第8章ー4
王太子宮研修6日目の夜、ユイカは職員寮自室のベッドに身体を放り出し、天井を見つめていた。
「……つか……れ……た……」
「……私……も……」
隣のベッドから同じようなテンションの声が聞こえる。顔を向けるとうつ伏せのまま微動だにしないミナがベッドに横たわっている。
「ミナ……様……貴賓宮はどうです……か?」
「……王太子宮の先輩も侍従さんもすごいと思ってたけどさ……貴賓宮の方々は……プロフェッショナルって感じでね……同じ人間とは思えないほど出来た方々ばかりで毎日自分のポンコツぶりに気が遠くなってる」
こんもりとした翡翠色の塊が喋っているようだった。
「本当ですか……私……無理かも……」
「ユイカ様なら大丈夫だよ……きっ……と……ぐー」
「ミナ様っ! また寝落ちしたら明日が地獄になりますよ~~~っ!!」
慌てて飛び起きてユイカはミナを必死で揺する。
「だーいじょーぶだい……じょー……ぐぅ」
「ぐぅって言っている時点で大丈夫じゃないですからぁぁぁっ!!」
必死で起こしていると、ドアをノックする音とミナの名前を呼ぶ声が聞こえ、ユイカがドアを開けるとフロアメイドのエマがミナの洗濯籠を抱えて立っていた。
「ミナ様の洗濯物をお持ちしました」
顔を出したのがミナではなかったためだろうか、エマは気まずそうに目を逸らしながら口の中だけでぼそぼそと言った。
(そりゃ、仕事放棄している相手が出たら気まずいよね……)
未だにユイカはエマたちフロアメイドとの距離を縮めることは出来ずにいた。
仕事ならば積極的にぐいぐい距離を詰めることはできる。向こうから関わってくるのなら、ユイカも向かっていくことができる。しかし仕事とは無関係の、そして自分を避けている相手を追いかけてまで関係改善しようとは思えなかった。
「ありがとうございます。エマ様も遅くまでお疲れ様です」
ユイカは当たり障りのない笑顔でそう言って、ミナの洗濯籠を受け取ろうとした。が、籠が渡されない。
「あの? 何か?」
不思議に思いながらエマの顔を見る。
「なんで? 私の、名前を……」
驚いたようにエマが言う。
「なんでって。フロアメイドさんたちのお名前は承知してますよ。女官フロアの担当をしてくださっているのは、エマ様、マデリーン様、クララ様、ヘレン様、マリア様ですよね」
関わっていなくとも、彼女たちが毎日女官フロアの掃除や他の女官に用事を言いつけられてくるくると忙しそうに働いている姿を見ていれば、名前を呼ばれている場面を目にすることくらいある。ユイカたち女官の仕事が終わった後に用事を言いつけられていることも多く、そんな彼女たちを他人事とは思えず見ていたユイカであった。
「……何のつもりですか?」
「はい?」
「何のために私たちの名前を調べたんですか? 仕事してないって告げ口でもするつもりですか?」
突然の攻撃にユイカはたじろぐ。
「ちょ……エマ様? 」
「言ってみればいいですよ。私たち、他の仕事はきっちりこなしてますから、貴女が何を言っても信じてもらえるかどうかは分かりまんからっ!」
そう言ってエマは洗濯籠を床に置いて走り去ってしまった。
「えー?」
あまりの展開に、ユイカは状況の把握ができず、思わずそう言うしかなかった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
翌朝。
「ご歓談中、失礼いたします」
ユイカは王太子宮の先輩女官に頼まれた書類を手に、応接室でエグランティーヌとお茶を楽しんでいるアルベルトに礼をしていた。背後にカイが控えている。
「来たね。待っていたよ」
アルベルトはにこやかに微笑み、ユイカから書類を受け取り、内容を目で追っている。
「確かに確認した」
サインされた書類を受け取り、封筒に入れてからユイカはその場を辞そうとすると、エグランティーヌがくすくすと笑って言った。
「ユイカ、貴女のお仕事はさっき終わったのよ。お座りなさいな」
「はい?」
確かに今日は王太子宮での研修七日目最終日ではあるが、まだ午前中である。
研修予定の変更などは聞いていないし、先ほどアルベルトから受け取った書類を先輩女官に渡しに戻らなければならない。機密性の高い書類のようだったから、尚のこと早く渡しに戻らなければ。
ユイカがそう言うと、アルベルトがにっこりと微笑み、ユイカの手にある封筒を指さした。
「その書類を読んでごらん?」
「いえ、こちらはとても重要な書類だと言われております。私が拝見することは許されておりません」
先輩女官から言われていたのだ。
『これは緊急にアルベルト殿下のご裁可が必要な機密書類なの。本来なら研修中の女官が扱っていい書類ではないのだけど、人手が足りないし、貴女なら、とも思うからお願いしても良いかしら?』
と言われたのである。ユイカ自身を信じて託してくれた先輩に迷惑を掛けるわけにはいかない。
「はい、合格」
アルベルトがぱちぱちを拍手をしている。
「……」
訳が分からない。お腹の中身がきっと真っ黒だろう王太子殿下はまたもやユイカのあずかり知らぬところでまた何かを企んでいるのではないだろうか。
そんなユイカの怪訝そうな顔を見て、アルベルトは嬉しそうに笑う。
「いいね、その信じてません、って視線」
「殿下、ユイカで遊ぶのはもうおやめくださいませ」
エグランティーヌが困ったように笑ってユイカを見た。
「新人王宮職員はね、二週間目の最終日に機密書類を届ける仕事を全員が頼まれることになっているそうですわよ?」
ますます分からないでいると、アルベルトが種明かしをするように両手のひらをユイカに向けた。
「つまり、これは試験だったわけだ」
「試験、ですか?」
「そう。王宮という国の最高機関で働く以上、侍従から庭番まで全職員には秘密保持の義務が発生する。だから少し仕事に慣れただろう頃にこうやって中を見てはいけない書類を託し、その行動を見る。好奇心に負けて中を見てしまった新人は、また研修一週目に振り出しになるが、きちんと遂行できた者には一日休暇日を与えることになっているんだ」
アルベルトはそう言って、ユイカの手から書類の入った封筒を抜き取り、そこから一枚の紙を取り出してユイカの目の前にぶらさげる。そこには『休暇届 ユイカ・フォン・フォルンシュタイン』と書かれていた。
「!?」
「これを新人が途中で無断で開けるとね、トラップ魔法が発動して『警告』の書類に変わるんだ。面白いでしょ?」
「新人を騙して試すってことですか?」
「適性試験の一環だとも」
どこからどう見ても罠である。どこまでも食えないお方である。そして絶対に敵に回してはいけないお方だと、ユイカは想いを新たにするのだった。
・・・*・・・*・・・*・・・*・・・
「それにしても……顔色が良くなっていて安心しましたわ」
エグランティーヌがユイカを見て目を細めた。
「その節はご心配をおかけしました。そして、申し訳ありませんでした」
エグランティーヌの隣に座ったユイカは、彼女に向かって頭を下げる。王太子宮での研修が始まった日--ユイカのメンタルがどん底にボロボロだった日、エグランティーヌはわざわざユイカのためにアルベルトの元へ訪れてくれたのだ。なのに、ユイカはあまりに壮大な話を聞かされ気後れしてしまった。
(あの時はとても失礼な態度を取ってしまったと思ったけど、エラ様は気になさってないみたい)
いつもと変わらないエグランティーヌの態度にホッとするユイカに、公爵家令嬢は頬に手を当ててため息を吐く。
「貴女なら大丈夫だろうって思っていましたけれど、それでもやっぱり心配でしたわ。殿下も王女殿下も先走りしてしまわれるし……」
そう言って横目でちらりとアルベルトを見る。
「それは済まなかったと姉上からは言われているよ。でも私は結果的にはあれで良かったのではないか、とも思っている」
(何言ってんだこの王太子はっ!! それであたしがどんな目に遭ったと!?)
などと王族に向けて文句など言えるはずもないが、確実にあの瞬間からユイカは不特定多数の職員から敵視されるようになったのだから、心の中で悪態をつくくらい許して欲しい。
「すでに子爵家出身の新人が5人ほど辞職している」
「?」
ユイカにはアルベルトの言葉の意図が分からない。
「毎年、研修期間中に辞める新人はいるが、それが全て子爵家でね。誰もが口を揃えたように『自分のような家の者が来る世界ではなかった』と言うんだ。今回辞めた5人も同様だった」
「……」
ユイカは黙って聞いていたが、ある言葉が引っ掛かった。
「自分のような『家の』者がって」
アルベルトが頷く。
「そう。自分の能力不足や、自身の性格ではなく、『家格』を理由に挙げるんだよ」
「複数の者にそう言われたから、としか考えられませんのよ」
エグランティーヌもため息を吐く。そして言った。
「だから、殿下と相談してユイカの周りには私たちがついている、と周りに知らしめる必要があったんですの」
「リリア嬢は心から君を送り出したかっただけで、それ以上でもそれ以下でもなかった様子だけど」
「!」
「姉上も賛同してくれてね。『面白そうだ』って。でも、ちょっとやりすぎたかもと反省していたから許して欲しい」
ユイカは何も言えなかった。
(殿下たちは……あたしを守ろうとしてくださっていた?)
膝の上に置いた手をぎゅっと強く握る。
(あたしは……何も見えてなかったんだ。本当に自分のことばっかりだ)
下を向いたままのユイカにアルベルトは続ける。
「君を無理やり騙して女官にしてしまったからには、何が何でも君の心と身の安全だけは、と思った」
苦しそうに呟いたアルベルトに、ユイカは思いっきり勢いよく顔を上げた。そしてゆらりと立ち上がる。
「殿下……? 今、何と……?」
アルベルトはハッとしたように口元を押さえた。しかしもう遅い。ユイカは決定的な言葉を聞いてしまったのだから。
「『無理やり騙して』って……とうとうご自分でお認めになられましたね!?」
うすうすそうではないかとユイカ自身思っていたし、配属通知を受け取った日からのアルベルトの言葉も確かにそのような口ぶりではあったし、カイからも聞いていたが、本人の口からはっきりと『無理やり騙して』と確定されてしまうとユイカの怒りが最高潮に達してしまった。
「ユイカ嬢! 落ち着いて」
それまで完全に気配を隠していたカイがユイカを呼ぶ。
「あらっ」
エグランティーヌが耳聡くその呼び名を聞き、扇を口元で開いて頬を染め、アルベルトがにやりと笑う。
「ほう……カイがフォルンシュタイン嬢を名前を呼ぶようになっていたとはね」
「!?」
「そ、それは……」
カイは何とか言い訳を考えている様子だが、何も言葉は続かない。そんな焦るカイを見て、アルベルトは何故か嬉しそうに笑った。
「おや、フォルンシュタイン嬢の顔が赤いようだ。体調が悪くなってしまったのかもしれないね。研修も二週間を過ぎて疲れが出てくる頃だからしっかり休むといい。カイ、彼女を寮までお送りしてくれ」
「!」
カイが困ったようにアルベルトに視線を向けている。
(絶対殿下はあたしがカイさんに気持ちが向いてるの気づいた上での指示だな)
カイに申し訳なくて、ユイカは両手を振った。
「だ、大丈夫です。しかし思いもしなかった話に顔が火照っているのは事実でございますので、私はここで失礼します。送りは辞退致したく……」
「いえ、行きましょう」
困惑していたはずのカイが顔を赤くしたまま、ユイカの言葉を止めた。そのぶっきらぼうな物言いに、ユイカは切なく思いながらも納得する。
(こんな居たたまれない空気の中にいたくないよね。分かるよ、カイさん)
ユイカはそう考え、素直にカイの後ろを歩き、生温かい視線を送ってくるアルベルトとエグランティーヌに礼をして応接室を辞するのであった。
次回(2/21)19時、作者、両片思いのじれじれ感が大好物なもので……(笑)




