表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

夏の終わりに見た現はいったい何だったのか。~離れ離れになった幼馴染と、十年後に思い出の公園で再会した~

作者: 虚狼ちゃん

 久しぶりの投稿ということで、リハビリがてら短編を書いてみました。


 夏ということで、ちょっと切ないものをホラーみたいな感じで。でも、怖いというわけでもないので、ブラウザバックはしないで。


 短いものとなっておりますので、楽しんでいただけれたな幸いです。



 カナカナ。カナカナ。


 終わりの音が聞こえる。今年も夏の終わりがやってくる。喧騒な音から始まった大合唱が、元気な声に変わり、寂しげな響きで締められていく。何も変わっていない。



「あんた、いつまでゲームやってるんだい」



 そんな自然の大合唱に紛れて、我が家産ガミガミゼミであるの怒鳴り声が聞こえてくる。風流なんて何もないつまらない音色だ。



「人の話を聞け」



 ぶつん、という音を残し、俺が眺めていた画面がブラックアウトする。なんとあり得ないことに、このセミは駆動中のゲームハードの電源を抜くという奇行に走りやがった。



「なんだよ」


「なんだよじゃない!」



 苛立ちを覚えながら、その虫のいるほうに顔を向け口を開く。その目には、いまにも爆発しそうな表情が見て取れた。



「今日何日だと思ってるんだい」


「八月三十一日」



 俺は素直に答える。



「そうだよ。今日で夏休みも終わりなのに、毎日ごろごろごろごろして。だらしないったらありゃしないよ」



 素直に答えたはずなのに、なぜか怒られている俺。

 目の前の虫が、何に対して憤りを感じているのかが分からなかった。



「うるさいな。人の勝手だろ」


「なに言ってんだい。夏休みの間一切外に出らずに、墓参りにすら行こうとしない。私はこんな子に育てた覚えはないよ」


「いい子に育てられた記憶もないけどな」



 ぱしん。その叱り声に対して皮肉を返すと、頭に衝撃が走った。

 稲妻。鎌鼬。そんな言葉で表現できそうな鋭さを孕む一撃。殴られたところを押さえつつ顔を上げると、お玉を持った母がいた。



「なんてもんで殴ってんだよ」


「なんてもんで殴らせんだよ」



 もう一回叩こうとする動作を見せてきたので、臨戦態勢に入る。しかし、母は叩く気はなかったようだ。はぁ、とため息を吐いて手を引っ込めた。


 俺にその汚いケツを見せつけるかのように、母は身体を反転させる。



「あの公園、今年でなくなるんだってさ」


「……そう」



 台所に戻ろうとする母がそんなことを呟く。その声には、なにかしらの哀れみの色が見え隠れしていた。


 かち、かち、と掛け時計の秒針の音が響いてくる。静寂が俺の部屋を流れた。

 ぼーんぼーん、という音を響かせて時計が鳴る。十六時だ。



「ほらあんた。いっとき外に出ていきなさい」



 その音と同時に、母がまた俺の部屋に来る。

 その手にはお玉がなく、代わりに樋口一葉が握られていた。五千円札を俺に差しだしてくる。



「なんでだよ」


「バルサンを焚くんだよ」


「なんで今の時期に」



 季節は夏だ。バルサンをいつ焚くか知らないけど、普通春なんじゃないのか。



「なに言ってんだい。最も効果があるのは秋なんだよ。なら、いまやるしかないでしょ」


「まだ夏だ」


「今日で夏も終わりだよ。明日から秋だ」



 そんな感じで、俺はその手に五千円札を握りしめさせられ家を追い出された。


 今年は冷夏。だけど夏だ。

 いまだにしぶとく残り続ける熱が迸る太陽を味方につけて、大地を焼いてくる。ついでに俺も焼かれていく。



「あち~」



 冷夏というのは嘘だったのか、と思いたくなるほどに全身から汗が出てくる。

 雲一つない青空。太陽がかげることも期待できそうにない。


 はやく涼しいところに行きたいと思い、近くのコンビニで暇をつぶそうと考えていたら、その通りにある近所の公園が目に入った。



「……」



 ――あの公園、今年でなくなるんだってさ。


 先ほど、母がそう言ってたことを思い出した。じーっとその公園を見つめる。そこには元気に遊ぶ子供と、その親御さんらしき人物が見て取れた。



「あれから十年か」



 失念と後悔に悩まされた日々。セミの抜け殻になった。あそこにはもう行っていない。近づいてもいない。無意識に避けてるのだろう。


 でも、夏が来るたびに思い出す。あの日を。忘れたいくらいの出来事を。もうなくなってしまえと願っていた思い出を。



「行ってみるか」



 だが、それが本当になくなる。

 それを感じると、無性に虚しくなった。完成しかけていたパズルのピースが、あと一つ足りなかった感覚。俺の中から、何かを構成していたものが唐突になくなる。


 それが嫌で、自分が否定される気がした。

 そんなことを感じてしまったからだろうか、俺は十年間一切近づこうとしなかったあの場所へ行こうと決めた。


 行きかけに通りかかった花屋でお供え物を買い、じりじりと蜃気楼のようなものが湧き上がる道を俺は歩いていく。


 ささぁ、ささぁ。


 幾分か風が吹いてくる。砂が波のように舞い上がる。

 その形は、富岳三十六景の神奈川沖浪裏のようなビックウェーブだった。


 グゥーン、と一般車両とは違う、低く重いベースギターのような音を立てながら、それをサーフィンするトラック。


 ここまで歩いてくるまでも、工事現場が多くあった。都市化。そんな時代の波の呑まれて、目の前の公園も消えようとしている。



「何年ぶりになるか」


 『ふたば公園』と書かれた門をくぐる。

 少し歩き、右手に目をやるとブランコがあった。青のパイプと黄色の板に銀の鎖。あのときよりも、少しだけ色が落ちている。

 だけど、何も変わってない。


 ザクザク、と軽快な音が足を伝って響いてくる。この音も変わらない。大地が奏でる音色は、昔から変わっていない。

 ただ、あのときよりも低音に聞こえるくらいか。



「次はあっちに行こうよ」


「うん」



 後ろを子供たちが通り過ぎる。科学が発達した今でも、昔と変わらず外で遊ぶ子供たちはいっぱいいる。

 こんなところも変わっていない。


 だけど。


 目の前の木を見上げる。成長もほとんどしておらず、あのころと何も変わっていない。


 今も変わらず立ち続ける木の根元に、俺は花束を置いた。

 シオンの花。夏の終わりを告げる秋風にゆらゆらと揺れた。


 それに思いを込めながら、俺は目を瞑る。

 何を思ってここに来たのか、何を考えてここに花を添えるのか、自問自答を始めた。





 ふわっ。


 もうその日で夏は終わるというのに、それは秋風というにはまだ遠い。

 それが僕の頬を撫でて、彼女のワンピースを揺らした。真夏の太陽を強く反射する純白がまぶしい。



「なにしてあそぶ~」


「なにしてあそぼっか~」



 いつものようにそんなことを言って、公園の門を急ぎ足でくぐっていく。

 今となっては考えられないほどのパワフルさ。それほどに僕は子供だった。



「えへへ」



 彼女が屈託のない笑顔を僕に向ける。身体の前で組んだ手には、一つの指輪のようなものが見えた。


 琥珀のような橙色をした何か。小さな小粒のシルバーがそれを囲んでいる。澄み切った純粋な色。

 彼女のような真っ白に近い手には、そんな感じの指輪はよく似合っていた。


 ひまわりに似た意匠を施されたそれを、少女は大切そうに触る。



「またつけてきたの」


「うん、ゆうちゃんからもらったものだからね」



 その指輪は、彼女に向けて僕が贈ったもの。

 一週間前、近所で夏祭りがあったとき、僕が出店で買ってプレゼントしたのだ。



 ――なにかほしいものある。


 ――ほしいもの? うーん、きれいでかわいいものかな。


 ――きれいでかわいい、か。……あっ、これなんてどう。


 ――これって、ゆびわ。ほんとにいいの⁉


 ――うん。ぼくからぷれぜんとだよ。


 ――ありがとう。ずっとたいせつにするね。



 あのときの笑顔は、僕にとって忘れることのできない大切なものになった。

 とても大きな、指輪と同じひまわりのように澄んだもの。



「さ、きょうはかくれんぼしようか」



 夏祭りのときの事を思い出していると、彼女が遊びの提案をしてくる。



「いいよ、じゃあぼくがおにをやるよ」



 上機嫌だった僕は、鬼を買って出ることにした。

 彼女は隠れるのが好きで、とても得意だった。だから、僕は彼女が喜ぶことをした。



「いいの⁉ じゃあ、あそこの木で十秒数えてね」


「うん」



 僕はその木に向かっていった。

 振り返ると、彼女がさんさんと輝く太陽のような笑顔でこちらを見ている。



「じゃあ、かいしね」



 そう言って、彼女は僕に背を見せて走り出す。

 僕も、それを見届けてから背を向け、ゆっくりと数え始めた。



「いーち。にーい……――」



 なんとなくだけど、彼女が遠ざかって聞くのが分かった。トタトタとした軽い足音がかなり速いテンポで聞こえてくる。

 その音のする方向に目星を付けながら、僕は数えるのを続けた。



「なーな、はーち、きゅーう」



 ザザァ。


 急に僕の後ろからそんな音が聞こえてきた。

 なんだろう、と思いつつも僕は振り向かなかった。数えるのをやめなかった。

 ここで振り向いていれば……。



「じゅうっ! も――い――か――い」



 なにも返ってこない。

 まだ隠れている途中なんだろう。もう一度行ってみる。



「もういいかーい」



 だけど、なにも返ってこない。

 静寂だけが聞こえてくる。さすがに何かないと不安になってくる。



「もういくよー」


 ザハザァ。


 今度は返ってきた。でも、木の葉がこすれあうような、踏み鳴らすような音だった。

 僕はちらっと後ろを振り返る。



「もういくからねー」



 やっぱり何もない。

 ファサァ、と夏風に揺れる木々の音だけがその言葉に返事をしてくれる。

 僕はそのとき、はじめてこの公園を怖いと思った。



「なんでへんじしないんだろう」



 そう口にしたとき、ある事を思い出した。


 前にも同じような事をしたとき、こっちから声がしたからと言ってすぐに見つけたことがあった。

 たぶん、それを警戒して声を出していないんだと、僕はそう考えるとともに、やる気になった。



「よーし、みつけるぞぉ」



 足音から、広場のほうに言ったことは分かっていた。

 僕がさっきまで目を伏せていた方にある森にはいないだろう。そう思っていた。



「ここかな。うーんちがう」



 シーソーや滑り台。多目的遊具などをくまなく探すが、まったくもって見つからない。彼女は隠れるのがうまかった。

 どこにいるのか本当に分からなくなってくる。


 森のほうにも探しに行った。森林浴が楽しめそうな遊歩道がある森。

 見通しはそこまで悪いわけでもなく、文化的なにかを匂わせる石造りの灯篭。

 その周辺もくまなく探すが見つからない。探し始めてから一時間が経とうとしていた。



「もしかしてかえったのかな」



 前に一度、彼女は何も言わずに家に帰っていった時がある。そのときもかくれんぼの最中だった。

 理由を聞いたら、僕に怒っていてイライラしてたらしい。懲らしめてやろうとしてやったことだった。



「こんなにさがしてもいないんだし、いっかいかえろっかな」



 もしかしたら、また何か怒らしてしまったのかもしれない。もしくはただの気まぐれか。

 ここまで探しても見つからないのだ。そうに違いない。



「ぼくもうかえるからねー」



 やはり返事がない。

 隠れているなら、なにかしらの言葉があってもいいはずだ。だけど聞こえてくるのは、相変わらず木々のこすれあう音のみ。

 やっぱりいないのだ。そう思って僕は帰路に就いた。


 テトテトと歩いて帰る。家が見えてきた。

 前のほうには黒に近いシックな感じの家が、後ろのほうには鶴のように白い家が見える。手前が僕、後ろが彼女の家だ。


 ぴんぽーん、と僕は彼女の家のインターホンを鳴らす。しかし、返事が返ってこない。

 もしかしたら、僕だと気付いて黙っているのかもしれない。そう思って、いったん諦めたふりをした。


 ピーポーピーポー。

 自分の家に入ろうとすると、サイレンがこちらに近づいてくるのが分かった。

 そちらを見てみると、救急車が向かってきている。そのまま僕のところを通り過ぎ、僕が歩いてきた道のほうに走り去っていく。


 ちょっとした好奇心に駆られるが、とりあえずやることをやろう。

 家の中に入り、玄関近くの廊下にある固定電話を手に取る。ダイヤル番号を押した。もちろん隣の電話番号だ。



『お急ぎの方は発信音のあとにお名前とメッセージを――』



 だが、誰も電話を取ってくれることはなかった。

 僕は、留守番電話のガイダンスが流れ始めると、受話器を置いて電話を切った。



「おかしいな。このじかんならおばさんはいるはずなのに」



 そんなことを思っていると、外からまたサイレンの音が聞こえてくる。

 ウゥ~ウゥ~、という音が聞こえてきた。窓から覗いてみると、今度はパトカーだった。


 何かしらの不安に駆られるが、とりあえず関係ないことだと割り切る。

 彼女が家にまだ戻ってないことを確認できたため、いったん公園に戻ることにした。


 先ほどの道を戻っていると、さっきまではなかった雑踏が耳に届いてきた。見てみると、先ほどのパトカーがそこの中心にいる。

 赤々としたランプが世界を照らしは消えを繰り返す。

 僕は好奇心でその雑踏に近づいていく。



「――おん」



 聞きなれた声が聞こえたような気がした。



「しおん」



 聞き知った名前が呼ばれたような気がした。



「詩音……ッ」



 気のせいではなく、確かに聞きなれた声から、聞き知った名前が呼ばれている。

 心臓がドキドキする。手が汗ばむ。足取りがおぼつかなくなってくる。視界が酩酊する。

 人の林をかき分けるように、前へ前へ進んでいく。


 息が上がる。動悸が激しくなる。胃が、肺が、内臓のすべてが、身体を突き抜けそうな感覚に陥る。

 身体が反転しそうな感覚にさらされた。



「あ」



 林を抜け、人垣の一番前に出ていったとき、あるものを目にする。

 周りを囲む警察の人。タンカのようなものを抱えるヘルメットをした白服の人。それに泣きつく先ほどまで電話をかけようとしていた女性の姿。

 そして、小さな手。


 布からずり出たそれは、壁土のようなものがこべりついていた。

 そしてその手には、指輪があった。ひびが入り、血や泥で薄汚れ、激しく汚された、ひまわりがあった。



「あ……」


「入っちゃいけないんだよ、坊や」



 警察の人が何かを言ってくるが、頭で理解できなかった。

 ボトボト、とそれに近づいていく。近づくことによって鮮明になってくる。


 花びらがかけたひまわりが。


 赤黒く染まった琥珀が。


 黒く薄汚れた手が。



「詩音と、詩音と一緒に遊んでたんじゃないの!」



 ガァッ、と肩を掴まれる。

 近づいてくる僕にあばさんが気付いてそんな言葉を投げてくる。痛いくらいに肩を掴まれる。



「あなたが、あなたがいなかったから詩音が……ッ」



 そのまま地面に押し倒される。目に見えるおばさんの顔は憎悪に染まっていた。



「あなたのせいで詩音が、詩音がッ!」



 頭が真っ白になってくる。目の前が真っ暗になっていく。何かに沈んでいく。

 僕は顔を闇に埋めることしかできなかった。





 ゆっくりと目を開け、顔を上げる。

 視界には、先ほどと変わらずあの木がある。でも、想像よりもそれは低く感じた。縮んだのか。

 いや、この感覚の理由は自分が一番よく知っていた。僕が――。


 俺が成長したんだ。


 何も変わらない空間で、唯一変わってしまった。あのときから固定されている世界で、俺だけが変化している。

 あのときとなにも変わっていない。あのときと同じ、子供二人と大人一人。

 だけど、俺が大人になってしまった世界。その事実は、現実という刃となって向かってくる。


 だが、そんな世界もとうとう変わってしまう。崩れてしまう。

 この世界での夏は今年で最後だろう。今日で最後。蒸すような暑さが消え、灼くような橙色の太陽も赤黒く染まり始め、秋の訪れを感じさせる風が吹く。

 来年も再来年も十年後も、太陽はその色を変え秋風は吹く。だけど、ここはもうない。ここでそれが見れることはない。


 だからかもしれない。あれから十年間、一度もここに来たことがない俺が、この地に訪れようと思ったのは。



「俺が指輪なんて送らなければ」



 詩音が死ぬ原因を作ったホームレスが供述していた。

 とても清楚そうで、金持ちの子供に見えて、なにより高そうな指輪をしていたから、誘拐して指輪を売り飛ばせば金になると思った、と。


 ホームレスは詩音に迫り、詩音は指輪を渡すことを拒否した。それでちょっと脅していると、俺が探しに来た。

 ホームレスは詩音を抑え、俺が去るのを待ったらしい。詩音は隙をついて逃げ出した。がむしゃらに逃げる中で道路に飛び出して、そして――。



「俺がもっとちゃんと探していれば。俺が返らずにずっと公園に居れば」



 世界は変わったかもしれない。


 悔めば悔やむほど後悔は増えていき、どれだけ悔やんでも消えることがない。

 コールタールのようにドロドロした黒が、俺の心にべったりと残り続ける。


 これを燃やし消してくれる太陽はもういない。今まで忘れようとしていた笑顔を思い出してしまう。

 こちらをのぞき込んで無邪気に笑う姿は、もう見ることができない。



「くそっ」



 ガツンと目の前の木を殴りつける。

 この忌々しい樹を殴りつける。

 この木に映る、後悔にまみれた僕を殴りつける。


 ポタポタ、と拳から赤い涙が垂れていく。鬼灯よりも赤く照り光る雫が落ちていく。水たまりが広がるように花弁に落ち、紫を橙に染めていく。

 忘れ草に変えていく。



「もういいかい」



 シオンの花が再び揺れる。

 偽善の象徴。ただの自分を埋めるためのエゴ。最後に見た彼女の幻想を追うように持ってきてしまった花。

 それが哀しそうに揺れる。



「もういいかい」



 返ってくるわけのない言葉。

 十秒どころか、十年越しに語りかけたその言葉。だが、それを返す人はもういない。

 ザワ……、とあのときと同じように、ただただ木々がこすれあう音だけが返ってくる。

 それだけが返ってくるはずだった。



「……もういいよ」



 世界が薄暗くなる。太陽が陰る。

 俺は振り返った。



「もういいよ」



 あのときと変わらない姿で、あのときと変わらない笑顔で彼女はそこにいた。

 こっちにおいで、というような顔で挑発してくる。


 まって、おいてかないで。


 向こうに走り去っていこうとする彼女の右手の指には、ひびなんて一つもない、欠けた花弁なんて一つもない、汚れなんて一つもない指輪が確かにはまっていた。


 もうおいてかないでよ。


 彼女の姿が消える。生け垣の裏に隠れるように曲がっていった。それを追いかける。

 俺が曲がったときには、彼女は公園の入り口の前にいた。僕を手招きするように立っている。


 もうすぐ、もうすぐだから。


 入り口のほうに全力疾走していく。

 ぜぇぜぇ、と息が上がった。久しぶりの運動に膝に手をついて、息を荒げてしまう。

 それを整え顔を上げると、彼女が道路の向こうに立っていた。


 やっとだね。


 僕はそこに歩みを進めていく。

 あのときに失った時間を取り戻すように、ゆっくりとゆっくりと時計の砂がさらさらと流れるように、そこに足を踏み出していく。


 ああ、ようやくだよ。


 なにかをこするような高音と、突き抜けるような純音。それを共鳴させようとするベースギターの低音が、見事なコントラストで響いてくる。

 僕たちの再開を祝福するかのような音色だ。スポットライトが当たるように、陰っていた世界も明るくなる。


 歩みを止めないまま、僕は彼女に手を伸ばす。彼女も僕に手を伸ばし返してくる。その手が重なる瞬間、僕は目を閉じた。

 いままでの思いが、頭の中から、胸の底から、体中からあふれてくる。

 僕と彼女の身体が赤い糸で結ばれていく。

 体が熱くなってくる。身体が宙に浮いているような、憑き物がが落ちたような感覚がした。


 そして、いままで溜まりに溜まっていたコールタールを洗い流すかのように、僕はその言葉を口にした。



 ――しおちゃん、みーつけた。


 ここまで読んでいただきありがとうございます。


 面白かったでしょうか。もしそうだったら幸いです。


 主人公がどうなったのかなどの感想をお待ちしております。


 よろしければ、評価やレビューをしていただけると幸いです。ブックマークもいいぞよ?


 好評であれば、続きを出したりするかもしれません。よろしくお願いします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 夏が終わると言う漠然とした寂寥感、過去の悔い、感受性豊かな人は自分の感情すらも綯い交ぜにされてしまいそうな文章、表現力です。 視点が固定されているので、本人にとっての事実だけがあるのがいい…
[良い点] 後半になるにつれて、引き込まれるよう。夏の少年たちの描写も丁寧で、風景が目に浮かぶようでした。 [気になる点] 最初の母親とのやり取りが、少し気になりました。具体的には、上手く言えませんが…
[良い点] ・美しい世界観に没入できました!ストーリー自体はいいですね。生きることを決意するストーリーにしても、最後に死ぬストーリーにしても、面白い短編になりそうだなと思いました ・同じ比喩を使うこと…
2019/07/16 08:40 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ