傘の魔女~1~
土埃の舞う町は彼女には酷く不快だった。
ろくに舗装もされてない乾いた土の道。
黄土色の壁の群れ。
その壁に寄りかかるボロを纏った人。
砂漠の王国、シュトゥルガネフの首都レヴィン。
ここはそのスラム街。
彼女はそこを歩くには、およそ不釣り合いな格好をしていた。
銀色の髪によく映える金の髪飾りに、踝まで覆い隠れる濃紺のドレス。ドレスは襟が首もとまであり、彼女の露出を極力少なくしていた。
レースやフリルがふんだんに使われたそれは、見るからに高級な生地が使われており、到底スラム街には似つかわしくない装いだった。
おまけに彼女は女性で、従者の一人もつけずに一人で歩いているのだ。
これでは襲ってくれと言っているようなものだが、彼女を襲う輩はいない。
彼女は砂漠の強力な日射しをドレスと同じ濃紺の日傘で遮っていた。
傘で顔を少し隠した彼女は、素人でも分かるほどの殺気を放っていた。
今、彼女の歩く道を塞ぐ者がいたとしたら、間違いなく殺されていただろう。
殺気を放ちまくる彼女を襲おうと考える、向こう見ずはここにはいない。
彼女が不機嫌なのには、二つ理由があった。
一つは、彼女は元々ここよりも西にある国の貴族で砂漠の国の風土に慣れないこと。
もう一つはーー。
* * * * *
スラムを奥へと進み、一つの廃墟に目に止めた。
そこから、懐かしい気配を感じ中へと足を運ぶ。
廃墟の中には家具は一切なく、砂埃が床を覆っている。
足を一歩踏み出すごとに、靴の形に跡が残る。
最早、外とかわりのない部屋の中央に服が汚れることも厭わず、座り込んだ少女。
元々ボロを着ているとはいえ、その様子に眉を寄せた。
「……汚ならしくてよ」
一言。
目の前の少女に言う。
「あんたに関係無いわよ」
少女は不機嫌そうにそう言う。
そして、目の前の人物が部屋の中にも関わらず傘を差しているのを見て、顔をしかめる。
「室内でくらい傘をしまえないの?」
ため息をつきながら、少女は言った。
「傘は私のトレードマークでしてよ? それに、ここじゃあ、外とかわりないのではなくて?」
魔女は少女を見下ろして笑った。
壁によって太陽の日射しを遮られた薄暗い部屋の中で、真っ赤なルージュが光る。
対峙する二人ーー。
「私、貴女のこと案外嫌いじゃなくてよ」
魔女は何の脈絡もなくそう言った。
少女はまた、ため息をつく。
そのまま、黙ったまま少女は何も言わない。
魔女は黙って少女を見つめる。
しかし、すぐに無言の少女に痺れを切らした魔女が再び言った。
「いいんですの? このままじゃ、貴女死にますわよ?」
そう言う魔女の表情は悲しそうですらあった。
少女は無表情に魔女を見上げる。
沈黙が再び漂う。
魔女は先程言葉を放った時とはうって代わり、無表情に、いっそ冷酷にすら見える表情で少女を見下ろす。
先に口を開いたのは少女のほうだった。
「……いいのよ。アタシ、あの人をここで待ちたいの」
その言葉に魔女は顔をしかめ、傘を差した手に力を込めた。
「あの人間が貴女を裏切ってるかもしれなくてよ? 人の気持ちは移ろいやすいもの。貴女に愛想をつかしているかもしれなくてよ? それでも待つと言うの?」
厳しい目で少女を見下ろす。
少女はその視線を正面からしっかり受け止める。
「ええ。待つわ。たとえ、あの人がアタシのことを忘れてたとしても……」
少女の真剣な表情に、魔女はため息をついた。
「その様子では私が何を言っても聞きそうにはないですね。でも、本当に良いんですの?貴女死にますわよ」
魔女は少女を悲しげな表情で見た。
その魔女の表情に少女は笑って答えた。
「今、ここを離れたらもう二度とあの人に会えない。そんな予感がするのよ。だから、ここで待っていたいの。たとえ、目の前に死が迫っていたとしても」
そう少女が答えた次の瞬間。
魔女は無表情に少女を見下ろした。
「愚かね。とんでもなく愚かだわ。そして、哀れよ」
魔女の言葉に少女は少し寂しげな顔をした。
「何とでも言いなさい。アタシは後悔なんてしないから」
その言葉が言い終わるかどうか、というところで魔女は踵を返し廃墟を後にする。
ずっと差したままの日傘は、眩しく明るい砂漠の日射しを遮る。
「愚かね。ラスト……。さようなら。もう会うことはないでしょう」
ポツリと呟いた声は誰にも聞かれることなく、強い日射しの中に消えていった。