序章
新しい作品です。
楽しんで、読んで頂ければ幸いです。
それでは、始めようか。
これは、滑稽な悲劇、
お伽噺草子ーー。
つまらない頁捲りを、ご堪能あれ。
* * * * *
「おい、あの噂知ってるかい?」
『あの噂ってのは一体どの噂のことだぁ? 』
「あれだよ。あれ。千里眼を持ってるとかっていう女のことだよ」
『ああ。それかい。それなら聞いたコタぁあるなぁ』
「噂じゃあ、宮廷陰陽師顔負けの技だっていうじゃあないか」
『どうせインチキだろぉ』
「いんや、どうも本物らしいぞ」
「噂によると、ある華族の横領を見抜いたとか」
『嘘くせぇ。おらぁ信じねぇぞ』
* * * * *
「京の宮に呪いの出来る女がいるらしいよ」
『あたしも旦那に聞いたよ。千里眼らしいじゃないか』
“その千里眼っていうのは一体何なんだい?”
『あたしも詳しいことは知らないけど、千里先の出来事を知ることが出来るらしいよ』
“ひぇー。千里先のことも? そいつは恐ろしい”
“もののけの類いじゃねぇか?”
「そんなわけあるかいな。陰陽師、つうのと同じようなものやろ」
【その人の名前はなんつうの?】
『何ていったかなぁ』
「確か、こよみっつう名前じゃなかったかいな」
* * * * *
「千里眼のお話聞きまして?」
『古世未様でしょう。また、お当てになられたんですって?』
“帝様も偉く御執心だとか”
【とても、お美しい方らしくてよ】
「私も一度視ていただきたいものですわ」
“お顔のほうも是非、拝見させて頂きたいわ”
『あら、でも私の聞いた話では妖怪の類いと聞きましてよ』
* * * * *
「はぁ」
女は一人、香の焚かれた部屋でため息をついた。
長く艶やかな黒髪を束ねることなく、背中にただ垂らし、真っ赤な着物に身を包んでいる。
格好は髪を束ねていないだけで、まるで遊郭の花魁だ。
肩を晒し、浮き出た鎖骨が酷くなめかしい。
「はぁ」
女は浮かない顔でため息をつく。
女の視線の先には鏡が一つ。
洋風の凝った装飾の施された大きな楕円形の鏡だ。座っている女と同じくらいの大きさである。
台座に置かれたそれは、正面に座った女の姿を写していた。
和室に置いてあるそれは酷く異質な存在であるようにも思えたが、室内には鏡以外にもちょっとした棚や小物入れなど、異国の品物が多々置いてあり、さほど違和感を放っていなかった。
脇息にもたれ掛かりながら、女はそれを見つめる 。
『何でも、人魚の肉を食したとか』
鏡からは女達の話し声が聞こえる。
女はーー古世未は思った。
嗚呼。こんなにも噂が広がっておる。
古世未は脇息から離れ鏡へ手を伸ばした。鏡の中の自分に触れる。写っているのは、数年前と変わらない美しさを保った己自身。
鏡は普通の鏡だ。
声が聞こえるのは、全て古世未の力だった。
本当は映像を映すことも出来るが、声のみのほうが体力の消耗が少ないのでそうしているのである。
じっと鏡の中の己を見つめる。
そうしていると、ふと誰かがこちらに向かってくる気配がした。
暫くして、足音が聞こえてくる。足音が部屋の前で止まった。
古世未は、声をかけられるよりも先に自ら声をかけた。
「何かや。千鶴」
襖の向こうの人物は驚いた様子もなく、応えた。
「古世未様。帝様の使者がいらしております」
失礼致します、そう言って千鶴は襖を開ける。
古世未の部屋に入ってきたのは、侍女の千鶴江だ。
古世未は親しみを込めて、千鶴と呼んでいる。
齢は確か、今年で十五になるはず。
千鶴は若草色の着物に身を包み、髪をきちんと後ろで結っている。
化粧はしていないが、可愛らしい顔立ちをしている。
同じく化粧をしていない古世未だが、可愛らしいというよりも美しいといった言葉のほうが合っている。
言うなれば、古世未は妖艶な遊女、千鶴江は可憐な町の看板娘といったところか。
「古世未様、またそのような格好をなされて」
千鶴は呆れたように言う。
「良いではないか。妾の勝手じゃ」
古世未は立ち上がり、鏡に布をかける。
「また声をお聞きになられていたのですか?」
「まぁの。それで、使者は何と言っておるのじゃ?」
千鶴の問いを古世未は軽く流し、来客について訪ねた。
「帝様から言伝てと贈り物を預かっていると。直接お渡しになりたいともおっしゃってましたが、如何なさいますか?」
それを聞き、古世未は鼻で笑った。
「帝からの言伝てのみ受け取って、返しんしゃい」
「会わなくて宜しいのですか?」
千鶴は心配そうに聞いてきた
「宜し。直接受け取って欲しいのであれば、帝御自身の足で赴きなさればいいのです」
古世未は座布団の上に座り、煙草盆から煙管を取り出す。
「……かしこまりました」
千鶴は不安そうな表情で了承した。
そのまま、部屋を出ていこうとするが、途中で何かを思い出したように立ち止まり、振り返った。
「古世未様の千里眼のお力のこと。今では国中の者がご存じですよ。異国の地にまで、届いているようです。素晴らしい魔法使いがいるって」
千鶴は嬉しそうにに話した。
その様子に古世未は苦笑する。
「妾は魔法使いとはちと違うのだがの」
手元の煙管の火皿に煙草を詰めながら、千鶴が何故、そんな話を突然言い出したのか考えていた。
千鶴の心の中を探ることなど容易いが、極力そういうことはしたくない。
「妖怪だの、化け物だのと言う人達のことなど、気にしないでくださいな。古世未様の力を素晴らしいと思って下さる方たちもいるのですから」
千鶴はそれだけ言うと部屋を出ていく。
どうやら、千鶴は古世未が噂を気にしていたことに気づいていたようだ。
巷では古世未の千里眼の話が伝わるのと同時に、古世未を化け物だと蔑む者も現れた。
それは仕方のないことでもあった。
だがーー。
「全く。侮れんの……」
慣れていたつもりではあったが、やはり言われると気になるものよ。
千鶴はそれに気づいていたのだ。
「わっちは千鶴に慰められたのかや」
クックッと笑う。
煙草の詰め終わった煙管に火をつけ、一口吸う。
ゆっくりと煙を吐き出し、布のかけられた鏡を見る。
「妾を、化け物と蔑むこともあながち間違ってはおらんがの」
自嘲気味にそう呟き、再び煙管に口をつけるのであったーー。
改稿は誤字を訂正致しました。
誤字脱字等あればご指摘願います。