哀惜が育む橙色の百合
【杖】
体を支える為に使用される棒の総称。長さや素材は様々だが、使用者の脚の長さと同じ場合が多い。
長く大きな杖は権力の象徴であり、皇帝や国王は身の丈以上の杖を持つ。だが国王ブルーノ三世は庶民の杖を気に入り、各国へ広め公の場での使用を許可した。しかし、それにより暗殺者達が杖に刃を仕込む様になり、事実ブルーノ三世は仕込杖の一撃で命を失った。
「なぜ我々は、神に従わなければならないのか」
懐中時計を眺め、フェイクは呟いた。それは純粋な疑問と憎悪が入り混じった言葉。普段のフェイクからは考えられない様な感情を露わにしていた。
彼が今居るのはとある建物の屋根。苔生し煤で黒くなった屋根に立つ彼は懐中時計をポーチに収め、街並みを見下ろした。煉瓦で築かれた家は複雑に連なり、さながら迷路。
大通りは人で賑わい、遠くには市場も見える。しかし彼は通りには行かず、裏路地の方向へ足を向けた。屋根から飛び降り、洗濯物を干す為に高所に吊るされた細い縄に着地。そこから地面に降り立つ。
彼を目にした人々は上から降りて来た事に驚き、一連の動きを見た者はその身体能力の高さに驚いた。だが彼は周囲の目など気にも留めずに裏路地を進む。
彼が足を止めたのは一人の物乞いの前。片腕を包帯で固定した物乞いを数人のギャングが囲んでおり、助けが入る気配も無い。彼はそこに進み出た。
「狼は群れで大物を狩る。猿は遊びで子を殺す。おっと、これは失礼。私とした事がうっかりと御本人の前で口を滑らせてしまいました」
彼はジアル達には見せた事の無い冷たい声と、殺気に満ちた目をギャングに向けていた。辺りの空気が一瞬で低下するのが感じられる。憎悪の視線が肌に刺さる。
「ああ!? なんだお前は!?」
「知る必要は無い。どうせすぐに死ぬ」
彼の言葉を皮切りに、ギャング達が一斉に襲い掛かる。恐らく、180を超えている身長と細身でありながら甲冑を着て動ける体力を見て舐めて掛かるのは危険だと判断したのだろう。しかしそれも無意味だった。
何かの折れる甲高い音が聞こえ、短い悲鳴と共に一人のギャングが崩れる落ちる。その腕は本来ならあり得ない方向に曲がり、顔は赤く苦痛に悶えていた。
「い、いつの間に後ろに……」
そう言った刹那、また一人が倒れる。今度は膝を折られていた。音もなく、確かに目の前に居た筈にも関わらず後ろに居る。その理解不能な状況に、ギャング達は背を向けた。
「どこへ行く?」
ギャング達の意識はそこで途切れた。無傷で悠然と佇む彼は、気絶したギャングには目もくれず物乞いに歩み寄る。そして目の前で屈み、こう言った。
「その腕は誰にやられた」
先程と同じ冷たい声。手は物乞いの折れていない腕を掴み、次第に力を強めて行く。その様子から、物乞いの身を案じての声掛けではない事は明白。
「レ、レイジだ! レイジにやられた!」
レイジ。その名を聞いた彼は物乞いの腕を離した。まるで予想通りと言うかの様に何度も頷き、何が面白いのか声を押し殺し笑う。不意に彼の姿が消えた。
大通りに現れた彼は、前方から直進して来た何者かがぶつかり思わずよろめく。走って来た女は跳ね返り、硬い地面に後頭部を打ち付け激痛を堪えていた。
「おっと失礼奥様。御立ち出来ますか?」
「泥棒! その女は泥棒よ! あたしの鞄を取り返して!」
手を差し伸べ掛けた彼は女性の声に反応し、動きが止まる。その隙に泥棒は立ち上がり走り出していた。それに気付いた彼も走り泥棒の後を追う。
身を低くし、一歩一歩力強く地面を蹴りながら走る独特の動き。低く構える事で風の抵抗を和らげ、重心が前に移動し前進する力を増加させる。彼はものの数秒で泥棒を追い抜き、前に回り込み肩を掴んで停止させた。
「奥様、盗品を御返し願えますか?」
徐々に肩を掴む力が強まって行き、泥棒が痛みに顔を歪め始める。抵抗を試みるも、彼は何事も無いかの様に平然と力を込め続けた。その結果、泥棒が苦悶の声を漏らす。
「肩の骨と鞄……どちらが御大事ですか?」
返答など待たず、彼は泥棒を壁に叩き付けた。そして鞄を拾い、駆け寄って来た女性に丁寧に手渡す。感謝されながら頭を下げるその姿は先程とは別人の様。
「ボスに殺される。死にたくない。死にたくない」
「あら、イリーナさん。どうしました?」
怯える泥棒に声を掛けたのは栗色の髪がした女性。綺麗な顔立ちをし豪華なドレスを着た彼女は、質素な服を着た泥棒とは正反対。見るからに犯罪とは縁が無さそうな外見だ。
「サラ……いえ、サラさん。この奥様と御知り合いで?」
彼は呼び捨てになりそうだった所を言い直し、あくまで他人行儀を続ける。それがおかしかったのか、サラは官能的な笑みを浮かべた。そして彼に顔を向ける。
「場所を変えましょう? ここでは思う様に話せないもの。ねえ、イリーナさん」
サラはイリーナを半ば無理矢理に立たせ住宅地とは反対の方向、工業地帯へと歩を進めた。彼は何も言わず、ただ彼女の背中だけを睨みながら追従する。
「今までどこに居たの? 予定よりも大幅に遅れてる。マイクは拗ねて飛び出して行っちゃうし、ここ最近レイジが勢力を拡大し始めてる」
「……ズヤカ村、そう呼ばれる場所だ。それ以前の記憶は曖昧だ。貴様が望む様な答えは出来ない」
「そう」
サラは興味が無さそうに、しかし何かの意図を感じ取った様に歩調を早めた。進めば進む程に人の気配が無くなって行き、イリーナの顔色は悪くなる。
「レイジを仲間に加える事は可能か? 貴様の色仕掛けには期待している」
どこか皮肉めいた口調で、彼はサラの背中に言葉を投げ掛けた。彼女は深い溜息を吐き、頭を振る。どうやら彼が望む様な芳しい結果は出せていないらしい。
「全くダメよ。近付いた瞬間肋骨と鎖骨を折られたの。使者も全員病院行き。とっても美味しそうなんだけど」
妖しく呟いた彼女は舌で唇を濡らす。彼にはその光景が見えていない筈なのだが、まるで視認しているかの様に蔑む目を向けた。
「貴様が何を楽しもうと貴様の自由だ。だが役割はこなせ」
「勿論。それが終わったら、アナタを味見してもいい?」
「いいだろう。全身の骨を折られる覚悟があるならな」
彼が毒付いたと同時にサラは歩くのを止めた。そこは開けた袋小路で、辺りには悪趣味な落書きや椅子代わりの木箱、何の為に使うのか分からないガラクタが点在している。
サラはイリーナを解放し木箱に座らせる。彼も同じ様に座った。鎧と彼の体重で木箱が軋み、不快な騒音を立てる。彼が何度も座り直している様子から、座り心地は良くないのだろう。
「……念の為に確認しておくが、レイジを仲間に加える利点を理解しているのか?」
「アナタとレイジが戦って犠牲を出さずに済むし、計画を進める上で重要な戦力になる。味方に出来ればより迅速な計画の進行が可能」
「その通りだ」
彼女が呆れ気味に淡々と話すと彼は簡潔に返した。その鋭い目からは、この程度の事は出来て当然と言う意思が伝わって来る。それだけサラの事を信頼しているのか、ただ傲慢なだけなのか。
「どう収拾をつけるつもりなの? マイクはアナタを探しに行って何年も戻って来ないし、この国も国王が交代して大分変わった」
「そうか、国王が変わったか。道理で国名が違う訳だ。マイクは心配せずとも戻って来る。奴が居なくとも支障は無い」
「そう。この場所に行ってくれる? そこが今の拠点。現在地はここよ」
サラから手渡されたのは何の変哲も無い地図。ある箇所に目印が記されており、そこが彼女の言う拠点らしい。彼は現在地と目的地の位置関係を入念に調べた後、その場から立ち去った。
「イリーナさん? 仕事はこなせたのかしら? こなせてないのなら、ね?」
彼が背を向け離れて行く後ろから、サラの穏やかな声が聞こえる。イリーナの怯える声がした次には、何かが高速で肉塊に衝突する鈍い音が響いた。
「悪趣味な」
彼は一言呟くと、消えた。そして現れたのは目的地近くの高台。目の前には巨大な教会があり、どうやらそこが地図に記されていた場所らしい。
高台から飛び降り、地面に降り立った彼は警戒しながらも教会へと近付いて行く。城の様な教会は幾つもの棟を持ち、渡り廊下にはステンドグラスの窓が付けられている。鉄の扉には六芒星が所狭しと刻まれていた。
大きな鉄扉を押し開き、中に入った彼が目にした物。それは自分に頭を下げる数百、数千の人々だった。白いローブを身に纏った司教が先頭に立ち、白銀の杖を彼に捧げている。
司教に近寄った彼はその杖を受け取り、隅々まで観察する。彼の脚の長さと同程度の長さ、金属で作られ耐久性に優れながら、持ち手はゴムで覆われ手を痛める事も無い。
観察を止め、彼が杖を下ろした瞬間、人々が左右に分かれ道を作る。その先には金で彩られた美しい椅子。彼は無言で突き進み、その椅子に座った。
「よくぞ戻られました。我らが主」
司教が前に進み出て、そう言った。だが彼は返事も反応もせず、退屈そうに溜息を吐き頬杖を付く。話し掛けられているにも関わらず関心すら持たないとは、傲慢この上ない。
「……美しい」
「素敵……」
人々は彼を不快に思うどころか、美しさを感じていた。その動きに、姿勢に、金と碧の瞳に、吐く息に。その場に居る誰もが息を飲み彼を見つめる。まるで何かに取り憑かれた様に一心不乱に。それは狂気すらも感じさせる。一言も話さず、彼の発言を待った。
「状況報告を始めろ。私の話はそれからだ」
司教が下がり、代わりにフードを目元まで被った司祭が彼の前に跪く。そして何かの紙束を取り出し、それを読み上げ始めた。
「現在我々は非常に不利な状況にあります。敵対勢力はレイジのみ。しかし我々ではレイジを止められず、半数以上の者が病院へと送られました……幸い死者は出ていませんがネルソン様とセイクリッド様の別働隊に守られています」
司祭が報告をし終えると同時に、鉄扉の開く音が反響する。教会へと入って来たサラは人々の周りを歩き、遠回りをして彼の下へ辿り着く。
「サラ、貴様の指揮下には何人の部下が居る」
「詳しくは覚えていないけど、十人以下よ。壊滅状態。ネルソンの部下は確か五十人位」
サラは曖昧な答えをし、椅子に寄り掛かる。彼はその様子を横目で見てすぐ様立ち上がった。サラの舌打ちを聞きながらも彼は人々の前に立つ。
「貴様達が何を望んでここに来たこか、私に期待していたのかは知らないし興味も無い。だがここに来た以上は、私に着いて来い。嫌ならば……死ね」
【光の魔術】
魔術は多岐に渡り、日常的に使用される物や戦闘用の者まで幅広い。伝承では、光の魔術が存在すると言われている。
過去に光の魔術を作り出そうとした魔導士フロイラックは、長い年月を掛けてそれを実現させた。しかし、魔術を使用した瞬間彼は燃え尽き、作製法も塵と消えた。
人が踏み入ってはいけない領域。それこそが光の魔術だったのだろう。




