傘の魔女~13 ~
「お師匠様、やっと見つけましたわ」
今日は、本当に様々な者に会う日だ。
「アルドゥラ、久しぶりね」
振り返れば、瑠璃色のドレスを纏ったブロンドの女性が立っている。
アルドゥラ。
水の女神たるリュコリス自らが、魔法を教えた唯一人の魔女。
水の女神の使い。
傘の魔女の名を、一気に不吉なものへと変えた殺戮と虐殺の魔女。
私に外の世界を教えてくれたその人。
* * * * *
私の女神としての生は、大変つまらないものだった。
神である私は偉大なる父により、作られた。
神である私は偉大なる父から授かった力により、そこにあった。
他の生き物と違い、営みを必要としない我らはただそこにあったのだ。
正直、退屈していた。
人に敬い、畏れられ、讃えられ、力はどれだけ増えても決して満たされぬ乾きに飢えていた。
それでも私自身には変えることも出来ず、その退屈を傍受していた。
だが、彼女が現れたことで、私の世界は変わった。
私が彼女に魔法を教える代わりに、彼女は私に世界を教えた。
華やかの貴族の舞踏会、その裏に蔓延る薄汚い人間の欲望と醜い感情、王宮の優雅な生活と、陰謀、小さな町の細やかな人の営み、そしてそれをぶち壊しにする大きな力。
全てが私には真新しく、新鮮だった。
私の世界は一気に変化したのだ。
だから、たとえ私が教えた魔法を使って、彼女が人を殺したからといって、私は彼女を怒ったりなんかしない。
たとえ、通り名不吉なものに変えられたとして、そんなこと私は気にしない。
彼女は私の退屈な世界を変えてくれたのだ。
そして、私にあの方を紹介してくれた──。
* * * * *
「アルドゥラ、一体何のよう? 随分久しぶりじゃない」
私の問いかけにアルドゥラは、口元に手を当ててクスリと笑った。
アルドゥラが、簡単な魔法を出来なかった時、私がよくした仕草だった。
「お師匠様、お気づきではなくて?」
「一体何のこと?」
クスクスと笑うアルドゥラの本心が読めない。
海風がブロンドの髪を揺らす。
今、私の前にいるのは私の知っているアルドゥラなのだろうか──?
アルドゥラは、私の問いに応えずクスクスと笑っている。
目元は髪に隠れて見えない。
「お師匠様。東の国のこんな諺をご存知ですこと?」
唐突に笑うのをやめて、顔をあげたアルドゥラ。
その顔を見て、気づかれないようにそっと息を飲んだ。
にたりと不気味に笑った顔は、今まで見たこともない表情だった。
うすら寒いものを感じて、知らず一歩後ずさる。
知らない。私は、こんなアルドゥラを知らない。
「青は藍より出でて藍より青し」
「私は貴女を超えましたわ」
一瞬消えたと思った彼女の顔が目の前にあった。
お腹に冷たい感触。
「あ……」
目線を下げると、氷の剣が私のお腹を貫いていた。
「可哀想ね。リュコリス」
遅れて痛みを理解すると、内蔵が切れたらしい。血液が口へと上ってくるのがわかった。
「……がはっ」
咳き込んで血を吐き出した。
吐き出した血が彼女のドレスを汚した。
瑠璃色のドレスについた赤色は、どす黒く気味が悪い。
対照的なその色が目に焼き付いた。
アルドゥラは、ぐっと力を込めて、剣を深く深く刺す。
それを、押し退けようと腕をあげるが、上手く力が入らなかった。
何故?
私は、不死にして不滅の神。
一時的なダメージはあったとしても、相手を退けられないほどの傷を負うはずがない。
なのに──何故!?
「あ、……アル、ドゥラ。……あなた!!」
真っ赤な口紅が弧を描く。
「可哀想なリュコリス。貴女の信仰はとっくに失われているわ。──私が殺せるほどにね」
憎しみのこもった眼差しと、声色。
どうして?
あなたは、私の可愛い教え子。
私の可愛い使い魔。
そうじゃなかったというの?
アルドゥラは私を殺そうとしている。
逃げなければ。
逃げなければ。
逃げなければいけない──。
分かっているのに、どうして体が動かないの?
体に力が入らない。
ぐっと氷の剣に手をかけ、逃れようとするが、剣はびくともしない。
当然だ。
力が全く入らないのだから。
自分でも、意識が薄れていくのがわかる。
こんなところで、私は死ぬのか。
今まで数多の死を見てきた。
恐怖はない。
偉大なる父の元へ還るだけのこと。
でも、後悔はある。
だって、だって──
こんなところで、終わるなら貴方と一緒に私も──
いいえ、貴方と一緒に生きていくことだって出来たはず──
別の選択だってたくさんあったはず。
それを選ばなかったのは私──。
「……ア、ドゥラ──」
勢いよく剣が引き抜かれた。
綺麗に赤い血飛沫が舞って、アルドゥラが不敵な笑みを浮かべていた。
──それが、私の見た最後の光景となった。