水の巫女~5~
私はグラセルが去ってしまった後も、暫くその場を動くことができなかった。
彼に言われるまで考えたこともなかった。
皆が私に嘘をついている可能性。
どうして?
何の為に?
私に知られてはまずいことがあるの?
分からないーー。
分からないよ。
頭の中、ぐちゃぐちゃだ。
そんなことないって、言い切れるほど私は皆のこと知らない。
私、皆のこと何も知らない。
『哀れよの』
突然、見知らぬ女性の声がした。
『他者の言葉に惑わされ、翻弄される様は実に哀れじゃ』
声の主は私を嘲っている。
辺りを見回すも誰もいない。
「誰!? どこに隠れているの!」
叫んでみても、自らの声が部屋に響くのみ。
『妾の姿を探しても無駄よ』
声は私を嘲笑うかのように言う。
『妾はこの場にはおらん。妾がいるのはここより遥か遠い異国の地よ』
声は凛と透き通り、まるで本で読んだ人魚姫の歌声のようだった。
人魚姫が実在するのであれば、歌声はきっとこんな風に美しいに違いない。
「異国? 何を言ってるの?」
声の主はその異国の地から私に語りかけているというのか。
「そんなことあーー」
『あり得るのよ。妾は不可能を可能にする魔女』
あり得ない。そう言おうとした私の言葉は遮られた。
彼女の言っていることは非現実的だ。
魔女?
あの物語に出てくる存在が実在しているというの?
そんなわけあるはずがない。
あるわけが……。
「皆は魔女なんていないって……」
物語を読むととってもわくわくした。
竜やエルフに魔法。
なんて、素敵なんだろうって思った。
でも、皆にその話をすると、本に書かれていることは全て作り話で、実際には竜もエルフも存在しないと言われた。
魔法もこの世にはないとーー。
『お主はそれを信じたのかえ?』
声は静かに私に尋ねる。
「そうよ」
私は頷きながらそう答える。
『先程、あの男子に信者が嘘をついていないとは限らない、と言われたばかりじゃなかったかの?』
その言葉にハッとする。
そうだった……。
でも、私はまだ皆のことを信じていたいーー。
でも、信じられないーー。
二つの相反する感情が私の中でせめぎあう。
『まぁ、皆が魔法を知らなかったという可能性もなきにしもあらずじゃがの』
彼女は自分で嘘をついているかもと言っておきながら、今度はそうでないかもしれないと言う。
私の頭はこんがらがりそうだった。
『どちらにしても、皆の言葉を鵜呑みにするのは間違いじゃと思わんかえ? 妾と話しているということは、皆の言葉が必ずしも、真実ではないという証明ではないか?』
そうだ……。
皆は魔法は存在しないと言ったけれど、魔法でなくては説明出来ない状況に私は遭遇しているのだ。
グラセルの言葉だけでは信者達が本当に嘘をついているのかどうか分からない。
グラセルも私も真実を知らないから、信者達が私に嘘をついている確証がないのだ。
けれど、彼女と話していることは事実で、彼女は今この場にはいないのに、私と話をしている。
今この状況を魔法以外の何で説明すればよいのだろうか?
彼女の言う通り、これは皆が正しいことばかりを言っていないという証明になる。
それに気付き、愕然とする。
やっぱり皆は私に嘘をーー?
『安心せよ。信者共が嘘をついたのは、魔法はないっと言ったことのみよ。それ以外は嘘などついてはおらん』
彼女は私を慰めるかのようにそう言った。
『ただし、全てを伝えてるとは限らんがの』
最後にそう言う。
それはつまりーー。
「私に教えてくれてないことがあるっていうこと?」
『そういうことよ』
もう、何を信じたらいいのか分からない。
でも、皆が教えてくれたこと全てが嘘じゃないことが分かった。
それと、皆が私に教えてくれていないことがあることも分かった。
「どうしてそれを私に教えてくれるのですか? 貴方は誰?」
『良いのか? 妾の言葉を信じても。妾が嘘をついておらぬ保証はないぞ?』
彼女は私の問いに意地悪くそう応えた。
確かにそれはそうだ。
でもーー。
「貴方は怪しいけれど、嘘をついているように感じないわ」
『何故じゃ?』
その問いに答えるのは難しい。
特にこれといった明確な理由などないのだから。
強いて言うなればーー。
「声に自信が滲み出ているわ。それに、とても澄んだ声をしている」
そう言うと、彼女は一拍の間を置いて笑いだした。
『くふっ。クックッ。これは愉快』
私は何故笑われたのか分からず、キョトンとしてしまう。
「どうして、笑うのですか?」
『ああ。すまぬすまぬ。ついな』
少し怒ったように尋ねると、彼女は笑いを抑えつつ言った。
『くすっ。そうか妾は怪しいか』
まだ、笑っている。
『それに自信過剰と……。クックッ』
「怪しいです。どこにもいないのに、声だけが聞こえるんですから。あと、自信過剰とは言ってません」
やはり、笑っている。
笑いすぎだと思う。そんなに笑われるようなことを言ったつもりはないのに。
そんなにおかしなことだったろうか。
『それもそうよの。お主は随分とハッキリものを言う。実に好感がもてるよの』
彼女の言葉に内心首を傾げる。
そんなにハッキリと言ってるのだろか?
思ったことを言っただけなのだが。
「それよりも、教えてはくれないのですか?」
『どうして妾がそなたに教えるかだったか』
私は頷く。
頷いても、相手には見えないので意味はないのだが、何となく彼女には伝わる気がした。
『無知とは実に哀れなことだと思わんかえ?』
彼女はそう問いかけるように言った。
質問とは少しずれているような気がする。
『妾は無知とは可哀想なことと思うのよ。無知ゆえに相手に翻弄され、果ては人生までも狂わされることもあろう。それではあまりにも可哀想ではないか。故に妾はそなたに教えたのだ』
それはつまり、私が可哀想だから?
同情されたの?
『このままではお主は、自ら選択することさえ出来ぬであろう。それではあまりにも残酷よ。しかし妾が教えたことにより、今のそなたには選択することが可能である』
「選択……?」
『そう選択よ』
一体何を選択するというのか。
『お主は選ばねばならん。あの男子を信ずるのか。信者を信ずるのか。はたまた己を信ずるのか』
グラセルか信者か、私ーー?
一体何のことを言っているのかさっぱり分からない。
『迷っている暇はない。選択せよ。迷いが命取りになるぞ』
その声は真剣そのもので、脅されているような気にせえなった。
『妾が言えるのはここまでよ』
「待って。どういう意味なの? 何を選んだらいいの?」
不安にさせるようなことを言うのに、肝心なことは何も伝えられていない。
『うむ。そうよの……。お主はここから出たいのじゃろ?』
何故、それを知っているのか?
……魔女だから?
「……ええ。出たいわ。もっと広い世界を見てみたいの」
この狭い世界を変えたいの。
もっともっと色々なことを知りたい。
自由になりたいーー。
『ならば、選ぶがよい。信者を信じ、この場にとどまり続けるのか。男子を信じ、広い世界に連れ出してくれるを待つのか? はたまた、自ら世界を切り開くのか?』
私が、選ぶ……。
「私が……。私が、選んでもいいの?」
『お主の人生じゃ。お主が選ばずして誰が選ぶ?』
彼女はそう言って笑う。
私はどうすればいいのだろう。
信者達は私にここから出てはいけないと言った。
その信者達を信じるなら、私はここに死ぬまでいなくてはいけない。
そしたら外にでることは叶わない。
グラセルは信者が嘘をついてるかもしれないと言った。
彼は私をここから連れ出してくれるどろうか?
私は自分一人でここから出ることなど出来やしないだろう。
そしたら選択は二択だ。
信者かグラセルか。
でも、どちらを選ぶにしてもそんなに焦る必要はない気がする。
第一、グラセルが私を連れ出してくれるとは限らない。
命取りとは一体どういう意味なのだろうか?
「あの……。命取りっていうのはどういう意味なの?」
尋ねてみても、答えはない。
あれ……?
いなくなってしまったのだろか?
「魔女様? いないの?」
何度かそう呼び掛けたものの、私の声だけが虚しく部屋に響くだけだったーー。
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