虚言吐露:敵と味方
「時代も変わった……私が生まれた時代では娯楽らしい娯楽は数学や御伽噺程度しかなかった。この時計ですら、ダイヤモンド並みの高級品だった」
メットを外した彼は一人言を言いながら質素な木の机の上でパズルを組み立てる。端から順々に、一つ一つのピースの色彩に目を凝らしながら少しずつ完成へと近づいていく。
「しかし、時間の流れとは恐ろしい。全ての物に平等に与えられていながら、止める術など一つとして無い。時間は誰が何をしようと素知らぬ顔で前へ前へと進み続けるのだから。気が付けば何十年、何百年……私は時間に置き去りにされ今も過去から離れられない。離れたくとも、粘膜の様に絡み付く。尤も、離れるつもりもないが」
机の端に置いた時計に目を向けながら、彼は溜息を吐く。その溜息は日頃の演技の疲労からなのか、それとも苦悩からなのか。
「私は、時とは運命なのではないかと考えている。既に始めから全てが決定されていて、我々はその決められたシナリオ通りに動いているだけなのではないかと。動きや思考までもが、始めから作られた物なのではないかとな。なあ、貴様はどう考える、バレット」
瞬間、彼のベッドで寝ていた筈のバレットが飛び出し逆手に握ったナイフを彼に振り下ろす。しかし右足を軸に回転しながら立ち上がった彼には掠りもせず、振り向きざまに振るも屈むだけで避けられる。
横に、下からと振れど軸足を固定したまま避けられてしまう。そしてダメ押しに振り下ろした刹那、ナイフを持った右手の肘関節に彼の肘打ちが振り上げられる。衝突したその時、振り下ろした勢いと彼の攻撃の威力が合わさり彼女の肘を耐え難い激痛が襲う。
「生物とは皆愚かなものだ。だが愚かだからこそ学ぶ。経験を糧とする。そしてあらゆることを学び愚かさから脱却した者を人は天才と呼んだ。反対に、何も学ばぬ者は罪人よりも恐れられる。これは何故だか分かるか?」
苦悶の声を上げる余裕すらない彼女は彼の話こそ聞こえるが、返答する余裕などない。だが彼女が答えを出すよりも先に、彼が次の言葉を語り出す。
「犯罪者は利口で休む時があるが、バカは一時も休まないからだ。次から次へと問題を発生させる。場合によっては計画を破綻させかねない存在だからな。さて、利口とバカ、貴様はどちらか選べ」
「黙れ! 俺はお前のせいで仲間を殺した! お前のせいで仲間を殺さなくちゃならなかった! 仲間がおかしくなったのも、俺が仲間を殺したのも、全部お前のせいだ!」
「違うな」
彼女の怒りと憎しみを正面から受け止め、それでも彼はたった一言で切り捨てた。そこに迷いは無くあるのは揺るがない自信と共に佇むあまりに大き過ぎる敵。
「全ての原因はバレット、貴様にある。貴様が弱かったから私に負けた、貴様が弱かったから仲間を押さえられなかった、貴様が弱かったからあの愚か者は私に殺されたのだ。全ては貴様の責任だ」
理解し難い理論を展開した彼を見て、バレットの中で歯止めが切れた。仲間に体を汚されそうになり、更に自身の支えとなってくれる者まで殺した。その原因である彼には殺意のみしか抱けない。
床に転がっていたナイフを右手で逆手に持ち、彼の首を切断しようとする、しかし彼は彼女の右肩を殴る。そしてナイフ、それを持つ手が首に届く寸前で停止した。
肩の関節を動かなくすることにより、腕自体の動きも止め結果としてナイフによる攻撃を無力化する。攻撃と防御が一体化した優れた戦闘技術。これを彼はどこで学んだと言うのか。
「初動が遅い。ナイフを拾ってから攻撃をするまでに発生する時間差は相手が防御の準備をするのには充分だ。敵に準備する暇を与えず攻撃し、素早く殺傷する。それがナイフの戦い方だ。元来ナイフとはそのリーチの短さから武器にはあまり向かない、格闘攻撃を織り交ぜながら使う物だ。そんななまくらでは豚肉も切れんぞ」
「お前に、お前に俺の何が分かる!」
殴られた肩を押さえながら、燃え盛る怒りを吐き出す。自分は生まれた時から邪険にされてきた。貧しい農民だった両親からは男じゃないからと虐待された。働き手が欲しい両親は男を期待していたのに女に生まれてしまった。殴られ、追い出され、それでも弱い自分は頼るしかなかった。そして成長してやっと見つけた居場所を、こんなヤツに壊されるのは耐えられない。
「何が分かる、か。私はたった一つだけ明確な答えを持っているぞ。何も」
「だったら知った風なこと言うんじゃ「しかし貴様が弱いせいでこの事態に陥ったのは事実だ。第一何故私が貴様について知っていなければならない?」
彼女の言葉を遮り彼は淡々と自身の考えを連ねる。まるでそれが当たり前だと、自分こそが全て正しいとでもいうかのように。
不意に彼が部屋の外に反応する。そして素早く彼女をベッドに投げ飛ばし毛布を被せ、扉が開いた。
「ジアルさん、どうしました?」
「女の人の声が聞こえた気がしたんですが……」
気が付かれるのも無理はない、先程まであれだけ大声で騒いでいたのだ。しかも聞き慣れない女の声ともなれば気になるのは仕方ない人の性と言える。それも気絶していた者の声かもしれないなら尚更だ。
「なんて、冗談ですよ! 真顔にならなくたっていいじゃないですか。フェイクさん、ここ最近この人の看病ばかりしてるからちょっとからかってみたくなったんです」
「それはよかった、ジアルさんがまた変な料理を自分で作って食べて、とうとう幻聴が聞こえるようになったのかと思ってしまいましたよ」
「ちょ、それは酷くないですか!? 私の料理がまるで毒みたいに……これでも料理は自信があるんですからね!」
何も知らないジアルは彼と何時ものように何気ない会話を始め、バレットがベッドの上で必死で息を殺していることに気付かない。
彼女が飛び出しジアルに彼の本性を教えられないのには理由がある。彼女が投げられた時、持ち上げられた拍子に手からナイフが滑り落ちていたのだ。つまりナイフは彼の足元にあり、迂闊に行動すればジアルを人質に取られてしまう。これが彼女が動けない理由だった。当然、バレてもジアルの安全は保障されない。
「料理に自信、ですか。私の記憶では一昨日にジアルさんは紫色のスープを完成させていましたね。それを飲んだストレングスさんは二時間下痢に悩まされましたが……」
「フェイクさん、過ぎたことを引きずるのは漢じゃありませんよ」
「失敗を認めないのは単なるバカですよジアルさん」
「だんだんフェイクさんの口が悪くなってきた気がします」
「気のせいでしょう」
ジアルの言う通り日が経つにつれ彼の発言に棘が増してきており、それは次第に彼の精神的疲労が溜まってきていることを表していた。
「おーいジアル! 野菜の収穫を手伝ってくれ!」
「わかった、お父さん! それじゃあフェイクさん、また後で!」
「ええ、ジアルさん。また後程」
ジアルが外に出て行ったことを確認すると、彼は静かに扉を、しかし彼女に聞こえる大きさの音を立てながら閉める。その配慮が逆に、彼女の中で彼に対して抱く気味の悪さを増大させた。
「さて、バレット。貴様に良い情報だ。貴様を私の奴隷にしてやろう。どうした、喜べ」
毛布から顔を出した彼女は、人生で初めて驚きのあまり口が塞がらないことを経験した。彼は傲慢な男ではあるが、ここまで人間的資質がないとは彼女は思ってもいなかった。
彼は傲慢で残酷だが、この発言には理由がある。彼はバカではなく考えなしでもない。彼女が仲間の盗賊を大切に考えているのは今までの会話から簡単に推測出来る。しかし彼女はその“仲間”に売られた。だがその事実を知らない彼女は解放されれば仲間の基に行くだろう。そして仲間は事実を隠し、危機に陥ればまた彼女を売る。そうなれば今度は彼女も知ることになり、盗賊には得しかない。
少なくとも唯一の心の支えである仲間を、例え幻想に過ぎなかかったとしても、幻想の中の信じられる仲間を壊さずにおけば彼女の精神だけは救われる。
彼は人間を嫌い、憎んでいる。しかし自身と同じ境遇の者には情が湧いてしまうのだ。信じていた物は、清く美しいままに。彼はそう願ってしまう弱い男でもあった。
彼がどれだけ彼女の身を案じていたとしても、その思いは彼女に伝わることはない。完全に彼を敵として認識している彼女には、あの発言の真意を読み取るのは難し過ぎた。彼女でなくとも不可能だろう。
ここでまたも彼は異変に気づく。今度は彼女でもジアルでもない、男の気配。それも窓の外から。彼が目にしたもの、それは茂みに紛れながら血の流れる腹部を押さえたダヴィッドだった。
彼はダヴィッドを見ると彼女を一瞥し、速やかに思考を巡らせる。彼女に逃げても無駄だと説得するか、それとも少しでも早く仲間を助かるか。彼が決断するのには一秒も掛からなかった。
窓を開け雪の上に着地し大切な仲間の元へ駆ける。彼の頭の中で様々な考えが巡って行く。ダヴィッドに重傷を負わせるのは限られた者だけ。レイジ、獣、そして話に聞いた程度の魔導騎士であるマーカス。しかし今重要なのはダヴィッドの命に関わらないかどうか。
「ダヴィッド! 意識は覚醒しているか!? 痛覚は!?」
「陛下、申し訳御座いません……己の力が及ばず、勧誘は失敗しレイジにも敗北を」
「そんなことは聞いていない! 貴様の容態を聞いているんだ! 報告は治療の後にしろ!」
彼は盗賊を殺した時よりも早く部屋に戻り、ポーチを取るとダヴィッドの傍らへと走り寄り腰を下ろす。そして取り出したのは縫い針と糸、そしてピンセット。
「痛むが我慢しろ、応急処置だ」
ダヴィッドの鎧と肌着を脱がせると、彼は目を細め傷口に負荷を掛けない様に注意を払いながら糸を通した縫い針を傷口近くの肉に刺し縫い始めた。
繊細ながらも丁寧で素早い縫合から、彼がこうして傷の手当てをすることは初めてではないのだろう。迷いなく縫い進める様子から、何度もこうしてきたと一目で分かる。
「これで傷口は縫い終わったが、余裕があるなら水辺で傷口を洗っておけ。その脚は……添え木とは、教えが役立ったらしいな」
「正しく、己がここまで生き延びられたのも陛下のお言葉のお陰でございます」
「料理や掃除は何度教えても覚えないのに、不思議だな」
「……陛下、あの節は大変な無礼を」
「私ではなくサラに謝るべきだろうな。サラは未だに服を破かれたことを根に持っている」
「お戯れを。己に洗濯を任せたサラに責任があると考えるのが自然でしょう」
彼の脳内に浮かび上がるのは、洗濯をし力を込めすぎた結果服を破いてしまったダヴィッドの姿。二つに分かれた服を見て呆然としていた光景は今思い出しても自然と笑みがこぼれてしまう。
「私はそろそろ部屋に戻っていなければ。ダヴィッド、今夜何があったのかを聞かせろ」
「陛下の為に」
頭を下げたダヴィッドに背を向け窓から部屋に入ろうとした時、彼は気付いた。バレットが、彼女がいない。
「バレット……! 諦めの悪いことを!」
今後は二ヶ月間隔で投稿する予定だ。




