第1章ー5
「やっと見つけた」
よく響く声が聞こえた途端、ユイカの教室では歓声が上がった。ユイカは教科書を鞄にしまおうとしていたところで女子生徒たちの歓声に気づき、何事かと顔を上げると、廊下側の窓からひらひらと優雅に手を振る昨夜のやんごとなきお立場にあらせられる男性と目が合った。
「!?」
驚愕のあまり、教科書を床に落としてしまう。慌てて身を屈めて教科書を拾うが、そのまま立ち上がることができない。
(なんで? え? なんで王太子殿下がこのクラスに来るの? しかも何であたしを見てるわけ?)
心臓がとんでもない勢いで血液を全身に送り出し始めている。震えながらそっと机の陰から顔を上げると、王太子殿下はまだこちらを見つめてにこにこと笑っていた。
「ユイカ・フォン・フォルンシュタイン男爵令嬢、ちょっと良いかな?」
(良くないですぅぅぅ~~~っ!!!)
しかし、王族のお願いは命令と同義である。ユイカも一応王族の臣下である貴族の端くれ。よろりと立ち上がり、教室中の注目を一身に浴びながら後ろの扉に向かい廊下に出ると、視界の端に紅くゆらめくものをユイカは見た。
(今日は厄日なの? タイミング悪すぎでしょうよ……)
今朝もお会いした、王太子殿下の婚約者候補のおひとり、エグランティーヌ・ド・ローラン様その人であった。
一瞬視界に入っただけなので見間違いかもしれないが、エグランティーヌ様の持つ扇がぷるぷると震えていたような気がする。
廊下に出たユイカの真正面にはキラキラにこにこの王太子殿下、背後にはどす黒いいや、紅黒いオーラをまとい引きつった笑みを浮かべる公爵家ご令嬢。
完全にユイカの逃げ道は塞がれた。
「やぁ、驚かせたかな?」
王太子殿下はあくまで嫌味がない。本当にカジュアルに楽しげに話しかけてくださる。
そんなお気遣いにユイカは胃がキリキリしてきた。この痛み、前世でもおなじみであったことをぼんやりと考える。どうやらユイカの思考が逃避を始めたらしい。
(って、そんなことよりも!! 早く、この胃痛と恐怖から逃げ出したい……そのためには……)
王太子殿下に呼ばれ参上するまでに歩いた数十歩の間にユイカが考えに考え抜いた作戦は……しらを切り通すことだった。
前世で培った営業用の当たり障りの無い笑顔を顔面に貼り付け、貴族子女としての礼をするため、スカートの裾を少しだけ持ち上げてから、一歩片足を後ろに引き、姿勢を低くする。
「殿下、わざわざ私のような者にお声がけいただき、大変恐悦至極にございます。恐らくお名前をいただくような機会は、今、この瞬間まで、全くもって、一度たりともなかったと思うのですが、本日は初対面のはずの私にどのようなご用件でございますでしょうか?」
舌を噛みそうな謙譲語に丁寧語に尊敬語が口からするする出てくる、社畜怖い。
「初対面ねぇ……」
王太子殿下はあくまでそう言い切るユイカに怒りを表すこともなく、面白そうにニヤリと笑みを浮かべて口を開く。
「そうだね、昨夜は知り合うってほどの会話もできなかったしね。改めて……」
「殿下!」
その時、慌てた声がアルベルトとユイカの会話を遮った。王太子殿下は少しだけ申し訳なさそうにしながら息を切らせて走ってきた護衛を振り返った。
「すまなかったねカイ、今日は夜からの護衛だというのに休憩中の君を呼びつけてしまって」
「それは構いませんが殿下、『3-Dで待つ』と言付けだけ残されましても困ります。一体何を……」
言いかけたところで、カイはユイカに気づいた。
そういうことか、と彼は手のひらで顔を覆い、ため息を吐いた。そしてユイカよりも頭一つ分大きい身体が彼女の前で跪いた。
「な、なにをっ!?」
昨夜、ユイカを不審者として拘束した騎士様と同一人物とは思えない丁重さで彼は片膝をつき、手を胸にあて頭を下げている。
「ご令嬢、昨夜は不躾な態度を取ってしまった上に、騎士にあるまじき言葉で貴女を傷つけてしまったこと、お詫びいたします」
「え゛っ!?」
昨日のことは知らぬ存ぜぬ覚えておりませぬで通そうと思っていたのにまさかのガチ謝罪。しらを切り通す作戦など血の気と共に一気に消え失せる。
ユイカは慌てて自分も膝をついて騎士の腕に手を添えた。どうにかして立ち上がってもらおうと必死になりかけたところで、王太子殿下の柔らかな物言いが被さってくる。
「私の護衛騎士である以上、婦女子に失礼な態度を取ることは許されないからね。きちんと謝罪の場を設けさせていただこうと思って」
「やっ、やめてください、騎士様!」
(王太子、この野郎、こんな大勢のギャラリーの眼前でっ!!! 絶対に確信犯だろお前ぇぇぇぇっ!!)
と叫び出したくなる26歳の結衣をなんとか脳内から追い払ってから、ユイカは王太子殿下と彼の護衛騎士に懇願した。
「申し訳ありません、初対面ではございませんでした!! そもそも昨夜、私が意味不明に笑いながら暗い中庭をひとり全力で走っていたのが全て悪いのです、不審者から殿下を守ろうとなさった騎士様の行いこそ騎士として称賛されるべき正しい行動でございましたっ! だから、お願いします、お立ちください、本当にお願いしますぅぅぅぅっ!!!」
ユイカは必死に頼んだ。なんなら半泣きである。
「殿下、お願いいたします。私、こんな身に余り過ぎる謝罪を頂いても困ります。そもそも悪いのはこちらです。私が昨夜、きちんと謝罪するべきだったのに。必死で逃げてしまったこと、初対面だと言い張ったことを重ねて謝罪いたします」
そう言ってユイカは、渾身の土下座を王太子の前で披露した。王太子殿下含め、カイ、エグランティーヌ、周りの生徒全員がドン引きしているのをひしひしと肌で感じる。けれど、これ以上の謝罪の方法を彼女は知らない。
今世こそ、目立たぬように陰でひっそり平和にのんびり生きていこうと心に決めたというのに……。
(さようなら、私の路傍の石ころ化計画……。改めて路傍のピエロ化計画でいこう……)
イロモノ過ぎて周りから見て見ぬふりされるアレである。
しん……と廊下が静かになった瞬間。
「あはははっ! 君、やっぱり面白いね」
王太子殿下の腹の底からの笑い声にユイカは思わず顔を上げた。笑い過ぎて涙が出たらしい王太子殿下はひぃひぃ言いながら涙を拭っている。
(王族って、臣下たちの前でこんなに感情素直に爆発させて良いものだっけ?)
「却って困らせてしまったみたいだね。というか、君にもう一度私が会って話をしたかっただけなんだよ、ごめんね。カイの謝罪はその理由付けみたいなもの、そして君のことを調べてみたら昨日から突然様子が激変したという噂まであるじゃないか。面白過ぎるだろ」
(調べてみたって、するりと本人の前で口にお出しになる王太子殿下、……もしかして、めちゃくちゃやばい人なのかもしれない)
とユイカは思うが言えない。というか、カイはとんだ迷惑を掛けられ無駄に謝罪させられただけではないか。気の毒すぎる。
そしてユイカにとってはこの状況が心臓に悪すぎた。いろいろ好き勝手してやると誓ったものの、やはり基本小心者の心臓であった。
「フォルンシュタイン嬢、お手を」
いつの間にか立ち上がっていたカイに手を差し伸べられる。
「え」
床に手をついたまま、まだ何かする気かと身を引くユイカに、カイは悲しそうに目を伏せた。
「この手も使っていただけないほど、私はご令嬢を傷つけてしまったのでしょうか?」
「ま、まさかそんなっ!」
(なに、この人、こんな申し訳なさそうな顔見せるとかずるくないっ!?)
動揺して、慌ててカイの大きな手に自分の手を添えると、ぐいっと軽く引っ張られ軽々と立ち上がらされてしまった。
「あ……ありがとうございます」
なんだか気恥ずかしくなって下を向いたまま小さな声でもごもごとお礼を言うと、カイはそっと顔を近づけた。
「お気をつけください。殿下はひとつ執着すると長いですよ?」
「はい?」
顔を上げた時には、もう王太子殿下もカイも他の護衛騎士も背中を見せていた。気づけば昼休み終了の鐘が鳴っている。
どうやらさんざん面白がって満足し、昼休憩も終わったため、この状況のユイカを置いて帰ってしまうらしい。
(……ひどくない?)
そう思って、王太子の背中を見送ってから気が付く。観衆はまだそこに多数留まっていた。
ユイカにはその理由が容易に想像できた。彼らはおもしろい劇の第二幕を期待しているのだ。
そしてその理由は……ユイカの背後から涼やかに感じる冷気の持ち主との対決だろう。すっかり背後の脅威を忘れていたことをユイカは思い出していた。
首がギギギっと音を鳴らしそうなほどの動かしにくさ、というか現実を確認したくない己の気持ちを感じながら、勇気を振り絞って後ろを振り向いた。見るとエグランティーヌの手にあったはずの扇が真っ二つに折れている。
(ひぃっ! あれの次はあたしの首では……)
恐怖を感じた時、天の助けのように予鈴が鳴った。ユイカにとっては天使の呼び鈴のようにすら聞こえた。
いくら悪役令嬢とは言え、授業をサボってまで糾弾することはないだろう。ないと思いたい。
「あの……えっと……私、次は移動教室ですので失礼いたしますね~」
出来る限り朗らかに声を掛け、何事もなかったかのように教室の自分の机に戻る。
そしてそそくさと荷物を揃えて教室を出る際、フリーズしたようにその場から微動だにしていないエグランティーヌの前を通る際には軽くお辞儀するのを忘れずに、ユイカは魔術実験室へ駆けだしたのであった。
魔術実験室の自席につくと、思いっきり大きなため息がこぼれ出た。そして昼食を食べ損ねたことに気づき、更に長い長い溜息を吐く。
そんなユイカに授業中も周りの視線が刺さりまくってはいたが、さっきの土下座作戦が功を奏したのか、路傍のピエロに話しかける者は誰もいなかった。
※次回(1/14)19時、紅い令嬢リトライ!




