第11章ー1
カイと気持ちを伝え合った秘密の野原から中庭に戻る途中、途切れた生垣に入る前。自然と繋いでいた手がゆっくりと離れた。そしてカイがユイカを真っ直ぐに見つめる。
「最終試験の準備、頑張れよ、応援してる。ユイカなら……」
「!」
驚いたけれど、その愛しげに呼んでくれる声音が優しくて嬉しい。
「ユイカなら……大丈夫って言いたいが、君は無理に『大丈夫』と笑って言う人なのだと俺はもう知っているから」
「……」
何も言えないユイカの髪を、宝物に触れるかのようにカイはそっと撫でてくれた。
「俺が君を見て、大丈夫じゃないと思えば、君がいくら『大丈夫』と言っても以前のように遠慮なく言うからな」
ユイカの目から、また涙が零れた。でもこれは悲しい涙ではなかった。
大丈夫だと言い聞かせ続けていた結衣も一緒に救われたように思えた。
「ありがとう」
また泣いてしまったユイカがまた笑えるようになるまで、カイはただ傍にいてくれた。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
満たされた心持ちで貴賓宮に戻ったユイカを、エグランティーヌはにんまりとした笑顔を扇で隠しながら出迎えた。
「色々良いことがあったみたいですわね」
「!」
(何もかもバレてる!?)
そもそも今日、ユイカが王太子宮にお使いに出されたのはエグランティーヌの指示で、行った先の王太子殿下はあんな感じだったということは。
(……全て殿下の手のひらの上!!)
「言っておきますけれど、殿下も私も貴女たちのこと、大事に想っているのよ」
「!?」
エグランティーヌが応援してくれているのは素直に嬉しい。が、王太子殿下の手のひらの上でくるくる踊らされたのかと思うと腹立たしい。けれど、感謝していないわけでもなく……。
(複雑っ!)
気持ちが急上昇と急降下を繰り返しているのがバレバレだったようで、ユイカはエグランティーヌにくぎを刺されてしまった。
「浮かれるのは仕方ないけれど、仕事はきっちりこなしていただきますわよ」
「もちろんですとも、喜んでっ!」
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「これ、本当に素晴らしいわ!」
ユイカが作成した資料を見たエグランティーヌが驚愕の表情を浮かべる。
この反応を期待していたユイカは満面の笑みで資料のグラフ部分を指さした。
「数値を見える化しました。現在の王宮の資料は、数字と文字だけで羅列したものばかりなので、かなり好印象になると思われます」
今の王宮にどれだけの人数がいるのか、そのうちのベテラン、中堅、新人の割合、一人の職員しかその仕事ができない、つまり属人化が起きている部署とその仕事、その仕事の割合など、グラフで示した書類である。
前世チートと言って良いのかどうか分からないが、ユイカは生まれ変わって初めて社畜OLだった自分に感謝した。
「私が出来るのは、ここまでです。後はエグランティーヌ様のプレゼン力ですよ!」
「プレゼン力?」
「はい。説得力と、表現力です。これは国政にも関わる王妃様にも必要な能力でございますわよね?」
悪戯っぽく微笑むと、エグランティーヌは不敵に笑った。
「誰に物を言っているの? 得意分野だわ。任せなさい」
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
試験前日。ユイカはエグランティーヌと共に最後の詰めのリハーサルをしていた。
「王宮の運営は民からの税金で賄われている以上、無駄な出費は許されません」
エグランティーヌが高らかに声を張り上げる。素直に耳に入ってくる良い声音である。
「最大の出費は人件費。これを如何にして下げるか、つまり少ない人数で多大な効果を生む効率化が求められます」
発表の情報を外に漏らさないよう、細心の注意を払って準備をしてきたから、声を出しての通し稽古は今が初めてなのに、エグランティーヌは何度も行ってきたような慣れた様子で流暢に話し続ける。
(ここで、『しかし!』で、話の流れを変えるんだよね!!)
ユイカが期待を大きく膨らませていた瞬間、バタンっ! と大きな音が室内に響き渡った。
「失礼します! ユイカお姉さま!! エグランティーヌ様!!」
エグランティーヌよりも声高らかに入ってきたのは金の光の粒子を全身から生み出している聖女様、リリアだった。
「り、リリア様っ!?」
「何なの突然! しかも何の魔法を発動していらっしゃるのよ!!」
何も言わずに魔法を掛けながら入ってくるなど、前代未聞。何ならちょっとした襲撃事件である。けれどもリリアは満面の笑みである。
「何って、エリアヒールですよ~。とうとう使えるようになったんです! まだ、この部屋を中心に周りに一部屋ずつくらいの範囲しかないですけど、何回も練習していれば、もっと広がるかもしれません。これもユイカお姉さまのおかげだって、ぜひご覧いただいて来なさいって、大司教様が大喜びでした」
「……」
エグランティーヌは最早呆れを通り越して無である。
「騎士は? メイドは? 侍女は? 女官は? 何をしていたの? 誰にも止めらなかったの?」
ユイカが茫然としながら尋ねる。
「私、一応聖女なので、王宮は大体どこでも通していただけるんですよね~。あ、エグランティーヌ様のお部屋は、ドアの近くにいた女官さんに聞いて確認してから入りましたから問題なしです」
ハッと我に返ったらしいエグランティーヌがこめかみに指先を当てる。エリアヒールなるもので癒された直後だから頭痛なんてするはずはないのだが、気持ち的には頭を痛めているのかもしれない。
「問題大ありですわよ……私たち、明日王太子妃選定試験当日ですのよ?」
「そうですか。ちょうどよかった。お疲れも癒せましたね」
きゅるん、とリリアが上目遣いに二人を見るが、正直それどころではなかった。
「確かにすごく身体の調子は良いですわよ、ありがとうございます! でもこんなキラッキラな状態で試験を受けろと? このキラキラいつまで続きますの??」
「うーん、エリアヒールはなかなか強力なので……明日の夜くらいまでは光るかと。試験で目立てて良かったですね!」
「……」
エグランティーヌは額に手を当ててぐったりしていた。
「エグランティーヌ様……もうこれはどうにもなりません。とりあえず、通し稽古の続きを……」
そうね、と頷くエグランティーヌと、ユイカはリリアと侍女たちを審査員に見立て、続きのプレゼン練習を続けるのであった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「失礼致します」
パトリシア・フォン・ノイシュタットは自室のドアをノックする女官の声に入ってくるよう伝える。
「パトリシア様、つい先ほど、やっとあちら側の話を聞くことができました」
「そう」
「『最大の出費は人件費。これを如何にして下げるか、つまり少ない人数で多大な効果を生む効率化が求められます』と原稿を読んでいました」
「……」
パトリシアは考え込む。今の言い方だと、自分の担当女官であるミナが手に入れたこの情報は盗み聞きによるものではないか、ということを。
しかし相手の出方を知るのは、対策を練るにはどうしても必要な情報である。
「あちら側は、王宮職員の労働時間の問題について調べている、と貴女は仰っていたわよね?」
「はい。隠す感じもなく堂々と調べていました」
「えぇ。だからこそ私は同じ問題をぶつけることに決めました。同じ問題を取り扱えば、その解決策があちらよりも優れていればこちらが勝てる、と思って」
大きく頷くミナにパトリシアも同意した。
「そしてあちら側の解決策は人件費の効率化。偶然だけど、これも私の案と同じよ。ならば勝てる」
パトリシアには自他共に認める深い知識とそれを繋げて広げて応用できる学力がある。エグランティーヌ・ド・ローラン公爵家令嬢の学力、ユイカ・フォン・フォルンシュタイン男爵家令嬢の学力も予め調べてある。
「よくその情報を持って来てくれたわね。おかげで私は安心して眠ることができるわ。ありがとう」
ミナはパトリシアの言葉を聞いて目を輝かせて嬉しそうにした。
そう言えば、彼女にこうやってお礼を言ったのも初めてかもしれない。ミナはこちらが何も言わなくても自分で勝手に先回りしてパトリシアのために動いてくれるから、それが当然のように思っていた。
「私はね、ノイシュタット家の願いを受けてこの場に立っているの。失敗は許されない。殿下とエグランティーヌ様が想い合っていて、お互いがお互いを必要としていることも知っているけれど、そんなことは私が王太子妃に立つことを諦める理由にはならないの」
「重々、承知しております。私は、そのパトリシア様のお考えを尊敬しております、学生のころから」
「そうだったのね。貴女の気持ちを踏みにじることにならないよう、明日完璧な演説をしてみせるわ。書類もあなたが集めてくれたデータで完璧な文章にできたもの」
そこまで言ってから、ふと女官の姿を見返した。
「あら、貴女なんだか、光ってない?」
「!?」
ミナが青ざめる。
「そういえば……廊下でエグランティーヌ様の発表練習を聞いている時に聖女様にここがエグランティーヌ様のお部屋かと確認されて、お返事した直後に何らかの魔法を発動させながらお部屋に入っていかれました」
パトリシアは唇を噛みしめる。ミナの姿を見られたら、あの場にいたこと、ひいては盗み聞きしたことが露見するかもしれない。選定員の評価に関わる可能性があった。
「申し訳……ございません……パトリシア様……」
ここに来るまでに誰ともすれ違わなかったことをミナに確認し、ミナに明日一日休暇を取るよう命じた。
「ベッドの中で身を隠していなさい。いいわね、絶対に人に見られてはダメよ」
ミナは顔面蒼白になりながら、こくこくと頷くのみだった。
次回(3/4)19時、とうとう本番当日でございます!




