間章~6~
シトシトと降る雨。
襖を開け放ち、外で降る雨をぼんやりと古世未は見つめていた。
赤地に黄色や橙色の花と緑の葉が描かれた着物に、黄土色の帯を締め、長く黒い髪は珍しく後ろで結い上げ、そこに花のかんざしを挿している。
古世未は鏡台の前に座っており、つい先程髪を結い上げたところであった。
暫く外を見つめていた古世未だったが、再び鏡台に向き直り、今度は化粧を始めた。
白粉を塗り、紅をさす。
元々古世未は整った顔立ちをしている為、化粧をすることによりさらに美しさが引き立つ。
手早く化粧を終えると、古世未は立ち上がり部屋を出る。
依然として雨は止まない。
止む様子すらない。
廊下を一人歩く古世未。
この屋敷には多くの人間が働いている。
それにも関わらずシンと静まり返った廊下。
何ともまぁ不気味なことよ、と一人古世未は苦笑した。
そのまま廊下を歩いていると、向こうから千鶴がやって来るのが見えて、立ち止まった。
千鶴もこちらに気付いたようで、小走りで近づいてくる。
千鶴は灰桜の着物に藍色の帯を締めていた。
古世未の側に来た千鶴はうっすらと化粧をしている。
古世未は千鶴の愛らしい装いに微笑む。
「準備は出来たかえ?」
そう問うと、千鶴は笑顔ではいと返す。
「では参ろうかの」
今日は千鶴と町へ出掛ける約束をしていた。
あらかじめ千鶴には支度をするように言っておいた。
雨は出掛けるのには憂鬱な天気にも思えたが、嫌いな天気ではない。
傘を差して、歩くのもたまには良い。
* * * * *
千鶴が人力車を呼び、市までそれに乗ってきた。
そこからは傘を差して店を見て回る。
ポツリポツリと傘を打つ音が耳に心地よかった。
すれ違う人々は皆、傘を持ち雨でぬかるんだ地面を歩く。
市を歩く人は普段よりずっと少ないと千鶴は言う。
古世未はあまり市には行かない為、分からないが千鶴が言うならそうなのだろうと思う。
「多い時は中々前に進めないくらいですよ」
千鶴は笑ってそう言う。
「なるほど。それでははぐれてしまったら大変よの」
古世未も笑った。
今、古世未はえらく上機嫌であった。
千鶴はその理由を知らないが、古世未の機嫌が良いことには気付いている。
けれど、千鶴は何も聞いてこない。
そこが千鶴のいいところでもある。
市に並ぶ店を見ていると、ふと目に入った店があった。
「千鶴。あの店を見よう」
千鶴の手を引っ張り入ったのは呉服屋だ。
色とりどりの美しいが着物が飾られている。
それらを手に取り眺めるだけで、少女のように心が踊った。
「千鶴。千鶴。これなんかどう思う?」
着物を手に取っては千鶴の名前を呼ぶ。
「古世未様は何を着ても良く映えますよ」
千鶴が愛らしく微笑む。
「そうじゃ。千鶴にわっちから着物を贈ろう」
これは名案だ。
早速、古世未は千鶴に合う着物を探す。
「そんな、滅相もない。私は結構です」
焦ったように言う千鶴に、気にするなと声をかける。
「人の好意は素直に受け取っておけ。千鶴や、これなんかどうかえ?」
そう言って見せたのは青地に薄桃色や白の牡丹が描かれた着物だ。
着物を千鶴に見せると、千鶴は観念したように着物を手に取ってみる。
「私には少々派手では御座いませんか?」
「そんなことはありんせん。よく似合うぞ。よし、これにしよう」
古世未は一人うんうんと頷き、店の者にこれをと言う。
「古世未様。ありがとうございます」
にっこりと照れ臭そうに笑った千鶴。
古世未も自然と笑みが溢れた。
「なに、気にするでない」
店を出ると空はからりと晴れ、雨は止んでいた。
* * * * *
人力車に揺られながら行きに来た道を帰って行く。
穏やかに流れていく時。
平穏な日常の何といとおしいことか。
もう少しだけでいい。
このままの日々が続けばいい。
千鶴の横顔を眺めながら、古世未は心の底からそう願っていた。
その願いが叶わないことも分かっていた。
千鶴と過ごしていると忘れてしまいそうになる。
わっちが何であるのか。
優しい千鶴。
わっちの寂しさに気付いてくれる千鶴。
時には厳しく叱ってくれる千鶴。
千鶴。
お主はわっちが何をしたか知らない。
わっちが何であるのか知らない。
千鶴がわっちの視線に気付き、見つめ返してくる。
わっちは微笑みを返して、視線を流れていく町の景色に移す。
美しい町並みを眺めながら、わっちは幸せにはなれないと思う。
いや、幸せになってはいけないのだ。
嗚呼。
思い浮かぶのは彼の人の顔。
厩戸皇子や。
わっちはお主の気持ちには答えられぬ。
主様はわっちなど忘れてしまいなされ。
もう会いには来ないでくだされ。
わっちは穢らわしい化け物。
主様に退治される存在なのでありんす。
どうしてわっちなどを愛してるとおっしゃるのですか?
嗚呼。
この胸に込み上げる感情を何と名付ければよいのでしょう。
* * * * *
屋敷に帰ると、見慣れぬ牛車が門の前に止まっている。
まさかと、思い屋敷に入るとすかさず侍女がやって来る。
まさかーー。
「古世未様。お帰りなさいまし。早速で申し訳ないのですが、帝様がーー」
やはり。
「構わぬ。すぐ行こう。千鶴は部屋に戻って構わぬ」
千鶴は少し不安そうな顔だったが、古世未の言う通りにする。
嗚呼。
また来たのか。
侍女に案内され、帝の待つ部屋へと向かう。
嗚呼。
高鳴る鼓動の何と煩わしいことよ。
牛車が止まっているということは、仕事で来たのだろう。
わっちは何を期待しているのか。
くだらぬ。
わっちと主様は決して交わりはしない。
平行線。
交わる時があるとすれば、それはーー。
主様がわっちを殺すときでしょう。




