水の巫女~2~
私はーー。
「分からない」
そう答えるしかなかった。
「分からない?」
彼は訝しげに眉を寄せた。
「ごめんなさい。分からないの。物心つく前に両親が亡くなってしまったから、私は親の顔を知らない。それに、誰も私にお父さんとお母さんの話をしてくれなかったから」
まず、私は自分に親というものが存在していることすら知らなかったのだ。
私はここで生まれ育った。
私と話すのはごく僅かな信者のみだ。
親とは何なのかすら知らなかった。
最近本を読むようになって初めてその存在を知ったのだ。
そう。せめて、親が生きていれば自分が何者なのか知ることも出来たらかもしれない。
けれど、私には父も母もいない。
「信者達はお前のことを知らないのか?」
少年はそう聞いてきたが、私はその問いにも首を降る。
「私が何なのか聞いても、皆は水の巫女としか答えないわ」
そう言うと、少年は目に見えてがっかりした。
「ご、ごめんなさい……」
その様子に私は思わず謝ってしまう。
「お前が謝ることじゃない。仕方ないさ」
それよりも、と彼は続けた。
「水の巫女ってのは何だ?」
巫女とは何か?
それを外部の人間に伝えても良いものだろうか。
彼が外部の人間とは限らないが、どう見ても信者でないことだけは確かだ。そんな人に巫女の話をしてよいだろうか?
私が迷っていると、少年は言った。
「話せることだけでいい」
話せることと言われても、それさえも私には分からない。
それを正直に伝えると少年は呆れた顔をする。
少し申し訳ない。
けれど、事実なのだから仕方ない。
「お前が何も知らないのは分かった。じゃあここに今まで俺みたいに他所の人間が来たことはないのか?」
少年は質問を変えてきた。
そんなことを聞いてどうするのだろうか?
「私が知っている限り、ないわ。そんなことを聞いてどうするの?」
「水の巫女は何をするんだ?」
少年は私の質問を無視する。
「話したところで、お前が俺に話したことは誰にも分からない。それに誰もお前に口止めしなかっただろう?」
それはそうだけれども。
「私の質問には答えてくれないのね」
すると、少年は顔を少ししかめた。
「誰も私に口止めしなかったのは、話してはいけない人が誰もここには来ないからじゃないかしら」
私がそう言うと少年は面倒くさそうに、頭を掻く。
「じゃあ、聞くが巫女の話は人に話してはまずいと思うような内容なのか?」
少年の言葉について少し考えてみる。
「思わないわ」
人に話してはいけないような話ではないと思う。
少し、自信がないけれど……。
「なら、いいだろ」
少年はそう言って私に話すよう促す。
……私は迷っていた。
彼は正直に言って、とても怪しい。
突然現れて、人魚を探してると言う。
今までこんなことはなかった。
毎日、同じことを繰り返して穏やかな時を過ごしていた。
それが彼の存在によって唐突に壊されたような気がする。
彼を恐ろしいと思う。
私の全てを壊してしまうのではないか?
そんな不安が頭を過る。
けれどーー。
それと、同時に私の胸に込み上げてくる感情がある。
この感情を一体何と名付ければいいのか、私は知らない。
しかし、その感情が恐怖よりも勝っていることは確かだった。
「分かったわ。水の巫女が何か、私が知っている範囲でよければ、貴方に教えます」
私がそう告げると、彼は笑った。
「よし、約束だ。俺はまた明日同じ時間にここに来よう。その時に話をしてくれ」
え……。
「今日はもう行ってしまうの?」
「ああ。少し、長居し過ぎた」
彼はそう言って後ろを向き、去っていこうする。
私は彼に駆け寄り、その手を掴んだ。
「待って」
掴んでしまってから、まずかったかもしれないと思ったがもう後の祭りだ。
少し走っただけなのに、心臓が酷く速く脈打っていた。
「待って……」
彼の手を掴む手が震えた。
見えるのは鱗の生えた水掻きのある手。
何て、薄気味悪い……。
「もう一度言うが」
彼の声にハッとして、思わず手を離し後ろに下がる。
彼は私の顔を見ていた。
「俺はお前のことを化け物だと思ったりはしない。お前も自分をそんな風に思うな」
どうして?
「私、こんな姿なのに……」
いつからだったろう?
自分のことを気持ち悪いと思うようになったのはーー。
私は生まれたときから皆とは違っていた。
こんな姿、化け物みたいだと思った。
だから、私は一人ぼっちなのだと、思っていた。
「……綺麗だ」
少年の発した言葉に耳を疑う。
今、何てーー?
「お前は美しい」
美しい……。
少年に言われている言葉の意味を理解するまでに数分要した。
……褒められている。
それに気付くと一気に顔が火照った。
容姿を褒められたのは生まれて初めてだ。
「じゃあな」
少年は私に背を向けた。
あ。
行ってしまう。
「待って、名前……、教えて」
彼の背中にそう言う。
彼は顔だけこちらに向けた。
「……グラセル」
グラセル。
その名前を口の中で唱える。
何だか胸が暖かい。
「私は、私の名前はティナシィー」
彼は分かったという風に頷き、歩き出す。
私はその背中が見えなくなるまで、その場に立っていた。
誤字脱字があればお願いいたします。