【期間限定公開】新生活とキシネンリョ(※ 閲覧注意!)
新生活、という言葉は、日本においてよく知られている。
4月からの入園、入学、入社……華々しく「おめでとう」「がんばってね」と応援される、ポジティヴなイメージの言葉だ。
対してキシネンリョという言葉は、どうだろうか。
そもそも漢字、書けますか? 私は書ける自信がありません。
希死念慮。これですね。
もう字面からしてネガティヴなイメージが、おどろおどろしく漂っています。
この対極にある二つの言葉が、4月と5月の時期には、同じカテゴリで並び立つ。
そう、鬱病です。
新社会人の皆さまは言わずもがな、入園入学が誰に影響するかというと、世の母親たちです。そして惜しくも志望の大学に落ちてしまった浪人生。就職先が見つからないまま途方に暮れる成人たち。
……書いてみると、けっこう広範囲だった。
今回は「仕事」というテーマなので、新社会人の皆さまへのグロテスクなエールを送りたいと思う。
雨の日に人身事故で止まる電車。
悼む間もなく奪い合う遅延証明。
カルトのように洗脳される新人研修。
そうしてやっとの思いで迎える給料日、ビックリするほど少ない手取り額。
そりゃあね、絶望するのも当たり前ですよ。
何を隠そう秋乃がそうだった。
体力、知力、なけなしの力をぜんぶ振り切って、新しい環境でがんばりたいと思った。
上司に嫌味を言われたり、同僚の才能をうらやましく感じたり、本当につらかった。
社会に適応しようと必死だった。
このエッセイを読んでくれている皆さまも、きっとそうなんだと思う。
だから、このタイトルをクリックしてくれたんだと思う。
そんな貴方は、きっと誠実で優しい人だよ。
大丈夫。
人生は良くも悪くも長いから、今貴方のいる環境が、世界の全てじゃない。
耐え忍んだぶん、貴方の人柄や才能は磨かれている。
その輝きを見つけてくれる人が、絶対あらわれる。
現にほら、秋乃は貴方を見つけたでしょう。
同時に、貴方が秋乃を見つけてくれた、とも言える。
見つけてくれて、ありがとう。
そんな貴方に、秋乃は文字でしか応援の気持ちを伝えられない。
だから、ライフハックをお伝えするよ。
その一、
笑顔で挨拶。これ、いちばん効果ある。
その二、
「教えてくださってありがとうございます」
この一言で失敗はカバーできる。
その三、
疲れたとき、眠れないとき、食欲がないときは、誰かに話を聞いてもらう。
必ずしも上司じゃなくていい。だけどできれば社内の人がいい。
ここで注意。友だち同士では、根本的な解決にはならない。
傷の舐め合いになる可能性が高い。
それが悪いことだとは思わないし、一緒に遊んでリフレッシュできるなら、それに越したことはない。
だけど、それでは結局、その場しのぎの毎日になってしまう。
身体が弱っていると感じたら、社内の信頼できる人に相談しよう。
嘱託医とか、カウンセラーみたいな役職の人がいたら最高。
もし、本当に誰もいないくらい追い詰められているなら、秋乃にメッセージを送っておいで。
返信できるかどうかは分からないけれど、自分の気持ちを文章にすることで、落ち着くことも大いにある。
失敗してもいい。
落ち込んでもいい。
泣き喚いてもいい。
生きているだけで、価値がある。
そもそも「鬱病」や「適応障害」なんて言葉自体が、戦後の遺物だと、個人的には感じている。
それは「がんばりすぎ病」なの!
終戦直後、被爆した人々は放射線に身体を傷つけられて、なかなか働くことができなくなった。
四肢は健康に見えるのに農作業のできない彼らを、世間の人々は「ぶらぶら病」だと言って、怠け者扱いしていたそうです。
この辺は、それぞれググって頂くとして。
私が言いたいのは、科学の進歩によって、病名は変わるということ。
そして「鬱病」や「適応障害」は、まだ研究の手の届かない領域が多分にある分野だということ。
だから瑣末な文筆家として、私は名付けたいね。
「がんばりすぎ病」、「適応しすぎ病」。
それがこの症状の本質よ。
自分が科学者じゃないから言いたい放題だね(ニコッ)
さ、そろそろ駄文を締めようか。
新社会人の皆さま、大変なお疲れの中とお察しします。
自分の限界に挑戦してみるも良し、適度に手を抜くも良し、それぞれの生存戦略があると思います。
一人ひとりを、尊敬し、応援しています。
だけど、もし希死念慮のモンスターに襲われたら、逃げる場所はここにある。
好きなだけ、挑戦しておいで。
いってらっしゃい。




