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第7章ー2




 王太子宮の入り口で、ユイカはロザリンデからアルベルト宛ての手紙を手渡すよう申し付けられたことを侍従に伝えると、ここでしばらく待つように指示された。


(王太子宮ってことは……カイさんに会えたりするのかな。殿下の傍にいるのかな)


 数時間ほど前に会ったばかりだが、それでも、少しの期待で胸がほわほわしてしまう。そんなユイカの期待に応えるように聞き慣れた声が耳に届いた。


「お待たせいたしました、女官殿」


「!!」


 振り返るユイカの目の前に立っていたのは、王太子殿下の専属護衛騎士、今ユイカが思い描いていた相手その人、カイだった。


「……」


 カイはユイカの姿を見て、少し動きを止める。


「……カ……いえ、騎士様? どうかなさいました?」


 カイはこちらを見つめてしばらく動きを止めていたが、ユイカの声に我に返ったように目をしばたたかせた。


「いえ、なんでもありません。こちらへ、どうぞ」


 カイは、くるりと背中を向けた。アルベルトのいる執務室まで先導してくれるらしい。


「……」


「……」


 無言で歩く間、王太子宮の廊下で幾人にもすれ違う。ユイカが会釈すると相手も会釈を返してくれるのだが、全員が前を歩いているカイを見て一瞬ぎょっとしたように目を見開くのだ。


(カイさん……一体どんな顔して歩いてるんですか……)


 不安になりながらもしばらく黙ったまま歩き続け、かなり奥まった場所に来た。カイは扉の前にいる二人の兵に頷くと、兵が扉を開けてくれた。


 前室、と言うのだろうか、ソファと小さな机があるだけの殺風景な部屋の更に奥に扉が見えた。


「ユイカ嬢」


 今しがた入ってきた側の扉が閉まった途端、カイが背中を向けたまま口を開いた。


「え?」


「女官姿、よく似合っている」


「!?」


(な、ななななに? 今のっ!?)


 ぼんっと音がしそうなほどに顔を赤らめたユイカの目の前で、カイはユイカを見ることなく部屋奥の扉をノックした。


「どうぞ」


 中から殿下の声が聞こえ、特に何の変化も見えないいつも通りのカイが扉を開けて胸に手をあて頭を下げている。その彼の目の前を大混乱の真っただ中にいるユイカは必死で平常心を装って通り過ぎようとした。


「……ふっ」


 カイの隣を通り過ぎる瞬間に彼の含み笑いが聞こえた気がした。


「……っ!」


 からかわれたのだと気づいた。いや、もしかしたら、ユイカが初仕事の緊張でガチガチなのを緩めてくれようとしたのかもしれない。だがしかし。


(カイさん……意地悪だ! 絶対アルベルト殿下の悪影響の結果だっ!!!)


 あっさりと自分がカイの手のひらの上で転がされていることに気づいたものの、この場で反撃などできるわけもなく、ユイカは臣下の礼を王太子殿下に向けた。


「王国の花より、王国の光たる王太子殿下にお手紙をお持ちいたしました」


「あぁ、ご苦労様」


 アルベルトは、カイとは別の護衛を斜め後ろに従わせ、大きな机からユイカを見てにっこりと微笑んだ。


 ユイカは目の前にやってきたカイに封筒を渡し、カイはアルベルトの侍従に渡した。侍従が封筒にペーパーナイフを入れる。


「……」


 手渡された手紙に目を通し、ひと通り読み終えたらしいアルベルトが、急に机に突っ伏した。


「え」


 ユイカが呆気に取られてアルベルトを見ると、その肩は細かく揺れていた。


「で、殿下?」


 アルベルトは肩を揺らしたまま、口元に手を当て、もう片方の手を軽く上げてカイ以外の護衛を退室させた。つまり今、王太子の執務室にいるのは殿下ご本人とカイとユイカだけである。


「あははははっ! 君、早速あの個性的な謝罪を披露したの? まだ宮に入って一時間も経たないうちにっ!?」


 アルベルトはユイカに向かって本気で大笑いしている。ムカつきながらも、それならば、とユイカはアルベルトに確認を取ることにした。


「殿下、ここは無礼講でよろしいですか?」


「あぁ、もちろん。構わないよ?」


 言質を取ったユイカは声を高くした。


「殿下っ! 王女殿下に一体何を仰ったのですか? あの謝罪をすることになったのだって、元はと言えば、王女殿下がいきなり壁ドンしてきたからでっ!」


「壁ドン?」


「一方が壁に背をつけて一方が相手の顔の横の壁に手をつけて、ちょっと閉じ込めることによって心理的なときめき効果を上げる技名です!」


「君は姉上に『壁ドン』なるものをされてときめいたのかい?」


「ときめくに決まってますでしょう? あんなにお美しい造形を間近で拝見できるのですよ!! じゃなくてっ!! 」


 ユイカは喋っているうちに先ほどのパニックと大混乱を思い出して更に腹が立ってきた。そんな彼女を見て、アルベルトは大笑いからけらけらと軽い笑いにシフトチェンジしていた。


「あぁ、私が姉上に何を言ったか、だっけ? 『私はひとりの女生徒に心を奪われてしまったよ』ってだけ。何せ姉上ってば、私のこと大好きだからね~」


 ユイカは頭のとこかでブチっと何かが切れる音を聞いた気がした。


「『ね~』じゃねぇんですよ!! しかも何ですか、その誤解しか招かない説明はっ!! 壁ドンの後、王女殿下は今の王太子殿下と同じ笑い方をなさってから、誰にも何の説明もなく、私をこの手紙の配達人にご指定なさいました。私明日からも王女宮でやっていけるのですか? まだ初日なのに!!」


「あぁ、そこは大丈夫。保証する」


「え?」


 アルベルトの笑いはやっと治まったようで、ニコニコ笑顔で戸惑うユイカに流れるように説明をした。


「姉上が大変お喜びのようだ。私が報告した通りの女官だと。そんな女官いるわけがないと思ったけれど、実際にいるとは恐れ入った、と書いてあるよ」


「……は?」


 王族に「は?」とか言ってはいけないのだ、もちろん。けれど、この場では専属護衛騎士様には見逃されているようだし、何ならカイの肩も心なしか揺れている。


「……」


 ユイカは理解した。全てはアルベルトがプロデュースした舞台の上だったということだ。


 また笑い始めたアルベルトにユイカは氷のような笑みを浮かべて申し上げる。


「殿下、王女殿下に私のことをどのようにご紹介くださったのか、更にお聞きしてもよろしゅうございますでしょうか? 今のお言葉だと、『心奪われた』だけではございませんね?」


 アルベルトは笑いながら、読んでいた手紙をユイカの方に風で飛ばす。


 受け取った紙に目を落としたユイカは、目を剥いた。


『アルが言った通り、面白い女官だった。興奮したら早口になるとか、見たことのない謝罪方法とか、予想外の動きをするとか、確かに見ていて飽きない。良い玩具を見つけたようで何より』


 王女殿下、手紙でもサバサバしていらっしゃる。ユイカは白目を剝きながらアルベルト王太子殿下とロザリンデ王女殿下の血の繋がりをこれ以上なく見せつけられた気分で手紙をぐしゃりと握りつぶした。


「君は本当にいつも私の期待の倍以上の高みに飛んでいくね!」


「それは褒められてるのですか? 貶されているのですか?」


「もちろん心から褒めているし、心から楽しんでいる」


(この人、もう何も隠す気ないわ……)


「あの……殿下」


「なんだい?」


「ちょっと初日から殿下のおかげでものすごい注目を浴びているのですが、これも殿下の脚本通りなのですか?」


「……どうだと思う?」


「殿下は無駄なことをなさらない方だと思っております」


「よく分かってくれていて嬉しいよ」


 そう言うと、アルベルトはいつもの王太子殿下に戻った。


「姉上からの手紙、受け取った。お喜び頂けて何よりです、と伝えてくれ」


「……かしこまりました」


・・・*・・・*・・・*・・・*・・・



 話は終わり、ということだ。ユイカが更に困惑しているらしい心を必死で押し隠しながら、静かに王太子宮を辞した後、アルベルトとカイが二人きりになった執務室で、王太子はニヤリと自身の専属護衛に意味ありげな視線を向けた。


「カイ。この部屋に入ってきたときのユイカ嬢の顔が燃えそうなほどに赤かったけど、一体何があったんだろうね?」


「!」


 カイの主人は本当に目ざとい。そして彼の口元の緩みっぷりを見れば、恐らくユイカに対する自分の気持ちなど、簡単に見破られているのだろうと分かった。


「……」


 バレていると分かっていても、それが主人であっても、それでもこの心の内をカイは自分からさらけ出す気はなかった。


「王女宮からの使いと聞いて、ピンときたからこそ、君を迎えに向かわせたんだ。執務室までの道のりはさぞかし楽しかっただろう? 感謝してくれても良いんだよ?」


「……」


 黙ったまま微動だにしない護衛騎士に、アルベルトは苦笑して言った。


「随分感情豊かになった君からの恋愛相談を受ける準備は万端なのだけど、今のところは、期待しないで待っておくことにするよ」


 と。




・・・*・・・*・・・*・・・*・・・



 カイは再び執務に集中し始めた主を見守りながら、先ほどのユイカの姿を思い返していた。


 濃い紺色のしとやかな雰囲気のワンピースに白銀の髪がよく映えていた。あんなふうに髪を結い上げている姿を見るのが初めてだったものだから、俯いたときのうなじに目がいって、動揺したのだ。


(そんな自分を叱咤して気をしっかり持て、と歯を食いしばっていたが……)


 廊下をすれ違う人全てが自分の顔を見てびくりとおののいていた。ただでさえ無表情で怖いと言われているのに、更にその印象を悪い方向に刻ませてしまったに違いない。


(しかし……)


 アルベルトが言っていた。


『随分感情豊かになった君からの恋愛相談を受ける準備は万端なのだけど……』


 思わず顔を手で覆った。七つも下の女性にここまで変えられてしまうとは。


(なのに彼女は、随分冷静だったから……)


 いつも表情がくるくるとめまぐるしく変化する彼女を見ているのは楽しい。けれど今日の女官の彼女は凛とした雰囲気でいつもの彼女と随分違っていたから……。


(表情を崩してやりたくなったんだ)


 二人きりになったとは言え、王太子殿下の執務室の前室であんな言葉を口にしてしまった自分が信じられなかった。けれど、自分の言葉で仮面が外れ、顔を真っ赤にして彼女らしい表情が溢れ出した姿を見て、思わず嬉しくなって笑ってしまったことは事実だ。


(見ているだけで、それだけで十分だと思っていたのに。自分に笑いかけて欲しい、なんて思う日が来るとは……な)


 カイは静かに、心に確かに存在している温かな心地良い何かを想う。どう言い表せば良いのか分からないけれど、それが自分にとって何よりも大切な何かであることだけは認めずにはいられないのだった。






次回(2/15)19時、 ユイカの言う『大丈夫』はきっと大丈夫じゃないよね……。


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