でも問題なく聞きとれた。
「どこで息継ぎをしているのかわからないほど、本当に流れるような旋律で……終わってほしくないって思った……」
うっとりしていたらあっというまに終わってしまったのが、残念でしかたがなかった。
もっと聞きたかったのだけど、なにせ領内からたくさんの楽団がやってくるから、各自の持ち時間はとても少ない。
有名どころは人数もいるし、日数も多めにとってくれているけれど、小さい領地は……推して知るべしだ。
バーダ島に割り振られた時間もごくわずかで、そもそも毎回くるわけでもない。
入っているのは珍しいからと最初から通った私の判断を褒め称えたい。
でなければうっかり聞き逃していたかもしれないのだから。
「だから今度の定期演奏の日が今から楽しみで楽しみで……あ、でもあの笛って大事なものだから、普段は演奏ないのかな? お祭りとかまでなら勿論待つけど!」
滔々と語っていて、相手からの反応がないことに気づき、はっと我に返る。