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石井ボンクラ

作者: 後藤章倫

その圧倒的なヴァイオレンスに僕達は完全にひれ伏していた。


石井兄弟が転校してくるという情報は直ぐに学校全体に知れ渡った。石井兄弟の噂はどれも強烈で市内に住む小学生であれば入学したての一年生を除けば、先ず知らない者は居ないくらいであって、中学生から金を奪うなんて事は可愛い事で、祭りや縁日で店を出している的屋からも金を盗み、高校生の頭を割り、バイクで駄菓子屋に突っ込み、女の人に悪戯をし、学校を放火、駐在所の机の引き出しから物を盗み(この時は、どうやらピストルを捜していたらしい)そんな途轍もなく悪い兄弟である。

兄 石井亀雄(12) 弟 石井龍治(11)の小学6年と5年の兄弟で、手をつけられない程の危ない奴らで、付いたアダ名が石井ボンクラ。

その石井兄弟つまり石井ボンクラが来週、この南小に転校してくるというのだ。北小ではもう匙を投げたらしい。


南小学校は全校生徒1260名の市内でも大きな小学校で1学年が6クラスあり、僕達3年4組でも石井ボンクラの話題で溢れていた。

只、どういう訳か実際に石井ボンクラを見たものは居なかった。

しかし其は突然に現実のものと成って現れた。南小は茶色の制服があって上のブレザーは男女共通で、下は各々半ズボンとスカートである。

昼休みに校内放送でかけてもらおうと、父さんに買って貰ったばっかりのまだ2回しか針をおとしていないLPレコードを脇に抱え登校していた月曜日の朝。

後ろからの声に振り向くと、青いジャンパーにジーパンを履いた体格の良い中学生と茶色いジャンパーにジーパンのひょろっとした中学生がいた。

「なぁ、それレコードやろが、なぁ、なぁて」

僕は厭な予感がして小走りで学校を目指した。すると、ひょろっとした方が

「おい、おいて、兄ちゃんが言うとるやろが」

と肩を掴んできた。僕はビビった。そしてこの2人は中学生なんかではなく石井ボンクラだと確信した。

青いジャンパーの方が父さんに買って貰ったばっかりの僕のレコードを取り上げた。

「これを円盤にして川の向こうに投げろや」

このレコードは、お気に入りのヒット曲〖走れ!たこ焼き君!〗が収録されているオムニバスアルバムで、父さんに買って貰ったばっかりの大切なレコードだけれども、僕は石井亀雄の指示に従うしかなかった。

レコードは亀雄の手で乱雑に扱われ、ジャケットから取り出されレコード盤は剥き出しになった。ターンテーブルに乗せる時以外にレコード盤をジャケットから取り出す事など無く、この様に屋外で裸にされたレコード盤が悲しそうだった。

川沿いの通学路は川幅約15メートルで向こう岸の道も通学路に成っており、当然対岸側を登校する生徒が居た。

「早よ、早よ投げぇや」

弟の、ひょろっとした龍治が急かす。

もう色んな感情で滅茶苦茶になりながら、思い切りレコード盤を向こう岸の誰かに向けて投げた。

レコード盤は、思ったより良く飛んだが、対岸の防護壁にぶつかり欠片と一緒に川の中に落ちた。

「あ~あ、勿体な、阿呆やなぁ」

と言って石井ボンクラは学校の方に歩いて行った。

僕はレコード盤が入ってないレコードのジャケットを見つめ、悔しさと悲しさと情けなさと、恐怖とが入り乱れ涙が溢れた。



石井ボンクラが南小学校に転校して来てから暫くは何も起きずに普段と変わらない学校生活だった。しかし偶に登下校時に見かける事もあった。

相変わらず南小の制服は着用せずにジャンパーにジーパンという出で立ちだった。両親の都合でまだ制服を揃えられないというのが理由らしかった。制服を着て登下校する生徒達の中に私服姿の石井ボンクラを見つけた時は見つからないように急いで行くか、遅れて行くかしていた。

何となく登下校時に石井ボンクラを良く見かけるなぁと思っていた土曜日の下校中、後ろからの声に驚いた。

石井ボンクラは兄弟で何やらガタガタと話ながら歩いていて、それはずっと僕の帰る道と一緒だった。今まで気付かなかったが石井ボンクラは、どうやら僕の家の前の道を通って通学しているようだった。

そして家までもう少しの所まできて、僕は急に突き動かされた。レコードを川に投げさせられた事はまだ親には言ってなかったし、とても言えなかった。父さんが僕のためにせっかく買って来てくれたレコード。僕は玄関に走り込み母さんの裁縫箱に飛び付いて、そこから裁縫ハサミを握りしめまた玄関を飛び出した。

すると丁度石井ボンクラ2人が通りかかったとこだった。裁縫ハサミを手にした僕を見て石井亀雄は

「なんやそれ?なにすんじゃい?」

と少しうろたえた。勿論僕は、彼らを刺すつもりだった。石井龍治が

「刺すんか?おい」

と言うと、その言葉を聞いて急に僕は現実に引き戻された。そして咄嗟にそこに生えていたクローバーを、葉の直ぐ下から裁縫ハサミで切って唾を付け自分のオデコに張り付けた。

「こうするの」

と訳のわからない言葉が口を突いて出た。そしてまた同じくクローバーを裁縫ハサミで切っては舐めて唾でオデコに張り付けた。

それを見ていた石井ボンクラは呆れた顔をしてまた歩きだした。自分が情けなくなった。母さんが玄関を開け

「お昼出来たよー」

と僕を呼んだ。オデコにはクローバーが3つ張り付いて居た。



オンキャと山下デコボコと僕は仲の良い友だちだ。いつも一緒に遊んでいる。この土曜日も昼から集まり遊ぶ事に成っていて集合時間近くになりいつもの木の下へ行くと、もうオンキャが来ていた。

オンキャは恩田正典という名前で、特に漫画やアニメが好きで、急に何かのタイミングでスイッチが入ると突然そのキャラクターなどに成りきって発言や行動をするからビックリする時がある。

そうなるとオンキャは声や動き、話し方まで、僕達が知っているキャラクターだろうが知らないキャラクターだろうがお構いなしに其に成る。いつだったか大きな岩が7つ程置いてある建築資材置場で、その岩の上で鬼ごっこをやることになり、オンキャが鬼という事で始まると、オンキャはたちまち猿になりギャーギャー言いながら猿の如く追ってきた。

しかしオンキャはお世辞にも運動神経が良いわけではない。しばらく逃げ回っている僕達を追いかけ回していたオンキャは、突然足を滑らせて、側頭部から岩に頭をぶつけて倒れてしまった。

動かないオンキャ、僕達は焦った。近くの駄菓子屋ヒラモトに助けを求め、ヒラモトのおっちゃんが救急車を呼んでくれて病院へ行った事がある。幸い大事には至らなかったから良かったものの、両親にこっぴどく叱られた記憶がある。

ただそのキャラ変以外は普通の気の良い友達なのです。(キャラ変する段階で普通では無いが)

オンキャはユーモアに溢れ、いつも楽しそうなのに、ふいに無口になった時の顔は、ちょっと不気味さもあった。


続けて山下デコボコがやってきた。山下デコボコ、もちろん本名では無くアダ名である。

山下デコボコは5人兄弟の長男で、姉弟の面倒を良くみるし、性格も明るく、誰からも嫌われたりしていなかった。そんな彼も僕とオンキャの親友だ。

しかし、山下デコボコの家に遊びに行った時の事は明確に覚えている。山下家の前は清流が流れ、ヤゴやイモリなどの生物が文明の影響などを受けずに暮らしていた。段々と日が暮れ始め、家の中も暗くなってきて電気をつけたほうが良いんじゃないかなと思ってきた。ふと、見たいテレビ番組を思いだしテレビを探した。部屋をグルリと見渡してもテレビが見つけられない、それどころか電化製品が見当たらない。

台所ではロウソクの火みたいなあかりが灯っていて山下デコボコのお母さんが夕飯の準備に取りかかって居た。そうか、この家には電気が通ってないのかと、ようやく気が付いた。

山下デコボコ姉弟は、特に電気の事など気にもせずに普段通りみたいだった。僕は自分の家に帰る為に山下家の玄関を出た。すると家の中より遥かに明るい夕焼けが何となく切なかった。

さて、今更ながら何故に山下デコボコがデコボコと呼ばれているのか?彼には山下秀之という立派な名前があり、クラスの皆からも好かれている。彼は坊主頭で、そしてなんというか頭の形がいびつなのです。デコボコなのです。ただそれだけの事で彼は山下デコボコと呼ばれていました。

しかし彼は人気者であり、それを物語るように彼にはテーマソングというか、そういうものがあって、彼を呼ぶときはみんな口々に

「や~ましたぁ~♪デェコ!ボォコ!♪」

と愛情込めて歌います。



オンキャと山下デコボコが揃ったところで、今日は何する?となり、自然と話題は石井ボンクラの事に。

「そう言えば、石井ボンクラは僕の家の前の道を通って通学してるみたいやけど、どこに住んどるか知っとる?」

すると山下デコボコが

「たぶんやけど、俺んちに行く途中に黄土色の壁のアパートあるやん?たぶんあそこやと思うったい」

山下デコボコの家は、僕の家の前の道を真っ直ぐ山の方へ進んで行き、最終的にグラウンドに突き当たるのだけど、そのグラウンドの入り口の直ぐ脇に建っている。グラウンドは特に何も無い殺伐としたグラウンドで偶に地域のスポーツイベントが行われる以外は、このグラウンドへ足を運ぶ者は皆無だった。山下家より先には家などは無かった。

僕の家の前の道から山下デコボコの家までの道中には数件の家と、その黄土色の壁のアパートがあった。

「ちょっと行ってみん?」

好奇心の塊のオンキャが言った。僕は、ひょっとしたら石井ボンクラがそこに居るかもしれないし、もし居たとして見つかったら何て言い訳すればいいのか?そんな事を思った。

「どうせ俺は帰り道やし」

山下デコボコが呟いた。

「そうしたら、山下デコボコんちに遊びに行くって事で、あのアパートの前を通ってみようか?」

オンキャが言い、僕達は納得して黄土色の壁のアパートを目指した。


いつもより足取りが3人共重かった。道沿いの電柱にゴマダラカミキリとシロスジカミキリを見つけて捕獲した。シロスジカミキリは結構大きかった。

5分も歩くとあの黄土色の壁が見えてきた。

「あそこやんな?」

「そうそう、あそこ」

「おるかな?」

「知らん、おるんやない?」

そんな事を話ながら僕達は、黄土色の壁の前で足を止めた。アパートの外階段を下から眺めると階段を上がって直ぐの部屋のドアが開いていて中の様子が伺えた。

段ボールの荷物を片付けているような3人が見えた。そしてその内2人は、やはり石井ボンクラだったが、その立ち振舞いや表情がいつものあの狂暴な感じでは無いように思った。

母親らしい女の人と石井ボンクラの2人は笑顔で作業をしていた。あんなに優しい顔もするんだなぁそう思った時、女の人と目が合ってしまった。

「あら、お友達?」

そう女の人が言った途端に、石井ボンクラが此方に目を向けた。その目は何時ものあの目だった。

僕達は目を反らし無言で山下デコボコの家の方向に歩きだした。

タタタタタンと外階段を走って降りてくる音がして

「おい、待てや」

と引き留められた。ひょろっとした石井龍治だった。そしてゆっくり外階段を降りてくる音がして石井亀雄もやってきた。亀雄が口を開いた。

「何しよん?」

山下デコボコが機転を利かせ

「僕んちに遊びに行きよる途中です」

龍治が空かさず

「お前ら、家ん中覗いとったやろが?」

オンキャは訳分からなくなって

「歩いとって、ちょっと疲れて休んどっただけです」

と言うと、亀雄はオンキャの手にシロスジカミキリを見つけた。

「カミキリやんけ、見せ」

と強引にシロスジカミキリの脇の所を持っていた手からシロスジカミキリを奪った。僕達は、びっくりして

「あっ」

っと声が出た。

シロスジカミキリを取られたからではなく、亀雄の扱い方に驚いたのだ。程なくして道路に鮮血が滴り落ちた。亀雄は顔が歪んだ。

「うわぁぁ、切れた切れた、痛ってぇ」

亀雄は顔を真っ赤にして苦しそう。オンキャはシロスジカミキリを取られた勢いで左手に持ってたゴマダラカミキリを地面に落としていた。

「兄ちゃん、どうした?何で血?」

と龍治が亀雄に近付いた時、ゴマダラカミキリが龍治の足に踏まれそうになりながらも、上手いこと靴にくっついた。

亀雄は人差し指の付け根を思い切りシロスジカミキリに噛まれザックリ切れて手は血だらけになってて、更に亀雄が悶絶した。

「うわぁぁぁぁ」

亀雄は今にも泣き出しそうだった。シロスジカミキリは体を反転させ親指にも鋭いアゴをめり込ませていた。

「痛い、痛い」

遂に亀雄の目から涙が溢れた。亀雄の隣に龍治が来た時、今度は龍治が声をあげた。

「うわっ」

ゴマダラカミキリは龍治の足を這い上がってた。そして龍治が払い除けようとしてゴマダラカミキリに触った時、龍治の腿の辺りをゴマダラカミキリにやられていた。

「痛い、痛い」

龍治も泣き出した。僕達は目の前の泣きじゃくる兄弟が、今まで恐怖の対象でしかかなったあの石井ボンクラなのか?と困惑した。

アパートの外階段を女の人が降りてきて

「どうしたの?血?血じゃない、何?」

と慌てた。その女の人は、この兄弟の母親で、そして僕達の母親とは雰囲気が違っていて、とても綺麗な人だった。

亀雄は母親に向かって

「こいつらが、こいつらが、」

と声にならないながらに訴えていた。僕達はどうしていいのか分からなかった。カミキリ虫は居なくなってて、母親は黙って彼らをアパートの中へ連れて行った。


僕達は山下デコボコの家の方へあてもなく歩きだした。

「なぁ?どう思う?」

「わからん、アレやろ?」

「石井ボンクラやんな?アレ?」

僕達は複雑な感情を抱いていた。そしてオンキャがボソッと言った。

「石井ボンクラて弱い?」

確かにカミキリ虫に噛まれたら痛い。指も切れるし、血も出る。けど泣くか?

「なんであんなん泣くの?」

僕達は考え込んだ。石井ボンクラの噂は強烈なものばかりだったけど、それは噂であって勝手にこっちがビビってただけなのかもと考え始めた。

「石井ボンクラが喧嘩したとこ、悪さしてるとこて見たことある?」

僕が言うと2人共頭を横に振った。あの噂が、あの態度が服装が、喋り方が勝手に石井ボンクラ像を作り上げていたのじゃないか?現に石井兄弟は学校で問題を起こしたことは無く、学年が違うから登下校時にしか遭遇しないが暴力を振るったりはしていない。


僕達は山下デコボコの家まで行き、そして山下デコボコと別れ、またオンキャと2人で来た道をトボトボと引き返した。当然あの石井ボンクラが住むあの黄土色の壁のアパートも通らなくてはいけない。

僕達2人は徐々に速足になり小走りでそこを通過するつもりだった。外階段から見えたあの部屋のドアは閉められていた。



6年生に兄貴がいるカッちゃんが朝から教室で得意気に話し始めた。

「なんかな、石井ボンクラて転校するらしいわ」

誰かが

「なんで?」

と聞くと、一瞬でその理由がまさか僕達3人の事ではないか?とちょっと心配になった。カッちゃんは続けた。

「あんな、石井ボンクラの家てアレらしいわ、なんつーの?旅芸人?そんでこの街の公演が終わったから、また次の街に行くらしいわ」

僕とオンキャと山下デコボコは顔を見合わせた。だから段ボールを片付けていたのだ。という事は、あのお母さんはその一座の女優か何かやってて、だからあんな綺麗だったのか。

全てに合点した。

制服もそう、初めから揃えるつもりなんか無く、そういう事も学校も了承済みとかに成っててで、あの態度や言葉使いは、実は演技だったとか?いやそれは無いか、それにしてもレコード。


チャイムが鳴り授業が始まった。結局は何も無かったのかもしれない。ただの日常だったのかもしれない。噂に踊らされ浮わついていたのは自分達だけだったのかもしれない。


大人に成った今でも偶に思い出すあの兄弟、石井ボンクラ。家のレコード棚にはレコードが入ってないジャケットだけがB.B.キングやロバートジョンソンのレコードに挟まれて居心地悪そうに其処にいる。




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