砂漠に住む魔物~14~
「あたし達グールの間に伝わる人魚の伝承があるの」
ある日ラストは唐突に言った。
「人魚の伝承?」
俺は鸚鵡返しに尋ねた。
ラストは俺をみつめて頷く。
「そう。人魚の肉を食べれば人になれるっていう伝説」
人間に……?
俺が驚いた顔をすると、彼女はにっこりと笑って続けた。
「正確に言うと、人と変わらない食事を取れるようになるのよ」
俺はその言葉に半信半疑で問い返す。
「それは本当なのか?」
それが本当だとしたら、真実だとしたら、ラストはもっと楽に俺と共にいられるのではないだろうか?
彼女は俺と共にいることで人を食べることに罪悪を感じている。
彼女は俺には食事の風景を決して見せないし、なるべく食事の回数も減らしているようだった。
全ては俺と共にいたいがため。
それが俺にはとても心苦しいが、彼女自身が自分で決めたことだから俺が何と言おうともラストは決してやめない。
「本当だよ。あたしは実際に見た。そうなったグールを。それから必死で色々調べたの」
彼女の言葉に驚く。
「実際に見たのか?」
俺の言葉にラストは頷き、そして遠くの方を見つめる。
「随分と前の話だけれどね。人魚の肉にはあらゆる生命の体を変えてしまう力があるそうよ。人間もエルフもグールも全ての生命を変化させるの。グールが食せば、その食に変化をもたらし、人が食べればその命に変化をもたらすという」
つまり、どんな生き物も人魚の肉を食べれば体に変化が起こるということか。
遠い目をするラストの横顔を俺は見つめた。
「命に変化をもたらすっていうのはどういう意味なんだ?」
俺の問いにラストはこちらを見た。
柔らかく微笑む彼女。
「長寿が得られるそうよ。もし、もしもだけれど、人魚の肉を私たち二人で食べることが出来たら、ずっと一緒にいられるわ」
嬉しそうに、けれど悲しそうに言うラスト。
その表情に俺は少し疑問を抱いた。
どうしてそんなに悲しそうな表情をするんだ?
「なんでそんな悲しそうな顔をするんだ?」
俺が言うと、彼女は瞳を伏せる。
「だって、人魚なんて見つからないわよ。あたしが人魚を食べたグールと出会ったのはもう何年も前のことよ。人魚はとても警戒心の強い生き物だし、今はもう絶滅しているかもしれないわ。夢物語よ」
諦めたように言うラストの手を俺は取った。
「俺は夢物語だとは思わない」
彼女の瞳をしっかりと見つめ、そう言った。
グールは人よりも長寿だ。
彼女の歳を俺は知らないが、それでも俺より年上で俺より後に死ぬ事はわかる。
たとえ死ぬまで一緒にいられたとしても、俺は彼女より先に死んでしまう。
ラストを一人にしてしまう。
それが俺にはたまらなく嫌だった。
「探そう。人魚を。ラストが何て言おうと俺は探す。君とずっと一緒にいたい」
彼女の手を強く握り締める。
ラストは泣きそうな顔をして、俺の言葉に頷いた。
「あたしだって一緒にいたい。もう嫌なの。人を食べるのは」
ラストが吐いた弱音。
俺は彼女を黙って抱きしめる。
「ううん。違う。ずっと前から嫌だった」
ラストは俺の腕の中でふるふると首を横に振った。
「ずっと前から嫌になってた。グールと人間の関係は牛と人間の関係とは違うの。あたし達は話し合えて理解し合えるのに、どうして食べなくちゃ、殺さなくちゃいけないんだろうって思ってた」
彼女が言っているのは仕方のないことだ。
彼女達の主食は人間。
だから、仕方のないことなのだ。
彼女がそれに対し罪悪感を抱かなければならないようなことではない。
それでも彼女は、そうは割り切れなかったのだろう。
「だから、人魚の肉が欲しいって思った。でも、砂漠じゃ見つからないよ。人魚は水と共に生きる者だもの」
ラストの美しい瞳から零れ落ちる涙。
人魚は水と共に生きる。
グールは砂漠に住む。
両者が出会う可能性は確かに少ないだろう。
でもーー。
「昔は無理だったかもしれない。でも、今は俺がいる。俺なら人魚を探せる。待ってろ。俺が絶対に見つけてくる」
俺は強くラストを抱き締めて、そう言った。
彼女は黙って俺の言葉に頷いた。
* * * * *
それから、俺は人魚の伝承を調べた。
城の書庫を読み漁り、人魚の伝承が残る町を訪れ。
彼女とずっと共にあるために、俺はあちこち旅して回った。
空振りが続いては、町に戻りラストに慰められた。
父は俺の行為に気づいているようだったが、何も言わなかった。
俺に諦めがついたのだろう。
跡継ぎは何も俺だけではないのだ。
そうしてあちこち巡り、ようやくあの地下神殿の存在を知った。
人魚を俺は見つけたのだ。
今この背中には俺とラストの夢が乗っている。
ようやく俺は見つけたよ。
ラスト。
待っていてくれ。
もうすぐ俺と君の夢が叶う。