第2章ー2
数日後。ユイカは想像上の未来の自分の職場の関連施設でもある学園の図書館で、分厚い本のページをめくっていた。そのタイトルは『誰にでも分かる! 王宮職員になるための方法』。読んでみれば、王宮職員とは学園を卒業し、難関試験を通り抜けた選ばれし者だけが辿り着ける、終身雇用が保証されている人気職だということが分かった。
(ある意味国家公務員的な感じかな)
ユイカは特に学力が高いわけでも魔力が高いわけでもない。攻撃魔法も治癒魔法も魔力が足りない。生活魔法くらいなら不自由しない、という程度の学生であった。
しかし今のユイカには社畜仕込みのド根性がある。恐らく試験までに効率よく学習すれば学力だけなら何とかなるのではないかと思うのだ。幸いなことに王宮職員は魔力については不問である。
(働き始めて分かったけど、努力がそのまま結果として出せるのは勉強だけなんだよね。だから過去問を探して、傾向と対策を練ればきっと……)
机の上に積み上げた関連書籍をぱらぱらとめくりながら、試験の流れを確認する。
「なるほどね。まずは筆記試験、面接試験に合格した者のみが、王宮内の施設の空いている役職に振り分けられる、と」
(ん? 振り分けられる?)
そこで、はた、とユイカは気づいてしまった。
「絶対に王宮図書館に配属してください、って希望はできないってこと?」
ユイカが愕然としたその時。
「五十年ぶりの聖女だと言われて思い上がっているのではございませんか?」
静かな図書館に甲高い声が響いた。驚いて声の方に視線を向けると、ピンクブロンドの少女を数人の女生徒が取り囲んでいた。
「そういうわけじゃ……」
小さな声が弱々しく否定している。
数日前にエグランティーヌたち(覚醒前のユイカも含む)に嫌味を言われていた、この世界のヒロイン様、リリアだった。リリアがまた理不尽に言いがかりをつけられているのだろう。
実はここ数日ユイカはヒロインを観察していた。
そこで分かったことではあるが、ヒロイン特性なのか、彼女はやたら女子生徒には絡まれ、モブ男子生徒には微妙に距離を置かれ、攻略対象に偶然では済まされないほどに遭遇する。
(ヒロインさんは今のところ、王太子殿下とは距離を置いているけど、かといって、誰かと親密になっているわけでもないんだよね……ということは……)
結衣の記憶の限り、『乙女の祈り~ルミナス学園の光となりて~』通称オトヒカには、誰とも結ばれないルートはなかった。つまり、シナリオから脱線しつつある、ということである。
結衣と言う異分子がこの世界の流れに対して何か悪さをしているとすれば、下手に動かない方が良いのかもしれない。しかし王太子殿下や公爵家令嬢にはすでに結構影響を与えてしまっているような気がしないでもない。
(ということで……一番のメインキャラであるヒロイン、リリア様には絶対に関わっちゃダメなんだと思う!!)
困った様子の可愛いヒロインさんの声を無視し続けるのは非常に罪悪感がある。しかしユイカは心を鬼にした。
(ここは図書館だ。あれだけ騒いでいれば、そのうち司書の先生に全員外に追い出されるよね)
ここ学園図書館の司書は静寂を愛する読書家であったはず。きっと靴音を響かせて静寂を乱す者たちの前に立ち、短い言葉で退館を命じるだろう。
そう思っていると……。
「ユイカ様……!」
まさかのタイミングでユイカの名を大声で呼んだのは、リリア本人であった。
ユイカは本に落とした視線をそのままに、完全に聞こえないふりをした。ページをめくる手は震えていたけれども。
(な、なななんでリリア様があたしの名前を知ってるわけ? そして、何でそうやってたくさんの人の前で名指しするのぉぉぉぉっ!?)
反応しないユイカを見て諦めてくれることを祈ったが、神はユイカを見捨てた。
リリアは再度ユイカの名を呼びこちらに走り寄り、そしてユイカの腕をきゅっと握った。
「え?」
状況が全く飲み込めないでいると、コツコツコツ、という固い靴音がどこからともなく近づき、ユイカの椅子の後ろで止まった。
「出て行ってください」
静寂を何よりも愛する学園図書館の最高権力者、司書の先生だった。
リリアと彼女を取り囲んでいた令嬢たち、フリーズしたユイカ諸共全員、結局図書館を追放されてしまうのだった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「さて……」
ヒロインを取り囲んでいた令嬢の一人が腕組みをしてリリアとユイカに向き合った。そう、リリアの隣にユイカは案山子のように突っ立っている。その腕にはリリアの腕がしっかりと巻き付いていた。
「リリア様と……貴女はどなたですの? 三年生ということは年上の御方ではあるのでしょうが、この場に留まる理由を教えてくださらない?」
制服のネクタイから学年を確認したらしい二年生のネクタイを締めたツインテールのご令嬢が腕組みをして、顎を突き出してユイカを威嚇する。
「えーっと……私もなぜこの場にお呼ばれしているのか分からなくって。ご説明願いたいところなのですが……リリア様?」
ユイカの右腕をまるで命綱であるかのようにがっしり掴みながらリリアは言った。
「だって……心細いから」
「「「は?」」」
ユイカと二人のご令嬢の素っ頓狂な声がハモった。
それはユイカを巻き込む理由にはならない。リリアのあまりに自分勝手な理由に口元がひくつくのを感じながらも、ユイカは内心では仕方ないか、と諦観の念を禁じ得なかった。
ゲームの流れの問題だ。リリアは悪役令嬢エグランティーヌに嫌がらせを受ける。それを周りは見て見ぬふりをするのだが、あまりにもエグランティーヌの言い分が理不尽であるため、リリアに同情する者が出てくるのである。
その中に王太子殿下もいたはずだ。その他攻略対象四名ほども。しかしユイカの渾身の『エグランティーヌ様を王太子妃候補筆頭に!!』という名のプレゼンが大成功をおさめた結果、エグランティーヌはリリアに関わらなくなった。
つまり、ヒロインであるリリアに同情した攻略対象たちがお近づきになる機会がなくなったということである。
そして、いまだにエグランティーヌほどではないが、ちくちくといびり倒す輩は出てきているのだろう。周りが同情しないでいられるくらいのささやかさで。
ユイカは項垂れた。
(……あたしのせいじゃん……)
そしてこうも思う。
(こういう時って、ゲーム世界特有の強制力ってやつが働くんじゃないの?? この世界の神様、仕事しろ!)
と。ユイカはため息をひとつ吐いてから、腹をくくった。
「申し遅れました、私高等部三年のユイカ・フォン・フォルンシュタインと申します。リリア様とはエグランティーヌ様とのお付き合いの中でお顔を拝見したくらいの軽ーいお付き合いではございますが、リリア様が地味な私のことをはっきりくっきり覚えていてくださったようで、感激しております。ところで貴女方は、リリア様にどのようなご用件で?」
するすると流れるように言葉を吐き出すユイカの後ろで、リリアがホッと安心したように息を漏らす気配がした。そんな他人におんぶに抱っこでいいのか、ヒロインさん、とユイカは内心で突っ込まずにはいられない。
「リリア様がいつもおどおどなさっているから、『しっかりなさいませ』と話をしているのです。ご存じ? リリア様は五十年ぶりに現れた聖女様であらせられるのよ」
ツインテール令嬢が熱く語り始めた。続いて膝裏まで届こうかというくらいの超ロングヘアの眼鏡令嬢も頷いた。
「ですから、私たちの仲間にお入りなさい、とお声がけしておりますの」
ユイカはリリアに顔を向けると、彼女は困ったような表情ではあるものの、令嬢たちの話が正しいことをユイカに伝えるためにこくこくと頷いた。
「それで?」
ユイカは無表情のまま続きを促す。
「それで? って……男爵家の養女になられたとは言え、私たち子爵、伯爵家の者と懇意になっておけば、きっと安心できてよ?」
ツインテール令嬢が困惑し始めたがユイカは意に介さず、で? と更に続きを促す。
「だから! こんなにリリア様を慮って差し上げているお誘いなんて、私たち以外しなくってよ? 感謝してすぐにでも受けるべきではなくって?」
ユイカは、やれやれと肩をすくめて見せた。
「あー、なるほど。リリア様が貴女方からのありがたーい思慮深ーいそのお誘いに首を縦に振らないからお怒りでいらっしゃる、と」
言いながらリリアを振り向くと、彼女は何度も頷いた。
「一度誘った時点で受け入れられないのであれば、遠慮しているか、本当に必要ないか、何か理由があるか、ですわよね」
ユイカはリリアを含め、三人に確認する。ユイカはこくこくと何度も頷くリリアの様子を見てから二人のご令嬢に向き合った。
「このように、リリア様の心底困っているお姿を見て、貴女方はリリア様がご自分たちに気を遣って遠慮なさっていると判断なさったのですか?」
「それは……」
と令嬢達は言いよどむ。
「ならば、何か理由があってお断りするにしろ、本当に必要ないからお断りするにしろ、それ以上の勧誘は迷惑でしかないのでは? 貴女方にとって良いと思われてもリリア様にとっても良いこととは限らないのですよ?」
「う……」
眼鏡令嬢の瞳が潤み始めた。あまり意見を否定されたことのない少女なのだろう。そして年下であろうと年上であろうと女子に泣かれると、ユイカは昔から弱ってしまう質でもあった。
だから、声音をゆるめて眼鏡令嬢の肩にそっと手を触れる。
「私はね、相手のためにと考えられる貴女方のお優しさは、得難い素晴らしいものだと理解しております。だからこそ、リリア様でなく、喜んでそのご厚情を受け入れてくださる方にその優しさをお渡しされる方がよっぽど建設的だと思いますの」
「!」
二人は目を見開いた。
「リリア様はこの国待望の聖女様なのでしょう? 貴女方のお誘いをお受けにならなかったのは、そんな素晴らしいお方なりの、『他の方へ渡すべき親切を自分が受けるわけにはいかない』、という意思の表れだと思いますよ。リリア様自身、お言葉が足りないようですが、それも控えめな性格ゆえ。分かってさしあげてくださいませ」
ユイカの言葉に、令嬢二人はお互いに目を合わせ少し考えている様子だった。
(あと、ひと押しだな…)
「そうそう、ご存じかしら? エグランティーヌ・ド・ローラン様は、弱き立場の方々を守るために活動を始められたそうですの」
風の噂で聞いた話をユイカはしれっと事情通のように話す。
「えぇ、存じておりますわ。素晴らしいことですわよね」
ツインテール令嬢が目を輝かせた。
「きっと想いや志を同じくする、他人のために自ら動くことのできるご令嬢たちが一緒に活動してくだされば、エグランティーヌ様も心強く思われるのではないかと」
「!」
眼鏡令嬢が目を輝かせた。
「考えてみますわ。良いお話をどうもありがとうございました」
二人の令嬢はもはやユイカの後ろに隠れているリリアの存在など忘れたかのように笑顔で去って行った。その背中を見送りながら、ユイカはリリアに向き合った。
「無理やりあんな話にねじ曲げてしまいましたけど、ごめんなさいね」
かなりの力技だったと自覚はしていたが、あっさり引いてくれて助かった。すると、リリアが何度も横に首を力強く振った。
「私の方こそ、巻き込んでしまって本当に申し訳ありませんでした! 先日突然態度が変わって助けてくださった先輩だと思って……つい、甘えてしまいました」
「……」
甘えている、という自覚はあるのか、と少しだけユイカはホッとした。
「私、どうしてもあんなふうに一方的に言われることが多くって……。情けないですけど、言い返すことも、自分の気持ちを正直に伝えることもできなくって」
リリアは泣き笑いみたいな顔で苦笑して見せる。
「はっきり言ってしまえば良いのでしょうが、相手を傷つけてしまうのではないかと思うと怖くって……私、お人好しなんでしょうね。昔から言われてましたから」
その言葉に、心がささくれだった。
『お人好し』。その言葉は、結衣も使っていた。
『あたし、お人好しだからさー、断れなくって……困っちゃうよね~』なんて、増えた仕事を必死でこなしながら愚痴っていた。
今ならわかる。
(それは……困ってる自分に使う言葉じゃなかったんだ。どうにかしようっていう気持ちを持たなきゃいけなかったんだ)
ユイカの胸に小さく生まれた心のささくれが、感情をどろどろしたものに変えていく。それがだんだん喉までせり上がって、熱くなってくる。
「……本当のお人好しは、自分のことをお人好しとは言いませんし、人から言われても否定しますし、信じません」
「え?」
リリアが、きょとん、と小さく呟くユイカを見つめた。
「自分が人のために行動しているって自覚がないからこそ、お人好しなんです。自分で言ってる人は、『困ってるけど迷惑かけられても健気に耐える私偉いよね』って同情してほしくて、褒めてほしくて言ってるようなものです」
「私……そんなつもりじゃ……」
目の前の少女の心を自分の言葉がひどく無遠慮に傷つけていることを嫌というほどに痛感しながらも、ユイカには自分が止められなかった。
「なら……人に良いように便利に使い捨てられても良い、という理由が自分にないなら、全力で抗議なさい! 貴女自身を守れるのは貴女だけなんですよ!!」
(あたしは……あたしを守れなかった……きっとそれで傷つけた人たちもいる……)
自分が死んだこと、残した家族や友達のこと……様々な感情が押し寄せる。
大きく見開かれているリリアの目をこれ以上見ていられなくて、ユイカはその場を一礼して足早に歩き去った。胸が熱い。締め付けられるように苦しい。ユイカには分かっていた。
(これは……リリア様への怒りじゃない)
良い人ぶって無理して死んだ、前世の自分に対しての怒りだった。
涙が溢れてくる。口元が震える。止められそうにない。
自分が死んだって気づいてからも、こんな感情になることは一度もなかった。
辛い、苦しい、哀しい。
どこに向かうかも決められず、とにかく前に前に歩いていたその時、前方から生徒数人が連れ立って歩いてくるのが目に入り、立ち止まった。
(どうしよう、こんな泣いてぐしゃぐしゃの顔、見せられないよ……誰か……助けてよ……!)
このまま顔を覆って崩れ落ちて地面に身を伏せて大声で叫んで喚き散らしたい。混乱で自暴自棄になりかけた瞬間。
「失礼」
「!?」
急に、後ろから手を引かれた。黒いマントを身につけた黒髪の騎士が力強くユイカの腕を引いて足早に歩いている。
「あの……っ!」
ユイカの声には答えず、騎士は校舎横の屋外階段の下にユイカを押し込んだ。壁と黒いマントに視界を遮られた。
「余計な世話かもしれませんが……」
掛けられた声で、やっとその主が分かった。王太子殿下の護衛、カイだ。
「落ち着かれるまで、私はここにおります」
それだけ言って、背中でユイカを隠してくれた。
「すみ……ま……せん……っ……」
ユイカはやっとの思いで震える声を絞り出し、その後、声を殺して泣き続けた。黒マントの主は何も言わないまま、まっすぐ前を見据えて階段の前で立ち続けていた。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
その日の夜、カイはアルベルトの居室でユイカの一日について報告していた。あの不思議な令嬢にひどく興味を抱いたアルベルトに、見守りという名の監視業務を言いつけられているためである。
「あはは! リリア嬢を助けておいて説教か。忙しい令嬢だ」
「……」
「他には?」
カイは、かぶりを振った。
「少し言い過ぎたと思ったのか……そのまま寮に戻っていきました」
「そうか」
カイはちくりと胸が痛むのを感じた。どうしても、あの魂がすりきれそうな泣き声が耳から離れない。
彼女は、ひとしきり泣いて、そして『申し訳ありませんでした、でも……ありがとう』そう言って、寮に戻ったのだ。
どうしても、カイは主に報告ができなかった。泣いたと知ったアルベルトはきっとその理由を探るだろう。しかし今は彼女にはひとりで静かに傷を癒す時間が必要だと、何故か彼には感じられたから。
「そうだ、知っているか?」
アルベルトは机に肘をついてにやりと笑っている。
「エグランティーヌ嬢が心を入れ替えた、という噂」
「いえ、存じ上げません」
「あれほど苛め抜いていたリリア嬢には関わらず、ハンカチを落とした生徒に声を掛けたり、学習時間を増やしたり、孤児院に寄付なんかも始めたらしい」
「良いことでございますね」
「あまりにも変化が大きすぎないか? フォルンシュタイン嬢の影響だと私には思えるのだけど」
「……私には、分かりかねます」
「ふーん……まあ、まだ興味は尽きないから、彼女の『見守り』、続けてくれ」
「御意」
カイは静かに王太子の居室を辞し、大きく息を吐くのだった。
次回(1/23)19時、リリアの暴走!




