ある秋の日
私は世界で最も不幸な人間である。
なにげなく窓を見下ろしていると君がそんなことを言った。
「…何いってんの」
「私は世界で最も不幸な人間である、と言ったんだ」
君は僕が何を言ったのか聞き取れなかったと勘違いしたのか、先ほどと同じく極めて平坦な口調でそう言った。
「それはわかったよ。僕は君がなんでそんなことを言ったのかわからなかっただけさ」
「そのままの意味だ」
彼は今まで机に突っ伏してた頭を上げて僕を見る。
相変わらず視線を合わせるのが苦手なようだ。
「私は私がわからないのだ」
「私はなぜ此処にいる?」
「歩いてきた、だとか勉学を学びに来た、だとか」
「そんなことは聞きたくないのだ。なぜなら、」
彼は独り言(もしかしたら僕に話をしていたのかもしれないが)を止めた。
僕が先ほど開けた窓から心地良い夏の風が流れ込んだ。
窓から地面を見下ろせば老朽化した校舎の壁が見えた。
外からは風の音以外は何も聞こえない。
彼は一度だけ僕に聞かせてくれたことがある。
夏は嫌いだ、と。
何故かはわからないし僕には特に興味が沸かない話題だったから
「ああ、そう」
とだけ言って会話を終了させたことがある。
いつもより卑屈で臆病な彼はいつか僕に言ったよう、ただ夏が嫌いだからこんな馬鹿みたいなことを言っているに違いない。
「それで、」
僕は口を開く。
「それで、僕にどうしろと?」
いきなり彼と話すのが酷く魅力的に感じなくなった。
しかし例え僕が彼に全く興味を示さなくなったとしても僕は彼から離れることは出来ないのだ。
そういう決まりなのだ。
彼が僕から離れることは無いし、その逆もまた無いのだ。
なぜなら、彼は独り言を言っているからだ。
「さあ、もう帰ろう」
黒髪の青年が開け放たれた窓に向かってそう言った。
窓から見える景色から察するに今は秋の夕暮れであるようだ。
少し冷たい風がひゅうひゅうと枯れ葉を教室に運んできた。
「どうしたんだい」
青年は窓際にある植木鉢に向かってもう一度話しかける。
植木鉢の中央の植物はもうとっくに枯れていたが枯枝には一匹のきりぎりすが寂しげに秋を恨んでいた。
きりぎりすは青年の手がその身に触れても逃げようとはしなかった。
きりぎりすは既に絶命していた。
その軆は茶色く変色しからからに乾いていた。
青年はきりぎりすを摘み上げると声も無く泣いた。
私はは世界で最も不幸な人間である。
彼は世界で最も不幸なきりぎりすだ。
ただ夏を越し死んでゆく。
そこにある憂いも苦悩も秋には忘れられるのに。
それでも生命を途絶えさせない意味はあるのか。
例えお前が夏になり戻ってきたとしても、ただ私を苦しめるだけだというのに。
これが因果だというのなら、その原因すら分からぬ私はただの愚かな人間か。
青年は独り言を言う。
きりぎりすは黙ってそれを聞いていた。