白い結婚ですが、私は夫に愛されてます
私の結婚は、いわゆる「白い結婚」だ。
夫であるレオンハルト様は、王都でも名高い聖女付きの聖騎士。
無口で堅物、必要最低限のことしか話さない人だった。
一方で私は、長男主義の父親と、長女主義の母親の間に生まれた、子爵家の次女だ。父母からは存在を忘れられ、兄姉からは適度なストレス発散の道具として扱われていた。体は痩せており、着ている服は制服以外は全て小汚く、服で隠れる場所には細かな傷がたくさんついていた。
おそらく平均から見れば不幸な部類の人間だったろう。けれど私のいいところは、なんとなく「まあでも生きていればいいことも結構ある」と悲観的になりすぎないところだった。
学園で過ごす時間は兄姉はいないし、食堂で食事を取れる。家に帰っても兄姉に見つからないよううまく隠れられれば痛い思いもせず、たまに使用人が思い出したよう食事の用意をしてくれることだってある。不幸を見ずに、日常を幸福と見れば、そこそこ人生は快適に過ごせるのだ。
ただ、学園内でそんな私の態度はよく思われなくって、「負け犬令嬢」だの「もっと争えば良いのに」だの、悪意や侮蔑を持ってよく言われたものだった。――いや、もしかしたらその中でも、発破をかけてくれたつもりの人もいたのかもしれない。
けれど、私にとっては意味は全部同じこと。貴方は私じゃない。私じゃない貴方は、日々を生き抜くことの有り難さが何もわかっていないでしょうと。
兄と姉の立場を例えば告発したとして。そしたら両親は私をどう扱うだろう。では、もっと根源に遡って両親を告発したら。子爵程度の家は吹き飛んで、そうすれば学園にいられる体面さえなくなってしまうかもしれない。
まあ、言いはしなかったけれど。反論する時間を勉強に充てた方がよほど有意義だと思ったから。
私は出来る限りの時間を学園で過ごして、読書や勉強の時間に充てた。知識は力だ。
今家族に扶養されている間に、出来る限りの知識を詰め込んで、自立ができれば良い。
家族に天罰を、なんて一ミリも願っていなかった。
そんなことよりも自分の幸せを追うことの方が重要だったから。
そうやって友達もろくに作らずにいたというのに、いつのまにか私の隣にいたのがレオンハルト様だった。私より一つ上、騎士科で有名な美丈夫で好成績者だった彼が、何のきっかけで私の隣にいたのかは、今もよく思い出せない。
本当に、気がついたら隣にいた。噴水のベンチ、図書室の中、カフェテラス。
とくに何を話すわけでもない、彼はふらりとやってきては、私の隣を陣取って、大体はスヤスヤと寝ていた。
妙に私の隣が居心地良かったのだと、教えてもらったのは随分経ってからのこと。
いつのまにか彼は私の番犬の如く隣について、そして自分の卒業と共に、私を攫うようにして自分の住まいへ引き入れた。ここから通え、と私へ決定事項のように告げたのだ。
伯爵家だけれど三男の彼は自力で騎士爵を手に入れて、私が卒業すると共にさっさと籍を入れてしまった。
そんな勝手な。
そもそも彼の実家はそんなこと許すのか、評判の悪い子爵家の次女なんて。そう思ったけれど、顔合わせの時随分彼らは私によくしてくれて、とくに彼の兄二人は私の境遇に涙して、猫可愛がりをしてくれた。あまりに度がすぎて、彼に引き剥がされるほどに。
私の実家への報告はわからない。ただ、レオンハルト様はその時珍しく酷薄な笑顔で「もう会うことはないだろうから気にするな」と言うばかりだったので、聞くのは諦めた。
まあそんな感じで、あっというまに囲われて何が何だかわからない状態で式を挙げ。
流石に私もこの人に随分愛されているのではないかしら? と思いついたのだけれど。
「俺はお前に触らない」
そう、彼は端的に言って結婚初夜はなかった。
主寝室にはいてくれたけれど、彼は広いベッドには寝ころばず、わざわざ彼の体躯には窮屈だろうソファに寝転がり、決して私に触れることはなかった。
それどころか、結婚式の翌日に王宮から正式な通達が下る。
――聖女付き聖騎士は、任期中、妻との性交を禁ずる。
聖女様自らの発令だった。
いや、元からそういう古い規則はあったのだけれど、守っていない聖騎士がほとんどで、お咎めもないはずの、形だけのもの。けれど、夫に対してだけは、わざわざ聖女様が自らがそう告げたのだ。
当然、それは無視をしてはいけないものになった。
一応、聖女様並びに教会側の言い分としては、聖騎士が任期中、子を持つとなると聖女の護衛に支障をきたすことになるからだめだ、ということらしい。
もっともなような。そうでもないような。
真面目で堅物な夫は、もちろんそれをきちんと守っている。私に触れることなんて、閨事は勿論、生活上もほぼない。エスコートやダンスが必要な夜会にだって参加すらしていない。
周囲には随分同情された。
もしくは、同情の皮をかぶった嘲を私にぶつけた。
「可哀想に」
「形だけの妻」
「妻を置いて、聖騎士様は聖女様への愛を貫いていらっしゃる」
「ああ、真実の愛の前に、哀れな生贄が」
それは言葉を変え、態度を変え、私の前にいくつもぶつけられる。
夫となった人は確かに忙しく、聖女様の下から離れず、職務を全うしている。
きっと不遇な娘を救う代償としてお飾りの妻にしたのだと、聖女様に対する想いへの隠れ蓑なのだと、周りは実しやかに呟いた。
そう囁かれるたび、私は困ってしまう。
「でも、私は夫に愛されていますよ?」
そう言うと、決まって失笑された。
――強がりね。
――触れられてもいないのに。
――女として見られていない証拠でしょう?
「でも優しいんですよ」
「私に対していつも心を配ってくれています」
「休みの日は私とずっと一緒にいてくれますよ」
必死に言葉を重ねれば重ねるほどに、周囲は私を嘲った。
でも、私は彼の愛を疑わない。
彼は学生時代と同じよう、ただただ黙って私の下へ帰ってきていたからだ。
けれど、周りはいつまでもそんな私を滑稽だと笑ってくる。レオンハルト様が噂を否定しようとも、しつこく、しつこく。
その中でも聖女様は特に熱心だった。
職務中、夫を連れて私の下へ訪れてはわざとらしく夫の腕に絡み、慈愛に満ちた微笑みを向ける。
「レオンハルト様は神に身を捧げた方ですもの。俗世の欲に溺れるような方ではありませんわ」
その言葉に、夫は何も答えなかった。
代わりに、聖女の腕をやんわりと払いながら、ただ沈黙を守り、私の隣に立つだけ。
俗世の欲、と私が繰り返すことを、彼はぴくりと片眉を上げた。
聖女様は、その綺麗な顔にふさわしい笑みで、私たちを楽しそうに見つめていた。
結婚から三年。
夫は任期を目前に控え、ますます聖女様の信任を得ている。
私たちは三年と言う節目で、聖女様から王都の一番大きな教会へ来るよう言い付けられていた。
壁一面の仰々しいステンドグラスには、女神が祈る絵で彩られる。原色のガラスの色が、太陽に揺られて随分綺麗に揺れていた。見惚れながら歩く私に、少し呆れたように夫がエスコートしてくれている。
公式な場で、夫が私に寄り添いエスコートしてくれたのは今日が初めてだった。
緊張で震える体を夫が支えてくれる。
そして最初に告げられた任期を全うした夫に、一旦の労いが告げられる。その場で、聖女様は勝ち誇ったように言った。
「あなたたち、白い結婚なのでしょう?であれば、もう離婚なさい。レオンハルト様は私に永遠の忠誠を誓うべきです。妻である貴方も、文官としての登用試験に受かっただとか。この三年は、一人で身を立てるための準備期間だったのでしょう?」
その場にいた貴族たちは、哀れむように私を見た。
私は少し考えてから、首を傾げた。
「どうしてですか?」
聖女様が眉をひそめる。
「だって、夫婦として成り立っていないでしょう?」
私は微笑んだ。
「成り立っていますよ。毎日一緒に食事をして、手紙を交わして、私が悪夢で目を覚ませば、隣の部屋から駆けつけてくれます」
嘘偽りなく、堂々と告げる。夫も、聖女を見る目を逸らすことはない。少しだけ、夫が私の方へ身を寄せた。
その距離の近さを見ながら、聖女様の顔が歪んだ。
ステンドグラスの女神様は、それでも優美に目を瞑って祈っている。対照的な絵は、なんとも倒錯的だった。
「……触れられてもいないくせに。三年も“何もされなかった”のに、まだ信じているの?」
その瞬間、夫が初めて口を開いた。
「それ以上は、おやめください」
夫の、静かな声だった。怒ってもいなければ、非難を込めてもいない。けれど不思議と通る、落ち着いた低い声だ。
私が唯一、安心できる声。その声が、今日は私のすぐ隣で響いていた。
私は、私の意思で夫の手を握り返す。
――三年かけてようやく。私は、この人に触れられるようになったのだ。
待たせられたのではない。私が、彼を待たせていたのだ。
△▼
『でもね、三つ葉のクローバーって踏みつけられると四つ葉になることがあるんですって。それって、確かに歪かもしれないけれど、美しいことだと思いませんか?』
そう言って、からりと笑う横顔が目に焼きついたのが最初だった。
俺に言った台詞ではない。それは彼女に"親切にも"忠告してあげている、同級生に向けた言葉だ。
たまたま目に入った中庭で見かけた一幕、普段だったら気にも留めないような光景の筈なのに、優しいようでいて、棘がある物言いが妙に頭に残ったのだ。
それから、学園の片隅で一人ひっそりと過ごす彼女を見かけるたびに目で追い、少しずつ少しずつ、距離を詰めた。
リーファ・ユンベル子爵令嬢。
その名前は学園じゃそこそこ有名だ。不遇な令嬢、もしくは負け犬令嬢。そんな不名誉な名前からだけれど。
彼女の生家であるユンベル子爵家は社交界じゃ悪名が知れている。当主はきな臭い噂が後を絶たず、夫人は贅沢三昧。長男と長女の放蕩ぶりも。
そしてその一番下の娘、リーファに至っては明らかに虐待されている風貌だ。
しかし彼女は折れることなく、ただ淡々と日々を過ごし……いや、むしろ穏やかな笑みさえ浮かべ学園生活を送っていた。
リーファのそんな姿に詰め寄る正義漢面した人間は後を絶たない。その一つ一つを、リーファは諭すように躱していた。今の現状を精一杯生き抜くだけ。実家の悪を正すような力など今の自分にはない。丁寧に、彼女は説明していた。
現状を打破しないのは怠けであると無責任な外側からならいくらでも言えるだろう。救いの手を自ら伸ばせば良いと無邪気に言うことは、きっと彼女のような生活を過ごした者にとっては無理なのだ。現に、仮にも子爵令嬢が使用人風情に虐待されてしまっている。
同じ地獄を過ごしていないにも関わらず、ましてやその地獄を一緒に引き摺られてでも救ってやる踏ん切りもなく、ただ正論だけを投げることは何の意味があるだろう。
彼女は卑屈になることもなく、声をかけてくる人間に心を乱されることなかった。
それが彼女にとって、悪意を広げないための防衛なのだと知ったのは共に過ごしてしばらく経った後だ。
リーファをよくも知らない人間は彼女を呑気だなんだと嘲るが、とんでもない。
学生時代の彼女は、誰も信用しちゃいなかった。誰に対しても同じということは、誰に対しても興味がないということと同義だった。
いつのまにか隣を陣取った俺に対しても、最初は何の興味も見せてなかった。けれど、一ヶ月、二ヶ月と経った時に今更『何で私の近くに?』と困惑しきった顔で聞いてきたくらいだ。
その時は、なんだか妙に胸がスッとした。我慢比べに勝ったような心地と言えばいいのか。
俺とリーファの間に、会話は多くなかった。リーファはただずっと勉強し、俺はその横で眠る。
精々が、リーファの下に来る正義漢した面々を静かに睨んで散らすくらいだった。
最初は、そこまでの接触で我慢できてたのだ。
我慢できなくなったのは、リーファと少しずつ会話するようになってから。
なんでそんなに勉強するのか、そう聞いたことがある。
リーファは『知識は力です』と言って笑うだけ。
けれど、なんでかその言い方が妙に引っかかって、日を変えて何度か質問した。リーファの答えはいつも同じだったが、たった一回だけ、答えが変わった時がある。
風の強い日で、図書室のガラス窓がガタガタ揺れていた。
それを見つめながら、リーファはぽつりと言ったのだ。
『たくさんの知識があるとね、目を逸らせるんですよ。白詰草の生態だって、それで知った。踏みつけられて、四つ葉になることを知った時、私はとても嬉しかったの』
独り言みたいな声だった。
あの日初めてリーファという人間に俺が興味を持った時に聞いた台詞に似ていたのに、あの時と違ってリーファの声にはちっとも攻撃性は含まれてなかった。
むしろ――震えてもいないのに、乾いた目だったのに、リーファが泣き出しそうだと思ったのは何故だったのか。
手を伸ばして、その頭を撫でてやりたかった。背を叩いてやりたかった。
けれど、その時の俺はもう、リーファの秘密を知っていた。
子爵家の凄惨な記憶のせいで、リーファは人に触れられることが苦手なのだ。恐怖心を抱いていると言ってもいい。
学園――どころか、この世界で、おそらくもう一番信頼しているであろう俺に対しても、それは適用される。
好いた女の寂しげな背を撫でてもやれない状況が、ひどく苦しかった。
俺はどんどん、リーファという女のことを考える時間が多くなっていく。深みに足を取られていく。
しかも、それがちっとも嫌じゃない。嫌なことは、むしろ――。
俺が学園を卒業すると決まった時、リーファを手元に置くことに何の迷いもなかった。
むしろ、俺以外の誰がリーファの隣に居られるのだと聞きたいくらいだ。まあ、実際そう言ったら、リーファは少し、呆れたけれど。
リーファは学園で学べるだけ学びたいと言っていたから、早急にリーファの最悪な実家は処断しつつ、俺は二人のための小さな家を建てた。リーファの帰る家を用意して、リーファが文官になるための夢も応援してやって。
代わりに俺と結婚してほしいと言った。
リーファは頬を薔薇色に染めたが、すぐに顔を曇らせる。
『私は未だに人に触られるのが怖い、今だって貴方にさえ触れない。そんな自分が妻になんて』
そんな風に言うから俺は考えた。
リーファを諦めるつもりなんてつゆほども無い。
けれど、このままリーファと一緒にいても、負い目を感じさせるだけだ。
知識は力。
そう言ったリーファの言葉を何度も反芻した。
目を付けたのが聖騎士という役職だった。
古い慣習があったのだ。聖騎士は任期中は聖女に誓いを立てるため、俗世の欲に触れてはいけないと。
守っている男の方が少ない、今や形だけとなった慣習。
でも、使えると思った。結婚しても、リーファが負い目を感じなくていい理由を用意できる。
『無理をしなくていい。だが、いつか触れられるようになりたいと思ってくれているなら、その時まで、俺は待つ』
『でも、……それじゃあ待たせすぎる……』
『聖騎士の誓いとして、今は触れられない理由を作ろう。だからこれは“我慢”じゃない。約束だ。……まあ、いつまでもってことじゃない。聖騎士の在任期間は三年だ。それくらいあれば、十分だ。俺はリーファに愛されてるからな』
『……すごい自信』
そう言って、顔を赤くするリーファに笑ってやる。
三年分の愛をぶつけるから覚悟しておけよ、と冗談混じりに言えば、リーファは口篭って、それから小さく『ばか』と呟く。
俺にしては、たくさん喋った気がする。そんな俺の必死さがわかったからか、リーファはやがて俺のプロポーズを受けた。
ああ、……きっと、いや、絶対に。俺たちは三年後、変わっていると確信したんだ。
そして、今。
聖女は震えながら叫んでいた。
「……私が、あなたを縛ってあげたのに……!私が貴方を聖騎士に導いてあげたのに……!!」
何の感慨もない、護衛対象の女がそう言う。
リーファの前でやたらと女を出したがった聖女。何度振り払ってもしつこく絡む姿は蔦のようだった。
職務は忠実に全うした。
ただ、利用した自覚も勿論ある。女を、というより、制度を、だが。
今更何の感情を込めるでもなく、淡々と言った。
「妻を守る制度でした。感謝しています」
「……そんな、はず……」
聖女の唇が、かすかに震えた。
一歩、ふらつくように前へ出る。祈りの場にふさわしくない、縋るような仕草だった。
リーファが見惚れた、ステンドグラスの女神とは比べるまでもない、無様な姿だ。職務上、手を強く振り払うことができなかったが、リーファの前で馴れ馴れしくする女の姿に、随分ストレスを溜めていたことに、俺は他人事のように気付く。
まあでも、しかしそれも今日で終わりだ。
そう思うと気分が良くて、いつもより口が滑らかに動く。
「あなたが、あの女に縛られていると思ったから……!可哀想だと思ったから、私は……!」
「違います。職務を全うしていたから妻に触れなかった。けれど私も妻も、私たちは愛し合った夫婦だと言っておりました」
短く、静かな否定。言葉は丁寧で、淡々としたものをあえて選ぶ。
聖女は笑おうとして、失敗した。
喉の奥で、ひくりと音が鳴る。いつもの余裕綽々な顔はない。崩れた笑いだ。
「あなたは……私を、愛していたのでは……?」
「尊敬はしていました。職務上の信頼もありました。ですが、それ以上ではありません」
決定的な一言だったのだろう。
「私は、妻を守るために聖騎士になりました」
聖女の顔から、今度こそ血の気が引いていく。
「そんな……私は……私は、あなたの特別だと……!」
伸ばされた手が、宙で止まる。一歩だけ下がった。
触れさせないための距離をとる。
それが、三年間守り続けたものと同じ距離だと、聖女は理解できなかった。いや、周りにいる人間も同様か。
でも、どうでもいい。リーファが分かってくれていたのなら、それでいい。
「私が選んだのは、最初から妻だけです」
何度も言った言葉を、またなぞる。
届かなかった言葉が、今ようやく届く。聖女の膝が、音もなく床に落ちた。
「……嘘……」
その瞬間、聖女は理解したのだろう。
自分が利用していたつもりの制度が、最初から最後まで、リーファのための盾だったことを。
聖女曰く俗世の欲から、リーファを守るため。――といっても健全な男である。リーファが俺との接触に身を固くすることがなくなっていく過程で「触れられるようになったら、ドロドロに甘やかすからな」と、刷り込むように言ってはいたが。
そのせいで、たまにリーファの体は緊張や恐れではない強張りを見せるようになっていたが、それはまた、夫である俺だけの特権であると思えば小気味良かった。
――聖女は声を上げて泣き崩れた。
その涙を、誰かが宥めようとする。慰めようとする。けれど、「リーファもこんな風に泣けたら、きっと周りもあそこまで調子に乗らなかっただろうに」としか考えられない俺の役目ではない。
突如として泣き崩れた聖女にリーファが少し驚いて、それから俺を困惑げに見上げる。
リーファは感情を隠すが、嘘はつかない。
だからこそ、ずっと言っていたのだ。「夫は私を愛している」と。
白い結婚だがリーファは俺に愛されている。可哀想な妻などいない。俺もリーファも、言っていた。
リーファが人に触れられるのが怖いこと。それは彼女の弱みになりかねない。だからこそ、仔細を語らなかった。
それが更に周りの勘違いに拍車をかけたようだが、しょうがないことだった。リーファに心無い言葉を掛ける面々を叩きのめしたくもなったが、慣れているから気にしないと笑う。
その嘘のない言葉に、少し複雑な気持ちなる。だが、リーファはずっと前を向き「不幸に向き合うより、今が幸せだと言いたい」とずっと言っていた。
いつだって前を向こうとするその姿に心打たれた俺は、結局、口を噤むよりないのだ。
この三年、リーファと共に過剰な反応はしないよう努めた。リーファに似合う男でいたかったから。
リーファからしたら、逆に聖女の気持ちがわからないのだろう。
何故夫が職務を制度を守り全うしたとそれだけのことで、聖女が泣くのかと。
既婚者である男に、よもや聖女が横恋慕することなど、考えてもいないのだ。
「……何か、まずいことを言ってしまいましたか?」
「いや」
堪えるつもりがほんの少しだけ、笑いが漏れてしまう。
これではどちらが聖女か、わかったものではない。
任期は終わった。俺はリーファに触れられるようになった。
それだけを確認するための場だ。当然、任期の更新などするはずもない。
聖女にも、困惑する周りにももう興味はなかった。
リーファが自ら握ってくれた手。
やっと最近知ることができた体温を、大事に握り直す。
「………これからも、時間をかけていこう」
二人の時間は、これから先もずっと続く。
健やかなる時も、病める時も、変わらず。
――ああ、リーファ。
歪な四つ葉は確かに美しいよ。
end.




