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第8章ー3




 午前中の『人質奪還訓練』が終わり、午後からの『魔力の暴走で自己爆発させるタイプの犯人の確保訓練』に入るまで各自昼食を摂ることになった。


 しかし。今のユイカに一緒にランチ休憩をしてくれる人は皆無である。


(他の新人さんはそれぞれ楽しそうに仲良しさんと一緒にいる感じだな……)


 羨ましいような寂しいような複雑な気持ちで周りを見ていると、少し小高い丘の木の下に、漆黒の騎士がこちらに背中を向けて座っているのが見えた。


(カイさん……ひとりなのかな……昼食食べてる感じはしないけど……)


 ユイカは少しだけ悩んだ後、ふたつのランチボックスを受け取り、丘への斜面を上り始めた。




・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


「お疲れ様でした」


 背後から声を掛けると、カイは驚いた様子も見せずに笑顔を向けてくれた。


「カイ様、お昼は済まされましたか?」


「いえ、昼食を受け取る列が混雑しているように見えたので後からでもいいかと……」


 ユイカはホッとしながらランチボックスを差し出した。


「良かったら、どうぞ」


 受け取ってもらえたことにユイカは嬉しく思ったものの、ここでハッとする。


(ちょっと待って……何も考えずにのこのこ昼食持ってきたけど、当然のように一緒に食べるのはちょっと……いや、かなり図々しすぎない!?)


 恋する乙女の脳内は忙しない。さっきまで浮かれていたのが今となってはどんよりである。


「では……私はこれで……」


「え?」


「え?」


 カイの不思議そうな声に、ユイカは首を傾げた。


「……一緒に。宜しければ、一緒に食べませんか?」


「!」


 ユイカは、もげそうなくらいの勢いで何度も首を縦に振った。


 そんな様子を見てカイが楽しそうに笑ってくれるから、ユイカも楽しくなって笑顔でカイの隣に腰を下ろした。



「っ!? 美味しいっ!!」


 ランチボックスの中にはローストビーフとレタスのサンドイッチ、マッシュポテト、ミニトマトとオレンジが入っていた。ローストビーフにかかっているソースがこれまたとんでもなく美味しかった。


「そんなに喜んでいただけるなら調理の者も喜ぶでしょうね」


 ユイカが感動しながらサンドイッチをひと切れ頬張っている間に、カイはオレンジを残すのみとなっていた。


「相変わらず食べるの早いですね」


「?」


「あ、私、学園の食堂でカイ様がモーニングセット(特)を召し上がっているのを見つめてご不快な想いをさせたことがあります。その節は大変申し訳なく……」


「いやいや、もちろん覚えてますよ。不快だなんてそんなことは……しかし、そんなに早食いをした覚えは……」


「!? あれが通常運転のお食事ということですか? 私、あまりにカイ様が気持ち良く綺麗に勢い良く平らげておられるのを見て感動すらしましたもん」


 力説するユイカに、カイはまた笑った。


「あの頃から、もう一年近く経つのですね」


「そうですね。あっという間だった気がします」


 ユイカも頷く。それから二人は何を話すでもなく、ただ黙って目の前の風景を見ていた。


 眼下の平原から丘に抜けていく風が気持ちいい。平原では昼食を摂ったり、各自鍛錬に励む騎士たちの姿が見下ろせた。


 そんな風景を眺めながら、食事を終えたユイカはカイに頭を軽く下げた。


「カイ様、先日はどうもありがとうございました。おかげさまで私、少し、浮上できたみたいです」


 笑顔を向けると、柔らかな笑みが返された。


「そのようですね。顔色が良くなっていて、安心しました」


 自分を見つめるカイの瞳がなんだか優しくて、労わってくれているのが見て取れて、視線をどこに向ければ良いのか分からない。


 彼からの視線を真正面から受け止める勇気もなくて、ユイカは平原で簡易試合を始めた新人騎士らしい集団に目をやりながら、疑問を口にした。


「カイ様は……どうしてそんなにいつもお優しいのですか?」


「優しい……ですか?」


 きょとんとするカイの表情が可笑しくて、ユイカはくすりと笑いながら言う。


「自覚、無いんですか? 私が泣いてしまったときに、階段下で人目から隠してくださったでしょう? それに王宮職員就職試験の時、殿下に言われたとはいえ、わざわざ応援に来てくださいましたし、入宮の日も。先日だって気にかけてくださって……私、カイ様に優しくしていただいてばかりで、何も返せてないのが心苦しくて……」


 思い出せば心が救われた記憶ばかりである。


(だからこそ、人としてお礼をせねばならないよね。そう、人としてっ! 決して更にお近づきになりたいとかそういうよこしまな気持ちから来るものではなく!!)


 誰に弁解しているのか分からないけれど、ユイカは必死で心の中で言葉を紡がずにはいられなかった。


「何か私に出来ることはありませんか?」


「お礼をしていただくようなことでは」


 彼が断るのは想定内である。なのでユイカは相手が恐怖を感じない程度に押しまくろうと今、心に決めた。


「私が! 心苦しいので! 私の為と思って、肩もみでも、食堂の食券購入でも、私にできることなら……、……っ!?」


「フォルンシュタイン嬢?」


 カイの真正面で言い募っていたユイカは、彼の肩越しに見える風景が急にスローモーションのように感じられた。


 平原で簡易試合をしていた新人騎士の放った風の刃が、彼の剣を離れた瞬間、ぶわっと大きく広がったのだ。


 まだ経験不足な新人だろうから、想定より魔力を込め過ぎたのだろう。そして同時に平原から丘まで吹き抜けていた風が急激に強くなったことも悪い方向に影響した。


 放たれた想定外の威力を持った風の刃が、運悪く発生した強風に乗ってこちらに向かってきたのだ。ユイカの目の前で、カイの背中に向かって。


(カイさんに当たるっ!!)


「危ない!」


 考える間もなくユイカはとっさに自身の渾身の風魔法を刃に向かって飛ばした直後、カイの肩を全力で突き飛ばした。状況の読めないカイの瞳が驚きで大きくなり、バランスを崩した彼がゆっくりとユイカが望んだ方向に倒れていく。


ーーーヒュンッーーー


 空気を切るような甲高い音がユイカのすぐそばを通り過ぎて行った。


 その音が通り抜けていった直後、ユイカは右頬に鋭い痛みを感じた。少しだけ掠ったのかもしれない。


「フォルンシュタイン嬢!? 一体何が……?」


 カイが困惑しながら起き上がる。


(良かった、怪我は無さそう……)


 ホッとして、ユイカは力が抜けた。カイの傍らにへたり込んだまま、へらっと笑う。


「あ、カイ様、申し訳ありません、風魔法が向かってくるのが見えたので、思いっきり突き飛ばしてしまいました。お怪我はないですか?」


「私は何とも……。っ!? 」


 言い終えないうちにカイがユイカの顔を見て言葉を失った。彼の視線がユイカの頬に留まったまま動かなくなった。



「あぁ、これですか? 咄嗟に風をぶつけて軌道を反らそうとしたんですけど、やっぱり素人がどうにかできるものじゃないですよね、ちょっと掠っちゃったみたいだけど全然何とも無いですから」


 手のひらをあててみると、出血したようだが、ほんの少量だった。つまりちょっとした切り傷である。全治2日くらいの。


「……」


「カイ……様?」


 騎士の顔が真っ青で、瞳がかすかに揺れている。座り込んだまま、まだ動かない。


「大丈夫ですかっ!? やっぱりどこかお怪我を!?」


 慌てて立ち上がるユイカに、カイは首を何度も振る。


「どうして……貴女という人は……っ!」


 カイはそれだけを言って唐突に目の前で身を屈めたかと思うと同時に、ユイカの背中と膝裏に手を差し込み、何の言葉もなく抱き上げた。


「!? か、かかっカイ様っ!? な、ななななにをっ!?」


「暴れないでください。医務官の元に向かいます」


「いやいやいやっ! かすり傷ですって! しかも歩くのに何の関係もない場所の怪我ですからっ!」


「黙っていてください」


 有無を言わせぬほどのカイの固い声に、ユイカは口をつぐむしかなかった。そして大人数の好奇の目にさらされながら、医務官の待機する天幕までいわゆるお姫様だっこで運ばれるのだった。



・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


「はい。消毒しといたから。こんなの手当てするほどでもないんだけどね」


「ですよねっ!」


 呆れた様子の老医務官に申し訳なくて、ユイカの声にも思わず力が入る。ユイカの背後に立っているカイは何も言わない。


「……」


 それどころか顔面蒼白のままである。老医務官が眼鏡をずり上げながらカイを見上げた。


「あんたの方がよっぽど倒れそうな顔色してるけど……ベッドで休むかい?」


 老医務官に心配そうに言われたカイは、黙って首を横に振る。


「大丈夫です。彼女は本当に大丈夫なんですか?」


「あぁ。風魔法が直接当たったわけじゃないみたいだ」


「そうですか」


 心から安堵したような声色に、ユイカは肩を落とすしかなかった。


(あたしがうまく避けられなかったから……)


 以前もユイカが無茶をした孤児院事件の時、犯人に弱々キックをお見舞いして、カイにめちゃくちゃ叱られ、めちゃくちゃ落ち込まれたことを、彼女は今更ながら思い出していた。


 けれど今回のことは咄嗟のことだったのだ。迷っている暇も説明する時間もなかった。


 黙り込んでしまったユイカとカイを見比べ、老医務官はやれやれと首を振った。


「とりあえず、そっちの彼の顔色が落ち着くまではこの天幕で休むといい。私は昼食を摂り損ねたから食べてくるよ」


 ごゆっくり、と、そう言って老医務官は出て行ってしまった。天幕内にはユイカとカイの二人きりになった。


 小さな狭い空間に気まずい沈黙が満ちる。


「あの……カイさん、申し訳ありませんでした」


「……何故謝る」


「……前にも同じようなことしてカイさんを困らせてしまったことを、今しがた思い出しました」


「貴女のことだ。咄嗟に身体が動いたのだろう。分かっている」


「……でも」


「こればっかりは……なかなか……だな。どうしても血を見てしまうとあの時のことが……」


「!」


(本当に……あたしは考えが至らない……)


 カイはユイカの説得によって簡単に自分の命を放り出さなくはなったけれど、決して人が傷つくのを見た彼が心に傷を作らなくなったわけではないのだ。きっと母の死の瞬間が今現在も彼を苦しめている。


(この人に……何を、どう伝えてあげたら良いんだろう)


 ユイカは泣きたくなった。こんなに優しい人が、これ以上傷つくのを見たくなかった。けれど、簡単に心的外傷が癒されるはずのないことも理解している。


 ユイカには思いもよらないくらいに大きくて深くて冷たい闇のような傷が、今も彼をむしばんでいるのだと、それだけは分かっているのに自分には彼に何もしてあげられないことが、ひどくもどかしくて情けなくて辛かった。


(でも……せめて)


 ユイカは、ベッドに座りこんだ彼の前で膝をつき、冷えて微かにまだ震えているその両手を包み込む。そして自分にとって誰よりも大事な人の暗い瞳を見上げながらゆっくりと口を開いた。


「カイさん、これだけ覚えておいて」


 カイが顔を上げてユイカを見た。視線が頬の傷に向かい、すぐに逸らされた。


「これくらいの身体の傷ってね、治るんだよ」


「……」


「身体が自分で自分を修復するの。特に意識しなくて身体が勝手にそうするの」


「でも、心の傷は、なかなか治らないし、治ったかどうかなんて外から見ても分からない」


「……」


「だからね、思い出して。『大丈夫だ』って。少しだけで良いから、傷は治るってことを思い出して」


「大丈夫……?」


 ユイカは頷く。


「私の傷はすぐに治る。カイさんの心の傷も、少しずつ癒えていく。だから、いつかきっとその苦しみが楽になる日が来るよ」


「……」


「哀しみが消えることはないし、苦しみがゼロになるわけじゃないって分かってる。分かってるんだけど、少しずつ前進してるって、良くなってるって自分で認めてあげることも、きっと必要だと思う」


 こんな慰め、何の役にも立たないかもしれない。けれど、言わずにはいられなかった。カイは大人の男の人だけど、きっと心の中に傷ついた少年が今も確かにいる。その子に『大丈夫だ』って伝えて欲しかった。これから先、何回も、何十回も伝えて欲しいと思った。


「こんなこと、分かったふうに言われるの……カイさんは嫌?」


「……嫌じゃ、ない。ただ俺が……」


 カイは自分のせいで母親が殺されたのだとずっとずっと己を責めて生きてきた。きっと自分が癒される資格なんてない、そう思っているに違いなかった。ユイカが、アルベルトが、仲間がどんなにそんなわけない、と彼に伝えても、その気持ちを覆すことなんて無理なのかもしれない。でも……。それでも……。


「決めた」


「え?」


 ユイカは立ち上がり、カイを見下ろして笑って見せた。


「さっき丘の上で言いかけたこと。『何か私にできることありませんか?』って言ってたでしょ? 私がカイさんにできることっていうか、私が勝手にしたいこと、なんだけど」


 ユイカは続ける。


「私、カイさんにずっと『大丈夫』って言い続ける。ずっと貴方に伝え続ける」


「……」


 カイは、ユイカの顔を見て、それから俯いた。そして再び動かなくなった。


「え? あ、あの……カイ……さん? ダメ、だった?」


 自分勝手過ぎただろうか。心の傷を更に抉ってしまったのだろうか。


 オロオロするユイカを前に、カイがやっと顔を上げた。その瞳はもう、揺れていなかった。


「貴女は、そうやって俺にこれからも『大丈夫』と伝え続けてくれるんだな?」


 ユイカが頷くと、カイもひとつ頷いた。


「ならば……ひとつ、約束して欲しい」


「約束?」


 カイも立ち上がり、ユイカの瞳を見つめた。


「俺の知らないところで絶対に危ないことをしないで欲しい」


「え?」


(心配してくれてるんだよね? 単に危なっかしいから、だよね? っていうか、危ないことするなって、あたしが『大丈夫』って言い続けることと何の関係もなくない?)


 ツッコみたいけれど、そんな空気ではないことだけは分かる。ユイカは困惑するが、カイの目は真剣だった。


「頼む」


「う……うん、わかった」


 カイはホッとしたように息を吐くと共に肩の力を抜いたように見えた。そしてユイカに言う。


「俺はもう大丈夫だから、午後からの訓練もあるだろう? 行ってくれ」


「でも……」


「研修中、だろ?」


 カイの言葉に、ユイカは頷くしかない。何となく気になりつつも、ユイカは天幕の外に出て先輩女官の元へと走るのだった。





・・・*・・・*・・・*・・・*・・・


 ユイカの後姿を見送ってから、カイは大きく、そして長く息を吐き、再びベッドに座り込んだ。


(目の前が真っ白になった……)


 彼女の怪我を見た瞬間、我を忘れた。怪我の程度なんて考えることもできなかった。彼女の顔に赤いものがあると認めた途端、あのざまだった。


 情けないと思う。自分でもどうにかしたいと思ってきたけれど、実際に血を見ただけで幼い頃の記憶が鮮明に次々に蘇ってくるのだ。


 でも……。



『これくらいの身体の傷ってね、治るんだよ』


 彼女は強い。


『だからね、思い出して。『大丈夫だ』って。少しだけで良いから、傷は治るってことを思い出して』



 彼女の柔らかな声が、静かな言葉が、信じられない程するりと心に入ってきた。今まで何人もの人に自分を責めるなと言ってもらった。怪我を見たカイが狼狽するのを見て、ユイカと同じように治るからと言ってくれた人もいたのに、どうして彼女の言葉だけがこんなに自身の心を柔らかく満たしてくれるのだろうか。


『お前ねぇ、それが恋だっていうの、まだ分かんない?』


 ユイカとアルベルトの卒業式の日、同僚のフェリックスから投げられた言葉がふいに心に蘇り、フッと口元が緩むのを感じた。


(本当に……不思議な人だ……)


 何物にも替えられない、得難い存在。


 自分よりも小さくて弱いのに、時々とんでもないしなやかな強さを見せつけられる。そんな彼女がずっと自分の傍で『大丈夫』と伝えてくれると言ってくれた。


(『ずっと』。それがどれだけ俺にとって希望になるのか、そして不安になるのか、貴女には分からないだろうな……)


 ずっと傍にいて欲しい、けれど、その温もりと心地良さと安堵を知った自分が、もし再び大事な人を失うような事態が起きたら。


(今度こそ、どうにかなってしまうに違いない)


 その結果出た言葉が『俺の知らないところで絶対に危ないことをしないで欲しい』だったのだ。カイの気持ちになど気づくはずのない彼女からすれば、何で、と思ったに違いない。けれど、どうしても……どうしてもカイにはその約束が必要だった。


 生きていくために。





次回(2/20)19時、ミナさん再度寝落ち!

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