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第9章ー3




(ものすごく懐かしい感じ……)


 入宮前の二週間、ユイカはエグランティーヌの屋敷でお世話になった。すでに勝手知ったる第二の我が家くらいの気持ちになりそうだったが、慌てて首を振る。


(ダメダメ。あたしは仕事で来たんだから……)


 王宮からの馬車に乗ってローラン家に着いたユイカは、先触れで伝えておいた時間ぴったりに応接室に通された。


 ドアをノックされる音がすると同時にユイカは立ちあがり、こうべを垂れる。ドレスの衣擦れの音がして、斜め前のソファに座る音がした後、エグランティーヌの声がした。


「貴女が私の補佐をしてくださる女官ね、よろしく」


「はい。貴賓宮付き女官、ユイカ・フォン・フォルンシュタインと申します。この度はエグランティーヌ・ド・ローラン様の補佐といたしまして、三ケ月間にわたる貴賓宮でのお暮らしと試験に向けてのお世話をさせていただきます。至らぬ点も多々あろうかと存じますが、精一杯務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします」


 女官のスカートを少し上げて礼をした。


「なかなか堂に入っておりますわよ、ユイカ」

 

 その言葉に顔を上げると、紅い瞳を細めてユイカを見ているにこやかな表情のエグランティーヌがいた。二人きりにしてくれたエグランティーヌとその周りの使用人たちの心遣いとその笑顔に、ユイカは肩の力が抜けてしまう。


「頑張って女官モードでやっておりましたのに」


「しっかり女官らしく出来てましてよ。ただ、貴女は女官である前に……その……私のお友達なのですから。私の部屋で二人きりの時にはお友達に戻っていただきたいの」


 かわいいことを言いつつ恥ずかしがる美少女に、ユイカは萌え転がることしかできない。


「エラ様が尊い!」


 ユイカが両手で顔を押さえて天井を見上げていると、エグランティーヌがこほん、と咳払いをしたと同時に侍女が入ってきたため、ユイカは一瞬で女官モードに戻る。


 早速だけど、とエグランティーヌは侍女から受け取った数枚の書類をテーブルに並べた。侍女はそのまま部屋を出て行った。


「最終選定試験の内容は『王宮における問題提起と解決策の提示』よ。どの宮でも構わない。とにかく問題だと提起すべき課題を見つけてその解決策も合わせて発表を、と言われたわ。試験官というか選定判定を行うのは、アルベルト王太子殿下、とロザリンデ王女殿下、女官長に侍従長、それから各宮の責任者よ」


「国王陛下と王妃陛下は、ご参加されないのですか?」


「えぇ、これからの課題は次代を担う者たちに任せる、と仰せだそうよ」


「相変わらず柔軟なお考えですね」


「えぇ、私も尊敬申し上げているわ」


 そう微笑んでから、エグランティーヌはため息を吐く。


「何かご懸念事項でも?」


 エグランティーヌが扇でユイカを指す。


「何言っているの。二人の婚約者候補のうち一人は確実に落とされるのだから、懸念だらけに決まっているでしょう!?」


 ユイカには分からないが、きっと周りからの期待が重圧となっているのだろう。元々頑張り屋の素直な深窓のご令嬢である。ユイカはフッと微笑む。


「エグランティーヌ様こそ何を仰っているのですか? まだ何も始まっておりませんよ。今から挫けそうになってどうするのです。貴女ならば大丈夫です。結果よりも今は何をするかだけを考えましょう。さぁ王太子妃として何が求めていのか、今一度おさらいです。思い出してみてください」


「思い出す? 何かあったかしら?」


 ユイカは呆れたように手のひらを天に向ける。


「では三分さしあげますから、じっくりお考え下さい。その間に私はこちらを遠慮なく頂きます」


「ふふっ、懐かしいわね、そのくだり」


「でしょう? 大ヒントれふよ」


 ユイカは目の前に置かれたマカロンを口に入れる。


「口の中に入れたまま喋るなど……って、ヒント?」


 エグランティーヌはきょとんとした後、記憶を探るように目を閉じた。


「あの時、貴女は『ギャップ萌え』の話をしていたわね」


「そうですね、それからエラ様は変わられました」


「『王族とは民のためにある者たちのことである。民を愛することの出来る者にしか王族の資格は授与しない』?」


「正解です」


 ユイカは紅茶を一口飲んで、ソーサーごとテーブルに置いてから軽く拍手をした。


 学園生活最後の年、ユイカが前世の記憶を取り戻した直後、王太子に相手にされないと嘆いていたあの頃、エグランティーヌが自分で導き出した方向性。


「正解って……あれは孤児院訪問じゃない。確かにずっと継続はしているけれど、それは王宮の問題ではないわ」


「エラ様、民っていうのは孤児院の子どもたちだけじゃないのですよ、王宮で働く我々も、同じ民です。働いている者たちが困っていることを探してみませんか?」


「……」


 エグランティーヌは盲点だったと言うように口元に手を当てた。それから口元を引き締めた。


「……そうね。そこからのアプローチするやり方が私にとっては考えやすいかもしれない。ありがとう、ユイカ。本当に貴女が補佐についてくれて心強いわ」


「……っ!」


 恥ずかしそうに目線を横に逸らしながらもしっかりした声でお礼を言う美しい公爵令嬢は本当に絵になる。ユイカは心のカメラでその瞬間を大事に切り取っておくことにした。


(この愛らしすぎるエラ様を、殿下に自慢してやりたい! そしてこの萌えの衝動をカイさんに聞いて欲しい!!)


 そんな想いを秘めながら。




・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


 エグランティーヌともう一人の婚約者候補パトリシアが貴賓宮で暮らし始めてから数週間後、ユイカたち女官や侍女、メイドたちは表面上毎日お淑やかに歩きながらも脳内はバタバタの毎日を過ごしており、夜、寮に帰っても調べものや下準備に追われていた。


「ねぇ、ちょっと思ったんだけど、この部屋割りダメじゃない?」


「何でですか? ミナ様、私と同室嫌になってしまわれたのですか?」


 それぞれの机に向かって書き物をしながら背中同士で二人は話す。


「そんなんじゃないけどさ、私たちって一応競い合ってるご令嬢たちの補佐をしてるじゃない?」


「まぁ、平たく言ってしまえば、そうですね」


「情報盗み放題じゃない? いや、しないけど」


 確かにそう考えると部屋割りにしろ、配属先決定にしろ、上層部の采配はどのような配慮の結果なのかと改めて思う。


「それを言い出したら、そもそも私はエグランティーヌ様と元々知り合いなのに補助に付くの、ずるくないですか?」


 ユイカがミナの方を振り向きながら言う。


「……」


 ぴくり、とミナの肩が揺れた気がした。


「ミナ様?」


「あ、ごめん。びっくりしちゃって」


「?」


「パトリシア様がね、同じことを仰っていたの。エグランティーヌ様たちはずるくないかって。自分は初対面の相手と組まされて不利だって」


「……」


 それは、ミナのせいではない。ミナに言うべきことではない。ユイカの表情に何かを感じ取ったのか、ミナは慌てて弁解する。


「でもね、パトリシア様ってすごい方なの。すごく真面目で賢くて、知識量が当たり前だけど私なんか敵わないくらい豊富で。尊敬してるんだ。きっと、多分不安になって愚痴っちゃっただけで他意はないと思うの。それにパトリシア様って私が学園にいた頃の先輩で、いつも凛としていらっしゃった姿に憧れていて……だから私、パトリシア様の補佐女官になれたの、すごく嬉しかったんだ」


 そんな気持ちを抱きながら、ミナは日々パトリシアと様々な宮を回って見学と職員からの聞き取りをして情報を得ているらしい。


「そうなんだ。私はその点がダメだなぁ。やっぱりどこに行っても噂のせいか、まだ少し距離を取られていて。詳しい情報を得るのが難しいなぁって思っているところだよ」


 今度はミナがそうなんだ、と呟いた。だからユイカは笑って見せる。


「そういうのも全てひっくるめた上で、私たち新人女官をどう使うかっていうのも、ご令嬢方に課された課題なのでは?」


「……」


「自分の力だけでは達成できない課題を前に、お互いに有利不利があって、自分の状況を冷静に見極めて、足りないところをどう補うか、足りているところを更に充実させるためにはどうするか、そんな風に考えるのって人の上に立つ方には必要なことなんじゃないかなって思うよ」


 ミナが驚いたようにユイカを見つめる。


「ミナ様?」


「あ、ごめん。そこまで考えてるんだ、って……びっくりしちゃって」


 何故か傷ついたように苦笑するミナに、ユイカは不安になる。


「どうか、したの?」


 なんだか、ミナの様子がおかしい気がした。


「……ううん。ユイカ様、すごいなって」


「?」


「よし! 頑張ろう!! 私もユイカ様に負けてられない!!」


 話はこれで終わりだとでも言うように、ミナは再びユイカに背を向けて机に向かった。


 気のせいなのかもしれないが、自分とミナの間に壁を作られたような気がした。傷ついたように苦笑しながら話していたミナの口ぶりが、いつまでもユイカの心にしこりのように残っていた。






・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


 春の柔らかい日差しが少し強くなった頃、エグランティーヌが数時間ほどローラン家に戻るから、とお役御免になったユイカは、集めた資料の整理に自室で追われていた。


(あー、眠い……)


 資料の山を相手に、視界が何度もぼやけてしまう。相変わらず寮の部屋のユイカのスペースだけには掃除が入った様子はなく、洗濯物もユイカは個人的に地下にある洗濯フロアに夜間に向かい、洗濯乾燥機を借りて済ませている状態である。正直なところ、疲労が溜まっていた。


「ダメダメ! あたしなんかよりエラ様の方が根詰めてるから絶対にっ!!」


 ユイカは両頬を叩き、眠気を吹き飛ばす。


 エグランティーヌがここ数日休憩をしている姿を見ていなかった。なのにユイカより平気そうな顔で、ピンと背筋を伸ばし、優美な動作で日々の予定をこなしている。


 ほぼ連日朝早くから起きて王妃教育と社交、そして夜遅くまでユイカが集めた資料を読み込み、王宮内で働く者たちに関する問題点をあぶり出そうとしている。選定試験中だからと言って普段こなしているスケジュールが組み直されるわけではなく、試験に関する調べ物は隙間隙間に入れられていく状況だった。


(エラ様が少しでもスムーズに仕事や課題に取り組めるようにするのが補佐女官であるあたしの仕事!)


 再度眠気を吹き飛ばすために座っていた椅子から立ち上がろうとした瞬間、山積みになっていた資料を崩してしまった。


「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 悲痛な叫びがユイカの口から洩れる。そして泣きそうになりながら机の下の資料を拾い集めて立ち上がろうとしたところでお約束というかなんというか……頭を強打してしまった。


「……つっぅぅ……っ!」


 そんな騒動真っ最中だったから、ユイカはフロアメイドたちが部屋に掃除に入ってきた音に気づかなかったのだ。


「えっ!?」


「え?」


 驚いた声にユイカが驚いて声のした方を見ると、フロアメイドのエマとヘレンが目を見開いて立っていた。


「ユイカ様! い、いらっしゃったのですか?」


 ヘレンが口元に手を当てて言った。


「あ、す、すみません! 急遽この数時間だけ資料作りをすることになりまして……」


 ユイカが今しがた散らかしたばかりの書類やメモの紙片はミナのスペースにも及んでいた。


「あぁ、すみません、すみません! こんなところまで散らかしてしまった!!」


 黙ったままのフロアメイドの前でユイカは慌ててミナのスペースから自分のものをごっそり移動させた。


「こちら側、掃除されますよね、すみません、お邪魔だとは思うのですが、私はこちらでこのまま作業させてください」


 この部屋には三人も人がいるのに喋っているのは自分一人だけであることに気づき、恥ずかしくなる。


「どうして?」


 エマの小さな声が聞こえた時、ユイカは資料に向き合い始めたところだったので、空耳かと思った。


「どうして私たちを罰しないのですかっ!?」


「……はいっ?」




次回(2/25)19時、エマとユイカと時々ヘレンの舌戦をお楽しみください。私はものすごく楽しく書きました(笑)


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