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どうして婚約者の私ではなく、妹が求婚されていますの?

作者: 入多麗夜
掲載日:2026/09/21

交際=婚約者 という前提で書いています

 エレシア・アルフォードと妹のリリアナは、一歳違いの姉妹とは思えないほどよく似ていた。母親譲りの淡い栗色の髪に、父親譲りの青い瞳。鼻筋や唇の形まで似通っており、幼い頃には揃いの服を着せられた二人を見て、双子なのかと尋ねる客も少なくなかった。十七歳と十六歳になった今ではエレシアの方がわずかに背が高く、立ち居振る舞いにも違いが現れているものの、髪型や服装まで揃えれば遠目から見分けるのは両親でも難しい。


 性格については、二人をよく知る者なら間違えるはずがないほど違っている。エレシアは落ち着いた性格で、大勢の集まる場所より少人数で過ごす方を好み、一冊の本を読み始めれば何時間でも椅子から動かない。リリアナは人と話すことが好きで、夜会へ出れば初対面の令嬢ともすぐに親しくなり、姉を連れ出しては新しくできた友人を紹介する。そんな姉妹の違いを、アルベルト・グレイヴもよく知っているはずだった。


 侯爵家の嫡男であるアルベルトとエレシアが知り合ったのは二年前、王都で開かれた春の夜会でのことだった。共通の友人を介して何度か顔を合わせるようになり、話を重ねるうちに互いを意識するようになった。一年前にアルベルトから交際を申し込まれてからは、互いの屋敷を訪れて茶を飲み、天気の良い日には庭園を歩き、夜会へ出れば一緒に踊った。華々しい恋ではなくても、エレシアは彼と過ごす穏やかな時間を気に入っていた。


 両家の両親も二人の交際を認めており、グレイヴ侯爵家とアルフォード伯爵家には以前から交流があったため、家同士の関係にも問題はない。いずれ正式に婚約するのだろうと周囲から見られるようになり、エレシア自身もアルベルトと結婚する未来を自然に思い描いていた。そんな中、半月ほど前からアルベルトが指輪や宝石の好みを尋ねるようになり、数日前には父であるアルフォード伯爵と二人だけで長い時間話していた。


 何も察していないふりをするのは、思っていた以上に難しかった。父に何を話したのか尋ねてみたい気持ちを抑えながら、エレシアはアルベルトから言葉を聞く日を待った。彼が自分との結婚を考えてくれているのだと思うだけで嬉しく、同時に、実際に求婚されたとき自分はどんな顔をするのだろうと考えてしまう。


 そして今夜、アルフォード伯爵家では秋を迎えるための夜会が開かれていた。王都に所有する屋敷の大広間にはいくつもの燭台が灯され、磨き上げられた床の上を着飾った男女が行き交っている。楽団の奏でる曲が広間を満たし、壁際には葡萄酒や軽食が用意されていた。屋敷の娘であるエレシアも招待客への挨拶を続けていたものの、今夜ばかりは入口へ視線を向ける回数が増えていた。


 待っていたアルベルトが姿を見せたのは、夜会が始まって間もなくのことだった。いつもなら落ち着いている彼が、今夜は妙に緊張しており、エレシアと話している間にも何度か右手を上着へ伸ばしかけ、そのたびに思い直したように下ろしている。そこに何が入っているのかを考えずにはいられなかった。


「今夜、話したいことがあるんだ。少し遅い時間になったら、庭園へ来てもらえないだろうか」

「ええ。分かりましたわ」


 できる限り普段通りに答えたつもりだったが、アルベルトが離れてからも胸の高鳴りは収まらなかった。庭園で二人きりになりたいと言われれば、半月ほど前からの彼の行動と結びつけてしまう。父と二人で話していた理由も今夜明らかになるのだと思えば、待ち続けていた言葉を聞けるのではないかという期待が膨らんでいった。


 そんな姉の変化にはリリアナも気づいていた。淡い青色のドレスを着た妹は、アルベルトが離れていくのを見送ってから姉の隣へ来ると、何も知らないふりをするエレシアを面白そうに眺めていた。父とアルベルトが話していたことはリリアナも知っており、今夜いよいよ求婚されるのではないかと指摘されると、エレシアは否定する代わりに手元のグラスへ視線を落とした。


「まだ何も言われていないわ。あまり期待して、違っていたら恥ずかしいもの」


 そう答えながらも、期待していることは自分が一番よく分かっていた。一年間一緒に過ごしてきた彼なら、この先も隣を歩いていけると思っている。アルベルトから結婚を申し込まれれば断る理由などなく、今夜が二人にとって忘れられない夜になるのだろうと、エレシアは疑っていなかった。


 約束の時間が近づいた頃、思いがけない災難が起きた。エレシアの近くを通りかかった令嬢が給仕とぶつかり、傾いたグラスから赤い葡萄酒がこぼれたのである。大部分は床へ落ちたものの、何滴かが深い青色のドレスへ飛び、胸元から腰にかけて目立つ染みを作ってしまった。


 青ざめて何度も謝る令嬢を責める気にはなれず、エレシアは侍女とともに自室へ戻ることにした。人の多い夜会なら誰にでも起こり得ることであり、今は責任を問うより着替える方が先だった。これから求婚されるかもしれないというのに、葡萄酒の染みがついたドレスでアルベルトの前へ出るのは避けたい。約束の時間が迫っていることもあり、エレシアは普段より足早に大広間を後にした。


 慌てていたため、椅子の背へ掛けていたショールを置き忘れたことには気づかなかった。しばらくしてそれを見つけたリリアナは、姉が着替えに戻ったと聞き、自分が届けようと考えた。大広間から姉の部屋へ向かうには廊下を回るより庭園を横切った方が早く、外へ出れば秋の夜風が思いのほか冷たかったため、姉のショールを自分の肩へ掛けた。


 淡い栗色の髪を同じように結い上げた後ろ姿に、エレシアが先ほどまで身につけていたショールが重なる。夜の庭園には屋敷から漏れる光と月明かりしか届かず、少し離れればドレスの色さえはっきりとは分からない。リリアナは姉のところへショールを届けることしか考えておらず、庭園の奥で自分を待っている人物がいるとは思ってもいなかった。


 庭園では、アルベルトが一人でエレシアを待っていた。侯爵家の嫡男として人前に立つことには慣れており、父の代理で重要な席へ出た経験もある。それなのに今夜は、たった一人の女性へ気持ちを伝えるだけで胸が苦しいほど緊張していた。アルフォード伯爵から婚約の許可を得たときには安心したはずなのに、いざ本人へ求婚するとなれば断られる可能性まで考えてしまう。


 何度目になるか分からないほど上着の内側にある小箱を確認していると、庭園へ足音が近づいてきた。薄暗い先には栗色の髪が見え、その肩には見覚えのあるショールが掛けられている。約束した時間に現れた女性を見たアルベルトは疑うことなくエレシアの名前を呼び、相手が完全に振り返るより先に歩み寄った。


 何日も考えてきた言葉が頭から消えてしまう前に、アルベルトは片膝をついて小箱を取り出した。蓋を開けば、月明かりを受けた指輪が小さく輝いている。緊張で強張りそうになる身体を抑えながら、彼は一年間胸の中で育ててきた気持ちを、ようやく言葉にした。


「君と過ごした一年間を、僕は何より大切に思っている。これから先も君の隣で生きていきたい。どうか、僕と結婚してほしい」


 待っても返事が聞こえないことを不思議に思い、アルベルトは顔を上げた。そこで初めて目の前に立つ女性を正面から見る。姉妹はよく似ていても、親しく付き合ってきた彼が正面から見て分からないほどではなく、目の前にいるのがリリアナだと理解した瞬間、身体から一気に血の気が引いていった。


「……リリアナさん?」

「はい。リリアナですわ。もしかして、私をお姉様と間違えました?」


 エレシアへ求婚するつもりで、その妹へ指輪を差し出してしまった。リリアナも肩へ掛けているショールを見て事情を察したらしく、責めるというより困ったようにアルベルトを見ている。ここで立ち上がって謝り、エレシアへの求婚だったと説明すれば、多少からかわれることはあっても取り返しのつかない問題にはならないはずだった。


 ところが庭園の入口へ目を向けると、夜風に当たりに出ていた招待客が数人こちらを見ていた。会話までは聞こえていなくても、女性の前へ跪き、指輪を差し出したところは確実に見られている。侯爵家の嫡男が恋人とその妹を間違えて求婚したと知られれば、明日には王都の笑い話になっているかもしれない。その想像が頭をよぎった瞬間、間違いを認めることへの恥ずかしさが膨れ上がった。


「……いや。君がエレシアだ」


 リリアナは何を言われたのか分からない様子で瞬きをした後、自分はリリアナだと改めて名乗った。それでもアルベルトは引き下がれず、目の前にいるのはエレシア・アルフォードだと言い張った。本人から自分の名前を訂正されているというのに、間違いを認めれば先ほどの求婚まで失敗だったと認めることになるという考えに縋りつき、自分でも意味がないと分かっている主張を続けてしまった。


「私、自分が誰なのかくらい分かっておりますわ。リリアナ・アルフォードです。アルベルト様が間違えていらっしゃいます」


 それでもアルベルトが首を横に振ったため、リリアナは困惑を通り越して呆れたような表情になった。姉と間違えられたことには腹を立てていなかったのに、自分が誰なのかまで否定されれば話は変わってくる。何を言えば納得するのだろうと考えていたところへ、庭園へ向かう新しい足音が聞こえてきた。


「アルベルト?」


 聞き慣れた声に振り返ると、着替えを終えたエレシアが立っていた。深い青色のドレスから薄紫色のものへ着替えた彼女は、妹の前で片膝をついているアルベルトと、その手にある指輪を順番に見た。次にリリアナへ目を向け、何が起きているのか理解できない様子で眉を寄せる。


「……どうして妹が求婚されていますの?」


 リリアナは姉が来たことに安堵し、アルベルトが自分をエレシアだと言い張っているのだと説明した。エレシアは最初こそ冗談だと思ったらしく妹を見ていたが、やがてアルベルトへ視線を戻すと、説明を求めるようにじっと彼の顔を見つめた。


 今ならまだ間に合う。間違えたと認めればいいとアルベルト自身も分かっていた。それなのに招待客の視線を再び意識してしまい、ここまで言い張った後で間違いを認める方が恥ずかしいという思いが勝った。彼はリリアナを指し、そこにいる女性こそエレシアだと改めて主張した。


「では、私はどなたですの?」


 エレシアから当然の問いを向けられ、アルベルトは答えに詰まった。正解など考える必要もない。目の前にいるのがエレシアだと分かっているのに、ここで認めれば先ほどまでの言葉がすべて間違いを隠すためのものだったと明らかになる。迷った末に彼がリリアナの名を口にすると、隣にいた本物のリリアナは両手で顔を覆った。


 エレシアはしばらく何も言わず、アルベルトを見つめていた。怒鳴るわけでも、間違っていると何度も訂正するわけでもない。その視線を受けるほど、アルベルトは自分が何をしたのか理解していった。求婚相手を間違えたことではなく、その失敗を認めたくないという理由で、一年間付き合ってきた女性が誰なのかまで否定してしまった。


「お姉様。どうやら今日から私がエレシアになったそうですわ」


 リリアナが呆れ果てたように言うと、エレシアは妹を見てから、もう一度アルベルトへ視線を戻した。並んで立つ姉妹を前にしても、彼には当然どちらがエレシアなのか分かっている。そのことは、彼が答えを避け続けている態度を見ればエレシアにも十分伝わっていた。


「一年もお付き合いした男性から、あなたは別人だと言われる日が来るとは思いませんでしたわ。あなた、本当は分かっていらっしゃいますでしょう?」


 アルベルトは答えられなかった。その沈黙を見たエレシアは、彼の手にある指輪へ一度だけ目を向ける。数時間前までは、その指輪を自分の指へ嵌めてもらえるかもしれないと期待していた。その期待を知っていたはずの相手が、失敗を認めたくないという理由だけで自分を別人だと言い張っている。


 エレシアは妹を連れて屋敷へ戻ることにした。アルベルトがエレシアへ求婚したというのなら、リリアナである自分には関係のない話だと皮肉を残すと、リリアナも自分がエレシアならその求婚は断ると続けた。二人はそれ以上アルベルトの言葉を待たず、並んで庭園を後にした。


 アルベルトは追いかけることができなかった。遠ざかる二人の後ろ姿を見れば、今度はどちらがエレシアなのか迷う余地もない。薄紫色のドレスを着ている方が、自分が一年間愛してきた女性であり、つい先ほど自分の口でリリアナだと言い張った相手だった。


 手元には渡せなかった指輪が残されていた。ほんの少し前まで、今夜はエレシアに求婚し、彼女を連れて大広間へ戻り、両家へ婚約を報告するつもりだった。求婚相手を間違えたという一度の失敗なら笑い話になったかもしれないのに、それを認めるのが恥ずかしいという理由で、アルベルトは自分から何度も間違いを重ね、最も失いたくなかった相手まで遠ざけてしまった。


 翌朝、アルベルトはほとんど眠れないままアルフォード伯爵家を訪れた。夜が明けるまで何度も昨日の出来事を思い返し、そのたびに頭を抱えた。リリアナをエレシアだと言い張り、本物のエレシアをリリアナだと言い張った自分の姿は、思い返せば返すほど理解に苦しむもので、なぜ一言「間違えた」と言えなかったのかという後悔ばかりが大きくなっていた。


 屋敷へ通されたものの、エレシアは会おうとしなかった。代わりに応接室へ現れたアルフォード伯爵は、昨夜の経緯を娘二人から聞いていた。娘たちを本当に見分けられないのかと確認され、アルベルトは違うと答えたうえで、間違えたと認めるのが恥ずかしくなったのだと打ち明けるしかなかった。


「求婚する相手を間違えた程度で、君への評価を変えるつもりはなかった。だが、リリアナ本人が名乗っているのに、それを否定したとなれば話は別だ。娘は君との交際を終わらせたいと言っている」


 アルフォード伯爵からそう告げられれば、アルベルトには受け入れるしかなかった。正式な婚約を結ぶ前だったため、両家の間で婚約を解消する手続きさえ必要ない。昨日まで将来の妻になると思っていた女性との関係は、彼自身が犯した失敗によってあまりにも簡単に終わってしまった。


 自邸へ帰れば、今度は父であるグレイヴ侯爵が待っていた。昨夜の話はすでに侯爵の耳にも届いており、アルベルトから一通りの経緯を聞き終えた父は、何から指摘すればよいのか迷っているような顔でしばらく息子を見ていた。


「間違えたことに気づきながら、本人たちを前に名前を逆だと言い張ったのか。なぜそんなことをした?」


 笑われると思ったからだとアルベルトが答えると、侯爵は深いため息を吐いた。間違いを認めた場合より遥かに笑われる結果になっていると指摘されても、何一つ反論できなかった。


 父の予想は見事に当たり、数日もしないうちに夜会で起きた出来事は王都の若い貴族たちの間へ広まった。求婚相手を間違えたことより、その後の行動の方が面白がられたらしく、アルベルトは恋人の妹へ求婚した挙げ句、妹本人から名乗られても「君がエレシアだ」と言い張り、本物の恋人が現れれば「君はリリアナだ」とまで主張した男として知られるようになった。


 友人からは顔を合わせるたびに名前を確認され、以前から付き合いのある令嬢には挨拶をしただけで、本当に自分の名前が分かっているのかと笑われた。以前なら腹を立てていただろうが、今のアルベルトには何も言い返せない。素直に間違いを認めていれば一晩からかわれて終わったかもしれないのに、恥をかくことを避けようとして恋人を失い、以前より遥かに大きな笑い話を自分で作ってしまった。


 エレシアには一通だけ手紙を書いた。庭園が暗かったことも、ショールを見て間違えたことも理由には使わず、リリアナをエレシアだと言い張ったのは求婚相手を間違えた自分が恥ずかしかったからだと認めた。本物のエレシアまで否定したことを心から後悔していると書き、謝罪を受け入れてほしいとも、もう一度会ってほしいとも求めなかった。


 季節が進み、秋の終わりに起きた出来事が王都で話題に上らなくなる頃には、冷たい風が街を吹き抜けるようになっていた。その間、エレシアもアルベルトとの一年間を忘れられたわけではない。自室の机には彼から届いた手紙がしまわれており、一度読んで終わりにするつもりだったのに、気づけば何度か取り出していた。


 アルベルトが妹へ心変わりしたわけではないことくらい、エレシアにも分かっている。正面からリリアナを見た瞬間には間違いに気づいていたことも、その後の言葉が失敗を認めたくない一心から出たものだったことも理解していた。求婚相手を間違えられたことなら、時間が経てば姉妹で笑える思い出になっていたかもしれない。


 エレシアが許せなかったのは、自分がエレシアだと分かっているはずの恋人から、別人だと言われたことだった。一年間一緒に過ごしてきた自分より、彼自身の体面の方が優先された。あのときアルベルトが守ろうとしたものを思い出すたび、今までのように彼を信じてよいのかという迷いが胸に残った。


 冬の初め、王都で大きな夜会が開かれた。エレシアはそこで数か月ぶりにアルベルトを見かけ、彼もすぐにこちらへ気づいた。以前なら迷わず近づいてきただろうに、今夜は離れた場所でしばらく迷ってから歩み寄り、少し距離を残したところで足を止めた。


「エレシア。少しだけ話す時間をもらえないだろうか」


 自分の名前を呼ばれたエレシアは、今度は合っていると少しだけ皮肉を返した。アルベルトが素直に謝ったため、二人は大広間から離れた廊下へ移った。あの日のような暗い庭園ではなく、壁に並ぶ燭台が互いの顔をはっきり照らしており、相手を見間違える理由などどこにもなかった。


 アルベルトは、求婚相手を間違えたこと自体より、その後に自分が取った行動について謝った。リリアナの顔を見た瞬間には間違いに気づいていたこと、周囲から笑われるのが怖くなり、失敗を認める代わりにリリアナをエレシアだと言い張ったこと。本物のエレシアが現れてからも自分の体面を守ろうとし、愛している相手自身を否定する言葉を選んだことを、一つずつ認めていった。


「君がどう思うかより、自分が恥をかかないことを選んだ。本当にすまなかった」


 姉妹が似ていたからとも、庭園が暗かったからとも言わない彼を見て、エレシアは少なくとも何を間違えたのかは理解したのだろうと思った。すぐに以前と同じ関係へ戻るつもりはなかったが、数か月前に聞きたかった謝罪をようやく本人の口から聞くことができた。


「謝罪は受け取りますわ。けれど、許すことと、もう一度あなたを信じることは別です」


 アルベルトは復縁を求めず、その言葉を受け入れた。数か月前の彼なら、謝罪を受け取ってもらえたと知った途端に以前の関係へ戻ろうとしたかもしれない。今はエレシアの答えを急かさず、距離を置かれている理由まで受け入れようとしている。その変化を見て、エレシアも彼ともう一度話してみてもよいと思えるようになった。


 それから二人は、夜会で顔を合わせれば挨拶を交わし、共通の友人たちと一緒に話すところから関係を作り直していった。しばらくしてアルベルトがアルフォード伯爵家へ招かれた際には久しぶりに二人で茶を飲み、以前なら取り繕っていたような小さな失敗についても彼が素直に話す姿を見るようになった。失敗を認めれば自分の価値まで下がると思っていたところがあったのだと、アルベルト自身も少しずつ理解するようになっていた。


 春が近づく頃には、エレシアも二人きりで過ごすことに抵抗を覚えなくなっていた。何か月もかけて彼の変化を見ているうちに、あの夜を思い出しても以前ほど胸が痛まなくなり、隣を歩く時間を再び楽しいと思えるようになっている。以前と同じ二人へ戻るのではなく、今の二人としてもう一度始めればよいのだと思えるまでには、それだけの時間が必要だった。


 ある日の午後、アルフォード伯爵家の庭園を歩いていたエレシアは、隣にいるアルベルトへもう一度始めてもよいのではないかと告げた。彼はすぐには意味を理解できなかったらしく目を見開き、聞き返そうとしたところで、エレシアから二度は言わないと釘を刺された。


「ぜひお願いします」


 あまりにも必死な返事がおかしくて、エレシアは久しぶりに彼の前で声を上げて笑った。失敗したことも、離れていた時間も消えるわけではない。それでも、もう一度この人を信じてみたいと思えた自分の気持ちまで否定する必要はなかった。


 二人が再び恋人になってから、さらにしばらく時間が過ぎた春の終わり。アルベルトはもう一度、エレシアをアルフォード伯爵家の庭園へ誘った。今度は夜ではなく、青空の下には色とりどりの花が咲き、柔らかな陽射しが二人の顔を照らしている。互いの表情の細かな変化まで見えるほど明るく、誰かと間違える理由などどこにもなかった。


 アルベルトはエレシアの真正面に立ち、上着の内側から小箱を取り出した。中に入っているのは、あの日渡せなかった指輪だった。今度は目の前にいる女性の顔をしっかりと見つめ、名前まで確かめるようにはっきりと呼んでから、彼は片膝をついた。


「エレシア・アルフォード。君と結婚したい。僕の妻になってください」


 エレシアはすぐには左手を差し出さず、開かれた小箱の中にある指輪を眺めた。あの日、自分のところへ届くはずだった指輪が妹へ差し出され、その後は持ち主を失ったままアルベルトの手元に残っていた。ようやくここまで戻ってきたのだと思うと、少しだけ彼を困らせてみたい気持ちが湧いてくる。


「……本当にエレシアで間違いありませんの?」


 アルベルトは一瞬だけ困った顔をした後、今度こそ間違いないと答えた。エレシアがさらにリリアナではないのかと尋ねると、彼は目の前の女性がエレシアであり、自分が結婚したい相手もエレシアなのだとはっきり告げる。その答えを聞いたエレシアはようやく左手を差し出し、アルベルトも安堵したように笑って指輪を嵌めた。


 一度目のプロポーズでアルベルトは、目の前の女性が誰なのかを間違えた。間違いに気づいた後には、自分が間違っていないことにするため、愛する女性が誰なのかまで否定した。その結果として失ったものを取り戻すまでには、求婚をやり直すだけでは足りず、互いに離れて過ごし、もう一度相手を信じられるようになるまで向き合う時間が必要だった。


 春の陽射しを受けた指輪が、エレシアの左手で小さく輝いている。最初からこの指へ収まるはずだった指輪は長い遠回りをして、ようやく本来の持ち主のところへ辿り着いたのだった。


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