鬼と出会う
突然、声をかけられて、びっくりしてしまった。
普段なら気配を感じられるようにしているんだけど、音楽を前にすると、どうしてもおろそかになってしまう……
冒険の途中なら即死もありえるんだから、気をつけなきゃいけないんだけど。……まあ、旅の間に綺麗な音に会えることはないから、今のところ危機一髪! とかはない。
「すみません、もしかして立ち入り禁止でしたか?」
慌てて声のしたほうへ身体をむけて、非礼を詫びる。
敷地の裏手でぼーっと立っている見知らぬ者なんて、どう考えても不審者だ。
トゲのあるトーンなのも当たり前だろう。
「…………いや、立ち入り禁止とかじゃねェけど」
相手は私の反応に驚いたような調子だったけど、少し雰囲気もやわらげてくれた。
ここは自分から説明するほうがいいだろうと、頭の中で言葉を考えていく。
「ええと……私、昨日ここにきた旅行者でして」
「この島に? 観光? 変わってんな」
……現地人はみんなして同じことを言う。
なんだか逆にバーダ島がかわいそうになってきた。
勿論島民のみんなの言葉に卑下するところはなくて、親しみをこめてって空気だけど。
ここは眺めもいいし気候もいいし、楽団もあるから観光地にむいてると思うけど……最大の問題は距離、だよなぁ。
「龍の楽団の公演をどうしても聞きたくてきました。それで、定期演奏がまだなのは知ってたんですけど、場所を確認しにきて」
説明、わかりづらくないかな? 不安になりつつも、聞いてくれる雰囲気のままなので続ける。
「そうしたらたまたま音が聞こえたので……ここまで入ってきちゃいました」
重ね重ねすみません、ともう一度頭を下げる。
「ああ……そうか、ここはちょうど裏だからか」
納得したらしい声に、こっちも把握する、やっぱり練習室の裏手らしい。
音を頼りにしていたら、いつのまにか楽団員が練習している場所のほうにきていたようだ。
彼は完全に警戒を解いたらしく、頭を上げてくれ、と言ってくれた。
「こっちこそ悪かった、最近出待ちするのがいてな、ちょっと神経質になってるんだ」
「出待ち……ああ!」
思い出したのはさっきの女性たちだ。
なるほど、彼女たちの言葉の意味も納得だ。
……にしても出待ちするような人気者がいるなんて、凄いな。
そんなに綺麗な音を出すんだろうか?
「気配がしたんで、そいつらが裏から変な事をするんじゃねェかってな」
たしかに、熱心なひとたちは時々とんでもないことをしでかしてしまう。
ここのところ毎日なら、警戒して当然だ。
そこに私がきたら……そりゃあ、怪しむだろう。
「だから、話も聞かないでキツイ態度取っちまった、すまん」
もう一度謝られて、慌てて両手をぶんぶんとふった。
「いえ! 私、音楽のことになると夢中になっちゃうので……おあいこってことにしませんか?」
「……けど、恐かっただろ」
心配げに言われて、首をかしげてしまう。
たしかにトゲのある調子ではあったけれど、恐いほどではなかった。
言葉はちょっと荒っぽいものの、そんなの冒険者にはごろごろいるし。
殺すだのなんだのと脅されたわけじゃない。
ぶっちゃけもっと恐い思いをしたこともある。
「そんなに恐いとは思いませんでしたけど」
一般人にはあれでも恐いんだろうか、と思いつつ呟くと、彼はちょっと目を見張ってから、苦笑いをこぼした。
「変わってるな、お前さん。普通、ヒトとは違う俺の姿を見ると驚くモンだが」
──姿。
言われてまじまじと見つめて……ようやく納得する。
「たしかに、大きいですものね」
二メートル近くあるんじゃないだろうか、見上げないと視線が合わず、顔を見るのも一苦労だ。
私がしみじみ言うと、
「……そーじゃねェ」
と呟いたけど、なにか違っただろうか。
そんな目の前の彼は、本人の宣言どおりよく見れば、私とはまるきり違う外見をしていた。
肌の色は石像のような黒っぽい灰色で、質感も違うように見える。
頭の上には角がついていて、身体つきも人間より大きい。
種族は鬼……とも違うのかな、混血なのかもしれない。
背が高くてどうしても見下ろされるから、たしかに恐いと思うひともいるんだろう。
……なのだけど、私は見た目に意識がむかないものだから、どうにもぴんとこない。
「えーと……」
どういう反応をするのが正解なんだろう、と首をひねっていると、低い笑い声が響いた。
笑っていても、あまり表情は変わらないらしい。
「面白いなぁ」
くつくつと愉快そうな色は綺麗だけど、どうしてそうなっているのかはさっぱりわからない。
「疑った詫びをしたいところだが、ついでにもうちょっと手伝ってくれないか?」
べつにお詫びされるほどのことじゃないけど、手伝う、という言葉が気になった。
目の前の彼は、困っている雰囲気ではないけれど……
「なにをすればいいんですか?」
様子からしてさほど難しいことじゃなさそうなので訊ねると、
「表に行ってほしいだけだ、さっきの連中のところまでな」
あっさり教えてくれた内容に、なるほど、と思う。
今のうちに、追っかけられている誰かを逃がそうというのだろう。
お安いご用だけど、まだ彼女たちはいるんだろうか。
「中を確認してくるから、先に正面に行っててくれるか?」
快諾すると彼はそう言い、さっさと歩いていった。
私ももときた道をたどっていくと、ほどなく正面入口に到着する。
帰っているかもという予想は外れて、着飾った彼女たちはまだそこにいた、……なかなかしぶといなぁ。
どうしたものかと周囲を見渡すと、さっきと同じ色が見えたので、近づいていくと、彼がいた。
「声をかけたから、もう少ししたら裏から出るはずだ、それまで軽く見張ってたい」
「わかりました」
こっちだと手招きされるまま、彼女たちからは見えづらい位置に移動する。
それは同時にこちらからも見えにくいわけだけど、色は覚えたから、声が動けばわかるので、私は問題ない。
彼のほうは……気配とかでわかるのかな? 落ちついた様子だし。
「今んとこああして待ってるだけで、具体的に何かされたわけじゃねェからな、動きようがないんだ」
なるほど、実害があれば相応の対処はできるけど、そうでなければせいぜい注意する程度だ。
それも迂闊にやれば、楽団としての評判を落としかねない。
人気があるというのは喜ばしいことではあるのだし……領地主体の楽団だから、採算がとれずに解散、という可能性は低くても、人気がなさすぎてはまずいだろう。
「ましてあの中の一人は、島の実力者の娘だしな」
「あー……それはまたややこしいですね」
下手に不興を買っては……という事情まであるとは。
ありがちではあるが、それゆえに昔から解決しづらい問題でもある。
しばらく待っていても彼女たちはそこから動かず、ちょっと見てくる、と彼がまた奥へ消えて……すぐもどってきた。
「無事帰れたみたいだ、ありがとな」
お礼を言われたけれど、特になにかしたわけじゃない。
「家に押しかけたりは、大丈夫なんですか?」
心配になって聞いてみたところ、住居はまだ知られていないらしい。
まあ、いいところのお嬢さんなら、そこまではしたない真似はできないってことかな。
なんにせよ、ひとまずは安心ってことだ。
それじゃあ私も帰ろうかな、と口を開こうとすると、
「詫びも含めて、お前さんが嫌じゃなきゃ、メシでもどうだ?」
──誘われてしまった。
たいしたことはしてないのだけど、断るのも失礼な気がする。
なにより、きたばかりの私はこの島のおいしいものを知らない。
一番は演奏を聞くことだけど、どうせなら満喫したいのは当然だ。
「ええと……じゃあ、お言葉に甘えます」
素直に答えると、そのひとは嬉しそうな色でそうか、と呟いた。