第2章ー1
結婚が人生のゴールではないと知っている元社畜OLユイカは、学園の中庭の芝生の上で、二度目の己の今後の人生設計について思案していた。
「覚醒前はエグランティーヌ様のご慈悲で適当な貴族と結婚しようとしてたんだよね、ユイカは……」
それは、一人で生きていく力を持たない貴族令嬢として、最も正しい選択だったのだろう。
結衣には男爵位がどこまでの力を持つのか、正直想像できないけれど、少なくともユイカにとっては決して失くしてはならない、生きていく上で必要な称号だったのだろうと想像する。
(でも現代日本人の常識が混じってしまった今となってはねぇ……)
ころん、と大の字に寝転がった。結婚にそれほどメリットがあるとはどうしても思えないのだ。妻として母として家族のために尽くすことが自身の幸せだとは思えないのだ。けれど、恐らくこの世界では女性に生まれた以上、それを求められ続けるだろう。
「ああ、もう! 一人で身軽に無責任にだるーんとした生活がしたいんですよ、あたしは!」
明るく青く澄んだ空に向かって叫んだ途端、太陽が陰ったのか、視界が少し暗くなった。
「だるーんとした生活とは、どんな生活だい?」
「……え?」
太陽光を遮っていたのは雲ではなかったらしい。キラキラ王太子殿下が仰向けに寝転んだユイカを上から見下ろしていたのだった。
「ひぃっ……!!!」
本日二回目の悲鳴をあげた後、ユイカは驚きのあまり、慌てて上半身だけを起こし、後ろ手をついて四つん這いの逆バージョンで後ずさった。
「随分器用に動けるものだね、ご令嬢」
王太子殿下は恐怖で青ざめるユイカに近づき、目線を合わせるようにしてしゃがみ込んだ。で、だるーんって何? と、こちらの狼狽など気にかけることもなくどこまでも自分本位に会話を続けようとなさる。
取って付けたようなひきつる笑顔を作りながら、ユイカはめまぐるしくこの場からの脱出方法を考えようとした。が、もう名前もクラスも知られてしまっている。
昨日の今日でどうやってユイカのことを調べたのかは分からないが、何せ相手はこの国の最高権力者のご子息である。恐らく顎をくいっと動かせばそれだけで事足りてしまったのだろうと容易に想像できてしまった。
であるからして、安全にここから逃げ去る方法は王太子殿下の疑問に答えて呆れさせるかご満足していただく他ない、と思い至る。
「えっと……だるーんとした生活、というのはですね、だらだら、ゆるり、のんべんだらり。つまり、ぼーっとした大した刺激も問題も喜びもない、平坦な生活でございます」
「そんな生活をしたいのかい?」
目を丸くして驚いたように見える彼は毎日の学業に生徒会、王族としての仕事に、次期国王としての学びに勤しんでいるはずだ。
前世で画面越しに何度もハッピーエンドを迎えた相手でもあるから、結衣は彼の努力をよーく知っていた。
真面目で優しく、時々お茶目で、相手を威圧しない親しみやすさと地頭の良さ。どう考えても公式激推しの攻略対象ナンバーワンである。しかし今は立場が違う。画面越しに結婚した際、結衣はヒロインリリアであった。
「……下々の我々の理想の生活など、殿下にとっては想像もつかないでしょうね」
そう。今はゲーム攻略中ではない。しかも彼はモブである自分とどうにかなるお相手では決してない。そして何より王太子殿下様様である。何か粗相をしたら、きっと後ろで気配を殺して控えているに違いない護衛にやられるのである。今のユイカにとっては出来る限り近づきたくない相手でもあった。
だから、自分と王太子殿下の間に壁を提示したのである。これ以上、こっちに来ないで、という懇願の意を添えて。
「……」
成功なのか、失敗なのかよく分からないが殿下が黙ってしまった。そしてユイカをじっと見つめる。こちらの思惑を探るように。その視線を居心地悪く思いながらも、ユイカはお貴族スマイルで応えつつ王太子殿下のもの言いたげな視線をごく自然に穏やかにガードしたつもりだった。
それなのに。
「なんか、敢えて距離を取ろうとしてない?」
「!?」
「自分たちの生活なんて、王族である貴方には興味ないだろう? って。そう言いたいのかな?」
図星を言い当てられたユイカは背中でだらだら冷や汗を流していた。はい、その通りだから放っておいて、なんて言えるわけないではないか。またしてもユイカは作戦を途中放棄した。身を翻したのである。保身のために。
「ままままさかぁ! あまりにも、だるーん、なんて不真面目な言葉の意味を殿下のお耳に入れるのも不敬かと思いまして。私はただ、謙虚に真面目に社会の歯車の一部として存在できればそれでいいと、それでいて休み時間が確保される生活を送ることができればと!! はい!」
早く離れたいと思ってそれとなく拒否的な雰囲気を出せば、王太子殿下は興味を失って引き下がると思っていた。ところが今までとは全く違う冷ややかな視線と声色でユイカを追い詰めたのである。
弱小末端貴族であるユイカは強大すぎる国家権力を前に、得意の正論を作動させることができなかった。
「なるほどね。……では王宮の職員になるのはどうかな?」
「はい?」
まさかこの流れで王太子殿下に職を斡旋されることになろうとは。
「社会の歯車の一部とか言うならさ。女官とか侍女とか、王宮内の何かしらの組織に入ったら立派な公的な職員だし、よっぽどのことがなければ引退までそのまま働ける。将来は安泰だからおすすめだよ。……うーん、そうだな……。今は王宮図書館の職員とか人気だね」
「! 王宮図書館! そこって残業ありますか?」
具体的な職種としては思いつかなかった職だが、図書館、という言葉からはホワイトな香りが漂ってくるような気がした。あくまでユイカのイメージでしかないわけだが。
しかも現金なことに先ほどまで距離を取ろうとしていたのに、いつの間にかユイカの方がアルベルトに食いつき気味である。
「確か……17時で閉館だから受付対応係とかなら残業はなかったはず」
「いいですね、素晴らしいことです!」
いつの間にか芝生の上に正座して、ユイカの脳内にはすでに国家権力に守られた職員として定時退社が約束された職場で働く優雅な自分の姿が浮かんでいる。
(本好きな人が来るんだろうから穏やかな客が殆どだろうし、17時で終了したら、その後買い物とか? 飲みに行ったりとか? それとも早めに帰ってのんびりお風呂に浸かるとか?)
都市伝説ではないのかとすら思っていた丁寧な暮らしとかいうものもできてしまうかもしれない。
コンビニ飯でなく一汁三菜生活、エナジードリンクでなく自家製フルーツ酢みたいな素朴な味を楽しめてしまう生活を送ることになるのかもしれない。
うっとりと微笑むユイカに王太子はにっこり笑みを寄越した。
「なら、目指してみるといいよ。図書館職員も女官もまずは王宮職員として試験に受かってから振り分け配属されるからね」
「なるほど、まずは王宮職員の資格を得てからってことですね! 考えてみます」
「うん。それがいい。もし合格してくれれば、卒業しても君に会えるね」
「?」
「いや、何でもないよ。楽しい時間をありがとう。フォルンシュタイン嬢」
王太子殿下は、そう言って立ち上がり去って行った。
そこに残されたのは、芝生の上で握りこぶしを作り、ちょこんと座りながら今世での勝利を確信しているユイカであった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「面白い人材を勧誘できたかもしれない」
少し離れて二人を見守っていたカイの元まで戻ってきたアルベルトは、そう言って満足そうに笑みながら護衛の肩を軽く叩いた。
「……殿下、王宮図書館は今ほとんど人材が埋まっております。新しく人材が入れるような状況では……」
「知ってるよ。だから、振り分けられた結果、王太子宮や内宮の女官に収まっている可能性も無きにしもあらずだよね」
そう言って美しく微笑む主を横目に見ながら、カイは目を輝かせて将来の夢を抱き始めたばかりだろう少女の顔を思い出し、気の毒に思いつつも、自分にできることは何もない、といつも通り深く考えないために頭を軽く振るのだった。
次回(1/20)19時、モブC、ヒロインに説教する!?




