哀惜に寄り添う白の麝香撫子
【氷の魔術師】
人間がまだ魔術を使い始めたばかりの時代、白銀の騎士と共に世界を混乱へ陥し入れたと言われる伝説上の存在。
淡い青の氷に身を包み一切の肉体を露出させず、鈍重な動きながらもその魔術で火すらも凍らせた。
何者かの手によって打ち倒されたと非公式の古代書には綴られているがまた、一定の周期で人との間に子を授かったとも書かれている。
「それで、あのレイジって言う人は一体何者なんですか?」
揺れる馬車の中から御者台の紳士に向けて、ジアルは口を開いた。未だに恐怖が消えていないらしく自分の肩を守る様に抑えストレングスに寄り掛かっている。
「一言で表すなら悪魔。闇に潜み犯罪者を見張り続ける自警家であり、子供であろうと女性であろうと等しく罰を与える。武力をもって」
「なぜ悪魔と?」
ストレングスの疑問の声に紳士は戸惑い答えるべきかどうかを迷っている。それほどまでに酷い話なのかそれとも、負の部分を見せたくないからなのか。
「…………アリアと呼ばれる女性が居ました。生まれながら虫を呼び寄せる体質だった彼女は周囲から孤立し、何とか治す術を探した。そこで見つけた古代の魔術に傾倒し、結果として自らの体質をより強める結果に。それを危惧しての事か、レイジは彼女を連れ去り殺した」
「殺した……!?」
ジアルの背中に薄ら寒い物が走った。今もあの大きな手が自分の肩を掴み、馬車から引きずり落とそうとしている感覚に襲われる。あの時殺されていたのではないかと考えるとそれだけで血の気が引いて行く。
野生の獣を連想させる鮮血の様な色の目が脳裏に焼き付き離れない。鉄の容器を握り潰す握力で自分の首を掴まれれば簡単に折られてしまう。そんな想像が纏わり付く。今だけはストレングスに感謝を覚えていた。
「ジアル、大丈夫だ。レイジはもう居ない。何も怖くない」
優しく抱き締めるその姿は普段とは違い、父性に溢れ邪な考えなど微塵も感じられず普段の言動からは別人の様。
「レイジには絶対に近付かない事です。彼は人々を守ると考えていますが、時折別の地方の言語が聞こえて来る。内容は分かりかねますが、知らない方が良い事は確かです。着きましたよ」
紳士が到着を告げながら扉を開いた事で、漸くジアルは深呼吸をした。外に広がる見慣れた風景がとても愛しく見え、たった半日程の時間だった言うのに長い間帰っていなかった様に思える。
急いで馬車を降り、紳士に礼を述べる事も忘れ自身の家へと走って向かう。早く安心したい、心を落ち着かせたい。そんな気持ちがジアルを急かす。だからこそ広場に集まる人々にも、横たわる巨大なマンモスにも気が付かなかった。
扉を勢い良く開け、舞い散る埃にも構わずリビングへと迷わず直進する。そこでジアルは目を疑った。居る筈の無い人物が、今の今まで頭の中から消えていた人物がそこに座り紅茶を飲んでいる。
「フェイクさん……?」
「ジアルさん、御早い御帰りですね」
にこやかに笑い彼は紅茶のカップを置く。釣り上がっていた目尻も、冷たい声音も、肌を刺す様な敵意も今は形を潜め普段と変わらない穏やかな雰囲気を漂わせている。
日常に帰って来た。それを確かに感じられた今、ジアルには何故彼がここに居るのかと言う疑問など浮かばなかった。ただ日常をより強く感じる為に彼に抱き付く。
「ジアルさん? どうなさいましたか?」
何時もとは違ったジアルの行動に困惑する彼と、気持ち良さそうに寝息を立て始める彼女。成人していない非力な少女からすれば、レイジに与えられた恐怖は獣に勝るとも劣らない。それに押し潰されず耐えるのが酷く疲れたのだろう。
彼は怯えた様子だったジアルに疑問を抱きながらも優しく頭を撫でた。思い返せば、こうして誰かに自分を触らせるのも、自分から触るのも久しくしていない。今まではする必要も無かった。
密かに抱いていた不信。また裏切られるのではないか、隙を見て襲い掛かって来るのではないかと言う不安。誰にも告げずに溜め込んでいた感情は全て思い過ごしだったのだと安堵する。
貼り付けられた穏やかな表情の下に隠した冷たい心を晒せば、たちまち皆が離れて行くだろう。何度信頼出来る者に本心を晒け出したか。何度殺されかけ、逆に手に掛けたか。
固く閉ざした扉の隙間から徐々に暗い記憶が溢れ出し始めた所で、ストレングスが家の中へと入って来る。彼を見て驚きながらもジアルの様子を確認し安心した様で、何とも言い難い表情を浮かべた。
「一体いつ帰って来たんだ?」
「いつなのでしょうか? 私としても不思議なのですが、気が付くとあの死体の前に立っていました。旧友と会っていた記憶はあるのですが……」
煮え切らない返答と共に訝しむ顔をした彼が嘘を吐いているとは到底思えず、二人の間に奇妙な沈黙が流れる。それは謎掛けを解こうとしている様な沈黙。
紅茶を飲み、ジアルの頭に手を添えてはいるものの、彼自身が最も混乱していた。目を開けば教会ではなくそこには自分が狩ったであろう見覚えの無いマンモス、血塗れの身体。
無意識の内に体が血を求める程にまで狂ってしまったのか、それとも何者かに操られてしまっているのか。どちらにせよ彼は激しく動揺したままで、カップを持つ手も震えている。
熱い紅茶を喉に流し込み、動揺から出掛けた情けない言葉と共に飲み下す。無駄な心配を掛けるつもりは無く、それによって余計な事を聞かれる事も口を滑らせる事も論外。そんな時外から足音が近づいて来た。
「大変! 人が、人が…………!」
扉を開けると同時に崩れ落ちた様子を見るに曲芸師の宣伝ではない事は明白。悠長にしている暇は無いと判断したストレングスはすかさず立ち上がるが、彼は躊躇う。
これ以上頭を混乱させてどうする、自ら失態を晒しに行くつもりか? と。しかしすぐに立ち上がったのは今まで正義感の強い青年を演じて来たからだ。
マンモスの死体が無惨に転がる広場を横目に通り過ぎ道案内をされながら二人は森の中へと入って行く。
比較的手入れのされたこの一角は畑として利用されているらしく、掘り出されてからあまり時間の経っていない作物や輸送用の馬が飼育されていた。
畑から程なくして立ち込め始めた異臭。野生動物の生臭さとは違い、糞尿の臭いでもない。嗅覚が痛みを覚えるまでに執拗に刺激して来るこの吐き気を催す生臭さ。間違いなく血。
遠巻きに眺める人だかりを掻き分け辿り着いた二人は言葉を失った。木々の生える斜面に所狭しと並べられた死体の山。頭を斬り飛ばされた死体に内臓を引きずり出された死体。木のアクセサリーの様に枝で体を貫かれている死体まで。
口にする事さえも躊躇われる多様な手段で殺された死体から感じ取れる物はたった一つ。狂気。芸術家を気取り、楽しげに行ったとしか思えない所業の数々からは悪趣味と言う言葉しか出て来ない。
「フェイクさん、これは……」
「ええ……」
惨い光景を目の当たりにしたストレングスは無意識に口元に手を当てた。静かに佇む彼も一見冷静に見える表情をしているが、実際は動揺すらも忘れ釘付けになっていた。
この場所を確かに死の芸術家が支配していた。後に残した作品が人々に恐怖を与えまだ近くに居るかもしれない犯人がすぐそこで刃を研ぎ、不気味に笑う幻覚が見える。
「手記?」
探索しながら周囲を警戒していた彼が見つけたのは犠牲者の一人が持っていたであろう手帳。表紙に付着した血液はまだ新しく嫌悪感を呼び起こすが、彼は誘われる様に手帳を拾い上げ、開いた。
どうやらこの辺りで盗みを働いていた盗賊の一員だったらしい。一日の成果を自慢げに書き記し頭への恋慕を叫んでいる。彼が読んだ限りでは頭は女の様だ。
頭が女だと知り、奇妙に思いながら読み進めていると最後のページに辿り着く。急いでいたのかそれまでの字よりも更に汚く走り書きされている。
『殺される、殺される……こんな事になるなら頭の言う通り基地で大人しくしていればよかった、ヤツに関わらなければよかった。白い鎧を見て油断してた、ヤツは聖人なんかじゃない、悪魔だ! 見当もつかない魔術を使って来て、気が付いたら皆んな死んでた……俺の後ろでヤツが笑ってる……頭に会いたい、せめてこの気持ちを伝えたい。ああ、バレット、好きだっーー』
ペンのインクが横へ伸び、ここまで書いた所で殺されたらしい。長さからしてゆっくりと首を斬り取られながら書いたのだろう。そう当たりを付け彼は目線を上げた。
枝に括り付けられた頭部の虚ろな目と視線が交わる。光を失った暗い瞳は、感情を映す筈も無いにも関わらず悲哀を感じさせていた。
「成る程」
何に納得したのか、彼は背を向ける。手には手帳をしっかりと隠し持ちその目に冷たい炎を燃やして。彼の中では既に幾つもの計画が練られては破棄されまた練られる。
盗賊達の頭が女であり、男を配下にする侮れない実力があると分かったのは思わぬ収穫。近い内に実行する予定だった物が少し早まるのは悪い事ではない。
例え自分が誰かに操られていたとしても、無意識に血を求めていたとしても証拠となる物を誰よりも早く回収出来たのは不幸中の幸い。これで自分が犯人に仕立て上げられる事は無い。
家へと戻った彼は手帳を暖炉の火に放り込みジアルが眠る隣に腰掛ける。なぜこの村に戻って来た記憶が無く、更に人を殺した覚えも無いのか。時系列としては人を殺したのが先だろう。だがそれだけで答えはでない。
知らぬ間に人を殺した。許されない罪を犯したと認識した彼は、だがその穢れや罪悪感を馬鹿にする様に微笑を浮かべる。その目は、人を殺すのは初めてではないと物語っていた。
罪悪感に押し潰され取り乱すなど愚の骨頂。たかだか十数人の命が失われた所で世界が滅ぶ訳でもない。どこまでも冷えた目をした彼はそれを理解し、同情すらせず新しい紅茶を淹れた。
「ん〜……フェイクさん、一杯ください」
欠伸をしながら眠そうに目を擦る姿からは恐怖の感情は見られず、彼に抱き付きながら一眠りしたおかげでレイジの件は頭から消えたらしい。何とも現金な少女だ。
「若い女の子が男に抱き付くのは考え物ですね。男は皆飢えた狼なんですから」
「食べたいならどうぞご自由に〜」
諭しを添えて差し出された紅茶を一口飲み、ジアルは気の抜けた返事をする。聞き様によってはかなり危ない発言ではあるが当の本人はあまり気にせず、のんびりとカップに口をつけたまま瞼を閉じ掛けていた。
ジアルがカップから口を離した直後、彼の手が顎を掴み強引に上を向かせた。目の前にはいつ唇が触れてもおかしくない距離の彼の顔。突然の出来事に彼女の思考回路は停止したまま動かない。
「誘っているのか?」
「え、その……えと……」
漸く事態を把握したジアルはその顔に焦りとも恥じらいともつかない複雑な表情を浮かべる。一つ確かなのは、顔色は耳まで赤いと言う事だ。
「本気にしてしまいましたか? 御安心ください、ほんの悪戯です」
「ちょ、フェイクさん! そういうのはやめてくださいよ!」
必死に訴えるジアルを眺めながら彼は紅茶を一口飲む。先程のイタズラのおかげで彼女の目はハッキリと覚め大声を出すまでに元気を取り戻していた。
「全く、女心を弄ぶなんて最低です!」
列車の蒸気がジアルの頭の上に見えた気がしながら、彼は澄ました顔で紅茶の香りを吸い込む。都会から離れたこの村で手に入る茶葉はお世辞にも良い品とは言えないが、それでも冷えた体を暖めるには充分。
彼の心の中でなぜ怯えていたのかと言う疑問が浮かんだが、すぐにその考えを振り払う。折角こうして嫌な記憶を消せたのだからわざわざ思い出させる必要も無い。
「女の子は繊細なんですから! それはそうと、確か仲間が居るって言ってましたよね。その人達について教えてくれませんか? フェイクさんの事を何も知らないのは我慢なりません」
「私は人付き合いが苦手なので、たったの三人しか居ません。最も、私の我儘に付き合わせている様な物なのですが。長くなるかもしれませんよ?」
前置きをし、長くなるかもしれないと注意をして確認を取る。ジアルは短く返事をし、紅茶で喉を潤す事で彼の話に備えた。
「まず、今はどこに居るかも分からないのですが、シャルマン・マイクという氷の魔術を操る男性です。彼は精神的に未熟な面もありますが、そのおかげで感情の振れ幅が激しくその魔術も強力。心強い戦力です」
「精神が未熟っていうのはどういう事ですか?」
「成人してはいるのですが、言動や行動理念が子供染みているんです。勿論話は分かりますし人並みに考えも出来ますが少年の様に純粋で良くも悪くも素直、そして自分の欲望に正直」
鮮明な発音で長い説明を一息に終え、渇き水分を失くした喉の為に紅茶を口に含む。その間ジアルはこれから先も見ないであろうシャルマンと呼ばれる人物を想像していた。
「次にサラ・セイクリッド。平気で性行を迫って来る破廉恥な女性ではありますが、その裏で周囲の状況や資金の状態から最適な手段を選ぶ視野の広さを持つ頼れる仲間です」
「……迫るってフェイクさんにですか?」
「まあ私に迫る場合もありますが、共に行動する事は少ないので大半は別の方ですね。私としても常に狙われているのは不快ですから」
「ですよね!」
何故か嬉しそうなジアルに疑問を抱きながら彼の脳裏に妖艶な笑みを浮かべたサラの姿が蘇る。距離を詰めて来る様子を想像し内心毒を吐きながら笑顔を作り無理矢理思考を切り替えた。
「最後に、この人は最も信頼出来る人物で、絶対に私を裏切らないと安心して背中を預けられる人物です。身体能力と魔術共に最高峰の実力者で決して揺るがない強い心を持った仲間。ダヴィッド・ネルソン」
カップの中に残った紅茶を飲み干し、彼はジアルの肩に手を置きながらメットを被る。先程の悪戯のせいで体が跳ねる彼女を見て微笑んだ。
「それではジアルさん、私は少し掃除に行って来ますので大人しくしていてくださいね」
「分かりました」
家を出た彼は、あの死体を片付ける為に歩き始めた。
【魔術】
生まれ付き魔術を扱える者と扱えない者に分かれている。そして後天的身に付けた者は複数の魔術を操れる。それは否定しようもない事実であり、否定する必要性も無い。
だが人々は気付き始めた。生まれ付き扱える者も複数の魔術を使えるのだと。
真実は何時の時代も人間の想像の遥か上を行く。そう。偉大なる魔の母、イルマが言った様に。願いこそが魔術の本領なのだ。




