第10章ー4
「……ユイカ。何か、あったのね?」
女官室を出た後、少し時間を置いて気持ちを落ち着かせてからエグランティーヌの部屋を訪れたはずなのに、この優しい友人はユイカの心の乱れにすぐ気づいたらしく、人払いをしてくれた。
「大丈夫よ、今は私と貴女しかいないの。お願い、話して。大丈夫だから」
身体の前で固く握ったユイカの両手をエグランティーヌのきめ細やかな白い手が包み込んだ。そして気づかわしげな紅い瞳に浮かぶ心配の色を見た時、ユイカの目じりからほろりと滴が零れた。
「あれ、なんで……」
涙が止まらない。
自分の心の内にぐるぐると渦巻いている、たくさんあるはずの感情の正体が分からなくてユイカはただ泣くことしか出来ない。そんな彼女をソファに座らせて、エグランティーヌは根気強く、ひとつひとつ起きた出来事をユイカから聞き出した。そして泣き続ける友を真正面から見つめて言い切った。
「貴女は間違ってない。よく勇気を出して言ったわ」
ユイカは首を横に何度も振った。
「でも、きっとアルトシュタット様やミナ様の言い分も間違ってないんだと思います」
エグランティーヌにひとつひとつ話す度に、絡んだ糸が解れていくように、ユイカには自分が抱いていた様々な想いに気づくことができた。
自分の厚意による行動が相手を傷つけていた、という戸惑い、後悔、申し訳ないという気持ち。
けれど、ミナは事実仕事を完遂できていなかったのだから、という怒り。
そしてフリーデリケの言い分に対する、悲しみ、困惑。
それから今後の仕事場での人間関係に対する不安と絶望。
色々な感情がないまぜになってユイカをがんじがらめにしていたのを、エグランティーヌが解いてくれたのだ。
解けたからこそ、ミナたちの気持ちを慮る心の余裕が生まれた。
「私、仕事をするのはきっと好きなんです。実際、楽しいと思ってます。だけど、人の分を負担してまで働くのは好きではありません」
けれど賃金が発生する仕事をする上で、効率と感情を分けて考えることはできない。それは理解できる。
「でも、効率だけを考えていたら、誰もが成長する機会を奪ってしまうんじゃないか、って今、思えてきました」
「成長する機会?」
ユイカは頷いた。
「『誰もが』成長する機会、です。さっき言われたように、手紙の仕分けを私がするのが一番効率がいい。それは確かにそうなんだと思います。他の人が六十分かけるところを、私は三十分かそこらで終わらせるわけですから、その浮いた時間を他の仕事に回せます。これが効率化です」
エグランティーヌは少し頭で考えてから頷いた。ユイカの『働く』とエグランティーヌの『働く』はきっと違うのだから、公爵令嬢である彼女がユイカの労働について考えるのは簡単ではないはずである。でも、彼女がユイカと同じ目線で真剣に聞いて考えてくれるのが、とても嬉しかった。
「でも、私がずっとその仕分けの仕事をしてしまったら、ミナ様はいつまでたっても仕分けの仕事を自分のものにすることができない。継続していく職場で、職員ただ一人にしか任せられない仕事を作るのは、危険なのです」
「どういうこと?」
「私がいなくなったら、その仕事は誰がするのか、ということです。いなくなってから他の職員が仕事を覚えるには多くの時間と労力がかかります」
「確かに」
それにミナが抱いていた『自分はユイカより仕事が出来ない』という気持ちは、全てのやる気を削いでいく。それにユイカは気づけなかった。これは、確かにユイカの落ち度だった。
「でもこれは王宮という働く人間が大量に存在する場で、効率的に継続させるための仕組みそのものを変える必要があるんです。今までは個人個人の技量と度量と裁量でやってきた。それを全体の約束として統一化しなきゃ、この問題はきっとずっと解決しません」
エグランティーヌとユイカは目を見合わせてハッとする。
「これこそ、王宮が抱えている課題に対する問題提起よね?」
落ち込んでいたことも、傷ついていたことも忘れて、ユイカは大きく頷いた。
「これで行きましょう!」
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
それから二人は更にひたすら情報を集める日々を送ることになった。女官だけではない、フロアメイドのエマや洗濯メイド、貴賓宮の侍従や侍女、メイド、庭の管理人まで、ユイカとエグランティーヌは連日聞き込んだ。
そんな毎日の中でも、危惧していた通りフリーデリケはユイカに仕事を押し付ける。内容によって時には受け取り、時には拒みながら、視界の端にミナの気まずそうな顔をみながら、ユイカの毎日は過ぎていった。
そして本日、ユイカはエグランティーヌのお使いで、王太子宮を訪れている。女官姿のエグランティーヌと共に来た日以来、一カ月半ぶりだった。
「久しぶりだね、フォルンシュタイン嬢」
「ご無沙汰しております、王太子殿下。お変わりないようで嬉しく思います」
「……嫌味、かな?」
前回の取り乱した姿を見られた羞恥心からだろうか、アルベルトの表情が心なしか固く見える。
「とんでもないことでございます。心から安堵しておりますよ」
アルベルトとエラが親密な手紙のやり取りをしていることをユイカは知っている。そのおかげでエグランティーヌの肌艶もピカピカである。色々あったが、結果良ければ全て良しなのだ。
(あとは選定試験で選ばれるために今できることを必死でやるだけ!)
心の中でフッと笑って礼を続ける。
「早速ですが、ご用件をお伺いしてもよろしいでしょうか? エグランティーヌ様から、私名指しでの殿下からのお呼出しと伺いましたが……」
「うん、君たちが王宮で働く人々に聞き込みしていると聞いてね、騎士団だけは伝手がないとも」
「はい。その通りです」
「私はね、騎士団の責任者であり、更に言えば私の専属護衛は、騎士団所属なんだよ」
「はい、そのように伺っております」
「だから……ね?」
いつものように『ね』で全ての説明を省くアルベルトの顔を、ユイカは恐る恐る見上げた。口の端が上がっている。つまりニヤついている!
「まさか」
「うん。カイを二時間ほど貸してあげるから、二人で騎士団に聞き込みしておいで?」
「殿下!?」
唐突に声を上げたのはカイその人だった。
「だってさぁ、一カ月半ほど前からカイが目に見えて落ち込んでるからこっちとしても困ってるんだよ」
「一カ月半前?」
「そう。君たちが顔を見合わせてにっこり笑ったと思ったら急にフォルンシュタイン嬢が視線を逸らしたあの日から」
「殿下っ!」
カイの悲痛な叫びが聞こえる。
ユイカは真っ赤になっていた。
(え? あの瞬間、見られてたわけ? しかも、あたしが悪いのに、何でカイさんが落ち込んでるわけ?)
カイに目を向けると、今度はカイに視線を逸らされる。
「……」
「こんな感じでカイが仕事に集中できなくて本当に困ってるんだ。フォルンシュタイン嬢、君の責任だよね?」
「え……」
「だからさ、何とかしてやってくれない? というか落ち込ませた責任、とってもらうよ?」
そう言って心底楽しそうに、面白そうに話すキラッキラの王太子殿下が、こちらに向けて魅力的なウィンクを寄越してきたので、思わず首を倒して避けてしまうユイカであった。
次回(3/2)19時、カイの嫉妬からのおもろい行動をお楽しみいただけましたら作者冥利に尽きますです!




