リコリスの恋人~29~
笑い声が聞こえた気がした。
本当に、気がした程度だった。
先程ロゼを追って屋敷の中へと入った。
今回の目的は、表向きは婚約発表会の警護。
裏は、ロゼの正体を暴くことだった。
彼女の姿は、近くには見当たらなかったので部屋の中へ入ったのかと思い、声のした扉を開けた。
扉は、少しつっかえているように、重かったがもう一度引くとすんなりと開いた。
「どうして……?」
目の前の光景に意図せず漏れた声。
なぜ、あなたがそんなことーー?
鼻をつくような、血の匂い。
目の前の光景が到底受け入れられず、ただ疑問を問うばかり。
「……ロゼ。どうして貴女がーー!」
問いかけた相手は、血に塗れた顔で笑った。
いつもと変わらない彼女の笑顔。
「どうしてーー!!」
叫ぶように問う。
ロゼ、どうしてーー?
わかっていた。
本当はわかっていた。
それでも、心のどこかで分かりたくない自分がいた。
「どうして? おかしなことを問いかけますのね」
彼女はまるで、可笑しくて仕方がないといった様子でそう言った。
「メリボーン。あの男と私のことを調べていたのではなくて?」
クスクスと笑うロゼ。
本当に彼女はーー。
「貴女が、傘の魔女ーー、なんですね……」
信じたくなかった。
認めたくなかった。
それでもーー。
認めざるを得ない状況が目の前にある。
転がった死体ーーヴィレイユ中佐と、返り血を浴びて微笑むロゼ。
「貴女が……、傘の魔女だったんですね」
自分に言い聞かせるようにそう言った。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
どうして? 信じたかった。嘘だと思いたかった。
悲しい。酷い。裏切り。
……それでもあなたがいとおしいーー。
彼女がゆっくりと片手をあげるのが見えた。
次の瞬間、胃が持ち上がるような一瞬の浮遊感の後、背中に激痛が走る。
「ガハッ……!」
どうやら、吹き飛ばされたようだった。
壁にぶつかり、激痛に呻く。
コツコツと、彼女は返り血を浴びたその姿で部屋の中から出てくる。
「……残念ですわ。ミヒャエル。ここでお別れですわね」
彼女は優しく微笑む。
掲げた手には、風が丸く渦を巻いている。
あれをぶつけられたら、簡単に人を切り裂くだろう。
ヴィレイユ中佐も他の犠牲者もあれで、やられたのか……。
強く全身を打った衝撃ですぐに動けそうになかった。
ここまでかーー
そう思ったその時
「一体、何事ですか!?」
ナッツェンが、庭から屋敷の中へ飛び込んできた。
大きな音がしたから、慌てて駆けてきたのだろう。
ソート准尉……連れてきていたのか……。
「……逃げ、ろ」
何とか絞り出した声は、掠れてナッツェンまで届かなかった。
「ミヒャエル准尉!!」
俺とロゼの姿に驚き、剣を抜こうとする。
だがーー遅い。
ふっとロゼが手を振ると、風の渦がナッツェンに向かって放たれた。
一瞬の出来事だった。
剣を構える暇もなく、ナッツェンの体が引き裂かれた。