リコリスの恋人~30~
血飛沫が舞いナッツェンの体がゆっくりと倒れていく。
声にならない叫びが自分の喉を通っていくのを感じた。
「うわぁぁぁぁ」
兵の一人が叫んだ。
ナッツェンと一緒に来ていたのか?
気付かなかった。
危ない、そう思った次の瞬間。
男の首がなかった。
ばたりと、倒れる体。
ロゼの顔は見えなかった。
俺に背を向けていたから。
彼女は、腕を横に薙いで、庭へ続く扉を吹き飛ばした。
その瞬間甲高い悲鳴が上がる。
やめろーー。
頼む……。
やめてくれーー。
* * * * *
何とか体を引きずり起こし、彼女が消えた扉の向こうへ。
時間にして僅か数分のことだったはずだ。
そこに広がっていたのは、死体と血の海。
体を切り裂かれ、血を流し絶命している招待客。
首を切り落とされた護衛の軍人達。
その中にガーゼルや、アッシェ、ギーン、ソート准尉の姿があった。
切り刻まれたガーゼルの体。
地面にちょこんとした様子で置かれているアッシェの首。
ギーンの頭は潰れていた。
ソート准尉の体は両腕が欠けていた。
嘘だ。
誰か嘘だと言ってくれーー。
まるで、悪夢。
庭の中心に佇む魔女は、返り血を浴びて全身真っ赤に染まっていた。
その姿でゆっくりと、こちらを振り返る。
その顔は笑っていた。
歪な顔で笑う。
「貴女を、……自分は許せそうにありません」
そう言うと、彼女は更に笑みを深めた。
「貴方に許してもらう必要はありませんわ」
腰に携えた剣を抜き、彼女へと構える。
その時、殺すことも出来ただろうに、彼女はそうしなかった。
「傘の魔女、アルドゥラ。貴女には、逮捕命令が出ています」
彼女は、表情をピクリとも変えなかった。
血の匂いが鼻腔を突き刺す。
鼻が麻痺しそうな、強烈な匂いだった。
それは、懐かしい戦場の記憶を思い起こさせた。
「内容は、生死を問わず」
言い終わらない内に彼女に飛びかかった。
一瞬で駆け、斬りかかる。
しかし、彼女は横へ飛び退けることで躱す。
そこで、一度静止する。
「速いですわね。さすが戦場の狼と呼ばれた方ですわ。今まで殺しあった中で一番の速さですわ」
彼女は微笑みながら、言った。
「……随分古い話を知ってるんですね」
「古いといっても、まだ十数年前の話でしょう? 古いうちに入りませんわ」
そう言いながら、彼女は先程の渦を巻いた風の刃を放ってきた。
それを横へ逸れることで回避していく。
回避しながら、彼女との距離を縮める。
「まぁ……まぁ、凄い動きですわね」
彼女は歓喜の声をあげる。
耳のすぐ横を風の刃が通りすぎていく。
ぶぉん。という物凄い音が聞こえた。
あれに当たったら、ひとたまりもない。
彼女の、右側に回り込み、剣を振るう。
カキーンと、甲高い音がして、剣を受け止められた。
氷で出来た剣に。
「私、剣の扱いも心得ていますのよ?」
クスクスと彼女は笑った。
ぐっと力を込めて押すがびくともしない。
一度力を弱めてから払い、後方へ退く。
誰かの首が足に当たった。
「私のこと、憎んでいらっしゃいますの?」
彼女はそう尋ねてきた。
「いいえ……」
首はアッシェのものだった。
ゆっくりと、体勢を立て直し、彼女を見つめる。
エメラルドグリーンの瞳、真っ直ぐにこちらを見返していた。
彼女は微笑みを浮かべたままで、その感情は読めなかった。
「貴女を憎んではいません。これは、仕事です」
悲しいですよ。
貴女とこんなことになって。
悲しいーー。
貴女のこと、まだ愛しています。
けれど、貴女のこと許せません。
大切な仲間を、友人を、貴女は殺した。
でもーー。
どうしても憎めないんです。
だから、これは仕事です。
貴女を出来るなら生かして捕縛したい。
けれど、その力量が私にないのと、生きているあなたに、軍は何をするか分からない。
それは、俺が堪えられないんです。
さようなら、ロゼ。
どちらが、倒れるかは、己の力量次第。