水の巫女~1~
物語の中で、塔に囚われたお姫様は王子様が助け出してくれるのを、ずっと待っている。
王子様は塔を守る邪悪な竜や怪物を倒してお姫様を助け出す。
そうして、物語はハッピーエンド。
私も物語のお姫様みたいに王子様が助けに来てくれるのを夢見てる。
でも、王子様は絶対に助けに来ない。
私はお姫様じゃないし、これは物語でもないんだもの。
それでも私は、本のページが擦り切れるほど物語を何度も何度も繰り返し読んだ。
誰かが私をここから連れ出してくれることを夢見てーー。
* * * * *
ここは水の神殿。
水の女神を奉った場所。
地下にあるこの神殿に太陽の光が入ることはない。
灯りもない。
けれど、神殿のあちこちを流れている水が青く発光している為に、神殿の中が闇に完全に支配されることもない。
穏やかに流れる水。
それと同じように穏やかに流れる時。
ここでは時間なんて、あってないようなもの。
時間なんて誰も気にしない。
気にする必要もない。
私が今いるのは祈祷の間。
女神に祈りを捧げる場所。
神殿の中で最も神聖な場所であり、ここに入って良いのは水の巫女だけ。
かつては多くの巫女がこの場で祈りを捧げていたようだが、今は私一人ーー。
たった一人の空間。
正面に飾られた女神の彫刻。
両手を胸の前で組み、伏し目がちに祈る女神の姿はとても美しい。
両脇には巫女が控え、水瓶を持っている。
その瓶からは青く発光する水が流れ出ていた。
女神の前に膝まずき、祈りを捧げる。
顔の前で両手を組み、目を閉じた。
この行為は私にとっては形式的なもので、祈りなど捧げてはいない。
私には何を祈ればいいのかも、誰に祈ればいいのかも分からなかった。
女神なんて所詮は偶像だ。偶像に何を私は祈っているのだろうか?
数分の間、目を瞑った後立ち上がって女神を見据える。
「……貴女は何を、誰に祈っているのかしら」
女神は誰に祈ればいいのだろうか。
私は女神に祈ればいいけれど、祈られる女神は誰に祈ったらいいのだろう。
そんな疑問が浮かんだ。
私はぼんやりとそのまま女神を見つめていた。
こうして見ていると彼女の顔は寂しげにも見えた。
女神から両脇の巫女に視線を移す。
寂しげな女神とは対照的にこちらは微笑んでいる。
微笑みを浮かべた水の巫女。
何故、彼女達は微笑んでいるのだろうか。
「……私は笑えないわ」
ぽつりと呟いた。
誰もここにはいないーー。
どうせ誰にも聞こえない。
私が生まれるずっと前には沢山の巫女がいたという。
けれど、皆死んでしまった。
今、巫女は私一人きり。
この神殿には多くの信者達が暮らしている。
それなのに、私は一人ぼっち。
戒律を破ることでなければ、願えば何でも叶えられた。
そうして、手に入れたのは沢山の物語だ。
最初は信者達の話す、本というものがどういったものなのか気になり、手に入れてみただけだった。
けれど、読んでみて知った。
本の世界は素晴らしかった。
字が読めなかったから、信者の一人に教えてもらい沢山の本を読んだ。
今では多くの言葉を知った。
物語だけではなく、様々な本を読んだ。
色々な知識を手に入れた。
それと、同時に私は何と小さな世界しか知らなかったのだろう、そう感じた。
戒律によって、私は神殿から一歩も出たことがない。
神殿の出口さえ、見たことがない。
私にはこの神殿の中が全てだった。
でも、外にはもっと広い世界が広がっているーー。
それを知った。
知ったからにはもう、以前の私のままではいられない。
「外の世界に行きたい……」
私も外に出たいーー。
もっともっと色々な事を知りたい。
広い世界をこの目で見てみたい。
そんな欲望が私の中に芽生えたのだ。
でも、それは無理ね……。
私は最後の水の巫女だもの。
この神殿で死ぬ定め。
「私にも王子様が現れないかしらーー」
お姫様みたいに、私をここから連れ出してくれないかしらーー。
「お前、ここから出たいのか」
突然、見知らぬ声がして驚き振り返る。
すると、白い布を巻いただけのような衣装を来た見知らぬ青年がこの空間唯一の出入口に立っていた。
「貴方、誰? どうやってここにーー」
この神殿に出入り出来るのは信者のみだ。
この青年はどう見ても信者ではない。
それにこの祈祷の間に近づくことは、たとえ信者であっても許されていない。
「どうやってここに来たか。そんなものどうでもいいだろう」
浅黒い肌に真っ黒な髪。
それから、真っ赤に輝く瞳。
初めて見る。
まるで、物語に出てくる異国の民のようだ。
私が青年をじっと見つめていると、彼はこちらに近づいてきた。
「来ないで!」
咄嗟に叫ぶ。
彼は私の声に反応して足を止める。
彼は私をじっと見た。
その視線に耐えられず、私は俯いた。
「お前、半魚人か?」
青年の言葉にビクリと肩が震えた。
そう、私は人間ではない。
かといって、半魚人かどうかは分からないけれど、人ではないことだけは確かだ。
私の体には鱗が生え、舌も青く、手足には水掻きがある。
何の生物か? と訪ねられたら答えることは出来ない。
私自身も自分が何物なのか分からないのだからーー。
でも、こんな姿、決して人ではありえない。
私は益々顔を俯かせた。
私はお姫様じゃない。むしろ、怪物のほうだ。王子様に倒される方。
歴代の巫女で、私のような人はいなかったという。
つまり、私だけが異常。
私だけが異質な存在。
「……嫌ならそっちには近づかない。ここにいる」
彼は私に向かってそう言った。
「質問に答えてほしい。俺はお前が化け物だって言ってるわけじゃない」
真剣な眼差しをこちらに向ける。
「……私のことを化け物だって思わないの?」
恐る恐る聞いた。
「思わない。俺はそうは思わない」
即答だった。
顔をあげて真っ直ぐ彼と向き合う。
「俺は人魚を探してるんだ。お前がそうなのか確かめたい」
彼はそう言った。
「もう一度聞く。お前は半魚人か? それとも人に化けた人魚なのか?」
彼の言葉に私は戸惑った。
何故、人魚を探しているのだろう。
そんな疑問も頭に浮かんだし、それに私は私が何者なのか知らない。
私は彼の問いの答えを持っていないーー。
「わ、私はーー」
私は何ーー?
誤字脱字があればお願いいたします。