前編
※主人公は『悪役』です。
「ねぇ、サクラ様? 私、どうしても分かりませんの。なぜ貴方は私の気に障ることばかりなさるの?」
良家の子女子息が集まる王立高等学園の、人気のない教室の中。
壁際に追い詰められたのは桃色の髪を編み上げた愛らしい少女、サクラ。
彼女を追い詰めている張本人であり、正面に立つエリーゼの背後には仁王立ちした取り巻きその一とその二が控えている。
三人対一人では、サクラは逃げることも難しいだろう。
「あのっ、あの……エリーゼ様。わたし、そんなつもりでは」
彼女は今にも泣きだしてしまいそうな顔でプルプルと震えている。
白い頬を真っ赤に染め、桃色の丸い形の瞳にたっぷりの涙を溜め、唇を戦慄かせていた。
エリーゼはそれが面白くて、わざとらしく頬に手を当てて首を傾げてみせた。
「そう。ではどういうつもりなのかしら」
「え、その」
「たかが貴族社会の端っこギリギリに名を連ねるだけの辺境の地の男爵家三女程度が、公爵家の長女である私の婚約者であり、我が国の第一王子セルビオ様になれなれしく近づくのは、どんなつもりと伺っているのよ」
「つっ……。私のことならばともかく、家を侮辱するのは……」
「あら。辺境の地の田舎貴族ということも。第一王子セルビオ様に軽々しく接していい立場ではないということも事実でしょう? 私はあるがままを口にだしただけです」
「そんな……」
「ふふっ」
白銀の髪にアイスブルーの色の瞳。切れ長な目元と吊り上がり気味の眉。
加えて十五歳にしては大人っぱく色香のあるエリーゼが冷ややかに言い放つ様は、非常に威圧感があった。
一部で『氷の女王様』と呼ばれるに程度には、冷たい容姿と性格をしている。
そんなエリーゼの迫力に、子ウサギのような少女サクラはただただ怯え、小柄な身を縮め、震えるしかなくなってしまっていた。
(あぁ、どうしましょう)
目の前で怯え、潤んでいくサクラの桃色の瞳に、エリーゼは広げた紫色に蝶柄の扇で隠した口元に弧を描く。
(―――――本当に、この子は私の嗜虐心を煽ってくれるわ)
エリーゼは、楽しい、のだ。
サクラを虐めることが。
……実のところ、エリーゼは婚約者であるセルビオにそれほど執着していない。
公爵家と王家は昔から深いつながりを持っている。だからこそ更なる強いきずなをと、国の利益や将来性なども考えて、親たちが縁談を決めた。
婚約者となってから会う機会は増えたが、特にエリーゼとセルビオ王子の趣味が合うとか、性格が合うとか思う事もなく。
まぁ普通にいい人だから構わないかという感じだった。
貴族の婚姻なんてこんなものだと、あっさりと割り切ってもいた。
しかし一応は婚約者。
十五歳になって王立高等学園に入学するなり、無遠慮に彼に近づくようになった女性が出てこれば、注意しないわけにはいかない。
お互いの立場上、変な噂が立てばどちらにとっても命取りになるからだ。
そうしてエリーゼは王子と仲良くしているサクラに、半年ほど前からチクチクチクチクと嫌味を言っているわけだが。
「そのっ、私、本当にそんなつもりではなくっ……。王子はお優しいから、気を使って下さるだけで。あの、そのっ……!」
彼女の反応は面白い。
(睨みつければ跳びあがるほどに驚き、嫌味を言えば顔を真っ赤にして泣いてしまうのよね。分かりやすい反応で見てて飽きないわ)
我ながら性格が悪いと思いつつ。
人を虐げることが、エリーゼは本当にただただ楽しかった。
「ねぇ、本当にいいかげんにして下さらない? 以前から言い訳ばかりで、どれだけ注意しても結局行動を改めることもないでしょう」
「っ…………」
さらにキツい口調で責めると、ついにサクラは唇を引き結んだまま俯いてしまった。
お腹の前でぎゅうっと握った手は恐怖からか奮えている。
(あらあら。泣いちゃうかしら?)
桃色の瞳から涙がこぼれる姿を想像するとたまらなく胸が踊った。
「……この私と話しているのだから、目をみて話しなさい。びくびくとしてみっともない。もっと淑女らしくお淑やかに、かつ堂々とお話しなさいな」
エリーゼは持っていた扇を畳むと、その先端で俯く彼女の顎をとった。
次いで、ぐっと力を込めてサクラの顔を無理矢理あげさせた。
涙と恐怖の滲む大きな桃色の瞳が、エリーゼの前にさらされる。
「聞いているの?」
「やっ、こ、怖いっ……!」
―――ドンっ!
思わず、恐怖のあまりに混乱したらしいサクラが、手を振りかぶった。
震えた彼女の手はエリーゼの持っていた扇をその手ごと叩き落す。
「え?」
「きゃあ! エリーゼ様‼」
はたかれた勢いで、ぐらりとエリーゼの視界が傾いた。
どうやらサクラは思っていた以上に力が強かったらしい。
生まれてこの方運動なんてしたことの無いエリーゼは、思わずふらついてしまったのだ。
「つっ……!!」
ゴンッ、という鈍い音と同時に、後頭部に強い衝撃が走り、一瞬呼吸が止まった。
体勢を立て直せないエリーゼは、そのまま大きな音をたてて机と共に床へ倒れてしまう。
(あぁ、これ。机の角で思い切りぶつけた、のね……)
エリーゼの視界が急激に遠くなっていく。
強烈に痛む頭の中には、慌てて駆け寄って来てエリーゼの身を起こしてくれたらしい、これまで大人しく後ろに控えていた取り巻きその一とその二の声が、甲高く響いていた。
「エリーゼ様! しっかりなさって! お気を確かに!」
「なんてことを……! 誰か‼ 誰かー!」
「わ、わ、私……」
* * * *
――――しばらく後。
救護室のベッドに横たわり、真っ白な天井をぼんやりと見上げる、エリーゼがいた。
いつもは優美さを欠かさない彼女だが、今は眉を寄せうんうん唸っている。
(やっばい。凄くやばい。めちゃくちゃやばい)
結局、机に頭を打ち付けたものの、脳震盪で一瞬意識を失っただけだった。
打った場所が頭なので休養をと、今はベッドで安静にしつつ家からの迎えを待っているところだ。
しかしそんなことは、もうどうでもいい。
(やばいやばいやばいやばい)
現在エリーゼは大変に混乱していた。
頭まですっぽりかぶったシーツの中、一人きりで頭を抱え冷や汗を流しまくっている。
なぜならば机の角に頭をぶつけた衝撃で、思い出してしまったからだ。
「何よこの展開。私が乙女ゲームの悪役令嬢なんて。ほんっきであり得ない。あり得ないあり得ないあり得ない!」
かぶったシーツの中で呟きつつ、エリーゼは前世の記憶の中にある乙女ゲームのストーリーを詳細に思い出していく。
―――ヒロインの名前は、サクラ。
名前通りに桃色の髪と瞳をした、小柄で可愛らしい容姿の、さきほどエリーゼが壁に追い詰めてチクチク嫌味を言って虐めていた相手だ。
彼女は一直線にエリーゼの婚約者であるセルビオ王子ルートを突き進んでいる。
「あぁ、もうこれ……シナリオ通りなら一月後には私を糾弾する場面がやってくるじゃない。絶対絶命じゃない。もう態度を改めて軌道修正とか出来る段階じゃないじゃない!?」
ゲームシナリオの流れならば、確かエリーゼが怪我をした今日の騒動が王子の耳にまで入るのだ。公爵令嬢エリーゼに怪我をさせたとして、男爵令嬢サクラが処罰を受けそうになる。
気の優しいサクラが他人に暴力を与えたという話を不審に思ったセルビオ王子がひそやかに調査をし、その結果でこれまでのサクラへのエリーゼによる嫌がらせの数々が暴かれてしまうはずだった。
そしてエリーゼは怒ったセルビオの命によって国外追放となる。もちろん婚約も破棄される。
ヒロインと王子はその後に学園での更なる好感度あげという名のラブラブイチャイチャ期間。
次に男爵家の三女と国の第一王子という身分差の大きな二人への外からの圧力によるいざこざを乗り越えて、ゴールインというわけだ。
ぶっちゃけ、ストーリーのメインは弱小貴族と王子の身分差によるいざこざである。外野に何を言われても想いあう二人の深い愛が泣けると評判のゲームだ。
エリーゼ関係の事件なんてのは序盤のほんとちょっとした盛り上がり。スチル回収イベントみたいなもの。本当にあっさりと終わって、ライバルであった元々の婚約者エリーゼはゲームからフェードアウトする。
シーツの中で、自分の立場とこれから起こることを理解し終え、エリーゼは溜息を吐く。
(っ、なんてことよ、お先真っ暗じゃない……!)
あまりの事態にまたうっかり気を失ないそうになったエリーゼだが、しかしふとした違和感に思いあたって踏みとどまった。
シーツの中、暗闇に向かい一人ぶつぶつと浮かんだ疑問を口にする。
「……ストーリーは、シナリオ通りだわ。ヒロインのサクラ様は悪役のエリーゼの嫌がらせにもめげず、勉強も委員会活動もひたむきに頑張っていて、その姿を見守るセルビオ王子殿下は、確実に彼女に惹かれている」
間違いなくヒロインと王子の恋愛は順調に段階を踏んで進んでいる。
……が、ヒロインと王子を除いた人々は、どうしてかエリーゼを嫌ってはいなかった
「お姉さま! エリーゼお姉さま!」
その証拠がたった今、救護室に駆け込んで来た。
「お怪我をなされたというのは本当ですか!」
「お気を確かに! わたくしが付いておりますわ!」
「傷は! 傷は残りませんこと!?」
エリーゼを心配して駆けつけてきたのは、同級生から上級生までの何人もの学園の女子生徒たちだ。
前世に液晶ごしのゲーム画面でも見ていた取り巻きその一とその二もいた。
みんながエリーゼの横たわるベッドを囲み、口々にエリーゼの怪我を心配している。
「ん……なにかしら、騒々しいこと」
たった今目覚めたふうを装ってシーツからそっと顔を覗かせてみると、エリーゼを心配するあまり泣いている子もいた。
「あぁ、お姉様……。なんとお労しい」
「わたくしの家の主治医をお呼びしますわ! 腕が良いと評判なのです。きっとエリーゼお姉様のお役にたてます」
「まぁ! 私の主治医の方がよろしくてよ。お姉さま、ぜひ」
一年生のエリーゼに対して、どうして上級生までもが『お姉様』呼びなのか。
入学して一週間目くらいからこうなので、もう慣れてしまったが。
何にしても、エリーゼが倒れたときいて、こんなにも沢山の生徒が駆けつけてくれているのは事実。
(うーん……やっぱり、おっかしいなぁ。ゲームだとエリーゼの家に逆らえない立場の数人が取り巻きだったくらいで、基本的に嫌われてるはずなのに。私、悪役令嬢なのに。虐めっこなのに)
日本での一般的なの制服とは違う、お上品なクリーム色のワンピース姿の彼女たち。
胸元にはリボンが飾られ、裾にレースの飾られたふくらはぎ丈のスカートの中にはパニエを履いているので、ふんわりと広がっている。
化粧も十代に似合いの薄らと色づく程度のもので、髪型もきちんとセットされている。
どこからどう見ても清楚で可憐な乙女。
純粋培養な良家のお嬢様だ。
(うん。みんなみんな、すっごく可愛い!)
思わずシーツの中にある手をぐっと握ってしまう。
有り体にいえば、清楚系で純情可憐な彼女たちはとにかくエリーゼ好みなのだ。
(こんなふうに可愛いものに囲まれているなんて幸せだわ。でもそういえばこの子たち、元々はこうじゃなかった気が……?)
思い返してみれば、もうちょっとガサツな感じのスポーティな少女や、化粧が派手で高飛車だった少女もいたはず。
しかしいつからか、誰もがエリーゼ好みのふわふわ可憐で可愛らしい恰好や仕草を身に付けていた。イメチェンというやつだ。
どういうことかエリーゼが「こういう方が似合うんじゃない?」というと、彼女たちは納得してしまうのだ。
そんな彼女たちに動揺を悟られないよう気をつけながら、エリーゼはいつも通りの冷淡な台詞を口にする。
「――貴女方の手配する医者なんて、必要ないわ。わが家のお抱え医師が貴女方の家の者よりも腕が落ちるとでも思っているの?」
エリーゼの容姿はゆるく巻いた銀の髪に、切れ長なアイスブルーの瞳。
女性にしては少し高身長の身体は引き締まっているのに胸は大きめ。
他者に厳しい言動が多く、また凛として冷ややかな雰囲気をもつことから、陰で『氷の女王様』と呼ばれている。それは嫌われ者としての二つ名だと思っていたのだけれど。
「「「っ…お姉さま。も、申し訳ありません……」」」
エリーゼに辛辣な言葉を投げられた少女たちは頬を赤く染め、目元に涙を浮かべて震えている。
エリーゼの冷たい雰囲気と台詞に、可憐な乙女はさぞ怯えているのだろうと思い見上げてみた。
……が、赤くなって震える少女の表情には。
(あれ?)
なんと恍惚とした喜びが、明らかに浮かんでいた。
周囲の女の子たちはエリーゼに冷たい言葉を投げかけられた彼女らを羨ましそうに見ている。
(うん……? あー……、あぁ、あぁ、そっか…そういう事……)
彼女たちのうっとりとした表情を見て、エリーゼは納得した。
今までのエリーゼならば怯えられているのだと素直に受け取っていたけれど。
前世のたくさんの下世話な情報にあふれた世界で生きて来た記憶を持つようになったエリーゼには、理解出来てしまった。
(この子達、Mだ。ドMだ……!)
エリーゼは思わずまじまじと目の前の彼女たちを凝視してしまう。
その視線にも、彼女たちは顔を赤らめ恥ずかしそうに身をよじっている。
(ま、間違いなく、冷たくされて喜んでる! 偉そうに蔑んだ感じに見えるエリーゼの視線にときめいてる! エリーゼってほんと、女王様タイプだからなぁ。……―――あぁ可愛い。ぷるぷる震えてる。可愛い可愛いたまらない)
生来持ったいじめっ子体質は、記憶を戻したって変わらない。
エリーゼはゾクリとした快感が背中から駆け上がるのを感じ身震いした。
今までのエリーゼは無自覚でしていたのだろう。
自分は性格が悪い人間なのだと自覚してはいたのだから。
でも前世の記憶を思い出して、自分自身がどうしてあんなに悪いことをしていたのかまでを理解した。
エリーゼは、可愛い子が可愛く泣く姿にときめいてしまうドSだった。
だから、誰かを罵るだなんて自分の立場が悪くなるだけだと理解していても。
あの虐めがいのあるヒロインを虐めることをやめられなかったのだ。
「お姉さま? 黙り込んでしまって、いかがされましたか? やはりお加減が悪いのでは」
自分の性癖を知り、衝撃に打ちのめされているエリーゼに、ベッドを囲む少女の一人が一歩前へでて、身をかがめ、心配そうに顔を覗き込んでくる。
肩につかない程度の茶色の髪を赤いリボンで飾った、垂れ目でおっとりとした雰囲気が特徴の子。
たしか同級生でクラスメイトだ。
「……心配なんていらないわ。余計なお世話よ」
しかし心配して掛けてくれた優しさにも、エリーゼはツンっとそっぽを向いて辛辣な台詞を吐き捨てた。
「も、申し訳ありません」
エリーゼに声をかけて来たその少女は縮み上がってしまった。
プルプルと震えている。
エリーゼは横目でその様子を眺め楽しむ。
ふわふわ可愛い小動物系の乙女が、女王系のエリーゼに冷たく当たられて頬を赤く染め震える様は、やっぱりどうしてもエリーゼの胸をくすぐるのだ。
目元に涙をためてエリーゼを見つめて来る瞳の、なんと愛らしいことか。
「お、おねえさま……本当に、申し訳ありません。どうか、どうか見捨てないでくださいませ。お姉さまに嫌われてしまっては、私はもうどうすればいいのか……」
胸の前で両手を絡ませ、涙目でエリーゼへ訴える少女。
「そうねぇ……」
あからさまに冷えた溜め息を吐いて見せながら、エリーゼは手をシーツについて身を起こす。
そして、ゆっくりと。目の前で震える彼女に手を伸ばした。
エリーゼは白く長い指で、赤く染まる彼女の頬をそっと包む。
「っ、おおおおおおねえさま!」
びくりと身体を大きく跳ねさせたが、彼女はすぐにとろけるように目元を下げる。
エリーゼは彼女に身を寄せ、耳元に顔を近づける。
そうして容姿と同じく氷の様だと評されている冷たい声で、吐息とともに囁いた。
「ねぇ、アンナ」
「わ、わたくしの名前を!?」
「もちろん、存じておりますわ。クラスメイトですし。なにより愛らしい子猫の名前を、知らないわけがないでしょう?」
「つっ……こ、光栄です!」
茶色い瞳を潤ませて涙を浮かべるアンナという少女に、エリーゼは冷たく微笑んでみせた。
とても冷静に優雅な仕草と口調で対応しているが、しかし内心は大変なことになっている。
(ああぁぁ、どうしよう。ヒロインのサクラも良かったけど、この子、アンナの反応もいいなぁ。虐めるとプルプル震えて、褒めるととたんにパッと嬉しそうにするの。表情がコロコロ変わってすごく楽しい。飴と鞭の使い分け重要だ! 苛めるの、すっごく楽しいよ……!)
ドS気質のエリーゼにとって、赤くなって震える子羊や子兎のような少女たちを侍らすことは幸せ以外の何物でもない。
(うん。まぁ、もうルート修正出来そうにもないし。思いっきり楽しもうかな。国外追放ってだけで、死ぬわけじゃないし。何とかなるなる、うん)
エリーゼはあっさりと運命に抵抗することを諦めた。
この性格のために、近い将来自分は破滅するだろう。
後で苦労するのだと分かっていても、今目の前にある快楽を捨てる事がどうしても出来なかったのだ。
せめて最後の最後まで悔いの残らない様にヒロインと、この少女たちを苛めて楽しもうと、エリーゼは固く心に決めたのだった。