リコリスの恋人~20~
雷に打たれたら、こんな感じなのだろうか?
頭の中が一瞬にして真っ白に染まる。
今……、何て言った。
思考が上手く働かない。
言葉が頭に入ってこない。
「ロゼ……。今何てーー?」
「……ロドリー様に結婚を申し込まれましたの」
ロゼの口調は硬い。
ああ。ついに怖れていたことがきたのか。
「……何と答えたのか、聞いても?」
尋ねる声が掠れた。
駄目だ。俺が動揺してどうする。
もし、彼女がヴィレイユ中佐を選ぶのならば、俺の動揺はロゼに見せるべきではない。
俺は彼女に何もしてやれない。
だから、彼女を俺が縛るわけにはいかない。
「私、少し待って欲しいとお答えしましたの。ですが、今週末ヴィレイユ様はご親戚の方が開かれる舞踏会に参加されるそうですわ。そこで発表をしたいから、それまでにと言われてますの」
ロゼの答えに安堵したものの、期限はあと僅かだ。
それまでに彼女は決断をくださねばならない。
心がキリキリと締め付けられるような気がした。
「ヴィレイユ家といえば、知らぬ者がいないほどの名家ですわ。ロドリー様と婚姻を結べば、オッフェンバーグ家は安泰です。亡き父も喜ぶことでしょう」
ロゼの言う通りだ。
対して俺は庶民。軍での階級も下でーー。
一体どの口で彼女を引き留められるというんだ?
受話器を持っていないほうの拳を握りしめた。
決断を迫られている。
ならば、自分の答えは一つだろうーー。
「……貴女にとって、俺が邪魔になっているのであれば、俺を捨ててくださって構いません」
絞り出すように、そう言った。
「俺は、庶民です。貴女とは元々釣り合う身分なんかじゃありません。それなのに、俺の我が儘で貴女を振り回してしまいました」
申し訳ありせんーー。
そう謝罪の言葉を口にすると、ロゼは沈黙した。
心が沈んでいく。
俺から彼女を振るのは失礼だと思ったので、ロゼの言葉を待つ。
だが、ロゼは何も言わないーー。
彼女に言わせるのも、また酷いことかもしれないと思い直し、別れの言葉を口にする。
「ーー今まで」
「引き留めて下さいませんのね」
ありがとうございました。そう言おうとすると、ロゼは俺の言葉を遮ってそう言った。
その声は、少し震えていた。
「邪魔になるのは、私のほうですわ。甘やかされて育ったんですもの。世間知らずで、お裁縫もお料理も何も上手に出来ませんわ」
ロゼは泣いているのかもしれなかった。
泣かせたのはきっと自分だーー。
「貴方にとって私が重荷でしたら、いつでも捨ててくださって構いません。私、本日はそう言おうと思ってたのですわ。でも、重荷でないのならお側に置かせて欲しいとお願いしたかったんですの。ミヒャエル様に引き留めて欲しかったのですわ」
ロゼは涙声でそう語る。
泣かせたのは自分だーー。
受話器の向こうから聞こえる彼女の泣き声。
「ミヒャエル様にとって、私は重荷でしょうか?」
「いいえ」
その問いに俺は即答した。
「ロゼ、俺は貴女を重荷と思ったことなど一度もありません」
今までずっと悩んできた。
彼女は貴族で俺は庶民。
世間体もある。
庶民と結婚したとなれば、彼女が他の貴族に何を言われるか分からないだろう。
ロゼを幸せにしてやれる自信もなかった。
それでもーー。
「貴女を愛しています。ロゼ」
だから、
「さようならをしましょう」
いい機会だ。
ロゼには幸せになってほしい。
俺には貴女を幸せには出来ません。
「ヴィレイユ中佐は良い人です。家柄も申し分ありませんし、長男というのが若干難点ではありますが、ご兄弟がいらっしゃると聞いてますので、婿養子に入って頂くことも不可能ではないでしょう」
ロゼ。
初めて出会ったその日に君に恋をしました。
貴女を愛しています。
誰よりも。
だから、貴女には誰よりも幸せになって欲しいのです。
俺みたいな男じゃ、貴女には釣り合わないですよ。
「貴女の幸せをいつも願っています。さようなら」
そう言って返答を待たずに電話を切った。
そしてそのまま、その場にしゃがみこんでしまった。
間違ったことはしていない、と思いたい。
俺は逃げたのかもしれない。
分からない。
混乱した頭で早急に結論を出してしまっただろうか?
でもーー。
いつかは来ることだと思っていた。
このまま、ずっと恋人同士なんて無理な話だ。
ましてや、結婚なんて出来やしない。
俺と結婚したところで、ロゼは幸せにはなれない。
だからーー。
「これで、良かったんだ」
そう自分に言い聞かせる。
心が悲しくて苦しかった。
それでも、俺にはやらなければいけないことがある。
思いっきり、両頬を叩いて立ち上がる。
切り替えよう。
今は目の前の事件に集中しなくてはーー。